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02 紫 草 著  幸運&蕎麦 『東雲4-5・女郎花』完結

注意・この物語はフィクションです。登場する人物・事柄は全て架空のものです。

(9月号からのつづきです)

   ● 幸運 『東雲4・女郎花』


 その人が現れたのは、穂坂桃里から鍵を預かって二週間後のことだった。

 水野操。

 桃里をつけ回し、危うく警察沙汰になるところだったと聞いた。ただ、そのことが原因で彼は部屋を離れた。決して越したわけではないが、毎日帰宅はしない。引っ越したくないと言った、彼の言葉が胸をしめつけた。

.

 原嶋舞夏のバイトをする居酒屋に、彼女は現れた。

 聞けば、翌日仕事は休みで遅くなっても大丈夫だと。何故、そんなことを言うのかと聞くと、舞夏も明日は休みでしょと確認される。

 今度は、こちらのストーカーかと思ったものの、先ほどスーパーに行き、すでに仕事は上がり明日も休みだと教えてくれたのだと言う。

 一瞬、そこまで教える必要ないだろうと思ったが、聞いてしまったものは仕方がない。どうせ何か用があって来たんだろうから、とっとと用件を聞くことにした。

.

「ホストクラブに行きましょう」

 これが漫画だったら、舞夏の頭上には間違いなく鳩か何かが飛んだであろう。水野の顔はそれは晴れ晴れとしており、何がそんなに嬉しいのかと首を傾げたくなる。

「あの、私、今仕事中なんですが」 否、違う。この人と出かけるなんてあり得ないと思い直す。しかし……。

「終わってからでも大丈夫。明け方までやってるから」

 更にお金の心配はいらないと付け加え、待っているから仕事に戻れと追い払われた。

.

 午後十一時に仕事を終え、裏口から出ると彼女は前回と同じ場所で待っていた。そして手に持つ紙袋を差し出してくる。

「何ですか」

「これに着替えて」

「は?」

 中には見たこともないような洋服が入っていた。

「これに着替えてきて。ほら、早く」

.

 今夜の水野は本当に機嫌がいいらしい。何だか怖いくらい顔が笑っている。

 舞夏は反論するのも面倒になり、更衣室に戻って入っていたワンピースを着た。サイズフリーのため、頭からすっぽり。簡単なものだと思い、そこにある上半身が映る鏡を見る。

.

 綺麗。

 思わずその単語が頭に浮かぶ。なんの変哲もない、薄いピンクの無地のワンピース。襟元に宝石で小さな飾りがついていて袖口と裾に同色のレースの縁取り。

 履いているスニーカーが恥ずかしくなるなんて感覚を、初めて味わった。

 袋のなかを見ると、パンプスも入っている。サイズは若干大きいかも。でもそんなことは気にならないくらい、可愛い。

 舞夏が着替えた服を紙袋に入れ、外に戻ると水野はまだそこにいた。

.

「着替えましたよ。この服、どうしたんですか」

 クリーニングに出すとなると、正直厳しい。こういう服のクリーニング代金って高そうだ。

「あげるわよ。私の昔のものだけど、もう着ないから」

 そういうわけにはいかないと答えるよりも先に、手を取られ駅に向かって歩き出す。本当にホストクラブに行くつもりなんだろうか。

 とにかく浮かれている彼女には、もう何を言っても無駄のよう。仕方なくついて行き、そこが何処だか分からないまま煌びやかなお店の扉をくぐった――。

.

 黒服を着た男性が、いらっしゃいませと出迎えてくれたものの、すぐに待っていてくれと残し奥へと消えた。

 こういうお店ってすぐに入れないんだ、と周りを見渡すと鏡がいっぱい。あと写真。昔のブロマイドみたいで変なポーズつけてるものが並んでいる。

 暫くして、少し年配の男の人が出てきた。

「いらっしゃいませ。水野様。申し訳ありませんが、こちらへはご来店禁止する旨お伝えしてありますが」

 慇懃無礼。この言葉がぴったりだ。そう思っていると、これまで機嫌のよかった水野が怒り出した。

 それよりも……。

「今、禁止って言われましたか」

.

 男は、一言。はい、とだけ答える。

 奥にいる男性スタッフに、今も文句としか言えないことを喚いている水野の腕を取り、出ましょうと声をかけた。彼女は、初めて舞夏に気付いたような顔をして、今度は逆に腕を取られ前に押し出されてしまう。

「シノブ君の知り合いよ。私だけじゃなく、彼に恥をかかせるつもり」

 彼女は言い終わると、勝ち誇ったような表情で振り返る。

 馬鹿馬鹿しい。

 ホストクラブに知り合いなんていない。舞夏は帰ると告げ踵を返す。

.

 やっぱり滅茶苦茶だよ。

 大人の世界は分からない。サービス業で入店禁止なんて信じられない。

 舞夏は標識を頼りに駅を目指す。もう深夜だというのに、昼間よりも明るく眩しい。こんな所が同じ東京にあることに驚き、居酒屋に忘れられる雑誌に出ているものは作られたものではなかったと納得した。

.

 暫く歩いていると、救急車のサイレンが聞こえてきた。それは舞夏の脇を抜け走り去る。この幻のような街に不釣り合いなものを見たような気がした。まるで自分のようだ。

 帰ろう。

 舞夏は水野から借りたワンピースを見て、改めて思う。分不相応な場所には来るものじゃない。

.

 その時、名を呼ばれて足を止めた。それは水野ではなく、忘れられない人の声だった。こんな姿を見られるのが恥ずかしく、振り向くことなく耳を澄ます。

「彼女、窃盗を穏便に済ませてるから出入り禁止なんだ。舞夏はきっと利用されたんだよ」

「利用…」

 そう言われたら納得できる。

「送る。タクシー呼ぶから待ってて」

 もう、意地を張る気力もなかった。このまま送ってもらおう。

「待って下さい」

 店に戻ろうとしていた桃里を呼びとめた。

「あの人、どうなるんですか」

 帰ったよ、とだけ答えて桃里は再び走りだした。


 そのままアパートまで来て、桃里も一緒にタクシーを降りる。折角ここまで来たから、今夜はこちらに泊まるという。預かった鍵を渡すと、彼は部屋の中へと消えていった。

.

 翌日、桃里は再び鍵を預けにやってきた。ただし、言葉は別れを告げに。

 いつもの窓際に胡坐を組み、鍵を差し出す。

「関わらない方がいいと言いながら、鍵を預けるんですか」

 舞夏も夜、居酒屋で働く。しかし、夜の世界ではない。営業時間が遅いだけだ、昨夜、ホストクラブの入口を見ただけでもそれは分かった。自分のいるべき場所じゃない。

 桃里は、自分たちのような夜の顔の人間と離れた方が幸せだと言った。

「アパートは手離さない。でも、もし舞夏のいう本命ができたら鍵は取り替える」

 その言葉を、無性に寂しいと感じてしまった…

.

「幸せ?」

 そんなこと、誰が決めるの。

「誰もがそう言うよ」

「穂坂さんも、そう思うんですか」

 彼は暫時黙考の後、首肯した。

「分かりました。この鍵が合わなくなったら、出ていきます」

.

 そんなことは言ってない、と狼狽える桃里は今以上の家賃になったら暮らせないだろうと舞夏を危ぶんだ。

 それはそうだ。古い間取りの六畳一間。流しと浴室、そしてトイレ。それだけあって月二万五千なんてどこにもない。

「仕方がありません。どこかを探します」

 探せない時は、水商売。それは中学卒業の時にも考えたことだ。ただあの時は年齢制限でできなかっただけ。二十歳になった今なら問題はない。

.

「ここに居て欲しいと言ったら」

 桃里の視線に囚われた。舞夏が自分の本心に気付いた瞬間だ。

「理由がありません。離れる方が幸せだと言ったのは貴方です」

.

 先日、店にあった雑誌に花言葉が載っていた。

『はかない恋』

 何といったか、黄色い秋の七草の一つ。

.

 いつしか隣の綺麗なお兄さんは、恋するお兄さんになっていた――。


   ● 東雲5・蕎麦


「舞夏。お前…」

 どうしたのかと問われる。

 目の前には穂坂桃里。たった今、自分の本気の恋心を認識し、直後の失恋を味わっている。

「どうして泣くの」

.

 え?

.

 桃里にそう言われ、何を言ってるんだと笑おうと思った。でも、できなかった。涙が、言葉を繋ぐことを阻んだから。

 原嶋舞夏の初恋は呆気ないほど短い時間で終わった。

.

 こうなったら覚悟を決めて泣こう、そう思って俯いた。桃里が動くのは分かった。でも顔を上げられない…。

「はい」

 後ろから声がして、肩に腕が乗った。横を向くと、その手にハンドタオルがあった。お礼を言って受け取り、顔を埋める――。

.

「このタオル、どこから湧いてきたんですか」

 一頻り泣いた後に、見覚えのないそれを見て聞いてみる。

「そりゃ、隣からに決まってるでしょ」

 言いながら、髪をぐちゃぐちゃとかき回される。


「お前、男とつきあったこと、ないでしょ」

 桃里はそのままいつもの場所に落ち着いてこちらを向いた。

「当然です。中卒の女の子に声をかけようなんて思うのは、馬鹿な大人ばっかり。そんな大人と本気でつきあえるとは思えません」

 そう言ったら、桃里は正しいと言って笑った。

「俺もさ、高校中退。普通に働こうとしても、どこも相手にしてくれなかった」

 でもさ、と続ける内容は、どうして夜の世界に身を置くことになったかのきっかけだった。それは、ひとつ間違えば舞夏も同じ道を辿ったかもしれないという恐怖だ。

.

「夜の世界はさ、学歴関係ないし、稼ぐヤツが一番だから」

 そこでウィンク一つつけてくれた。

 いや、そういうのはいらないです… どきどきが増してくる。

 気付くと、そこで桃里の言葉は切れていた。逸らしていた目を向けると、いつものように押入れに背を預け、よれよれのシャツに色の抜けたジーンズ姿でこちらを見ている。

「何、ですか」

「もし、本気でつきあってって言ったら相手にしてもらえるかな」

.

 水商売に身を置く自分は、この先もまともに生きていけるかどうか分からないと、さっき聞いたばかりだ。通用しなくなったら、どこかで皿洗いでもするかと自嘲するように笑った彼に、そんな転落は想像もつかない。

.

 桃里は何を考えているのだろう。

「この状況のなかで、どんな返事をしてもきっと後悔すると思います。そうですね、季節が三度巡ったら、改めてそのお返事をすることにします」

 それでいいか、という意味の視線を送る。言葉ではなく、頷くだけで桃里は答えた。

「先ほど言われた内容は有効とします。もし約束の時までに事情が変わったら、鍵を取り替えて下さい。それまではここに残ります」

.

 その後はこの件に触れることなく、久しぶりだからと二人で夕食までを共に過ごした。そして午後十時になり、桃里はホスト仕様に変身し出かけていった。

 もう逢うことはないだろう。三年は長い。桃里を三年もほっておく女がいるとは思えない。

 でも本当は、よれよれのシャツに穴あきジーンズの桃里が好き。忘れることはない。時々、部屋の空気を入れ替えに行く。その時だけ思い出に浸ることにしよう。

.

 舞夏の決意は、これまでの経験からである。しかし男女の機微に疎いというのが誤算だった。どんなに頭で割り切ろうとしても、どうにもならない感情は時に暴走しそうになった――。

.

 街にはハロウィンの飾りが施され、スーパーの飾りも黒とオレンジが基調となり黒猫と南瓜の置物が交互に並べてある。

 ふとした日常。あの別れから一月余り。一緒にカートを引いた日の桃里の後姿が蘇る。

 嫌だ嫌だ。

 もう何百回も同じことを呟いた。そして今また呟く。あれは似たような背丈の人で、彼がこのスーパーに現れることは二度とない。そう言い聞かせ仕事に戻るために小さくかぶりを振った。

 そしてラッピングされたお菓子をハロウィン用のワゴンに並べていく。その時、お客様の手がお菓子の一つを手にした。気付いたところでお礼の言葉と共に顔を上げる。

.

「どうして…」

「今夜、鍋な」

 これだけ残し去る背中。

 桃里……。

.

 仕事を終え、裏口から出ると彼がいた。スーパーの袋は持っていないので、一度部屋に帰ったのだろう。

 舞夏の顔を見るとお疲れとだけ声をかけ、歩き出す。舞夏は何も言わないまま、その後ろをついていった。

.

 帰ると、今夜はこっちと桃里の部屋に呼ばれた。

 高そうな座卓に卓上コンロ、さくら色の土鍋にはすでに下拵えの終わった寄せ鍋ができている。

「美味しそう」

「じゃ、食べよう」

「あの……」

 どうしてこんなことをするのかと聞こうとしたら、まとめて全部後だと言われ湯匙を渡された。

 とりあえず食べよう。寄せ鍋は美味しいうちに食べた方がいい。桃里の作った寄せ鍋に箸が進む。

「お料理、上手ですね」

「そりゃ、小学生の頃から自炊してたようなもんだから」

 お母さんが出ていったのが、そんなに小さな頃だと初めて知った。でも、お父さんが料理をしてくれる人じゃなかったからとそんな小さな子が自分でするだろうか。

 親のいない舞夏には分からない。

.

「泣くなよ」

 そう言われ瞳にたまった涙が、今にも落ちそうなところで留まった。

「舞夏はさ、体と頭の中だけ大人になったんだ。きっと家族とか男女の関わりとかはさ。中学生並み…」

 そうかもしれない。人として欠けている部分が多すぎる。それを補う術もなく、冒険する勇気もない。

 桃里は、静かに舞夏を見る。そして、だからさと言葉を紡いだ。

「一緒に暮らそうか」

.

 聞いた言葉が理解できない。否、言ってることは分かる。ただ自分に置き換えることができない。

「そんなことしちゃ駄目。私なんか、相手にしちゃ駄目です」

 思わず大きな声を出した。

「舞夏。なんか、って言わないの。俺と一緒に暮らして、人の温もりを知りなさい」

 という桃里の言葉が分からない。

.

「家族っていいよ。たとえ二人きりでも同じ家に帰ってくる人がいて、帰る家に人の温もりがあるって」

 か、ぞく。人の、ぬくもり…

 今度こそ本当に、涙腺破壊された――。


 この一ヶ月で桃里はホストを辞め、小料理屋を居抜きで買い開店させてた。今はホスト仲間や客だったホステスが多いけれど、と言うものの最近になってサラリーマンも来てくれるようになったらしい。

「舞夏に店に立って欲しい。居酒屋の看板娘なんだから簡単だよね」

 そして店を閉めたら同じ家に帰ろうと言う。

「恋愛はなしですか」

 すると、まさか~と笑って卓を回ってきた。

「普通、とかなしな。二人の時間で恋愛しよ」

 何せ中学生だからさ、と笑う桃里の膝を思い切り叩いた。

「こういう距離、いいでしょ」

 泣いた顔が笑い顔に変わっている。三年後という約束は、と聞くと、そんなもの最初から守る気はなかったと笑われた。

.

「さて、鍋に蕎麦入れようぜ」

「は?」

「だから、そば」

「うどんじゃないの?」

「え? そばでしょ」

 どうやら桃里も普通の家庭の味には疎いかもしれないと、舞夏は初めて彼を身近に感じた。

「もう何でもいい。早く作って」

 任せろ、と言って卓上コンロに火を点ける。隣に並ぶと、彼の綺麗な指が少し荒れていることに気付いた。本当にホスト、辞めちゃったんだ。

「何?」

「何でもない」

 醤油を注し味を調える姿を見ながら、舞夏は人の温もりを感じ始めている――。

.

「明日の朝は、夜明けの珈琲淹れてね」

 勿論、と言う桃里はやっぱりすごくカッコよかった。


【了】 

 


 著 作:紫 草 

Copyright(c)murasakisou,All rights reserved.


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