第0部:とある秋の出来事
秋は、空が高くなる。
一番きれいで、透明で、だから好きだ。
澄みきった空を眺めながら、博士はそう言った。
「――なぜ、秋になると空が高くなるんですか?」
尋ねると、博士は笑った。
「別に、実際に空が高くなるわけじゃないんだ」
博士が言うには、気圧や、地面の状態が季節ごとに特徴があって、秋の条件下が一番空が透明に見えるらしい。
たしかに、私の視覚素子に映る一面の蒼は、他の季節の記憶よりも透明感を増しているように映った。
秋の空。
空が乾いていて、塵が少なくて、きれいな空。
秋の空は、透明で、綺麗なのだ。
春の桜の花びらとは対照的な色を見せる青空も、夏の入道雲と一緒に広がる大空も、冬の灰に染まる曇り空も好きだけれど、わたしは秋の空が、一番好きだ。
だって、博士が好きだって言うから。
博士が好きだっていうから、わたしも好きだ。
だって、博士が間違ったことを言うはずが、ないのだから。
今だってそうだ、秋空の下、山奥にある博士の家からそう離れていない場所を歩く博士の足取りは機敏で、後ろで一つに結ばれた完全に白一色の長髪がゆらゆらと揺れていく様は魅惑的、蠱惑的で、その後ろ姿を何十回とついてきたけれど一度として見飽きたと思うことは無く、それに博士の穏やかで、男性にしては若干高い声はまるで唄うように言葉を紡いではわたしのメモリーにはない情報をくれて、博士の骨ばった手が示す方向には幾度となく目を引き付けられて、鉄臭いあのロクでもない兵器収容所の記憶の全てをデリートしてそれらを動画データとして保存することを選ばせ、その中には既に核や生物兵器で死に絶えたと記録にある群生したクルミの木やオオカミもあって、博士はそれらを見るのが楽しみだと言った、だとすればわたしという忌まわしい科学の産物の存在そのものを憎んでいるのかといえばそうでもなくて、わたしをいつだって褒めてくれて、頭を撫でてくれて、博士を食い殺そうとして反射的にわたしが殺してしまったクマが博士のお気に入りだったとしても博士は罪悪感に溢れたわたしを叱ることは無くただお礼だけを言って別に気負うことはないのだということをそれこそ何時間もかけて諭してくれてそんな博士がわたしは大好きで博士がすきなモノはわたしも好きでだからそれを殺して、壊してしまったわたし自身を許せなくてだけど自分を壊せないわたしが悔しくて博士はそれも慰めてくれて諭してくれて穏やかな博士のことがやっぱりわたしは好きで、だから博士に尽くしたくて、わたしは、わたしは、
閑話休題。
重要なのは、そんなことじゃない。
「あのぅ、博士」
白髪の男性が振り向く。
なんだい、と尋ねてくる。
「訊きたいことが、あるんですが」
言ってごらん、と博士は笑う。
だから、わたしは、顔を上げて。
わたしが訊きたい、わたしの何より、願い。
常に抱いてきたそれを、口にする。
「いつになったら、博士はわたしを壊してくれるんですか?」
――時を、少しばかり遡る。