05 まゆ 著 紅葉 『浮かぶ紅葉』
「この道路は十一月二十日で閉鎖します」と看板に書いてあった。
スカイラインの入り口を徐行する車の中で、「あと三日だね」と彼が言った。
「紅葉を見に行こう」と彼がわたしに言ったのは十月の初め頃だった。それから予定が合わなかったり、雨が降ったりで、もう十一月も半ばを過ぎてしまっていた。
枯れたススキの穂が手を振るように揺れている。
「もう、紅葉は終わっているな」
彼が残念そう言って頭をかく。それでも彼は、まっすぐに前を向いて運転している。まじめなんだ。彼の名前は島崎裕紀。わたしはユウ君と呼んでいる。
紅葉なんて無い方が良い。冬枯れの山が好きだ。とわたしは思った。
そのときユウ君は窓の外を指差し、「ほら、あそこに赤いモミジ」と言った。
葉が落ちて寒々とした冬木立の中に小さなモミジの木が何枚かの赤い葉を残していた。
それを見たとき、わたしの体の筋肉が収縮し、助手席のシートに体が縛られたように硬直した。緊張しているんだ。もう、こんなことは無いと思っていたのに。
赤いカエデの葉は、わたしが幼いころの記憶を呼び覚ました。
わたしの父が亡くなったのは、わたしが小学校五年生の時だ。わたしは継母と二人で暮らすことになった。父の生命保険のお金を少しずつ切り崩していくような生活だったと思う。
父が生きていた頃には、優しかった継母は、父が死ぬとわたしに辛く当たることが多くなった。
少しでも粗相をすると、それを理由に折檻された。
例えばテストの点が悪かったとか、卵が割れていたとか、そんなことで折檻された。
継母は、わたしのパンツを脱がせておしりを平手打ちした。継母の変わりようと叩かれる痛みに、わたしはワンワン泣いていたが、そのうち心の痛みが退いていき体の痛みだけなら泣かずに耐えられるようになった。
ある日、わたしは裸にされ手首を縛られ、そのひもを鴨居に結ばれた。
立ったまま何も出来ないわたしの身体を、継母はところ構わず平手打ちをした。おしり以外を叩かれるのに慣れていないわたしは、悲鳴を上げて泣いた。
継母は、叩く部位による音の変化や手応えの違いを楽しむように、「今はいい音がした」だの「ここは張りがあって良い」などと歓声を上げた。
継母が一番喜んだのは、わたしの身体に浮かぶ手形だった。それを姿見に映してわたしにも見せた。
「どうだ。綺麗なモミジだろう。こんなにたくさん、お前の身体に飾ってあげたよ」
鏡に映る細くて白いわたしの身体に無数の赤いモミジが浮かんでいた。その後ろの暗がりで、継母の赤い唇が笑っていた。その夜のわたしの最後の記憶は、地震のように揺れる蛍光灯だった。
中学生になったわたしにも、継母は容赦ないもみじの折檻をつづけた。わたしの身体に傷が残らないので、継母は悪びれるでもなく、笑いながらたたき続けた。
わたしが、学校で痙攣を起こして倒れてから事が公になり、わたしは保護されて施設に入った。それから継母には会っていない。
そして、わたしは中学を卒業して町の定食屋で働いているときに、ユウ君に会った。ユウ君は、その店の常連でほとんど毎日、食べに来てくれた。ユウ君は大学生なのにわたしを好きだと言った。大学生なんて一生縁のない人だと思っていたけど、ユウ君はわたしを大切にしてくれる。わたしはユウ君が大好きだ。
ユウ君が誘ってくれたドライブだ。変なことを思い出さずに楽しもう。
わたしは、深呼吸をして、窓の外に目をやった。
枯れ木に覆われた山々が見える。
わたしたちを乗せた車は、曲がりくねったスカイラインを上って、小さな紅葉すら残っていない標高に達していた。
落ち着いてきたわたしは、深い山々に見とれる。
さすがにシーズンオフだけあって、すれ違いの車も無い。
「もう、一枚の紅葉もないなあ」
ユウ君は、ほんとうに済まなそうな声で言った。
「わたしは、ユウ君がいれば紅葉はいらないよ」
言ってしまって後悔する。顔が火照って赤くなっているのがわかる。
ユウ君がチラリとわたしを見る気配がした。
「ありがとな。俺も美優がいるだけで良いよ」
うん、ユウ君大好き。
頬の火照りが涼風に吹かれるように収まっていく。
視界が澄み、山と空しか見えない景色の中をどんどん上っていった。
道が広くなりパーキングエリアがあった。地図が描かれた看板だけが立っている小さなパーキングだ。峠の名前と「ここは標高千五十メートル」と書かれている。スカイラインで一番高いところだ。
車から降りて深呼吸する。冷たい風が肺に吸い込まれて、冬が近いのがわかる。遠くに見える山には雪が積もっていた。
「俺たち専用だな。行楽シーズンをはずすのも良いものだ」
ユウ君が白い歯を見せて笑った。
「そうだね。誰もいないから二人きりだね」
わたしも微笑みを返した。
ユウ君は上着を脱いで、シャツまで脱ぎだした。
「ユウ君、何をするの?」
わたしは驚いて聞いた。
「せっかく来たのに紅葉が見られないのは悪いからな」
ユウ君はTシャツも脱いで、上半身裸になる。
女の子と見紛うような綺麗な肌をしたユウ君。
「さあ、美優、いつものやつやって良いよ」
と両腕を広げた。
「こんなところで?」
その問いにユウ君は笑ってうなずいた。
わたしは、ユウ君のたくましい胸板に手のひらをぶつけた。
パーン! と山の冷たい空気に破裂音が響く。
木霊が聞こえそうな音だ。
今度は、背中だ。
わたしの腕が振られユウ君の背中に掌が当たる。
さっきより音は小さかったかな。
次はお腹。
ユウ君の腹筋が浮き出たお腹は叩いても大丈夫。
ペチンと音が吸い込まれる感じだ。
ユウ君の白い肌に、赤く手のひら模様が浮かび上がってくる。
「どうだ、綺麗な紅葉だろう」
ユウ君が大きな口を開けて笑う。
「うん、綺麗だよ! ユウ君、大好き」
わたしは、さらに力を込めてユウ君の身体を叩く。
ユウ君の大きな身体は、びくともしない。
わたしの手の方が赤く晴れてくる。
「寒くない? ユウ君」
「あったかいよ。美優に叩かれると、なおさら温かい」
ユウ君は笑った。
わたしが叩いたくらいでは、ユウ君の体はビクともしない。
わたしが叩いただけ、ユウ君の身体に赤いモミジが浮かんでくる。
「いくよ」
澄んだ青空に乾いた音が響き渡った。
わたしは力をこめて、ユウ君の身体を叩き続けた。
《おわり》




