森の賢者 リーリィ・アイスコレッタ 2
リーリィ・アイスコレッタが転生少女カナデと共に暮らし始めて早くも3ヶ月が経とうとしていた。
リーリィはカナデに会えたことで少しばかり舞い上がっていた。
それを隠すために、カナデの前では毅然とした態度をとろうとしていたが、それも始めのうちだけであり、今ではカナデにも孫可愛がられているのを普通に悟られてしまっている。リーリィ本人は隠せていると思っているのと、カナデの気遣いによって微妙な均衡が保たれている状態だった。
「マリーゴールド、貴女の大事な人は私が責任持って守るわ。あの子に花の神々の加護があらんことを」
リーリィは今カナデが最初にいた教会に来ていた。
野暮用で街へと行く途中だったが、ふと立ち寄ってみることにした。
微妙に焦げ臭い匂いと、灰が散らかっているので、風の初級術で吹き飛ばし片付ける。もっとも、これらが散らかっているのは他でもないリーリィのやったことなので彼女が片付けを行うのは当然なのだが。
それから、マリーゴールドの形をした水晶細工の前へ跪き、祈るようにマリーゴールドへと誓いを立てる。
カナデと約束をした半年の期間はもう半分を過ぎた。
いきなり出て行くと言いだした時、リーリィは心底焦った。
武器も魔術も持ち得ないカナデが【深き森】で一人歩きなどしようものなら、カナデの持つ強大な魔力に惹かれた魔獣共によって殺されてしまうであろう。
何より予想していた通りであったが、カナデはこの世界の知識を持ち合わせていなかった。いや、忘れてしまっていた。
リーリィはそのことに人知れず歯噛みをした。カナデに自分のことを覚えていてもらえていなかったことが悔しかったのだ。
だからこそ、リーリィは必要以上にカナデを可愛がり、教えられることはすべて教えた。魔術もそうだ。
基本的に魔術師はその魔術を人に教えない。
弟子を取ったということであれば話は変わるが、リーリィとカナデは師弟の関係ではなかった。リーリィがカナデの求めるがままに知識を伝授しただけである。
過去に気まぐれにとった弟子は、その魔術で有名を轟かせたが、そんなことはどうでもよかった。
カナデがマリーゴールドの加護にて死なないことをリーリィは知っていたが、それでもなお、自分を守る術を身につけてほしいとリーリィは願った。願わずにはいられなかったのだ。盗賊に怯え泣きじゃくる、弱々しい少女の姿を、リーリィは見てしまっているのだから。
実際のところカナデはこの3ヶ月で十分成長できていた。本人は隠しているようだけど魔術も中級術を幾つか使えるようになっている。
こっそりと剣の型を練習しているのも見た。あれはこの世界にはないものだから前世で身につけたものだろう。
多少不格好だったが、あと1月もすれば自然な形になるだろう。
リーリィ自身は剣を扱えないが、長年の知識でその剣が使えるかどうかはわかる。
(私の魔術だけ使えればいいのに。)
そう考え、顔も知らない剣を教えた相手に嫉妬をしたが、カナデが身を守る術は多いほうがいい。魔術も絶対のものではないのだから。
「さて、いきますか」
リーリィは教会を出て、"飛行術"の魔術を唱える。
薄羽に風を纏わせ、一気に上空へと躍り出る。
「街は……あっちね」
少しばかり感傷に浸ってしまい時間が経ってしまったので、急いで街へと向かうのであった。
アプリエイト王国辺境に存在するシナノの街。
【深き森】が直ぐ側にあり、いつ魔獣に襲われてもおかしくないこの街は、それでもなお活気で賑わっている。
武器や薬を売る商人。食事を提供する食堂に、酒場、宿屋。店という店が豊富な商売をするための街といった雰囲気だが、本質としては、【深き森】へと挑む冒険者のための設備だ。
【深き森】以外にもこの街の近くには、【深き森】から逃げ出した弱い魔獣が潜む森林や、少し離れたところには翼竜の生息する谷。果ては魔王領マンゴスタシアへと続く山など、冒険者が腕を振るうのに困ることがない環境だった。
そのため王都から離れた辺境の地にもかかわらず、王都に並ぶ程活気ある街だった。
その街を治めているのが、辺境伯ガートランド卿であった。
ガートランド卿はその昔、魔王軍討伐の先陣として勇敢に戦った勇猛果敢なる人物だが、現在の伴侶である最愛の妻を娶ってから、戦場へと赴かず、領主として生きていくことを王に告げた。
勇敢な騎士で騎士団長にまで上り詰め、さらに言えば攻めてきた魔王軍の将軍を討ち取った人間の頼みを無下にもできず、最終的にこの地をガートランド卿へと賜った。
そんなガートランド卿の住む領主館へとリーリィはやってきていた。
入り口を守る衛兵に、
「リーリィ・アイスコレッタが来たと伝えなさい」
と一言言うと、程なくして門が開き、応接室へと通された。
リーリィは出された紅茶を飲みながら待っていれば、勢いよくドアが開き、年齢の割に筋肉質でガタイのいい男、ガートランド卿が現れた。
「やぁやぁ、賢者アイスコレッタ殿!よくぞ来ていただいた!」
そう大きな声で挨拶をし、リーリィの座るソファーの向かいのソファーに腰掛けるガートランド卿。
「五月蝿いわ、エリック・ガートランド。そう畏まらんでもいいのよ。アミラも元気かしら?構わないで、座るが良いわ」
「ありがとうございます、アイスコレッタ様。私も家族共々健康そのものでございます」
リーリィの問いに、ガートランド卿の後ろに控えていた女性、アミラ・ガートランド伯爵夫人がスカートの裾を摘みカーテシーで答える。その顔は、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「して、賢者殿がここに来るとは珍しいですな。前に来たのも1、2年前ぐらいだったと記憶してますが。確か去年はブラン殿が報告に来てたはず」
リーリィはガートランド卿から、【深き森】から魔獣が来ないように結界を張る仕事の依頼を受けている。
結界自体は1年ぐらいの単位で交換点検すればいいそれほど難しいものでもなく、頻繁にガートランド卿に会う必要もなかったため、ここ最近はその報告もブランに任せる始末だった。
「あぁ、森の結界は何の問題もないわ。今日は別件でね。あぁ、結界の報告は今ので完了でいいかしら?」
「えぇ、構いませんとも。今年は賢者殿のお顔を見れていい年になりそうだ。それで別件とは?」
まるでおみくじで大吉でも引いたかのようなガートランド卿の感想に、アミラも少し笑ってしまうが、すぐに気を引き締める。
その様子に、リーリィ自身も少し気が抜けてしまうが、そうもしてられなかった。
「実は、マリーゴールドの子が帰ってきの。転生して、今は森の家で預かってるわ」
「なっ!?本当ですか!?」
ガートランド卿もアミラもその言葉に驚きを隠せない。
しかしリーリィは淡々と話を進めていく。
「3ヶ月前の太陽が黒く染まった日に。あろうことか盗賊に奴隷として売られそうになってたわ」
「それは……ご本人もそうですが、賢者殿もさぞ辛かったでしょう」
「それはいいの」
リーリィは捨て置いたが、実際盗賊どもを燃やし尽くすほどにその時のリーリィは怒っていた。普段ならもう少し理知的に、街の憲兵に引き渡す。
「女神マリーゴールドの子が帰ってきたのはわかりました。それを私達に教えて何をしろと?」
リーリィに対してアミラは質問をする。それ以上なにがあったか語ろうとはしないが明らかに怒っている様子のリーリィにアミラは恐怖した。
「なに難しい話ではないわ。お前たちの2番目の子と同じくらいの年だからね。少しばかり遊んでやって欲しいのよ」
「レントールとですか?しかしあいつももう15の男で遊ぶというのは……」
「前に行ってたではないの。レントールだったかしら?その子が冒険者に憧れて剣ばかり振っていると」
「あぁ、遊ぶとはそういう……しかしこちらは構わないのですが、その子は冒険者になるには早すぎるのでは?」
「いや、カナデ……あの子は聡い。もう中級術も使える。【深き森】は流石に無理だけれど、王都へと続く街道の森ぐらいなら敵はないだろう」
「それならばよかった。あずかり知らぬところで愚息が守りきれず全滅したなどと言われたら、賢者様の怒りを買ってしまう」
「いやぁ、そこでお前に怒りは向かないわ。何よりあの子は死なない。そういう加護を受けているから」
「マリーゴールド様は命の輝きの加護でしたか。賢者様がそこまで言うのであれば、大丈夫なのでしょうな。となると愚息の方が心配ですな。中級術を使える魔術師の足を引っ張らないかどうか」
息子の実力を知るガートランド卿がうぬぬと悩んでいると、リーリィからさらに提案があった。
「それでね、1月後ぐらいにまず1度合わせようと思うの。それで模擬戦でもさせようかとね。あの子は剣も少し使えるわ」
「ほう、それはいいですな。じゃあそれでまず会わせましょう。本人たちが無理そうであれば残念ですが」
「そればっかりは私たちにもどうこうはできないわ。別の相手を探すしかないでしょう」
「そうするしかないでしょうなぁ」
がははと笑うガートランド卿と、くくくと悪い企みをしているリーリィ。
アミラはその場から少し離れたかった。
「あぁ、それと。3月後に、1度皇国へ行かなくてはいけないの。もし先の件が上手くいけばあの子を」
「えぇ、預かって欲しいというのであれば構いません。もっとも」
「えぇ、基本は本人の意向を尊重して」
「わかっておりますとも」
残った紅茶を飲み干し、出て行こうとするリーリィ。
その前に、ガートランド卿が呼び止める。
「そうだ賢者殿。中級術を使えるというのであれば、杖が必要なのでは?」
「そうね。練習用の杖をこれから見繕って帰ろうかと思っていたのだけれど」
「それならば、これを」
部下に命じ、ガートランド卿が用意したそれは、カナデの腰ぐらいまでの大きさはあるだろうか、シンプルな装飾のない杖だった。
「これは」
怪訝な顔でガートランド卿を見るリーリィ。
ガートランド卿は自信満々に答えた。
「先日ある商人から押収したものなのですが、一切の術式の刻みがない新品の杖ですよ。素材もかなり質の良いものを使っている。これに賢者殿の術式の1つでも刻めば、弟子に渡すものに相応しいものになりましょう」
魔術師は、師匠から弟子に杖を送るのが習わしとなってる。そこには師の術式を刻み、それを弟子が解読し、杖なしで使えた時に一人前として認められるという習わしだった。
「いやいや、別に弟子ではないのよ?身を守るための術を教えただけで、あの子はそうは思ってないでしょうよ」
リーリィの言葉にガートランド卿がため息を吐く。
「私がその子の立場であれば、賢者殿のことを尊敬に値する師だと思いますがね」
「そんなことは……」
「では賭けませんか?その子に師弟の習わしのことを教えて、術式を刻んだ杖と、練習用の新品の杖、どちらを選ぶか」
リーリィはこの男が何を言っているかわからなかった。
ただ自分をからかっているようにも見えるので、結果のわかっている賭けに乗ることに決めた。
「いいでしょう。結果なんて分かりきっているのですから」
「そうですな。結果はわかっておりますとも」
「私が勝ったら、来年の結界の礼金を2倍にしてもらおうかしら」
「では私が勝ったら、皇国に行ったついでに皇国剣を買ってきて貰いましょうかね。珍しくて手に入らないのですよ」
「えぇ、いいでしょう。その言葉よく覚えていらっしゃい、エリック・ガートランド!」
「そちらこそお願いしますよ。賢者リーリィ・アイスコレッタ殿」
売り言葉に買い言葉で、リーリィは領主館を後にした。
マリー「これリリィが主人公になってるじゃないですかーやだー」