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26 英雄はいらない。

「ただいま、邪神竜の撃墜に成功したとの報告が入りました」

「ご苦労様です。――やはり、ジエイタイはすごいですね。これだけ短時間で邪神竜を撃退してしまうとは」

「まあ、ええ、そうそう上手くいったわけでもないのですが」

「軍隊とはそういうものです」


 歯切れ悪く苦笑する自衛官に、ディルムッド陸戦大尉は告げる。おべっかではない、心底からの敬礼。様々な情報収集の結果として、彼らが通常の軍隊にはない、恐ろしく非効率的で不合理なものを抱えていることは分かっていた。自分がその立場に置かれていたらと思うと、全くぞっとしない。そんな状態で七十年も形を維持し続けてきたジエイタイの兵士達には、尊敬の念を禁じ得ない。全くたいしたものだ。

 自衛官が去ってから、傍らの副官に、母国語で問いかけた。


「いやはや。凄まじい組織、凄まじい国だな。明確な脅威と分かっていても武力を奮えない? 彼らと共闘するには、その辺りの問題の解決を要求する必要がありそうだな。全く愉快だ。素敵な話じゃないか。まあ僕が考えることではないがな」

「正直、信じられない思いはあります。この国は衆民の意志があまりにも幅を利かせすぎていると言いますか……大丈夫なのでしょうか?」

「どっちもどっちさ。我々の世界は、あまりにも長く、戦乱が続きすぎた。軍閥が台頭し、魔導士が権力の中枢を担い、僕ら衆民の意見など、ろくに通りはしない。尤も、もうすぐ世界的災害が発生する状況下においては、軍の権力が強くなることは自然なことだが。彼らにもそうなってもらわねば、正直、こっちとしては困る。――さて、そろそろジエイタイや政治家の各人につけた使い魔を下げておけ」

「はっ」

「彼らに魔導を感知する術はないだろうが、ばれてからでは後が気まずいからな」


 そこまで口にして、にやりと笑う。

 敬礼する副官がその表情を訝しむと、ディルムッドは彼の制服の襟に手を伸ばした。

 ひょい、と摘まみ取った黒い塊は、どう見ても自然に着いた代物ではない。


「どちらの国も、完全に互いを信用するほど、幼くはないわけだ」





 市ヶ谷駐屯地、某所。


「おっと、盗聴器がばれたみたいだ。あちらの軍にも、目端の利くのがいるみたいだな」

「まずかったですかね? もう少しばれにくい人物につけるべきだったか」

「いや、これでいい。互いに互いを監視しているんだという認識を持たせておかないとならない。暗黙の了解を持つのが、そもそもの狙いだったんだ。アメリカと同じだな。いや、どの国も同じか。――しかし、これで自衛隊の内情を知られたな」

「少しは何かが変わるでしょうか」

「それは我々が考えることじゃない。お偉いさんの仕事だ」

「とはいえ、現実として、竜騎国の要請があっても、諸々の法律や解釈をすぐに変えるのは難しいでしょう」

「だろうなあ。落としどころはいくつか用意してあるらしいが……結局、メディアや野党を納得させるにゃ、ハードルを相当下げなきゃならん」

「……我々にとっては、相当割を食った話になりそうなのだけは、確かですね」




   *   *   *




 イメージは脱皮。


 鋼の蛹を脱ぎ捨てて。


 蒼穹にアルミニウム合金がきらきらと散っていく。


 アビオニクスは私の耳目。


 主翼を大きく羽ばたかせて。


 20ミリの咆吼を上げて。


 ただ、ひたすらに高みへと飛ぶ、灰銀の竜。




 ――奇妙な夢から醒めて、ゆっくりと目を開けると、そこは羽田の一室に設えられた自衛隊の医務室だった。もともとサービス万端の羽田空港には施設も揃っており、東京上空が封鎖状態の現状では自衛隊がそれを有効活用させてもらっている状態だ。


 何があったのか思い出そうとして、額に触れると、そこに包帯があるのが分かった。


 キャノピィが割れたあの時、怪我をしたのか。

 そんなことを思ったりもするが。


 思い出すのは、着陸の時の緊張。フラップが上手く動かないので、やむを得ず滑走路のアレスティング・ワイアを利用したノー・フラップ・ランディングを行うことにした。

 美也を先に着陸させてから、燃料を全て投棄した状態でのアプローチ。


 着陸自体は上手く行ったが、疲労感からなかなかコクピットを抜け出せず、降りたところでぼうっと突っ立っていたら、何故か滑走路近辺にいた民間人がこちらに向けて何かを叫んでいた。


 何を言われていたのかは覚えていないが、罵倒であることは間違いなかっただろう。言葉は通じなくても、彼らが戦闘機から降りてきた自分に向ける目、それは、同じ人間に向けるものとは思えなかったから。


 玲音は特に何を考えるわけでもなく、ヘルメットを外した。壊れたヘルメットの破片が、食い込んでいて痛かったからだ。


 すると、野次が急に止んだ。

 何だろうと不思議そうな顔をしていると、肩を掴まれた。

 血相を変えた美也が誰かを呼んでいる。

 程なくして、担架が運ばれてきて、自分はそれに寝かされた。

 それと同時に意識がふっと途切れて……


 そして、目が覚めたら、ここ。


「起きたな」


 聞こえた声に慌てて起き上がろうとするが、それを抑える手がある。


「後始末が残っているから、あまり長居は出来んが、とにかく労いたかった。ご苦労だった。よくやったな。お前、日本を守ったぞ」

「はあ」


 そんな気の抜けた返事しか出てこない。

 ただ、あるのはどうにも、集中力を徹底的に注ぎ込んだ反動で出てくる、あの心地よい虚脱感だけで、それと比べれば日本を守っただとか、そんなことなど些細なことに思えてくるのだ。


「その怪我は、たいしたことはない。額の裂傷。ヘルメットのバイザーが割れて刺さったらしい。眼球にも傷はない。ただ、出血と痛みが長引いたことと、緊張から来る疲労で意識を失っただけとのことだ。後で精密検査はする必要があるが」


 成る程、自分はそんな状態だったわけだ。今更ながらに確認し、そんなことより気になることを問う。


「あの、私のイーグルは?」

「お前のじゃない」


 そう言い、苦笑しながら、彼女は言う。


「黒坂機のほうは、尾翼が吹っ飛んだだけでたいしたことはないが、お前が乗っていたイーグルはフレームにまでダメージが行っている可能性が高い。キャノピィ、主翼のフラップ、尾翼、ランディング・ギア、機体上面装甲……修理箇所が多いんでな、もうメーカーに送ってオーヴァ・ホールすることにした」

「そんなにですか……」

「私の判断が遅れたからだ。――お前達をみすみす危険に晒す真似をした。謝罪する」

「いつものことです。霞総隊司令どの」


 頭を下げる総隊司令は随分とラフな格好をしていた。

 常装の上に使い古したフライト・ジャケットを羽織り、野球帽に似たキャップを片手に握っている。恐らく、この非常時に空自の司令官が歩き回っていることを、見咎められないためだろう。

 その格好を懐かしく感じながら――もう、それを見たのは何年前になるだろうか?――、心配事の二つ目を口にする。


「こんなところで油売ってていいんですか? 今、死ぬほど忙しいでしょうに」

「部下を労うことも、上司の役目だと思ってるんでな。まあ、すぐに戻る」

「どうなるんですかね」

「お前がか? 私がか?」

「全体的に」


 空将補は肩を竦めた。


「実は撃墜命令を出す際、官僚連中に暴言を吐いてきた。もう総隊司令の椅子は二度と座れまい。お前も、このまま何事もなしとはいかない。民衆の前でヘルメットを脱いだのは失敗だったな。もうお前の顔がテレビとネットに出回った。ネットでは英雄扱い、テレビはお前が、まるで人でも殺したかのように報道している。興味があったら見るか?」

「やめときますよ」

「そうしたほうがいいな。まあ、これだけ日本を引っかき回す騒ぎを起こしたんだ。今、フライト・レコーダを解析しているから、邪神竜の侵入が、お前達の間抜けかどうかはすぐに判明する。が、どちらにしても、誰かが腹を切らなきゃ収まらんだろう。マスコミも、国民も」

「ということは、また沖縄あたりに飛ばされますか。それとも退官?」

「私が命令したんだ。懲戒免職になるのは、最悪でも私一人にする。お前達は私の命令に従っただけだ。何か聞かれてもそう言え。――だが、幕僚長が、手を回してくれている。古賀政権も動いている。もしかすると、そんなものより“遙かに面白いこと”になるかもしれん」


 にやりと笑う彼女の目を見て、何となく想像はついたが、それについてはコメントせず、


「まあ、名前が出ないようにだけ、気をつけてください。両親に迷惑は掛けたくない」

「分かっている。だがネットでは名前が判明するのは、時間の問題だろう。お前の家族にはこちらから人をつけるように手配した。公安も乗り気になってくれたよ」

「ありがとうございます」

「ただ、お前達の異動だけは避けられん。私個人もそうあるべきだと思っている。自衛隊に英雄は必要ない。英雄を必要とするのは、戦争に負けている国か、そもそも終わりかけている国かのどちらかだからな。日本はまだどちらでもないと思いたい」


 それは彼女なりの信念なのだろうし、そして自衛隊が常日頃から言われていることでもある。


 自衛隊に、ヒーローは必要ない。


 ただ自分達の役割をこなし、日本を守るだけ。

 当たり前のことをしているだけだ。だから英雄ではない。


 驕ることなかれ。


 まあ、ヒーローを勝手に作るのはいつだってマスメディアだ。

 そのメディアは基本的に自衛隊の敵なのだから、基本的に日本において、自衛隊からヒーローは生まれないことになる。正直、助かる話だ。


「詳しい沙汰は追って知らせる。それまでに怪我を治して、復習しておけ」

「分かりました。――霞さん、ありがとうございます」

「馬鹿め」


 軽く笑った彼女の顔が、幾分かすっきりしたものになっていたことに気づき、少しだけ自分も役に立てたのかな、と自己陶酔してみる。


 すぐに別の来客。

 案の定、美也だった。


「よ。怪我してたのに気づかなかったのは、悪かったね」

「降りるまで私も気づかなかったし、仕方ない」

「まあ、その様子じゃ大丈夫そうだね。精密検査、今日中には行けるよう手配してくれるってさ」

「しばらく病院かー」

「それと、これ。どうせ欲しがるだろうと思って」


 美也が鞄から取り出したのは、大学ノートだった。表紙には『空戦反省禄・42』とある。玲音がフライト後、欠かさずつけている、空戦技術の研究用ノートだ。日々の反省や思いついたことを書き留めるのに使っている。


「ありがと。ちょっと落ち着いたら書くよ。いろいろ、まだまだ、勉強も経験も不足してるんだなって実感した」

「あたしもねー。初の実戦、こんなもんかって感じ。もうちょっと自分では動けるつもりでいた」

「反省会、後でしよう」

「是非とも」


 しばらく、無言の時間。美也はパイプ椅子に座ってぼんやりと壁を見つめている。


 何も話さなくても、一緒にいられる関係というのは、多分、結婚相手を見つけるよりも遙かに得難いものなのだと、玲音は最近、実感するようになった。


 美也とは高校時代にネットを通して知り合った間柄だが、まさかこんなところまでの付き合いになるとは思ってもみなかった。

 まさに得難い友人だろう。


 その友人と一緒に、泥沼に足を突っ込むというのなら、まあ案外悪くないのではないだろうか。


「美也」

「ん?」

「空自、続ける?」

「辞める気なら、あんたに会いに来ないわよ」

「それもそうか」

「玲音」

「うん」



「次は勝とう」



「うん」


 決意の声だけが、強く部屋に残響した。



   *   *   *



 2015年2月。


 古賀政権は邪神竜対策において『異世界災害への緊急対策特別措置法』、通称『異世界特措法』を期間を限定して制定。同時に集団的自衛権の解釈を、邪神竜ショックから醒めやらぬ世論を背景に半ば強引に採決。

 その代償としてマスメディアからの膨大な批判とネガティブ・キャンペーンに晒され、2ヶ月後に政権を降りることになる。


 異世界特措法の骨子は以下の三つ。


1.自衛隊は災害の東京への侵入を阻止すべく、異世界側に駐留。竜騎国ヴァルデハイレンと協力し、災害を未然に防ぐことを目的とした対策活動を行う。


2.日本は国際社会との協力態勢を築き、災害に対応する。但し、国家主権を鑑み、海外からの派兵は求めないものとする。(補足:異世界に他国の兵士が行くには、当然一度は日本の土を踏まねばならず、それが国家にとって如何に危険なことかはご理解頂けると思う)


3.邪神竜は生物ではなく、世界的規模の災害と定義する。よって、発見次第の先制攻撃権を、自衛隊は有するものとする。


4.邪神竜は災害であるため、他国民及び他国友軍がこの脅威に晒されていた場合、自衛隊は緊急避難措置として、救援のための集団的自衛権を行使することが出来る。


 細かな取り決めは他にもあるが、概ねがこの方針に従う。


 またこれに伴い、各国に資金援助を求めたが、これに応じたのはアメリカと一部のヨーロッパ、そして比較的親日とされるアジア各国も同意。アメリカはさらに派兵を何度も打診したが、当然これらは固辞した。

 なお、援助の金額は予想通り、過去の災害支援の半分にも満たない金額であった。これは現実的な危機感という観点からやむを得ないことであろう。


 ちなみに一応、国連にもこれらの支援要請を打診したが、現在の国連事務総長は職務そっちのけで学位を取ることにしか興味のない人物であったために、案の定、何の反応もなかった。まるで要請そのものがなかったかのような扱いであった。


 当初はこれらの決定を猛烈に批判していた中国だが、後に、異世界側の映像を自国メディアによって確認すると、唐突に大規模な派兵の意思を表明。日本政府は現地のキャパシティを理由にこれを辞退。何故なら中国側の派兵案の中には、兵士の身辺を整備する民間人の派遣も記されており、これが派兵の名を騙った移民政策であることは火を見るより明らかであったからだ。

 韓国もまた批判側であったが、中国に追随するように派兵を提案。しかし過去の事例から危惧を覚えた日本は、国民からの猛烈な反対を受けてこれも固辞。現地との“そういうトラブル”は何よりも、絶対に避けねばならない最たるものだからだ。

 断られて面子を潰された中韓は資金援助の依頼を拒絶。


 なお、アフリカ大陸や南米大陸、中東の小国は、自国の経済が危機的であるというのに援助を表明してくれたが、流石に日本政府は良心から、「お気持ちだけで本当に十分です」というメッセージと共に、これをやんわりと辞退。


 日本は非常に限られた予算の中で、世界防衛という大役を担うことになる。




 自衛隊による、異世界平和維持活動(PKO)の決定である。

 イーグルの翼は、異世界の空でその力を試されることになる。

さて。


長らくお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

第一部はひとまず、これにて完結でございます。

慣れない政治部分は正直監修がほしくてほしくて堪らないとことでしたが、まあ、自分が書きたいのは政治や経済や権力闘争じゃなくて戦闘機なんですよね!

無縁でいられないのが現代空戦の難しいところではありますが。


事前にお話しした通り、第二部は出来るだけすぐに始まります。

異世界特措法制定により、日本はいよいよ異世界での防衛戦に突入します。

その過程で様々な文化交流や改変が生じるでしょう。まあ、フィクションなので気楽に。


手慰み程度に始めたら、妙に想像が働いてしまってこんなに長くなってしまいましたが、基本的に自分は楽しめたのでいいかなと思います。

応援やアドバイス、訂正箇所の指摘をしてくださった皆様には、本当に感謝の念でいっぱいです。

また、これを書くにあたり、自衛隊広報室の皆様、様々な観点からアイデアのヒントをくれた友人達、そして先達の方々の多くの資料を参考にさせて頂きました。

この場を借りて、ありがとうございますと言わせてください。


しかし失業やら家庭のゴタゴタやら乗り越えて、よくもまあ書いたもんだと自分に感心。

でもまだまだ続くんじゃよ?

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