森の賢者 リーリィ・アイスコレッタ
最後に彼女と会話したのはいつだっただろうか。
ハイエルフ、リーリィ・アイスコレッタは家のロッキングチェアに腰掛けながらふと考えてみた。
だけれども、その時の記憶ははっきりと残っているのに、何年前だったかまでは覚えていなかった。
「あぁ、300から先は数えるのやめたんだった」
そう独りごちる彼女だったが、今日この時にそんなことを考えているのには訳があった。
次に太陽が黒く隠れる時、『カナデ』を再びこの世に連れ戻す。
だからリーリィ、『カナデ』がいたら面倒を見てあげてほしい。
あなたにしか頼めないのだから。
そう宣言してリーリィの元を去っていった旧友の願いを聞き入れるため、【命の輝きのマリーゴールドの教会】の跡地の近くに居を構え、太陽が黒く隠れる、すなわち日食のたびにこの【深き森】に戻って来ていた。
普段は各地を旅し、己の魔術を高めてみたり、過去に気まぐれにとった弟子の様子を見てみたり、魔術実験に使う霊薬の材料を集めてみたりと忙しなく動いていた。
悠久の時を生きるハイエルフにとって、長期間1つの土地に留まるのはとても退屈だった。
だからこそ、旧友の頼みのための拠点だけは作ったが、ろくすっぽ帰ってくることはなかった。
だからと言ってそのまま放置すればいざカナデを出迎えた時にまともな生活はできないだろうから、家の管理者を用意していた。
「主、そろそろ時間かと思いますが」
長身のその男は、リーリィに向かってそう告げた。
「あぁ、わかってるわブラン。じゃあ何回目か忘れたけれど、カナデを迎えに行ってくるわね。カナデが来たら、そうね、子犬ぐらいの大きさで接してあげてほしいかな」
「畏まりました。頭は如何しましょう」
「あー……それはそのままで。この世界の生き物に慣れるためにも、首は2つのままで」
「畏まりました」
ブランと呼ばれたその男は、この家をずっと守ってきた。元々はこの【深き森】で他の魔獣を圧倒していた、森の主とも言える存在であったのだが、それも今や過去の話だ。
数100年間前にここに拠点を作りに来たリーリィによってボコボコにされた挙句、従者契約を結ばされ、ブランという名を与えられ、それ以来この家を守る任についている。
ブランは負けたことを今でも癪だと思っているが、時折帰ってきては稽古をつけてくれるリーリィに感謝をしているし、ただの魔獣の時には使えなかった魔術も幾つか使えるようになった。
その1つが、今も使っている人化の魔術である。無属性の幻影を見せる魔術の1つだが、リーリィの強力な魔術と長年の研究により、質量を持つ幻影となっている。
基本は恐ろしい魔獣、オルトロスの姿をしているが、人化の魔獣を使い家の中を掃除したり、果ては人里に下り買い物をするようにまでなった。人の暮らしには不慣れだったが、そこは長寿者ハイエルフの知恵の賜物である。恐ろしいマナーの特訓により、ブランは人里で生活できる術を身につけた。
それ以来この家でまるで執事のように未だ現れない主人の客人を待ち続ける役目を持っていた。
「ブラン、行ってくるわ。いてもいなくても1度戻ってくるから、ベッドは念のため2人分用意しておいて」
「すでに用意できておりますので。カナデ様が来られるよう願っております」
「会ったことすらないお前が?冗談が上手くなったものね」
「……そろそろ待っているのも飽きたので、本心からですよ」
「……そうね、そろそろ私も待つのは疲れたのよ。あぁ、愛しいカナデ。今度こそ、この世界に来られるように」
リーリィは背中の薄羽を広げ、ふわふわと森の中へと消えていった。
日食はおおよそ1年に1回の頻度で起こる。リーリィはそれを魔術的に次の日食が起こる日がわかるようにしていた。
その魔術により今日この日に日食が起こることを事前にわかっていたリーリィは、日食が起こる前に教会に行くことにした。
森の木々に遮られ太陽が見えないが、まだ少し時間があることはわかったいた。
だから時間前に、教会周りの結界を確認することにした。
リーリィは自身の家と教会に、魔獣よけの結界魔術を張っている。ただし長時間放っておけばその効果も薄くなるので、定期的に点検をしておく必要があった。
普段通りであれば、日食が終わってから確認をするのであるが、今回に限って順序を逆にしてしまったことが、カナデを助けるのが遅くなった原因であった。
全ての結界用の杭を確認し終わり、空を見上げればすでに日食は始まっていた。完全に隠れたわけではなかったが、すでに半分は太陽が隠れてしまっている。
リーリィは思わず歯噛みしてしまう。
魔術杭が思ったよりも消耗してしまっていた。術式を込めるのに思ったよりも時間がかかってしまった。
焦る気持ちを抑え、1度深呼吸して落ち着こうとする。
飛行術を使えば日食には間に合う。まだ大丈夫だ。そう思い魔術を展開する。
「"風よ、我が羽に宿りて、我に飛行をさせよ"ーー"飛行術"」
呪文を唱え終えると同時に、背中の薄羽に風がまとわり、リーリィの身体を浮かせる。
元々は空を飛ぶための魔術なのだが、リーリィはその薄羽で少しであれば浮くことができる。
なので少し改良をし、飛行速度と飛行距離を強化した術式を作っていた。
一気に飛行速度を上げ、教会へと向かうのだけれどさらに運が悪いことに、教会の上空に翼竜がいるではないか。
なぜこんなところにいるのか。結界に綻びがあった?転生術の魔力に惹かれてやってきた?
どちらにせよ、障害となるのには変わりがない。時間をまたもロスしてしまうがここで排除しておく必要がある。
翼竜はこちらを見つけると、咆哮と共に翼を羽ばたかせ、風の衝撃波ーー魔獣の使う風の魔術ーーを放ってくる。
"飛行術"の魔術で速度を上げているので、その攻撃がリーリィに当たることはないのだけれど、その攻撃のせいでこちらの攻撃も届きにくい。
「ちっ、ウザいことこの上ないわね」
リーリィは思わず舌打ちをするが、それで状況が変わるわけでもない。
はっきりといえば、リーリィの魔術でこの 翼竜を屠ることなど赤子の手を捻るよりも容易い。
だがしかし、状況が悪かった。
真下にはもしかしたらカナデがいるかもしれない教会がある。
殺した 翼竜の死体が教会の上に落ちてきたら?
転生したばかりのカナデはあっさりと死んでしまうだろう。
それだけは避けなければならない。
だから、リーリィは 翼竜などにはもったいない魔術を展開する。
「"炎よ、我が身を守れ"ーー"炎鎧"」
"炎鎧"は呪文こそ短いが、これはリーリィが長年の努力の末に短縮した結果である。
さらに言えば火の魔術の更に上級、炎の魔術のため、その威力も桁違いだ。
"炎鎧"を纏い、"飛行術"で底上げされた速度で一気に翼竜との間合いを詰める。
翼竜は先の風の衝撃波で応戦するが、元々風の魔術は火の魔術とは相性が悪い。当然その上級の炎の魔術を纏ったリーリィに衝撃波など攻撃にもならない。
間合いを詰めている間にも、リーリィは更に呪文を唱え始める。
「"炎よ、煉獄の業火となりて、目の前の敵を焼き尽くせ"っ!ーー"絢爛業火"!」
"絢爛業火"はリーリィが持つ魔術の中でも強力なものの1つである。欠点として接近して直接相手にぶつけないと不発に終わる術なのだが、それを可能にしているのが先の2つの術だった。
翼竜は悲鳴すらあげることなく、骨まで残さず塵芥と成り果てた。
ようやく終わったと思い教会の前に降り立ってみると、どうやらもう1戦交えないといけない様だった。
盗賊が10人程度だが、教会で宴会をしているではないか。祭壇には縛られて動けない女の子ーーカナデの姿も見えた。
距離が離れているのと、目隠しで顔が隠れてしまいよく見えないが、あのオレンジの髪は間違いなくカナデだ。
やっと会えた。何100年待ったことか。
カナデと会うことはリーリィにとっても特別な意味を持つことだった。それは旧友に頼まれたからだけではなく、リーリィ自身も望んで待っていたことだったからだ。
それなのに。それなのに。
そのカナデを縛り付けて、あまつさえヤりたいだの奴隷にするだの好き勝手言っている人間どもがいるではないか。
リーリィは心の底から怒った。
術式を展開させながら、教会へと入っていく。
「あ、なんだこのガキ?ガキはお家へかえり……ぎゃああああああああ!!熱い!熱いいいいいいい!!」
「汚い悲鳴ね。燃え尽きろ」
次々と盗賊どもに火を放つリーリィ。
ハイエルフであるリーリィにとって、盗賊なぞ取るに足らない相手だった。先の翼竜の方がよっぽど骨のある相手だった。その翼竜も今は骨一つ残っていないが。
最後に盗賊の頭の男が、巨斧の片手にゆっくりと近づいてくる。
「魔術師、エルフか。俺を誰だかわかってやってるんだろうなぁ……?」
「知らないわね。いいから立ち去りなさい。ここはお前たちのような人間がいていい場所じゃないのよ」
「こんな廃れた名もない教会がかぁ?」
「この場所の意味もわからないような輩が、この教会を、カナデを、【マリーゴールド】を汚すな」
「はっ?何言って……うおっ!」
リーリィが放ったのは魔術ではなく、ただの蹴りだった。
小学生ほどの体格しか持たないはずのリーリィに蹴り飛ばされたという事実が盗賊の頭を焦らせる。
「て、手前はいったい……」
「知らなくていい、これから死に行くお前なぞに聞かせる名前などは持ち合わせていない。"炎柱撃"」
「ぐああああああああああ!!!」
盗賊の頭もまた骨も残さず焼き殺した。他の盗賊達も同様に殺った。
これでリーリィを邪魔するものはいなくなった。
祭壇に寝かされているカナデに近づく。
猿轡をされているため声を出せていないが、泣きじゃくっていたようだった。
遅くなってごめん。待たせてしまってごめん。怖い思いをさせてしまった。
後悔の念がリーリィを襲うが、カナデにはそれを気取らせないよう、気丈な顔を作り、カナデの目隠しをとる。
「あら、酷い顔ね。もう大丈夫よ、『カナデ』」
リーリィ自身も泣きそうになるが、ぐっと堪えカナデに語りかける。
それを聞いたカナデは緊張の糸が切れたように気絶してしまった。
とりあえず戻って着替えさせて寝かせよう。
料理は苦手だけど、カナデが起きた時のご飯も用意しよう。
これからのことを考えると、リーリィは楽しくて仕方がなかったが、まずは目の前のことから対処しよう。
こうして、【森の賢者リーリィ・アイスコレッタ】は353年振りにカナデと再会した。
マリー「え、こんなかっこいいリリィ知らないんだけど……」