船上にて⑤
クラーケンとの戦闘は、クラーケンが復活してからがその本番だった。
前方の触手にはカーダが対応し、下には私が結界を張る。
側面には残りの冒険者が奮戦していた。
最初は一本の触手に対して、冒険者二人で対応していたのだが、次第に負傷者、触手の麻痺毒にやられて麻痺する者が増えてきて、一本の触手に対して三人で対応することになった。
私は結界を維持しつつ船中を駆けずり回っている。
【解麻痺ポーション】と《ヒール》をして、戦線を維持させるためだ。
もはや随時結界の維持に集中することはかなわなくなり、私は下方に張った結界を【魔力】九割消費の物に切り替えた。
密度が船全体の時よりもはるかに少ない分、かなり強力な結界だ。
かなりの時間は持つと思う。
【解麻痺ポーション】は全員に一本ずつ配った。それで持っていたものは底を付いてしまったが、皆でどうにかカバーしてほしいと思う。
減った【魔力】はひたすら【マジックポーション】をガブ飲みだ。
もう水っ腹になっちゃってるんじゃないだろうか?
それでも飲まない訳にはいかない。
私はリックの周囲にも結界を作った。
彼がいなければあの大物はどうすることもできないからだ。
リックにはとにかく【上級魔法】を撃つことだけに集中してもらわなければならない。
ははっ。魔力の割り振り方も計算しなきゃね。
結界維持と回復に、そのタイミング相手。
回復させるには対象を視認しないといけないからずっと走り回って、逐一状況を確認しなきゃいけない。もう息もすっかり切れて、【魔力】が枯渇するより私の体力が限界に近かった。
でも一番負担が大きいのは私ではない。
カーダだ。
彼はおじさんたちが対応する触手を減らした代わりに、請け負う触手が倍に増えた。
それをたった一人でさばいているのだ。
ものすごく集中が必要なはずで、消耗も激しいはずだ。
「はあっ、はあっ。【ポーション】じゃ傷だけしか治らないし」
【ポーション】が体力も回復してくれたらよかったのだが、【ポーション】にとって、スタミナとHPは別物らしい。
だからカーダも、大量に作ったかすり傷を治すために【ポーション】を飲んで全快してはいるが、息の方は次第に荒くなって、集中力も下がってきてる。
【水】の魔法にもスタミナの回復をできるものはない。
どうする?
このままではじり貧だと、頭では理解していた。
でも何かするにしても巡回支援役の私が何かモーションを起こせるわけもなく、ひたすらに【マジックポーション】の在庫と私の体力がすり切れていく。
(あと……三本)
もう、それだけしか残ってなかった。
「―――《エクスプロージョン》!」
リックが魔法を使ったら、それは休憩の合図だ。
少なくともクラーケンがそれに大きなダメージを受けて、再生に専念するのに三分ほど時間を要する。
その間に少しでもスタミナの回復にあてるのだ。
少しでも休んでおかないと。
私は霞む意識を必死につなぎつつ、この先の戦い方を考えていた。
(もう、後がない。どうにかあの怪物を攻略しないと…)
そう思っていた時だった。
「こんなのいつまで続けるんだよ」
誰かがそんなことを言った。
―――――こっちが聞きたい。
本格的に窮地に陥った。
【マジックポーション】は残り一本だけ。
【魔力】の回復はもうこれで最後だ。
《ヒール》に回す余裕は、もうない。
下部の結界維持のために使う。どのみち私にはもう、走り回る力残っていなかった。
よし。
「《アク――」
「あぶねえ!」
ゴッ
それは一本の触手だった。
体力の限界に達して、注意力がかけていたところに、同じく集中を切らしたカーダが逃した触手に襲われたのだ。
私は吹き飛ばされて、壁に激突する。
「か……ふぁ…」
ベキッ
二度に渡って嫌な音がした。
横腹と左腕から激痛がする。
いや、これは激痛と言うにも生ぬるい。死ぬほど痛い痛みだ。
涙すら忘れてしまった。
「かふっ」
私は、口から血を吐きだした。
これは完全に中がいっちゃった証拠だ。
よくアニメの主人公とかだと、こういう場面で気合で立ち上がったりするけど、現実的に考えてそんなの無理だ。
こうしているだけでも、きっと長く持たないで死ぬ。
私は弱いなぁ。
まだおじさんたちは一撃貰ってもただの怪我で済んでいた。
それが私は一撃でアウトだよ。
もうできることもなかった。
せめてと思い、【魔力】を操作して結界だけは張りなおす。
【魔力】も消えた。私の仕事は終わりだ。
そう思って、目をつむったところに、何かを突っ込まれた。
(なに?)
分からなかったが、体の痛みが和らぐ。
右手首に冷たい感触があった。
「よし、脈はあるな」
この声はカーダ?
「麻痺ってんのか…。リック、早く打て! 時間稼げ!」
耳元で騒ぐカーダの向こうで爆発音が聞こえる。
リックの魔法だ。
私はもうろうとする意識の中で、どこかに運び込まれた。
「んぅ」
「おら、もっとスピード出せねえのか! とにかくやれよ!」
「船長。これ以上は無理です」
「無理でもやるんだよ! 死にてえのか!」
目を開けた途端、聞こえるのは怒鳴り声だった。
どうやらここは操縦室らしい。
私は意識を取り戻してさっきまでの戦闘を思い出した。
きっとカーダが戦闘不能になった私を、ここまで運んで来てくれたのだろう。
カーダたちはまだ上で戦ってるのかな?
私は走り回ってる船員の一人を捕まえて聞いた。
「どれくらい寝てた?」
「え、あ、五分くらいだよ!」
船員はそう言うとまた走って行った。
五分か。
あんまり経ってない。そのことに少しほっとした。
手遅れでしたじゃ困るのだ。
でも、戻っても私に何ができる?
私は自分のステータスプレートを見た。
【メリル】
年齢:十二歳
性別;女
種族;人族
職業;なし
称号;【魔術師】
罪状;なし
能力(他者可視化);
【魔力】340/2064
【適正属性】【火】【水】
【力】D
【体力】C
【精神】A
【保持スキル】
〈戦闘系〉【弓】Lv3 【短剣】Lv2 【魔導】Lv2
〈補助系〉【裁縫】Lv2 【調合】Lv8 【調理】Lv5 【言語学】Lv10
【隠蔽】Lv1 【交渉】Lv4
称号がついた。
あれだけ魔法を使えば当然か。
魔力の全体値も少し増加している。でもそれだけだ。
こうしてみると私って、かなり弱いなぁ。
戦闘向きじゃないってよく分かる。
ネアに教わった体術も、【スキル】を得るまでには至っていないし、【調理】と【調合】っていう生産系も、メモを取ったりすることの方が多くて実践は少ないからレベルもそんなに高くないのだ。
本当に中途半端。
(ねえ、ネア。私どうしたらいい?)
私はここにはいない、あの女神のように美しい、姉に問いかける。
もちろん返答は期待していない。
彼女はきっとバカンスに向かったのだ。ずっとそう言っていたし。
ちょっとばからしくなって私は苦笑した。
『あなたなら倒せるわよ』
ビリ
ふと、そんな言葉が脳裏によぎった。電撃が走ったような感覚だ。
そう言えば、魔法はただの興味で始めた物だった。
調理はその時にしか知識が手に入らないから頑張った。
武器や格闘もただの護身用にしか思ってなかった。
じゃあ、私の『強み』って何だろう?
私は立ち上がった。
口元は歪む。
私は嗤った。
「ああ、そうだったね。一番大事なのは…『それ』だった」
私は船員を一人、引っ捕まえた。
轟音が聞こえる。
きっと二人が奮戦して頑張っているのだろう。
私は『それ』に集中した。
レシピは頭に叩き込んだ。
材料は揃えさせた。
後は私の腕だ。
とにかく早く、とにかく正確に。ひたすら数を作れ。
あの巨体相手には手数が必要なのだ。
三分で一本で来た。遅い。
次は一分で作った。全然だめだ。それじゃあ間に合わない。
五十、三十六、二十二、十九、十六、十、九、六、三。
三秒。
人間の業を、私は超えた。
【高速作業】を得ました。
【高速作業】が【神速作業】Lv4になりました。
称号;【早業師】を獲得ました。
【調合】が【調薬】Lv3になりました。
称号;【調合師】を獲得しました。
【思考】Lv6を得ました。
見えないところで、私のステータスプレートにはそれらが刻まれた。
その間に使ったのはわずか十二分。
私はまさに神の速度で【スキル】を成長させた。
「―――――できた」
私は出来たそれらを【アイテムボックス】に詰めて、行動に移した。
(殺してあげる)
今の私は、黒い笑みをしていたと思う。
さっきは痛かったのだ。死ぬ気で痛かったのだ。
だから―――――
「うらああああああああ!」
カーダの叫び声が聞こえる。
うん。
頑張っているんだね。
ごめんね。無理させたね。もう大丈夫だよ。
私がいるのは船の『上』ではなかった。
私がいるのは『下』だ。
そこには複数の脱出用のボートが置いてある。
私はこれを利用する。
船長に頼み、ハッチを開けてもらった。
ボートを三つ、海に浮かせる。
ふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
いけええええええ!
自動に作られる推進力で、まずはボートの一つがクラーケンへと発射された。
そう。発射なのだ。
何故ならこれは。ミサイルなのだから。
続いてもう一つも発射!
※カーダ視点
くそう。やっぱ回復いねえと本気でやべえな。
といってもこれ以上メリルに無理させるわけにはいかなかった。
そもそも気を失った女の子をたたき起こして、無理やり戦闘に参加させるとか常識ある男のすることじゃない。
おっさんたちは次々麻痺やけがでリタイアしてるし、リックも、メリルの張った結界が破られてむき出しになっちまったせいで、もう【魔力】を練ってる余裕はなくなった。
今はすぐに使える【中級魔法】で対応してる。
海の中にはメリルが最後の力で残してくれた結界が、まだちゃんと生きてる。
上は二人で手分けしてどうにかさばけている状態だ。
さっきメリルを操縦室に置いてきたとき、姫君を守るナイトの気分になった。
やる気出るぜ。まったく。
「やっぱ守るなら、可愛い女の子だろ!」
叫びながら、触手を二本ごと切ってやった。
ふん、近くに二本寄せる方が悪いんだよ。
「って、なんだ?」
なんか海面に、船から飛び出すボートが見える。
もしかして誰か自分だけ逃げようとして。
っと、そんなことを考えたが違った。
ボートに乗ってるのは瓶だ。それもボートの上にギッシリと詰まってる。
しばらくするともう一隻出てきた。
そっちも乗ってるのは瓶だけだ。
どちらも向かう先はクラーケンだった。
「おいおい。なんだありゃ」
あんなもんが効くわけないだろう。
ホオオオオオアアアアアア!
案の定。クラーケンは目障りそうにボートを先端の無くなった触手で粉砕した。
そして瓶は割れて、黒と透明な液体があふれ出す。
さらに。
「あん?」
クラーケンの触手が変色していた。
真っ黒に。
しかもクラーケンは暴れ出して、その液体たちを海に溶け込んだ分、もろに浴びている。
クラーケンがどんどん黒く変色していった。
「なんだありゃ」
「いけええええええええええ!」
下から聞き覚えのある甲高い声が聞こえた。
「ああぁ?」
さらにもう一隻のボートがクラーケンに突っ込んでいく。
暴れるクラーケンはそれも破壊した。
そして今度は。
「おい…………おいおいおいおいおいおい! なんだそりゃ!」
海が、氷結していた。
一時間後。
船は止まった。
完全に身動きが取れない状態だった。
というのも。
「いやー。やりすぎちゃった」
私がこの海域を氷つかせたからだ。
「やりすぎちゃった、じゃないだろ! なんだこりゃ! なんなんだありゃ!」
カーダは鬼気迫る勢いで私に詰め寄ってきた。
そして指を差した先には、北極圏。ごめん、見た目だけです。
その先にあるのはクラーケン。ただし氷結状態、の『死体』。
結果的には私はクラーケンを倒したということだ。
方法は単純です。
【毒ポーション】と【状態異常促進ポーション】を用意します。それもたくさん。
それボートに乗っけて発射。
壊したクラーケンは液をもろに浴びて強力な状態異常に。治癒不可能レベルに与えればもう助からないよね?
あとは暴れて船が壊されるのと、毒が蔓延しないように【氷結ポーション】を大量に詰めて同じく発射しました。
この【ポーション】は名前の通り触れた物を凍らせる液体が中に入っていて、それを大量に使ったから辺り一面が氷の楽園になったという訳です。
「体内に入ってなければ【ポーション】の効果は長くは続かないから、海から毒は消えるよ」
「そういうことじゃねえだろ。ていうか、毒殺かよ……」
「だって普通にやったら無理だもん。再生され続けたらこっちがやられちゃうでしょ。それに【毒】を選んだのにも訳があるんだよ」
「どんな?」
「まずはクラーケンの属性。【麻痺】と【雷】ね。触手にあるのは一応麻痺毒って名前になってるけど、属性はあくまでも【麻痺】だと思って。思った通り、【毒】には耐性なかったよ」
「でもあいつには治癒能力があるだろ?」
「あー。カーダそれ間違い」
「え?」
「クラーケンにあるのはたぶん再生の能力だと思うよ。じっさい欠損部分を修復するところしか見てない訳だし、体の内側から破壊されるのには耐性がなかったんじゃないかなぁ」
「………………………」
それ以降。カーダは何も言わなかった。
リックと他の冒険者、船員、乗客とちょっと広い部屋に全員集まっているが、誰もそれ以上私を問い詰める人はいなかった。
氷はおそらく、後半日もしないうちに溶けるだろう。
この辺は基本暖かいから。
とりあえず。船の倉庫にあった材料を使って作った【ポーション】でクラーケンを撃破した私は。
「すまないが、この件は我々の手に余る。島に戻ったら、君たちは一緒に来てくれ」
私達は船長さんにそう言われ。
「「「え?」」」
三人同じ顔をした。
やな予感しかしない、という顔だ。
大陸には行けませんでした。
メリルたちの運命は? 次回も翌日までには書けるよう頑張ります。
……なんかリックの影が薄いような