007
父のもとに『母の死』が知らされる。
あんなちゃらんぽらんな母親だったが,彼女もあれで気功師だとか,そういう裏の業界の人間で,わたしには想像しがたい,組織の抗争だとかそういうのに巻き込まれ,母は死んだ――殺された。
そして,父はその報せを聞いて,悲しみにくれるよりも先に,わたしを連れて街から去った。比較的大きな――県内最大の都市に住んでいたのだが,あっという間に車でそこから離れた。
離れた先は――なんというか,そんなに遠くはない。電車で20分もすれば戻ることができるだろう。
父の目的としては,一旦体勢を取りなおすため,ほんの少し時間を稼ぎたかっただけらしい。
だから,前もって用意されていた第2拠点である,現在の町に逃げてきた。
まだ暗い朝方になってこの町に着いた。
これからこの町に住む――なんて実感はその時は全くなかったし,考えてもいなかった。
けれど,そのままマンションに連れられ,これからここに住むぞ――と父に言われ,あれよあれよという間に,わたしはこの町の住人になっていた。
それが3月21日。
マンションの一室に着いたわたしは,コピーされたかのようなわたしの部屋に驚きつつ,何も考えずに眠り直した。着いたのが朝5時過ぎ。
それから起きたのが8時。車内でも眠っていたし,そのくらいで再び目が覚めた。
部屋を出て,殺風景なリビングを見渡して,父がいないことに気付いた。
3LDKの一般的なマンションなので,1分も探せば父がいないことを確信できる。
それで,まぁ,何が起こっているのかを察した。
察したところで中学生のわたしにできることなんてない。多少の気功術が使えるけれど,それがどうしたものだ。相手は裏の裏――ではなく闇の闇で働くプロなのだ。わたしに何かできる筈もない。
そんな風にわたしは思って,とりあえず状況を受け止めることにした。
こんな風に夜逃げをするなんてのは初めての経験だったけれど,そういうことがあり得るということは,父から教えられていた。だからいまは,それを受け入れる必要があった。
この町に定着する。
そう,実感を得る必要があった。
わたしは身支度をして,家を出た。
この場所は,きっと何らかの敵にはバレているだろうし,家で隠れようと,隠れまいと,危険度は大差ない。わたしが家でじっとしている必要はないのだ。
だから,適当に町を散策することにした。
町に慣れる必要もある。呑気なことだけれど,わたしはそうして,散歩に出かけた。
首にはマフラーを巻いて,変装のつもりでマスクと伊達メガネを掛けて出かける。
山と海が近いこの県は,南側なら何処に住んでいても山が見えるし,以前住んでいた街にしても,自然が少ない――という印象は持たなかったけれど,こっちはもっと自然が近かった。
家を出て,オートロックの自動扉からエントランスを抜け,歩きまわる。
行くあても,目的もなかったから,適当に大きな道を探して歩いて行く。
家を出て5分ほどすれば川があり,川沿いに歩くとすぐに大きな道に出る。大きな道沿いにはゲームセンターや車屋,スーパーなどがあり,途中新幹線の高架下あたりの交差点を曲がると,ホームセンターやカラオケが見えた。
遊びたいわけではないので,ゲームセンターにもカラオケにも興味はないし,それから服とかは何処で買うのだろう――とあるのかどうかもわからない今後の生活を憂いたりした。
わたしは大きな道沿いを引き返し,川沿いに伸びる農道のような道を歩く。
川を昇るように歩く。左手には,さっきのカラオケやホームセンターが見える。右手は田んぼとか畑とか。すこし先には住宅地も見える。
以前の生活からは想像できない光景だった。
田んぼがこんなにあるなんて――。
米を食べていても,想像しにくい世界だった。
というより,こんなところに住むのか――と思っていた。以前住んでいたところには、何もかもが揃っていて。服も、食べ物も、娯楽も、人も、薬だって――なんだって買うことができた。けれど、それを生みだす機関は存在しなかったのだ。
それから10分くらい歩く。
川を跨いで左側に小学校が見えた。その辺りで,行き先を中学校にすることを思いついた。今後,わたしは転校することになるだろう。いまから転校先の中学校を見ておくのも悪くない――と考えたのだ。
幸い中学校らしき建物は,見えた。小学校よりもすこし先。山に差し掛かるあたりに,それらしきものが見える。
わたしはそれを目指して歩き始めることにした。
小学校を通り過ぎ,川沿いにすこし歩く。橋が掛かっていて,そこからわたしは川を渡り,山の方へと歩き出した。
道路幅は,一応二車線ある――という感じの細い道で,右手には新しい住宅があり,左手には20年位前に建てられた感じの住宅が並ぶ。そういう境界線上のような道路をまっすぐ歩くこと――10分。
少し大きな道路との交差点。
周りにはお店などはなく,この道周辺が栄えているようすはないけれど,路地という感覚からは解き放たれた感じがした。
横断歩道を渡り,自販機などが並ぶその横には,精米機――なんていう,都会ではめったに見られない代物が置いてあり,これを一体どういう風に使うのだろう――と考えていると,その横には,米の自販機が置いていて,カルチャーギャップに苦しむ。
ひとまず,喉が乾いてきたので,飲み物を買う。
自販機に小銭を入れて,小さいペットボトルに入ったアップルティーを選ぶ。ガランと,アップルティーが落ちてくる。そしたらピコピコと音がして,お金の投入口付近の液晶に「7」が3つ並んだ。
「なんてタイミングで……」
わたしはこれが当たり付き自販機だったということに気付いていなかったので,これは完全に不意を突かれた――という感じで,動揺してしまった。母が死んでも,夜逃げのような形で引っ越しをしても,それほど動揺しなかったというのに。
当たり付き自販機というものも,最近見かけなくなった気がする。当たり付き自販機を見つけた時点で,すでに当たり――と思えるくらいに。
ただ,当たり付き自販機で当たりを引いてしまうと,それはそれで困るタイミングというのもあって,例えば,ほぼ手ぶら,財布くらいしか持っていなくて,カバンひとつも持っていない場合,2本の飲み物を一体どう携行しようというのか。
まさしくわたしの抱えた問題なのだけれど。
わたしが購入したアップルティーは,小型のペットボトルに入っている。なぜアップルティーなんてお洒落にキメた感じの飲み物を選んだのかといえば,小型のペットボトルに入っているからだった。別に,お洒落にキメた感じを出したいわけではなかったのだ。小型ペットボトルに入った物が,レモンティーかアップルティーかピーチティーかしかなく,だからそういう選択になっただけの話なのだ。
なぜ小型のペットボトルにこだわるのか――と言うと,それはわたしがそういうコレクターだとかではなく,これも携行しやすさからである。
買ってその場で飲みきれる自信はないので,携行しなければならない。それは確定事項だ。
缶の場合,口が開いている。携行することはできるけれど,ちょっとした揺れとかで口から中身が漏れるかもしれない。それは少し嫌だし,避けたい。
そして,のどが渇いていると言っても,500ミリリットルも飲むつもりはなかった。だから,自然と選択肢はこうなる。
小型。フタ付き。
缶でも,最近はキャップ付きの物がある。ただ,この自販機にはそれがブラックコーヒーだけだったのだ。わたしは,大人な感じにキメたい訳ではないので――ブラックコーヒーなんて飲める気がしないので,あの3つへと選択肢が狭まった。
と,話を戻す。
携行性の話をしていたのだ。これで,何が問題かははっきりしている。当たってしまって,500ミリリットルも飲むつもりはなくて,つまりもう充分に喉は潤っていて,当たりなんて必要なくて。
これはもう,はずれと言っていいんじゃないだろうか。
外れたので,わたしは,その場から外すことにした。
とまあ,そんな感じに上手いこと言いつつ。
後々,これがわたしとエンミに関わってくるとはその時のわたしは思ってもいなかっただろう。