25 キル・ワイバーン!
「は? ――ガーゴイル・ツー、セイ・アゲイン」
ガーゴイル・ツー、“バステト”黒坂美也は、今し方聞かされた通信内容の復唱を求めた。
『威嚇射撃を許可する。ガーゴイル・ツー』
「いや、その前です。何て? 増援は?」
『増援は遅れる。今、百里から緊急要請を出したが、それでも時間がかかる』
「クソッ。――ガーゴイル・ツー、了解。増槽及びTARPSを投下する」
思わず悪態をつき、HOTAS化されたコントロール・スティックを操作して、第二、第三増槽と右翼の偵察装備を海上に向けて投棄。これでミサイルと新兵装以外の重量はなくなった。遙かに軽くなった機体を操り、サーキット・ブレーカーをオン。全兵装、ロック解除。兵装選択。ロケット・ポッド。もちろんF-15Jは、対地兵装は無誘導爆弾以外搭載出来ないが、F-4やF-2に搭載されているJ/LAU-3/Aロケット・ポッドを改造して搭載している。米軍でも同系統の装備をF-15Eストライク・イーグルに装備しているため、さほど無理な改造ではなかった。輸入すれば良かったのだが、まあ日本なので。但し、装填されているのは現在自衛隊で採用されているハイドラ70ロケットではなく、技本が開発した新兵装、通称“フェイク・ブレス”。
マッハ1.2で飛行する鷲巣機を追尾する邪神竜の背後にぴたりと着く。攻撃照準波を照射。すぐさまロックオン。ここから僅かに照準をずらして撃つのだ。レリーズのセイフティを解除。指を掛ける。
と、
突如、邪神竜が転進。鷲巣機を追うのをやめ、急旋回。その鋭い旋回角度について行けず、黒坂機、オーヴァ・シュート。舌打ちしながらコントロール・スティックを右に倒す。FBWシステムにより、わずかな手の動きを敏感に反映して、イーグルがその翼を剣のように立てて翻す。落ちた速度は高度を落とすことで取り戻し、美也は再び邪神竜の背後につく。モニタをちらりと確認すると、機速は瞬時に音速を下回っていた。
『CCPよりガーゴイル。同士討ちを避けるため、ドグファイト・モードは起動するな』
「言われなくても……ッ!」
通常、攻撃対象をディスプレイ上で選択し、ロックオンするのだが、格闘戦となるとそれらの選択をしている暇はない。そのため、ドグファイト・モードではそれらの激しい空中戦に備え、目の前に捉えた機影を自動でロックオンするシステムだ。激しい巴戦に突入した今となっては、そちらのほうが便利ではあるだのが、同士討ちという最悪の事態を避けるために、CCPはそれを禁止したのだろう。自衛隊は過去、F-15を訓練中に誤射、つまり同士討ちで撃墜してしまい、『世界で唯一、空中戦でF-15を撃墜された軍隊』という不名誉な称号を背負っている。二の舞は絶対に踏みたくないということだろう。
そうでなくとも金属の塊でもなく、ノズルから高熱源を放っているわけでもない相手だ。不確かなことはしたくない。
追尾を逃れた鷲巣機は、大きく上昇、ループして失った高度を取り戻している。増槽も既に投棄したようだ。
『バステト、援護につく。あんたがやって』
「ツー」
再び背後を取り、邪神竜の黒い体を選択してクリック。発射態勢に入る。
邪神竜、再び左旋回。
(――!?)
美也は不意の悪寒に誘われる。
こいつ、まさか。
美也、機体をわざと僅かに横滑りさせながら、フック気味にカーヴ。三度目のロックオン。竜、左旋回。外される。確信した。
「ガーゴイル・ツーよりCCP! こいつ、」
信じられない思いで怒鳴る。
「こいつ、レーダ波を感知してる! ロックオンされたのに気づいて旋回している!」
一瞬の沈黙。
『こちらCCP。馬鹿な、あり得るのか、そんな生物』
「実際に避けられてるんですよ、明らかに!」
『――いや、電波というのは要するに光だ。昆虫の中には光で通信をしてるようなのもいる。魚にも電気器官を持った種類がいるし、それが進化した場合、電波を受信できる生物がいてもおかしくない』
『ガーゴイル・ワンだけど、ちょっと待って。こっちはさっきから機体のアクティブ・レーダであいつを延々補足してるんだよ。攻撃照準波だけを選んで回避するなんて芸当……』
『ロックオン用のレーダ波は他のものより強力だ。要するに指向性ビームだからな。強弱も感じ取れるとすれば回避されても……』
『御託はいい』
霞総隊司令の冷静な声が、推論を遮る。
『ガーゴイル・ツー、ロックオンせずに撃て。誤射にだけ気をつけて威嚇射撃を実行しろ』
「ガーゴイル・ツー、了解」
明確な指示は、現場の兵士にとって何よりも有り難いものだ。
ロックオンなしでの射撃というのは、当たり前だが非常に難しい。ガンが攻撃の主役だった第二次大戦や、ぎりぎりで第三次中東戦争の頃ならともかく、今の空戦はミサイルが主役で砲弾の搭載量も少ないし、速度がありすぎて僅かな誤差でも細い射線がずれてしまうからだ。自衛隊のパイロットの中には、「ロックオンなしだと、相手に気づかれる前にいきなり当てられるから良いよね」とかニコニコ顔で言ってた連中がいたけどあいつら人間じゃねえ。玲音も模擬戦で、ノーロックでガンを当ててた。コツを聞いたら「当ててんのよ」とか意味分からん。ともあれ今は威嚇射撃だからそんなの関係ない。モードを切り替え、再び背後に。
「これより威嚇射撃を開始する。――FOX3!」
本来、「FOX3」は自衛隊において、機銃を撃つ際に使われる符牒だが、ロケット・ポッド発射の際にも使用される。ロケット弾自体があまり使わない装備なので全くと言っていいほど知られていないが。
ともあれ、19連装ロケット・ポッドから一散に放たれた光の束が、邪神竜の体を掠めて虚空に消えていく。
内容物は、マグネシウム、アンモニウム、テフロン等々。つまり、熱源欺瞞装置と同様のものに、僅かにアルミニウム等のやや燃えにくく、質量のある金属片を混ぜたものとなる。弾頭はカーボン複合材――を、製造する過程で生まれる、可燃性の廃材を流用。
つまり、これは、完全なる虚仮威しの兵器。乱暴に言えば、フレアを前方に射出するだけの擬似ロケット弾だ。
射程はせいぜい300メートル。当たったとしても、戦闘機などの通常兵器に対しては、せいぜい装甲を僅かに叩いて加熱させる程度の効果しか見込めない。運が良ければ漏れている燃料にでも引火するかも知れないが、それだけの兵器だ。
だが、見た目の派手さは、機銃とは比べものにならない。
例え相手が異世界の竜だろうと、はっきりと分かる。
これは、威嚇だ。
明確な、威嚇行為だ。
邪神竜はその光を浴びて、大きく鋭く左旋回。美也、今度は遅れることなく追随。
「ガーゴイル・ツーよりCCP! エネミーに反応! 激しい回避運動を開始した!」
『引き続き機動性能のデータを取れ。百里からの増援が来るまでその空域に押しとどめろ。4機がかりなら何とかなる』
その言葉の意味は何となく分かる。
要はそういうことだろう。
先ほどよりも明らかに動きが激しい。後背についたこちらを意識した、振り切ろうとする動き。ジグザグの運動に入る。シザーズだ。美也は歯を食い縛り、ラダーとスティック、スロットルを巧みに操り、その背中を追う。
空戦の腕に関して、美也は玲音に劣るものではないと自負しているが、それでも相手の動きはかなり激しく、イーグルの反応速度ではついていけない。何せ向こうの翼はトムキャットよりも自在に変形し、空力特性を変えていく。おまけに尻尾という姿勢制御装置がある。固定翼とはいえ、運動能力向上(CCV)化が施されたF-15ですら、ついていくのがやっとだ。いや、振り回されつつある。
まるでそれを悟ったかのように、竜と鷹の速度はぐんぐん落ちていく。低速域に入れば入るほど、重いF-15は不利だ。おまけに、
「バレル・ロールか!」
思わず唸る。
翼と尻尾で大きく空を打ったかと思うと、大ぶりな円を描き出す邪神竜。美也機、追随しようかと迷う。だがこの低速域でバレル・ロールは厳しい――
その刹那の思考が隙になった。気づいた時、邪神竜が横にいた。一瞬、その瞳の分からない眼がこちらを見るのが分かる。捕食者の目。いや、捕食ですらない。何と言うべきだ。人間が虫けらを見る時の目はこんなだろうか。感情が読めない。昆虫図鑑やネットのグロ画像で、爬虫類か昆虫の目を、間近で覗き込んでしまった時のような、あの悪寒。
オーヴァ・シュートのその直前、
大きく機体が打撃された。
「ぐあっ」
* * *
玲音は、美也のF-15がオーヴァ・シュートさせられるその時、邪神竜がその身を捻って、尻尾で黒坂機を打撃するのを見た。
イーグルはその水平尾翼の片方を吹っ飛ばされ、大きくバランスを崩す。玲音、間髪入れずに邪神竜をロックオン。錐揉み状態で失速した黒坂機を追おうとしていた邪神竜が鋭く反応し、上昇した。その隙に報告を入れる。
「ガーゴイル・ツーが攻撃を受けた! 尻尾による打撃! 繰り返す、ガーゴイル・ツーが攻撃を受けた! 水平尾翼が破損!」
『CCPよりガーゴイル・ワン。確認する、ガーゴイル・ツーは攻撃を受けたのだな?』
「そうです!」
もちろん、援護位置にいた玲音もまた、CCPの意図に気づいていた。
あの状態から威嚇射撃をした場合、どうなるか。
凶暴であると聞かされていた邪神竜が、どのような行動に出るか。
そして、自分達に求められている役割が、何なのか。
『――よろしい、ではガーゴイル隊は攻撃を受けたものと見做す。ガーゴイル・ワン、正当防衛権の行使を許可する! 相棒を守れッ!』
「ガーゴイル・ワン、了解!」
* * *
「ま、待てッ、総隊司令! 自衛隊の規定では、正当防衛の権利を行使していいのは飽くまで“攻撃を受けた本人”であって、“編隊の味方”はその範疇には含まれん! それは集団的自衛権の範疇だ!」
トップ・ダイアスから唾を飛ばす参事官と管理部長に、殺意に満ちた笑みを浮かべた。
「黙れ」
「へ?」
あまりに直截的な物言いに絶句した彼らに、精悍な貌に紅を散らした霞空将補は、今までの鬱憤を晴らすかのような怒声を叩きつけた。
「安全な場所から、でかい口を叩くなッ! 今、撃たずにいつ撃つ! 目の前の仲間も守れない自衛官が、国民を守れるかッ!」
有り体に言えば、彼女は激怒していた。自分自身に。部下を危険に晒して正当防衛の権利を得なければならない自分の無力さ、無能さに。
だから、このチャンスを無にすることだけは、それこそ全てを投げ打ってでも、やってはならないことなのだ。命を懸けてくれた部下への、それが己の責任だ。
例え自衛官であっても、自衛隊法が何と言っても、目の前で危機に晒されている命があるならば、助けるために持てる力を行使する。
それこそが、自衛隊の存在意義だ。
今、霞空将補は、強引に、身勝手に、意図的に、その状況を作り出した。
相手が殴るよう挑発して、殴らせた。これは中国と同じやり方だ。
自覚しているから、激怒している。
だが、全ての責を負う覚悟を決めたならば、後は自分がやるべきことをやるだけだ。
そして、こればかりは現場の指揮が優先される。――何故ならば、掛かっているのは彼ら自身の命だからだ。部下に死ねと言うのはいい。だが、救える仲間を見殺しにしろと、そんなことを本当に命じる組織ならば……
正面モニタを振り返り、室内の全員に、大きく手を振って命令を下す。
「ガーゴイル・ワン、ミサイルの発射を許可する! 邪神竜を撃墜しろッ!」
* * *
「了解。言われなくても……!」
今や、黒坂機が脱落したことで、同士討ちの危険性はなくなった。
上昇中の邪神竜を追って機首上げ、ハイレート・クライム。
ドグファイト・スイッチをオン。
シーカ・オープン。
一瞬でロックオンが完了。
察知したのか、黒竜が旋回しようとするが、今回ばかりは距離がありすぎた。玲音はこの事態を見越して、予め十分な距離を取っていたのだ。
こちらの広々とした視界に収まっている邪神竜は、ロックオンから逃れることは出来ない。
呼吸を止める。
自分の顔が引き攣っているのを感じる。
フライト・グローブの中が汗で滑る。
ミサイル・レリーズのロックを外した。
ロックオン継続。
撃てる。
「――FOX1ッ!」
AAM-4、発射。
噴射炎を曳きながら、轟音と共に上昇していくミサイル。
訓練以外で初めて撃つ。
初めて、それが、激しく動く目標――生きている目標を鋭く、戦闘機より遙かに鋭く追尾し、破壊するために昇っていく様を見つめる。
邪神竜はさらに上昇。雲の中に逃れようとする。だが如何に音速を超える、生物の枠外にいる存在であっても、マッハ四を超えるミサイルから逃れる術はない。フレアもチャフも持たない存在が避ける術は、ない。
雲に入る直前、
どぉん、と。
鉛色の雲と、冬の空を震わせる着弾音。
命中。
爆炎の中から、黒い影が落下するのが見えた。
玲音機、上昇角を緩めて僅かに息を吐く。
それが、致命的とも言える隙となった。
ミサイルの上昇を見守る。
引き続きの追随を怠る。
実戦――空中の殺し合いを経験したことがない航空自衛隊には、或いは無理のないことであったかもしれない。
ふ、と空が翳ったな、と思う自分と、
ぞくりとした予感に駆られて機首下げを行う自分とに、玲音は分かれた。
結果、後者の玲音が玲音を救った。
激しい衝撃。
それこそ一瞬、コクピットのモニタにノイズが走るほど、大きく機体が揺さぶられ、何かがヘルメットを叩き、毀れる音がした。冷風が流れ込んできたことから、キャノピィが割れたことを悟る。反応して、酸素マスクの流入量が増大。
玲音はパニックに陥りかける。
だがそんな心理とは裏腹に、パイロットとしての本能は、両目は、現状を確認するために忙しなく動き回る。
頭上。
コクピットに圧し掛かっている。
邪神竜。
その黒い躯。
紅い眼。
無傷ではない。
血がぼたぼたと垂れている。
寧ろ瀕死だ。
翼も裂け、落下から持ち直してイーグルに取り付いたのが不思議に思えるほど傷を負っているのは、分かる。
だが生きている。
血が流れ、その色は青黒く、風に流れていく一方でイーグルにも掛かり、灰色の機体を穢している。
――もう一発撃つべきだった。悔やむが遅い。
爪が機体に食い込んでいる。ホールドされているのだ。素早く反対の翼に目を遣る。同じだ。
つまり完全に、両翼を押さえつけられた、完全に、イーグルに竜が乗っかっている状態。
ここまで、玲音の冷静な部分が観察を行った。旋回して振り落とそうとする。だが主翼のフラップが抑えられて、僅かにしか傾かない。
エア・ブレーキを展開しようとして――直前で思いとどまる。
機体に圧し掛かられているということは、イーグルの機体背部真ん中も、竜の躯に抑えられている。エア・ブレーキはそこにあるのだ。下手に開いてそれを故障した場合、減速手段を一つ失うことになる。一撃必殺に失敗した今、次の次の手も考えねばならない。
では次の手は。
玲音、旋回方法を高速思考。だが竜が乗ったことで機体の流体力学はほぼ死んでいる。機体上面の流体は巨躯に遮られて、方向舵は効かない。――待て。
機体上面は?
では、機体下面は?
咄嗟に思い浮かんだその案を迷う。速度計に目を遣る。駄目か。無理か。
だがしかし。
邪神竜が、コクピットに食いつこうと、大きく口を開けた。乱杭歯が覗く。どれも鋭い。
そんなことはどうでもよかった。
みしりと機体が軋んだ。
アルミ合金の翼の、パネルが剥がれて吹き飛んだのを見て、冷静だった玲音の部分は何も感じなかったが、パニック寸前だった玲音の方が、沸騰した。
「私のイーグルにッ」
玲音はレバーを引いた。
そこにはこうある。
――『LDG GEAR』。
「何しやがんだ、クソ竜ッ!」
ランディング・ギアを、降ろした。
イーグルが風に爪を立てる。
がくん、とつんのめるように急減速。
慣性の法則に従い、邪神竜もまた前に投げ出される。
爪が外れ、宙に浮く。
玲音、失速状態。
だがスロットルを思い切り押し込む。
アフター・バーナー、オン。
推力を強引に稼いで、機首を必死に擡げる。
あと少し。
あと少し――!
何故その時、それを口にしたのか、自分でも分からない。
後になっても、忘れてしまったのでどうしようもない。
だがその瞬間、彼女の精神は凶暴な猛禽そのものだった。
照準を合わせる必要もない。
HUDからはみ出さんばかりに、目の前に獲物の姿がある。
「――ようこそ、地球へ。」
ガン・コントロール・スイッチ、オン。
果たして、FOX3、と叫んだかどうか。
だが、M61A1バルカンの咆吼。
何も考えず、ただひたすら撃ちまくる。
怪物の躯に次々に、縫い目をつけるように着弾。
右の翼を引き裂き両断、残りの砲弾が胴体を貫通。
ばしゃり、と右主翼に何かが当たる音がした。
――数秒でガンが弾切れ。
それでもスイッチを押し続けていた。イーグルがバランスを失って初めて我に返り、指を離し、機体のコントロールに集中。ABオフ。慎重に減速。ランディング・ギアを収納。規定以上の速度で露出させたため、故障していないか心配だったが、幸い収納は成功。着陸前に、もう一度出せるかどうかチェックする必要があるだろう。
主翼のダメージはそこまで酷くはなかったらしく、ややガタつくが、安定を取り戻す。
すぐに機体をバンク。
落下していった邪神竜の姿を確認しようとする。
ちょうど、黒い躯が、今度こそ海面に激突したところだった。
今気づいたが、海上自衛隊の護衛艦が、だいぶ近づいてきていた。
その先では波紋と、青黒い血が染み渡るように広がっていく。
――息をするのを、忘れていた。
辛い味のする酸素を、一杯に吸い込み、そして吐く。
後は、荒い呼吸と、心音が残る。
しゅー、しゅー、という酸素供給音を聞き、旋回を続けていくうちに、心が冷静さを取り戻していく。
「――こ、」
からからに干上がった喉が、玲音の声を拒む。唾を飲み下し、改めて告げる。
「こちら、ガーゴイル・ワン。ワイバーンを撃墜した。目標は海上に落下。えーと……」
何だったか。
ああ、思い出した。
まさか自分が、自衛隊が、このコードを口にする日が来るなんて。
「スプラッシュ・ワン」
『こちらCCP、了解。後の任務は海上自衛隊が引き継ぐ。生きていたならとどめも刺してくれるそうだ。死体の回収もな』
「……私ら、海自、顎で使いすぎじゃないですかね」
『空は我々の領分。海は彼らの領分だ。帰投しろ、ガーゴイル・ワン。ガーゴイル・ツーも――ご苦労だった。よくやったな』
「あ……」
その言葉に、薄情なことに、今まで相棒の存在を忘れていたことに気づく。まあ、自分も必死だったのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
見ると、黒坂機がゆっくりとした動きで、自機の隣に並んできた。
右の水平尾翼をへし折られてはいるが、主翼が片方吹っ飛んでも生還した逸話を持つイーグルだ。美也の腕なら問題はあるまい。自分も機体のチェックをする。あちこちから警告音がするが、どれも致命的ではない。ただ、前縁フラップが傷ついている。場合によってはノーフラップ・ランディングになるかもしれない。とりあえずこれも、後のチェック項目。
『よう、相棒。生きてるか?』
「何とかね。――そっちも無事で何より」
『喜ぶのは着陸してからだよ。とりあえず、ガーゴイル・ワン、そっちの機体、右主翼から燃料漏れてる』
「え、マジで、見えない」
『マジだよ』
慌てて右翼からの燃料供給をカット。引火しても怖いので燃料は投棄することにした。
とりあえず、これで当面の安全は確保されたと言えるか。
念のために、お互いに機体を一回りして異常がないか目視。
それを確認してから、CCPに報告する。
「CCP、こちらガーゴイル・ワン。機体は何とか飛べそう。これより帰投する。――RTB」
『ツー』
翼を慎重に翻し、羽田にノーズを向ける。
『ところで、ねえ、さあ』
「ん?」
美也が、プライベートな口調で話しかけてくる。
『あんた、右翼ちゃんと見た?』
「燃料なら――」
『違う違う、そうじゃないって。よく見てみな』
「?」
目をぱちくりさせて、右主翼を確認。
――そこは、竜の血で青黒く染まっていた。先ほどの銃撃の際に、返り血を浴びたらしい。
『赤じゃなくって残念でした。――ね、“ピクシー”』
「……ははっ」
乾いた笑いが零れる。
思った以上に緊張がきつかったらしい、一度零れた笑いは止まらない。
やがて相棒も釣られて笑い出し、太平洋上空を飛行する灰色の鷹の中で、二人の女パイロットはしばらく互いに笑い声を響かせ合った。
というわけで、クライマックスの空中戦、如何でしたでしょうか。
次の回で、ひとまず第一部として締めます。
自衛隊の初実戦となるので、これくらいの油断は致し方のないところではないでしょうか。
物語としても、ミサイルを撃つ、撃墜、終了としてしまうのは簡単ですが、自衛隊においてそれは、政治的問題から極めて難しいことなのです。
そして何より、それに起因して、実戦経験がないこと。これも大きいと思います。
だから、こういう展開になりました。
もちろん、物語的な盛り上がりも考慮してのことですが、「この兵器があるから大丈夫」「今の日本の技術なら何てことない」なんて考えていると、別の側面から足を掬われることになるのかなあと。
なればこその、今の日本の様々な動きなんでしょう。
どう考えるかは、皆さん次第です。
ただ、これは飽くまでフィクションであり、そして私の意見です。間違った部分もあるでしょうし、正しい部分も或いはあるでしょう。
だから「これは正しい、これは間違っている」と言わず、ただ、一つの意見としてお読みください。
そして、自分で考えてください。
私の考えと実行は、ひとまず、これです。
この回を書くにあたり、疑問となった部分を、自衛隊広報室に電話取材させて頂きました。
航空自衛隊広報室の皆様、お忙しい中、私の些細な疑問に丁寧に答えて頂き、ありがとうございます。わざわざ現役パイロットの方に確認まで取って頂き、本当に頭が下がる思いです。
こんな未熟な小説を書いている身で恐縮でありますが、こんな拙作でも、自衛隊の皆さんが好きで、本当に感謝している人間がここにいることを、少しでも多くの人にお伝え出来たなら幸いです。
真面目なこと言ってますが、これを皆さんがお読みになっている頃、私は酔っ払いながらTRPGをゲラゲラ笑ってやっていると思います。
まあ、人間、そんなもんですよ。