07 レーグル 著 都会 『ハンカチーフ殺人事件』
ねえ、涙拭く木綿のハンカチーフください
ハンカチーフください
被害者は三十代のサラリーマン。午後九時、帰宅後、声を掛けても返事が無いことを不審に思った妻が自宅の寝室で死亡している被害者を発見した。腹部を包丁で一突き。凶器は現場に残されていたが、犯人の指紋は残されていなかった。死亡推定時刻は午後七時。
その後の現場検証で寝室のゴミ箱に凶器を拭ったと思われる血の付いたハンカチが発見され、その血は被害者のものと断定された。被害者の自宅はセキュリティの高い高層マンションの十階で、犯人は被害者と顔見知りであった可能性が高い。現在、警察は妻を重要参考人として事情聴取している。
事件の概要を説明した後、女刑事は探偵をじっと見つめた。探偵は黙って目を閉じ彼女の話を聞いていたが、彼女の言葉が途切れたことで目を開けた。そして、口を開きかけた瞬間。
「はい。コーヒーです」
探偵の助手が人数分、三つのコーヒーをテーブルに置いて、ソファに座った。女刑事に対して、探偵と助手が並んで向き合う形だ。
「実に運が良い」
顔にわざとらしい笑顔を貼り付けた助手を忌々しげに一瞥した探偵は、やっと口を開いた。
「今回の被害者については、奥様の依頼で調査していたところです。もちろん職業上の守秘義務もありますが、警察の捜査にならご協力致しますよ。それに、依頼主もそれをきっと希望しているはずですから」
探偵は力強く言うと営業用のスマイルを浮かべる。
「どうも」
一方の女刑事は無愛想に礼を言うにとどまった。
「そもそも我々が被害者について調査したのは、奥様が彼に浮気の疑惑を持ったからです。そして調査の結果、被害者に関係する女性が二人浮かび上がりました。一人は彼と同じマンションに住んでいる若い女性。しかし、彼女と新島さんは特に深い関係ではありませんでした。どうやら彼女の方が一方的に好意を抱いていただけみたいです。被害者が既婚者ということも知らなかったかもしれません」
助手はテーブルに置いていたファイルを開いて挟んであった一枚の写真を女刑事に見せた。女性と被害者がマンションの入り口で談笑している写真だ。探偵がどうぞという風に手で指して、女刑事が助手から写真を受け取る。
「玄関ホールで転んで膝をすりむいた彼女に被害者がハンカチを差し出したのが切っ掛けのようです。数日前にそのお返しとして彼女からハンカチを贈った、という所までは奥様にもご報告いたしました」
助手がテーブルのファイルを女刑事に見えやすいように半回転させる。
「もう一人は被害者の高校時代の同級生です。昨日の夜、つまり事件の日に被害者の高校時代の同窓会が東京で開かれていました。彼女と被害者は高校生の時は恋人同士でしたが、彼が上京する時に別れたそうです。もともと被害者はカメラマンを目指していたようですが、二十代後半に夢を諦めてサラリーマンになって、今はカメラは趣味として楽しむ程度でした。一方、彼女は地元で就職しましたが、同窓会のためにこちらに来ていました。同窓会の後、新島さんはこの元恋人と一緒に自宅に帰りました。しかし、十分ほどで彼女は彼の自宅を後にしています」
探偵がそう言うと、助手がファイルをめくり、別のページに挟んであった写真を女刑事に見せた。着物姿の元恋人とスーツ姿の被害者が腕を組んでマンションに入っていく写真だ。
「これは何時頃ですか?」
女刑事がすこしきつい口調で問う。
「午後七時の少し前ですね」
助手がファイルの報告書を見ながら答える。
「犯行現場のマンションには玄関ホールとエレベーター、それから非常階段とその出入り口にカメラがありました。それには仕事から帰った被害者の妻の他に、着物の女性と顔を伏せて足早に立ち去る女性が映っていました。おそらくこの二人でしょう。ご協力に感謝します」
女刑事は淡々と言って頭を下げた。
「顔を伏せて去ったのがOLさんなら一番怪しいですね」
助手が得意顔で言うと、女刑事はじろりとそれを一瞥した。
「ちなみに、その三人がカメラに映っていた順番は?」
探偵がそれぐらいは教えてくれるだろうと気軽に聞く。女刑事は忌々しげに探偵を睨んでから答えた。
「着物の女性が帰った後に妻。それからOLです」
女刑事はこれ以上答えるものかと意思表示するように口を固く結ぶ。
「あれ? 奥さんっていつ帰って来たんですか?」
助手が体を乗り出して質問する。少し悩んでから女刑事は答えた。
「三人とも午後七時ごろにカメラに映ってるわ」
「でも、奥さんが警察に通報したのって午後九時ですよね。これは奥さんもかなり怪しいんじゃ」
助手は腕を組んでうーんと唸る。
「被害者の妻は最近、かなりイライラしてたみたいで夫婦喧嘩が度々あったのよ。数日前には被害者の趣味のコレクションを勝手に捨てたことでかなり酷い喧嘩があったっていう証言もあるわ。それで他の刑事は妻を犯人だと決めつけてるの」
黙って聞いていた探偵は、不意に指を右手の人指し指を立てる。
「なるほど。じゃあ最後に、現場にあったというハンカチの写真とか見せてもらえますか?」
女刑事は自分のカバンから手帳を取り出すと、挟んであった写真から一枚取り出して、探偵に渡した。
「これって、OLさんが被害者に贈ったものですよね」
横から写真を覗き込んだ助手が探偵に確認する。
「分かりました。犯人はおそらく元恋人でしょう。早めに行方を追った方が良いですよ。もう電車に乗った頃かもしれません」
女刑事が帰った後、コーヒーカップを洗いながら助手が探偵に聞く。
「どうして元恋人が犯人なんですか?」
探偵は面倒臭そうに欠伸をして、二人掛けのソファに横になる。
「簡単なことだ。犯人はあのハンカチの価値を知らなかった。だから元恋人が犯人なんだ」
助手は首を傾げる。
「ハンカチの価値?」
「あのハンカチは被害者と容疑者の一人を強烈に繋ぐ物だ。それを知っていたのは妻とOLの二人。この二人ならハンカチをあんな風には使わない」
探偵は目を閉じてリラックスする。
「でも、それって証拠にはなりませんよね」
助手が鋭く切り返す。
「俺は探偵だからそこまで気を回さなくていいんだよ。それに、元恋人は返り血を浴びてなかった。それを上手く処理した物があるんだろう。それが見つかれば証拠になるさ」
探偵は楽観的に答えた。
「でも、じゃあ、動機はなんだったんでしょう?」
探偵がまたしても首を傾げる。
「それは、たぶん、『木綿のハンカチーフ』さ」
探偵はそう言うと静かに寝息を立て始めた。
了




