06 一番たいへんなのは中間管理職。
一方、CCPでは。
「どういうつもりかね、霞空将補。首都圏上空で空中戦などと……次の選挙に響いたらどう責任を取るつもりかね!」
防衛参事官が慌てふためいて飛び込んできたらしい。
トップ・ダイアスから身を乗り出して、霞空将補に向かって食って掛かっている。
知るかその程度で貴様の後ろ盾が選挙落ちるのはお前の責任だろうと思ったが空将補はもちろん顔に出さない。代わりに、
「緊急事態でしたので」
短く答える。
「それとも、あのアンノンを、避難がカケラも済んでない東京ど真ん中に着陸させたほうがよかったと?」
「そもそも、あれが有害な生物とは限らんだろう!」
常に最悪を考えるのが自衛隊なんだよジジイと思ったが、ポーカーフェイスを貫き通す。
「はあ、成る程。どっちにしてもイーグルよりでかいらしいですから、着陸した時点で何らかの被害は出ると思いますが」
「着陸させないように、空中戦もしないで対処しろと言っとるのだ! それが分からんのか!」
「残念ながらわたくしめの蒙昧な頭脳ではさっぱり分かりません」
口調は丁寧に、しかし視線に養豚場の豚を見るような光を籠めて、空将補は参事官と相対する。
「な、何だねその目は」
「参事官殿に対する尊敬と崇拝の念を視線に籠めております。何かおかしなところがありますか?」
「い、いえ……」
その絶対零度を通り越して、道端の生ゴミを見るような目に参事官は思い切り怯んだが、どんなときでも真っ直ぐ保身に走る迷いのなさが辛うじて精神崩壊から彼を救った。
ついでに言うと、背後に揉み手しながら立っている腰巾着の総体司令管理部長が、にこやかな顔しつつも「こいつ失脚しねえかなあ、でもこいつ失脚すると巻き込まれるのオレだしなあ」と常に考えているのは公然の秘密だったため、その目の前で恥をかけないという思いも手伝ったのだろう。
ごほん、と咳ひとつ。
「と、とりあえずだね、東京上空というのは如何にもまずい、とにかく海に……」
「もう海上です」
ボケたかオッサン、と思ったが空将補は粘り強く、しかし早口に告げる。F-15の燃料は無限ではないし。アンノンとて長く飛んでいられるとは限らない。
「いいですか、参事官殿。現状、われわれ自衛隊が取れる行動は2つしかないんです。1つは撃墜。もう1つは海の向こうに追い払うことです。しかし後者は国際的な非難を浴びる可能性が高い。ということは出来る手段はひとつしかないということです。幸い相手は中……どこかの国の戦闘機などではない。少なくとも地球上で確認されたことない不明生物です。これを撃墜したからと言って、どこからも非難される謂われはありません」
先刻、小塚一佐が言った、ウィルスなどのキャリアーとしての可能性は伝えないでおく。今は速度が命だ。
「む、むう。しかしだね、マスコミから批判が……」
「東京直上にあんなものが出現した時点で、何もかも無事でいようなんて考え自体が甘いのです。この際覚悟していただきたい」
「し、しかし……」
もう一歩だ、もう一歩で押し込める。
霞空将補は焦燥を顔に出さないようにしながら、さらに言い募ろうとして……
いつの間にか備え付けの電話を片手に、どこかと連絡を取っていた管理部長が、甲高い耳障りな声を挙げた。
「さ、参事官! 今、野党の後援会である動物愛護団体から、『未知の生物を自衛隊が虐待している!』という抗議声明が――」
ブチッと何かのキレる音。
霞空将補は先ほどまで自分の座っていた椅子を蹴り飛ばした。
それは管理部長の顔ギリギリを掠めて高々と飛び、壁に当たってでかい音を立てて落下。
静まりかえるCCPで、ストッキングの破れた足をゆっくりと降ろした空将補は、飽くまでも冷静な声で、
「失礼、けっつまづきました」
ンなわけねーーーーーー! とCCPの部下達全員が胸中で突っ込んだが、間近で暴力と、こめかみに青筋立てたまま静かな笑みを浮かべている空将補の得も言われぬ迫力に気圧された防衛省幹部らはそれどころではない。
「きょっ、きゃっ、きっ、チミはっ、われわれを、上司を脅迫するつもりかねっ!?」
「いいえまさかとんでもない。つまづいただけだと申し上げたはずです」
地獄の底から響いてくるような低い声で唸ると、ひいっとリアルに悲鳴を上げて管理部長がドン引いた。
参事官は逃げ場がなかったので硬直しつつ、しかしそれでも保身は忘れない。
「し、しかし動物愛護団体から苦情が出た以上、民主国家であり、その公務員である君たち自衛隊はそれを無視することは許されないのであって」
畜生と国民の生命とどっちが大事だコノヤロウ、と空将補だけではなく、CCPの自衛官全員が参事官と動物愛護団体を呪っていたが、シビリアン・コントロールを自称している以上、航空幕僚長より立場が上のこの参事官が「ハイ」と言わない限りはアンノンに対して手が出せない。
霞空将補は割と好き勝手に自分の解釈で物事を進める女傑として自衛官から慕われ、畏れられているが、さすがに目前の上司の命令を無視することはしない。
「つまり?」
もはや怒気を隠そうともせずに、参事官の言葉を促す。
空将補にしてみれば、国際情勢に直接影響する国籍不明機(といっても、ほぼ全て中国・南北朝鮮・ロシアからの機体に決まってるのだが)を撃墜できないのは、二万歩譲って仕方ないとしても、東京直上の<円環>から1300万人の監視下で飛び出してきた正体不明の飛行物体に対してここまで消極的になれるこの防衛省幹部の頭の構造が理解できない。
具体的な指示も出さず、あれも駄目これも駄目、挙げ句の果てには不可能な要求を叩きつけて、この上さらに「全てキミの責任だ」と言ってくるのは目に見えている。
「ええと、つまりだね、撃墜せず、着陸させず、海外に放り出しもせずに……」
「永遠に飛んでいろと?」
「いや、しかしだね、発足以来、自衛隊が国籍不明機を撃墜したことなどないのだぞ。それがましてや動物であるならば、殺してしまうなどあってはならん! 映画ではないのだ、そのような勝手はあってはならん!」
空将補は射殺さんばかりの眼光で参事官を睨みつけ――
怒鳴りつけたい衝動を、脳内で参事官の少ない髪の毛を全部引っこ抜く妄想をして、何とか堪えきった。
「――いいでしょう」
やがて、低い声で告げる。
「今から私は、あなたの無茶苦茶な要求を満たす、無茶苦茶な命令を自衛官に下します。」
「ほ、ほう」
やっとこのおっかない女が自分の言うこと聞いた! と目を輝かせる参事官だが、空将補はそれ以上何か言われる前に、
「ただし二度と下しません。何故なら本当に無茶苦茶な命令だからです。はっきり言ってこの命令を下す私自身、頭がおかしいとしか思えません。成功しても、同じ手は二度と使えないと理解していただきたい。一度きりです、こんなのは。次の機会がもしあった時は、別の対策を必ず用意してわれわれに命令していただきたい。よろしいですか?」
「よ、よく分からんが、分かった」
「今、分かったと仰いましたね?」
「う……」
あからさまに言質を取りにいったので渋るが、一度吐いた言葉は飲み込めない上に、ある意味で時間的猶予をもらったような形だ。
と、一見そう見えるが、参事官のほうが立場が上で、しかも空将補はこの時点でどんな作戦を提案するか口にしていない。
はっきり言って参事官をペテンにかけた状態だ。
だが剣幕に飲まれて参事官は頷いた。
「い、言った。言ったぞ」
「いいでしょう。――御影二佐!」
低く迫力のある、しかしよく通る声で、指揮所の先任司令官の名を呼ぶ。
「はい!」
「百里には今、芦屋……いや、『松島の彼ら』がいたな? 展示飛行の帰り道で、<円環>の出現で足止めを食らっていただろう」
言わんとすることを理解した二佐が、しかし目を瞬かせて、
「はい、確かに! ――しかし、『彼ら』は非武装です。何をさせるつもりですか?」
霞空将補は、凄みのある美貌に、ニヤリと笑みを浮かべた。
ちょうど、洋上のワイバーン1が、痺れを切らして催促をしてきたタイミングだった。
「なに。――東京都民に、特別に航空ショーを見せてやるだけさ」
霞総隊司令の指示を受けた管制官が、マイクに呼びかける。
「CCPよりワイバーン。これから出す指示に従ってくれ」
『ワイバーン、コピー。早いところ……うぎゃああああああああああああああああああああっ』
「ど、どうしたっ」
突然響き渡った、この世の終わりでも来たかのような絶叫に、今度こそ絶望的な事態が起きたかと全員が青ざめる。
が。
『こ、このドラゴン、わたしのイーグルにウ○コ垂れ流してきやがったーーーーーーっ!』
全管制官がその場に突っ伏した。
空将補だけがこめかみに指を当てながら、
「まあ、空を飛んでる生物だしな、余計な重量を落とそうとするのは本能だろ」
と静かにコメント。
その間に何とか持ち直した管制官が、裏返った声で指示を出す。
「と、とりあえず、転進。回頭して、アンノンを“東京に連れ戻せ”」
さて、次に出てくるのが誰なのか、予想ついた方は結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?(笑)