04 東京タワーを赤く染めたら駄目です。
市ヶ谷駐屯地内にある日本の防空網の中枢、中央指揮所――通称、CCPは、百里のイーグルから送られてきたその報告にしばし沈黙した。
10秒以上続いた沈黙に耐えきれなくなったのか、ワイバーン1から再度送信。
『いや、マジで』
「いやいや、疑ってるわけではなくね?」
「うんうん、疑ってるわけではないよ?」
「もちろんだとも、はははは」
『ホントですよ!?』
『あーあー、こちらワイバーン2。こちらでも確認。やっぱこれ竜ですわ』
「なるほど」
「由々しき事態だ」
『スゲエ釈然としない……』
一人なら誤認の可能性もあるが、二人からの報告なら事実である。無論、他意はない。
と、その弛緩した空気を、冷徹な声が遮った。
「CCPよりワイバーン。飛び出してきた“竜らしきもの”をアンノンに設定する。アンノンをとにかく海に引っ張り出せ。首都上空では何も出来ない」
CCPの主、空自の女傑、霞空将補は、40近いとは思えない怜悧な美貌を鋭くして告げる。
「聞いての通りだ、ワイバーン。アンノンを海に誘導。追って指示を出す。――くれぐれも東京タワーに突き刺したりするなよ」
『アレのほうが遙かに難しいんですけど。――ワイバーン1、了解。アンノンを海に誘導する』
『ツー』
CCPの大スクリーンに状況が映し出されている。
2機はアンノンの背後に回り込むべく旋回を開始。
「警告射撃なしってのが辛いですね。こちらの意図を伝えられない」
「監視対象……というより、もう確定か……<通路>付近にヘリを待機させて、拡声器で呼びかけたりしてもいいかもな」
部下の愚痴に付き合いながら、空将補は考える。
<通路>からドラゴンが飛び出してきたなら、もうするべきことは確定している。
次に何が出てくるのか分からない以上、政府も重い腰を上げるはずだ。
自衛隊を<通路>周辺に配置することに野党も同意せざるを得まい。
が、今は目下の問題をどうするかに集中する。
「小塚一佐」
「はっ」
控えていた一等空佐――といっても、自分より年上だ――を呼び、
「太平洋上でアンノンを撃墜した場合のリスクについて、思いつくものは?」
「………」
皺の寄った顔をさらに顰めて、小塚一佐は黙考。
2秒の後、顔を上げる。
「アンノンが生物であった場合に仮定してですが……最悪のケースを考えるなら、アンノンの体内の血液やウィルスが、海の生物に悪影響をもたらす可能性があります」
「キャリアーか。風に乗って陸地に届くこともあり得るな。他には?」
「完全な未知数の飛行体です。攻撃しても通用せず、逆に相手の怒りを買って逆襲される……その場合は、当然首都圏も危険に晒されるものと考えなければならないでしょうな」
ゴ○ラやガ○ラにはミサイルが効かない。
「我々の常識で考えるのは危険か」
「飽くまで最悪を想定するならば、です」
「他には?」
「私の想像力ではこれくらいですね。あとは若い連中のが、想像力は豊かでしょう」
「フムン。誰か、他に何か思いつくものはあるか?」
薄暗いCCPに声を響かせると、手が離せない者を除いた数人が振り返る。
「あらゆる可能性を考えるなら、ですけど、あのドラゴ……アンノンが、異世界からのメッセンジャーという可能性もあります。一概に攻撃することだけ考えるのも危険かもしれません」
「あとは、単純に迷子とか」
「魔法とか使ってくる可能性も考えなければいけませんよ」
「あ、大事なこと。人、上に乗ってませんよね? 確かめないと」
「分かった分かった。もういい」
自分から訊いておいて冷たい言い種だが、考えてみたら人間の想像力は呪いのように底なしな上に、自衛隊はオタクの巣窟だった。
と。
『ウワー』
マイクから悲鳴が聞こえてきて、場の空気がさっと冷える。
「ワイバーン、どうした!」
『ワイバーン1、オーヴァ・シュート! ポジショニングし直します!』
だはあ、とCCPの面子から一斉に、大きな息が漏れた。
『ウワー』
「どうした!」
また緊張。
『ワイバーン2、オーヴァ・シュート! もっかいアンノンの背後につきますー!』
そして弛緩。
「何をしてるんだ!」
『いや、その、“遅い”んですよ』
ワイバーン1、“ピクシー”こと鷲巣二尉から、戸惑ったような声が届く。
「遅い?」
『こっちの失速限界ギリギリの速度です。かといって市街地上空で、そんな速度で飛びたくありませんから……』
『ウワー』
「またか!」
『おっそいんですよ! この竜、もっと速く飛べー!』
ワイバーン2の愚痴が響き渡る。
「というよりイーグルが速すぎるな」
霞空将補はため息ひとつ。
マイクを手に取る。
「こちらCCP。ワイバーン、無理に速度を合わせなくていい。イーグルはもともと音速を超えること前提で設計されてるんだ。逆に速度で脅かして追い立てろ」
『速度で?』
「相手は動物だろう? なら、鳥が自分の縄張りに入ってきたものを追い払うみたいにやれ。風圧と衝撃波で体当たりをかませば、あっちはびびるだろう」
さすがに生物が生身で音速を突破するとは思えないし、思いたくない。
「フォーメーションを組んで、交互に煽れ。ただし地上には絶対に近づけるなよ」
『ワイバーン1、コピー。そういうことなら……ッ』
『ツー! やってやりますよ!』
「調子のいい小娘たちだ」
ふん、と鼻から息を抜いて、椅子に深く座り込む。
「ともあれ、お偉方がこっちに到着する前にケリをつけたい……ところだが」
舌打ちして背後を振り返る。
ちょうど扉が開き、背広姿の老人たちがCCPに入り込んでくるところだった。
空将補は、苦い顔を隠そうともせず、遅れて到着した政治家を睨みつける。