18 異世界の空中戦です!
「要は、あれを最外壁領から出さずに撃墜すれば、僕達の任務は達成されるわけです」
ディルムッドは、現状をひと言で片付けてみせた。様々な政治的要素を除外して、今、現実として直面している状況を整理するならば、確かにそのひと言に尽きる。
しかしすぐには許容しがたい面もある。
言外にこの凶相の男は、それさえ達成すれば手段は問わないと言っているに等しい。さらに言うと、「僕達」ということで自分たちを一緒くたにしようとしている。ミリアムは自身の経験から、そういう言い方をする輩が自分たちに求めているのが、「共犯者」という立場であることを承知している。
ゆえに、傍系とはいえ貴族の出身であるベルガー、竜騎国最大の政策研究機関たる司書会の魔導師ミリアムは、言質を取られぬためにも即答しかねる言葉ではあった。そうせねばならない立ち位置に自分たちがいることも自覚していた。
だがディルムッドには、自分たちの意図が正しく伝わったらしい。ぎりぎり抑制された苦笑を彼が浮かべたのを見て、それを悟る。不快な気分ではあった。内心の、決して有為でも広量でもない感情の動きを他人に察知されるというのは。ただ、それを指摘するほどに子供でもない。ミリアムは内心の仄暗い情動を理性で抑えつけ、彼が言葉を発するまで口を噤んだ。
「これまでの早生個体の傾向から、魔力耐性を持っている可能性は十分考慮する必要があるでしょうね。先ほど僕達が撃墜したやつも、感触からして多少の耐性を持っていたように思います。かといって、竜騎殿の弩だけではいかにも心許ない」
ベルガーの口元が引き攣るのが見えた。確かに威力不足なのは事実だが、ここまではっきり言われれば誰でも燗に障る。
「つまり、何が欠けても取り逃す公算が高い。竜騎隊、空戦魔導師隊、そして衆軍。総てをぶつけて、やっと光明が見える。まあ楽観的に見積もってその程度でしょう」
双方に目を向けてのその言葉の意味は、もちろん理解した。ディルムッドは魔導師と竜騎の確執を知っている。恐らくはその根本的な理由も。だからこそ釘を刺すように言ってきたのだ。
「まあ、何を言ったところで必要なのは火力です。空戦魔導師殿の攻撃魔術も、決め手になるか怪しい。それで撃墜出来るならばそれで善し、考えねばならないのは、出来なかった場合です」
「砦の魔導砲台は?」
最外壁砦に設置された、竜騎国最大の要塞砲3つを指して言う。これの威力は個人が放つ如何なる魔術も凌駕するはずだ。
だが、ディルムッドは首を振る。
「先ほどの戦闘で、賢石の魔力が既に尽きています。再充填までに時間が掛かりすぎるし、その間陸戦魔導師がそっちに掛かりきりになる。それは避けたい。すぐに使えるのは大弩だけです」
思わず舌打ちする。そもそも、世界の危機に際して、何故これだけの戦力しかこの場になく、装備が致命的に不足しているのだ。全て政治的要因が重なっているのを知っているから、尚のこと苛立つ。
「……中尉殿の仰る通り、私たち魔導師の火力だけでも、撃墜出来るかは怪しいです。それに、まごついていたなら、砦の向こうに逃げられてしまう」
「その点については手を打ちます。空戦力が不足して、作戦空域の維持が難しいなら、別の方法で補えばいい」
その時のディルムッドの表情は、何というか――
そう、ひと言で言うならば、“邪悪”という単語が最も似合うものだった。
だがその真意を問うより先に、彼の言葉が続いた。
「問題は何しろ火力です。あれを確実に撃墜しようというなら、魔導砲台並みの、身も蓋もない火力が必要になる」
「収束砲ですか? しかしあれは空中で撃つのは非常に困難です。それに、撃つまでに時間が掛かります」
あれは陸戦魔導師が撃ってこそ真価を発揮するのだ、と説明するミリアム。しかし、
「いいものがあるじゃないですか」
その凶悪な笑みを浮かべたまま、ディルムッドは指をぴんと立てて見せた。
天空の、とある一点を指差す。
「おあつらえ向きの、身も蓋もない火力というやつが」
指差した先、最外壁砦の真上には、くろぐろと渦を巻く、異世界へと繋がる<空門>があった。
* * *
ごう、と唸りを上げて脇を掠めて行くのは、風。
邪神竜の紅い眼がこちらを見た。
巨大な翼が一度空を打ち、長い頸が空を飛びながらもこちらに向けられた。
「散開しろ!」
部下達に念信で告げ、ミリアムは邪神竜がこちらを見た時点で咄嗟にローリング。部下達が放射状に散るのを、上昇する視界の片隅で確認。
竜の顎から次々と、青白い火球が放たれた。竜砲。先ほどまで彼女たちがいた空間を薙ぎ払っていく。ややあって、地面に着弾する轟音。
回避しきったのを確認すると、急上昇。
とにかく高度を上げ、雲の下、ぎりぎりの高度に陣取り、そして飛翔杖の先端に据えられた媒体核から、魔力散弾砲を撃ち放つ。
ひとつひとつの威力は低いが、魔力砲を当てるのが難しい空中戦においては、数撃てば当たる、定石となる攻撃だった。
無論、たいした脅威と感じるまいが、頭を抑えることは出来る。
案の定、邪神竜が高度を下げる。
しかし、あまり頭を抑えすぎると、業を煮やして雲の上に出られる。
そうなれば、そこは邪神竜の領域だ。
邪神竜にとって、今この瞬間、低空を飛んでいる意味は、そこに餌があるからという、それだけの事に過ぎない。
たいして自分たちは違う。
高度を上げすぎれば空気が薄まり、意識の喪失を招く。それは竜騎たちも同じだ。
もっとも、騎乗している竜たちにとっては、やはり高空こそ己の領域なのだが。
だから、撃ったら即座にロールを打ち、頭を下にして一気に高度を落とす。すると、邪神竜は自分を追うように高度を下げる。
速度では敵に分があるため、後ろに着かれたら終わりだ。みるみるうちに、邪悪そのものの顎が迫り、その牙の隙間から青白い光が漏れ出す。至近距離からの竜砲を撃つ気だ。
だがそれより早く、振り返る視界に別の翼が入り込む。
邪神竜の上方後背、軽飛竜が強襲。
軽飛竜と邪神竜では体格差がありすぎるため、このまま肉弾戦に持ち込ませれば間違いなく軽飛竜が負ける。
だからこその竜騎だ。
鞍に跨がったベルガーは、革鎧の他に、空中で呼吸を確保するための面頬付兜を被っている。そしてその手にあるのは、竜騎の武器である連弩。
金属製の骨格、弓部分には複合素材、弦には竜髯を使用した、衆軍には出回っていない業物だ。威力も精度も飛距離も、量産品とは比べものにならない。
繰り返すが、今この場に集う戦力で、邪神竜に敵う速度の者はいない。
だが、高高度からの落下速度を利用した軽飛竜は、一時的に邪神竜に対してすら優速となる。
おまけに、地上部隊が事前に翼を傷つけてくれたおかげで、飛行姿勢にやや乱れが見え、それを修正するたびにわずかに速度が落ちている。
竜騎ベルガーは可能な限り肉薄し――弩が命中を見込めるのは、せいぜいが30メル、風の影響も考慮するならばもっと近づくことが望ましい――、2本の矢が同時に放たれる。
この風音の中では、矢切音など聞こえはしないが、それでも目にも止まらぬ速度の矢が、片方、邪神竜の背に突き立つのが見えた。
忌まわしげに黒竜が吼え、今度は竜騎を追うために、首を巡らせ、翼を翻し、旋回する。
――すると、ミリアムとは別の空戦魔導師が、その背後を取るべく、高空から一散に降下する。全重の小さい空戦魔導師の場合でも、推力を上昇に割かなくていい急降下戦法は有効な手の一つだ。
相手は一騎。とにかく攪乱することを繰り返す。
『こちら臨時本部。竜毒の影響は見えますか?』
『僅かだが、傷だけのせいにしては、邪神竜の速度が落ちているように思える。個人的な主観だが……』
『この時間でその程度なら、やはり撃墜は無理ですね。分かりました、予定通りにやります。以上』
ミリアムたちにとって幸いなことに、空はだんだんと曇りの色を濃くしている。ディルムッドの思惑からすると時間制限がついたことになるが、しかし彼らにとっても最終的には幸運だろう。
自分たちにとってのそれが何かと言えば、邪神竜が雲を好まないというその一点だ。空戦魔導師、そして竜騎にとってもそれは同じで、雲の中に分け入ると、上下の感覚がなくなり、最悪の場合パニックに陥る。邪神竜がそんな状態になると聞いたことはないが、とにかく雲に入りたがらないのだけは事実だ。最悪だらけの状況で、やっと気まぐれのように訪れた幸運だった。
と。
地上から黒いものが立ち上るのが見えた。
最外壁砦は、最果て山脈が狭まるV字地形の先端に陣取っている。
そこから山の麓に広がるのは針葉樹の森であり、その森を囲うようにして、黒煙が上がりだしたのだ。
分かっていたこととはいえ、ミリアムは、
「本当に火を点けた……!」
信じられない思いでうめく。
銀鉱と林業が主な産業である竜騎国にとって、山林は財産そのものだ。そのため材木ひとつ切り出すにも領主の許可が必要となり、勝手に持ち出せば当然犯罪として罰せられる。
最外壁領には、例外的に領主がおらず、この森の所有権は国王であるジグムント16世に帰属する。
つまり最外壁領の森林を無許可で焼くことは、王の財産を焼き払っていることになる。
だが、ディルムッドはこれを躊躇なく提案した。
理由は単純だ。
火の手は今も、自然ではあり得ない速度で広がり、森の外縁をなぞるように、ディルムッドの部下達が火を点けて回っていることが分かる。
これにより――
森の上空は、黒煙による壁に囲まれることになる。
ディルムッドが告げた「作戦空域の限定」とはこれのことだ。これをやらねば、空中戦に飽いた邪神竜は、さっさと領域を離脱し、人里に向かってしまう。
邪神竜の嗅覚が鋭いことは、これまでの歴史で確認されている。
この時期の樹は水分をふんだんに蓄えているため燃えにくく、生木の常として大量の煙を出す。これを嫌がり、煙に入ることを避けるだろうと考えての策だ。
だが。
これは下手をすれば、王の財産を害した罪で罰せられる危険性を孕んでいる。如何に必要があってのこととはいえ、世界の危機に際してとはいえ、まだ前哨戦に過ぎない段階で、これを考え、実行してしまうあの男の神経に底知れなさを感じずにはいられない。
意識が逸れていたのはほんの一瞬。
その一瞬。
邪神竜に肉薄し、今にも魔力散弾砲を撃とうとしていた魔導師。
突如、黒竜がその身を反転させた。
ローリングではない。
ループでもない。
翼を大きく広げ、風を受け止めて急停止、発生した急激な揚力を利用して、飛行時には前傾であるその身を90度以上――180度以上、持ち上げ――、
その場で、360度の縦回転。
空戦魔導師にも、竜騎にも不可能な芸当。
恐るべき翼の制御。傷ついた羽であれだけのことが出来るのか。
それも尻尾という姿勢制御装置があるからこそ成せる技だ。
近づきすぎていた空戦魔導師は、頭上から振ってきた太い尾に、反応出来ず叩き落とされた。
痛みは、なかっただろう。
意識は一秒と保たなかったはずだ。
杖を手放し、そのまま木屑のように森目掛けて墜落していく魔女を見て、意識が現実に引き戻される。
先ほどまでの攪乱の回転が、崩れた。
それを悟り、部下の死から今は目を背け、魔力の消費を忘れて急加速。
通常飛行姿勢に戻ろうとしていた邪神竜の背に、通常魔力砲を叩き込む。
一瞬とはいえ、失速落下状態、つまり空中戦における停止に等しい状態であった竜に、散弾ではない単純な魔力塊を叩き込んだのだ。
機会であると思ったからだし、怒りもあった。
だが効果は覿面だった。
今までにない悲鳴のような声を上げ、バランスを崩す邪神竜。
しまった、と正気に返る。
地上に降ろしてしまっては、この作戦の意味がなくなる。
自分が冷静さを失って致命的なミスをしたことに青ざめる。
だが、
『対空迎撃ィ――、魔力収束砲、撃ェッ!!』
耳に届いたのは、あの凶相の中尉の怒声だった。
途端、森の各所から、空戦魔導師のそれとは比較にならないほどの魔力反応。
そして、人間の体ひとつを飲み込めるほど巨大な光条が、3つ、天空に向けて迸った。
ついで、矢が飛び立つ鴉の群れのように飛散してくる。
慌ててミリアムは上昇。
邪神竜もまた、傷ついた羽を広げるとその攻撃を回避。だが収束砲のひとつが掠め、矢が何本か突き立った。痛みに、堪らず高度を上げる。
だが先ほどのミリアムの攻撃が効いているのか、如何にも覚束ない飛翔であった。
『臨時本部より航空部隊へ、作戦空域の封鎖完了。竜を穴に追い込め!』
見て取ったのであろう、ディルムッドからの指示。
それを見聞きして、ミリアムは改めて愕然とする。
やはりあの陸戦中尉とその部隊は、森の中央に散開している。
自ら火を放った、森の中央に、だ。
無論、作戦が完了次第、空戦魔導師が消火活動を行う手筈だが、肝心の魔導師が全滅した場合、彼らは四方を火に囲まれて焼死するしかない。
ディルムッドの胆力はもとより、その作戦に200人以上の部下を従わせる統率力。
あの、暗い目からは思いも寄らなかった。
恐怖によるものだろうか? それとも人望?
だが、それを考える時間はない。
今のミリアムのミスは、ディルムッドにとっても愉快なものではなかったはずだ。二度の失敗は、魔導師の誇りに懸けても犯せない。何より民衆と、あの陸上部隊の命が掛かっている。
『空戦魔導師隊、竜を穴に追い込めッ』
今や3人となった己の部下を鼓舞し、ただちにミリアムは隊列を組み直す。
『竜騎隊、魔女達に遅れるなッ!』
竜騎四、同じく隊列を整えて、魔導師隊とは反対方向より、邪神竜を挟むようにして飛行。
――奇しくもこれは異世界において、鋼鉄の灰鷹達が行った戦法に酷似していたのだが、彼らがそれを知るのはもうしばらく後のことになる。
ダメージを負い、精神的にも――この生物かどうかも分からぬ竜にそんなものがあればの話だが――動揺しているはずの邪神竜に、計7騎が食らいつく。
散弾砲を打ち、連弩を放つ。
苛立たしげに、邪神竜が頸を擡げて竜砲を放つが、ちょうど矢を装填する合間にあった竜騎達が、左の籠手に填められた魔導具を同時に発動。次々に展開された魔法陣が、その竜砲を防ぎ、割れ砕ける。おかげで魔導師隊は攻撃に集中出来た。
攻撃の密度を利用し、竜の進路を調整。
矢の装填を終えた竜騎隊が邪神竜の腹の下に潜り込み、下後方から連弩を次々放つ。
邪神竜は上昇して回避。
ここに来て全力を振り絞ったのか、速度が上がる。
瞬く間に邪神竜の速度が上回り、航空部隊と距離を離し始める。
このままでは追い込めない。そう判断する。
『魔導師隊、制御誘導弾!』
『了解!』
ミリアムの号令に応えて、魔女達が一斉に腰のポーチから、賢石より純度の高い魔力物質、真金の棒金を取り出す。各4本。
それを飛翔杖の制御盤に置き、魔力を注ぎ込む。
『竜騎隊、援護を頼みます』
『承知!』
その返事を最後に、ミリアムは念信を含めたほぼ全ての魔術を解除。飛行維持に最低限必要なものだけを残す。
目標の魔力反応を意識として入力。
『――発射!』
合計12発。
時間差をつけ、制御盤から伸びる杖の滑走溝を走り、真金を燃やしながら、魔力流の光条が伸びていく。
気づいた竜が回避行動を取ろうとする。
ミリアムは意識を集中し、4発のうち2発の軌道を脳裏に思い描く。
――横から食らいつけ。
右側面、陸戦部隊に傷つけられた翼を狙うように、誘導弾を制御。
邪神竜、反射的にであろう動きで、左に旋回。
だがその先に、別の部下が放った誘導弾がある。
着弾。
威力そのものは、散弾砲よりは高いが、通常魔力砲ほどではない。
それでも、当たれば愉快なものではなく、左右を挟まれた邪神竜は上昇しようとする。
航空力学的に、上昇よりも下降の方が難しく、時間が掛かる。
何故なら世界には重力というものがあり、空を飛ぶということは常に落ちていく力に対して逆らう、つまり“上昇し続ける”必要がある。
ために、空を飛ぶ生物は常に上昇に適した身体構造を持っており、邪神竜もまたその例外ではなかった。
例外は、魔力で無理矢理に空を飛んでいる人間くらいのものだ。
それを読んでいたミリアムは、
(こぉの――)
眼球が飛び出しそうなプレッシャーに耐えながら、残り2発の自弾を誘導。
邪神竜の頭を抑える位置から、食らいつかせる。
黒竜はこれに、速度を上げ、振り切ることで対応しようとした。
最大速度。
これまで翼で飛行していた邪神竜が、腹の下にある体腔から猛烈な勢いで風を噴射した。
軽飛竜にも、重飛龍にもない器官。
これを用いることで、邪神竜は人も竜も及ばぬ速度の領域へと到達する。
空を貫いた痕、と呼ばれる、白い円環が発生。
これは邪神竜にとっても切り札であるらしく、頻発はしないことが確認されている。
この状態になった邪神竜は、もはやこの世界におけるあらゆる速度を超越する。
代償に、その動きは極端に直線的になり、急激な旋回などが不可能になる。
つまり。
これにより、こちらの目論見は完遂を見た。
その先にあるのは――知的生命体がいると判明した、異世界への<空門>だ。
邪神竜はそこにある、空間の裂け目の意味を知っていたのかどうか。
恐るべき速度を維持したまま、吸い込まれるようにそこに向かい――
ミリアムは咄嗟に目を背けた。結末を怖れたわけでも忌避したわけでもない。単に目を防護するために。
途端。
目も眩むような閃光と、爆音が、最外壁領の空を、世界が終わるかの如く震わせた。
* * *
つまり、と古賀総理大臣は、マナフロア・リーデルバイトに問うた。
「つまりあの<門>は、邪神竜とあなた方が呼称する、人類の天敵を、異世界に放逐すべく開けた穴であると。そういう理解で間違いないのでしょうか」
異世界からの特使マナフロアは、緊張による紅潮を隠さぬまま、はっきりと頷いた。
「はい。あれら すべてが うごきだせば、われわれじんるいは ほろびます。だから、われわれ りゅうきこくは、あれを いせかいに おいだすことにしたのです」
* * *
ギュエス・ディルムッド陸戦中尉は、<空門>前に仕掛けられた、当代最大威力の係留型攻撃術式の閃光を、目を細めて見つめていた。
数秒の後、光は収束し、黒焦げとなった物体が、森に向かって落下するのを確認。傍らの副官に告げる。
「手勢を連れて、すぐに死体を確認してくれ。流石に死んだと思うが、絶対に油断するな」
「はっ」
とはいえ、ディルムッド自身はもう勝負は終わったと考えている。
それよりも気になるのは、さっきから色濃く漂い始めた黒煙のほうだ。
『ミリアム魔導師隊長殿、一仕事終えたばかりで申し訳ないが、森の消火をお願いできますか』
念信による返事を聞きながら――あちらの息もだいぶ荒れていた――、口元を手袋に包まれた手で煙から守る。
<空門>の前に設置された魔術。
あれは、異世界に対する竜騎国最後の良心と呼ぶべきものだ。
自分達が対応出来ない脅威を、異世界にその大半を放り出すことで解決しようとした、その無力と諦めへの言い訳。
あの門へは、数年後、一斉に活性化し、この世界全体に散らばっていくはずの邪神竜を、呼び寄せて一気に導く手筈となっている。
異世界への推定千に及ぶ世界災厄の、放逐だ。
その門の手前に、突入する邪神竜の、最初のほんの数頭とはいえ、焼き尽くすに足る最大威力の係留魔術を置くことで、異世界に己の世界の邪悪を撒き散らすことへの、微かな贖罪――というより罪悪感の軽減か――としていた。
だが、本格的な活性化の前に、たった1体の早生個体のために、ディルムッドはそれを利用した。使い切ってしまった。あれは一度きりの大魔術だ。二度目はない。
面倒なことになるとは分かっていたが、自分達に課せられた任務は、邪神竜を可能な限り、竜騎国に、この世界に飛来することを食い止めることであると考えていた。
使えるものを使っただけだ。
どうせ、異世界に送り込まれる千の邪神竜のうち、ほんの数体を墜とすに過ぎない。
――そんな言い訳などクソ食らえだ。
それだけを事実として黙然と受け止め、彼は森の一角に足を運んだ。
そこには、先ほどの陸戦において、傷を負った者達が横たえられていた。
軽傷の者は一人もいない。
生きている者より既に死んだ者が多い。
そして、今生きている者も、その大半は、未だ死んでいないだけだ。
呻き声を上げた、間近な兵士に歩み寄り、その枕元に膝を突く。
あの巨体と戦えば、軽傷で済む者などいようはずもない。
運が良くて、生涯後遺症の残る傷を負う。或いはそれは不幸なのかもしれないが、ディルムッドは幸運であると信じることにしていた。
その兵士は半身を竜に食われ、既に死ぬのを待つだけの身だった。
無意識にであろう、差し出された手を取り、握る。
「中尉殿」
呼びかけてくる兵士の表情に、生気はない。既に死の淵を覗き込んでいるその目を見ながら、ディルムッドはただ、返答として手を握り返す。
「中尉殿――」
部下が逃げることを許さなかったのは、自分だ。
世界のためだとか、人類のためだとか、そんな責任感など毛ほども持ち合わせていない自分が、任務という下らないものを遵守して部下達を死地に向かわせた。
その罪悪感に押し潰されそうになりながら、絞り出すようにディルムッドは告げた。
「許しは乞わない」
仇を討つとも、邪神竜を滅ぼすとも言わない。
それが自分に出来ることではないと理解しているから。
だから、無力な自分は、死にゆく部下に、嘘だけはつけなかった。
やがて兵士に安息が訪れるまで、ずっと握っていた。
「全く……嫌になる」
看取りを終え、煙草を銜えながら呟いた言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。
数週間後。
日本国政府は、世界中の報道陣に向け、世界の危機を、異世界からの使徒の同席のもとに発表する。
全世界の失笑を買いながら。
邪神竜の大活性まで、残り2年。
というわけでお待たせしました。
異世界の空中戦です。
書いていて思うのは、空中戦っていうのはきちんとお膳立てが整っていないと成立しないものなんだな、ということですね。
そもさん、何故空で戦う必要があるのかを遡ると、その歴史が見えてきたりして面白いです。
そして、「単に空を飛びたかった人々」と、「戦うために空を飛ぶ人々」との差異が生まれてきた時代もあったりして。
「紅の豚」が、まさにその時代のお話ですよね。ええ、ジブリで一番好きなのがあれです。
ところで、ツイッターでの出来事なんですが、議論って知識ではなく、知性によって行うものなんだなあと痛感しました。
具体的には、初対面でいきなり「バカじゃねえの」と言って絡んでくる人間を相手にしてはいけないんですね、と。
どんなに正しいことを言っていたとしても(とてもそうではありませんでしたが)、知性や品性が欠けていては相手にされない。
書いた小説読み直して、自戒しないとなと反省。
あ、更新遅れたのは、全部そのケンカ相手のせいです。(知性のかけらもない責任転嫁)