第4部:変わり戻りて先を行く
「――さて、君がここに来た理由について、話してもらおうか」
山奥、煉瓦造りの家の中。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音を背景に、わたしと博士は椅子に座って向かい合っていた。
「その前に、何か飲むかね? お茶くらいなら淹れられるが」
「いいえ。経口摂取でもエネルギーの補給はできますが、わたしには必要ありませんので」
きっぱりと拒否すると、博士は残念そうに暖炉に提げられた薬缶をミトンをはめた手で掴み、ティーポットに湯を入れ、戸棚から陶器のマグカップを一つ取り出す。
「それにしても、君を見るのはいつぶりになるかねぇ……これまで何があったんだね、リア?」
こぽこぽ、とカップに熱い紅茶を注ぎながら、博士は尋ねてくる。リアというのは、記号的な型式番号とは別に博士が名付けた固有名称だ。軍では、一度もそれで呼ばれたことはないけれど。
「……わたしは、軍に引き渡された後、たくさんの戦場に送られ、闘いました」
話したのは、これまでの日々。
戦場に連れていかれ、数えきれないほどの兵士を殺したこと。
レーザーで焼き、刃で斬り刻み、銃弾で穿ち、爆炎で薙ぎ払ったこと。
人を殺し、兵器を壊し、粗悪な同類たるアンドロイドまでも手にかけてきたこと。
血を浴び、油を浴びながら、なお戦争は終わらなくて、それでも戦ってきたこと。
「それが嫌になって逃げだしたのかね?」
わたしが話す間、博士は自分で淹れた熱いお茶を飲みながら、相槌を打ったり頷いたりしては真摯に耳を傾けてくれていた。
「いいえ、嫌ということは……そもそも、そんな感情自体、湧きませんでしたから」
そのように〝振る舞う〟ことはできても、わたし自身が感情を抱くことはほとんどない。
ヒトは同族を殺したり、生き物を殺したりするとある種の罪悪感、もしくは高揚感にかられるそうなのだけれど、機械にそんなモノは湧かない。
「ただ……誰も、わたしを壊してくれなかったんです」
壊せなかった、といってもいいだろう。敵の攻撃は予測して避けるか重力障壁で弾き、万一破損してもすぐに修復し、次の瞬間にはその敵を粉砕するようなわたしだ、一瞬でコアごと吹き飛ばすようなモノでもない限り、わたしを壊す手段なんてありはしない。
「それで、何十回、何百回と戦っているうちに、〝壊れたい〟と思うようになったんです」
一種のエラーなのだろうか。バグなのだろうか。
破滅願望なんてモノを抱いたことなんてそれまで無かったのに、いつの間に情報の海の大半を埋め尽くしていたのだ。
「ですが、貴方が組んだプログラムのせいで自殺も、わざと壊されるようなこともできなかった」
「あぁ……たしか、そんなこともあったね」
「分かるんですか?」
「いいや。その本質の〝理解〟に至っちゃいないというだけさ」
博士は笑いながら、紅茶を啜る。
プログラム。
他の人間では解明できなかった〝シグレ〟だったけれど、その中で微かだったけれど解析に成功したモノは存在した。
それは、博士が組んだ絶対命令となる独立コード、つまりは〝どんな状況でも最優先になるモノ〟であり、人間でいう一種の〝呪い〟みたいなモノだった。
それは、『自分の身を決して破壊しない、もしくはされないこと』。これのおかげでわたしは自殺ができなくて、同時に敵から〝壊される〟ことにも反応し、軍の拡張装備として全天候型の高感度センサーを導入していたこともあって近距離はもちろん、遠距離からの狙撃においてもそれらを自動で防衛、もしくは迎撃するようになっている。
普段はわたしの体は〝わたし〟という意識のもとで動いているのだけれど、特定の条件下――つまりは私自身が砕かれる可能性を予期した時、その独立コードが優先される。これはヒトでいう〝反射〟の動作に近いモノで、意志なんて関係なく動いてしまうのだ。
「まあ、確かに言える事は〝今の僕じゃ君を壊すことはできない〟ってことくらいさ……その技術のことは、全部忘れてしまっているからね」
「……そうですか」
それは、予想できたことだった。軍から逃げ出す前に向こうのデータベースから引っ張りだした情報によると、博士はわたしを造った後に、自分の何かの技術で以てわたしに関する技術の記憶を消したらしかった。どこからどこまでを忘れているのか分からないけれど、おそらく〝ムラサメ〟のナノ・マシンを停止させる方法も、〝サミダレ〟の演算能力で以て力を発揮する〝シグレ〟の思考アルゴリズムを掻い潜って機能を停止させる方法も知らないであろうことは分かる。
「それでも、もともとの開発者が僕だからね。これから君を研究していけば、どうにか〝壊す〟程度なら、方法を見つけられるかもしれない」
「本当ですか!?」
「嘘を吐いたって、仕方ないからね」
やった、と。
ヒトにとっては喜びと表現するのだろうその高揚感が湧き上がった。
これで、わたしが死ねる目途が立った。
あとは時間の問題であり、そして、
直後。
――ズンッ!!
重い、音がした。
何かが地面を踏みしめる足音。轟音。
重く、厚い、何かがこちらに近づく音。
「ん? 何だね?」
呟き、外に出る博士にわたしも続く。
扉から出た先、しかし家の周囲は木々で囲まれているため、視覚での状況把握は困難だ。
だから、
《本体指令――索敵機構起動》
答えは、簡単だった。
《〝サミダレ〟ヨリデータ参照――索敵機構成開始》
内部、記録された兵器情報を引きずり出し、〝ムラサメ〟を用いて造りだす。
《子機十六機構成完了――射出》
突き出した右腕から生み出されたのは、一センチ程度の球体が数にして十六。
それぞれには最低限の重力操作で編み出された反重力の翼を持っており、
《展開――索敵開始》
一斉に、飛び立った。
本来なら専用の送受信機や中継器を用いる大掛かりな軍の偵察機を意志で以て操作、主であるわたしの求めるモノを探すべくレーダー網を張り巡らし、
「――見つけました、博士」
距離的にはまだ遠い、しかしこちらに近づく速度から見て、到達には一時間もかからないだろう。
「兵器群は総数にして百、陸戦型と空中機動型の混合編成です」
ふむ、と博士は小さく唸る。
「目的はリアの破壊、と考えるのが妥当だろうが……しかし、いささか少なすぎる気があるな」
「だとすると……」
「ぼくを殺す気、なんだろうな。記憶を失おうとも能力が失われたわけじゃない、それに、君の脱走の罪を擦りつけるいい的になるんだろう」
「冷静なんですね」
「動揺に意味を見いだせないだけさ」
それに、と博士は付け加える。
「殺される程度のことは、とうの昔に覚悟できているよ」
「…………」
わたしは、何も言い返せなかった。
何を言うべきかすら、分からなかった。
「迎撃しますか、博士?」
「君はどうしたい?」
「……?」
当たり前のような返答に、わたしの思考は一瞬停止した。
ヒトには思い込みというモノがあるが、それと似たようなモノは存在する。相手がするであろう返答を予測し、備えることがそれであり、自分を守れと言われると思っていただけに、こちらに判断を仰がれることは予測できなかったのだ。
「……どういう意味ですか?」
「言葉通りさ」
博士は笑う。
「言っただろう、『覚悟はできている』と。君が僕を守りたいなら、守ればいい。傍観し、連中が僕を殺した後、君の自衛システムで向こうを殲滅するも良し、だ」
「それなら、迎撃します」
博士が即答するなら、わたしも即答だった。当然だ、そもそもヒトが何十分もかけて行う思考を、〝サミダレ〟の演算能力で以てすれば百分の一秒にも満たない時間で行うことが可能なのだ。
「なら、行ってきなさい。君の望むところへ」
穏やかな声がわたしを導き、
「行ってきます」
言って、地を蹴り――飛んだ。
足で走るのは非効率、車輪やキャタピラを構成するには凹凸の激しい地形から判断するに難しいだろう。
だから、飛んだ。
構造は、索敵機と同じ原理。
重力障壁にある技術の応用として、エネルギー消費を最低限にするために範囲を限定的にした重力操作、それによる飛翔だった。
高い演算能力を要するために政府軍(向こう)がそれを行うのは無理だけれど、時間を絞ってならわたしにはできる。
飛び、漂い、時折近くの樹木の枝を蹴って推力を得て、加速する。
接触に、十分もかからない。
挨拶代わりにと、先行する飛行型が襲ってくる。数は八。
四機が高速で接近、すれ違うような距離からばら撒かれたミサイルポッドの群れを伸長させた鞭状の〝ムラサメ〟で迎撃、別の四機が放った機銃の雨は展開した重力障壁で軌道を逸らす。
「……ッ」
銃弾のうち、数発が逸らしきれずに体を掠める。
それだけならすぐに修復できたけれど、そうはいかず、
――ナノマシンの皮膚が、削げた?
ボロ、と砂のように体表から零れ落ちていくそれで、遅れて気づく。
「……わたし対策、ですか」
ナノマシン結合破壊弾頭。装甲の奥まで効力を発揮するような浸食能力は無いものの、触れた範囲のナノマシンの機能を停止させ、分離させる。
数時間前、わたしの狙撃に使った弾も同質だったはずで、これなら修復すること自体を防ぎ、持久戦に持ち込むことはできるだろう。
「向こうが、持ちこたえられたら、ですが……!」
再度、飛行型が迫る。
誘導弾を迎撃、演算能力で以て数発を鞭で切り裂き、それらの爆風に残りを巻き込ませて誘爆させ、ついでというように通り過ぎていく機体をも切り刻む。
更に迫る機銃を装備したタイプを、今度は重力障壁を展開しつつ回避を優先、撃たれた弾の全てがわたしを通り過ぎていったことを確認しながら、同じく〝ムラサメ〟の刃で切断する。
回路や機銃の内部機構を曝け出しながら空中で爆ぜた残骸を尻目に、駆ける。
八機全てをただの金属塊にしてやるのに、五分とかからなかった。
「――ぬるい、ですね」
飛翔を再開しながら、思う。
ぬるい、と。抵抗がぬるすぎる、と。
「それか、わたしが強くなりすぎたのか」
木の棒を振り回すだけの相手に戦車を引っ張り出すようなものだ、最初から勝負になるはずもない。
「悲しい、です」
悲しい。哀しい。
誰もわたしを壊せない。殺せない。
ああ、早く。
誰か、わたしという、どうしようもない存在を消してください。