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17 地上部隊あっての航空部隊です。

もしかしてこれはコメディではないのではないだろうか。(白目)

 残存兵力およそ500のうち、実際に役に立つのは陸戦魔導師42名。残りはボウガン長弓ロングボウを使う、普通の兵団だ。魔導杖も装備しているが、魔導弾チャージ・シェルの弾数は元々少ない上に、先の戦いでほぼ消費し尽くした。魔導師でない一般の兵士が持てる武器の中でそれ以外となると、前時代的な弩が最も強力な武器となる。


 全く嫌になる。


 ギュエス・ディルムッドは内心でぼやきながら、森の中で息を潜めていた。


 周囲には、自分と同じように、身軽だが森に溶け込む外套を身につけた部下達が展開している。

 いずれもエルフたちの使用する長衣の模造品レプリカだ。付加された魔力によって、ある程度自分の姿を森に溶け込ませ、臭いなども同化させてくれる。そして非常に軽く、動きやすい。その分、防御効果は一般的な兵士が帯びる軍服より薄く、刃も矢も、完全には防いでくれない。


 だがまあ、それでいいとディルムッドは考える。

 きょうび、戦争で主に使用される魔導弾は威力が高く、板金鎧プレート・メイルですらやすやすと貫通してしまうため、戦場では付与防御魔術が施された軍服が主流となっている。もちろん、毒矢などを防ぐにはせめてランク3の魔術が欲しいところだが、そうすると今度は服のあちこちに呪物フェティッシュを仕込まなければならないため、動き辛さが出てくる。

 陸戦魔導師ともなると、自分でそれらの魔術を維持し、かつ戦うことも可能であるため、固く、速く、そして高い火力を持っているが、凡俗の魔力しか持たない自分たちには過ぎた願いだ。何より問題なのは、魔導師を名乗るだけの力は、才能ある者にしか開かれるものではなく、数が絶対的に少ない。


 もちろん、未だに弓が使用される理由はある。

 まず魔力を練る必要があるため、同じ魔導師にはかなりの確率で感づかれる。

 その点、長弓ならば相手に気取られる可能性は少なく、ほぼ無音で敵を仕留めることが出来る。

 また、魔力の消耗は体力の消耗に直結するため、長時間戦うにおいては、弓、槍のほうが未だに高い効果を発揮する。


 とはいえ。

 皮肉に口を歪める。

 それは補給物資の届かない末端の兵力にのみ通じる理屈だ。

 魔導弾を潤沢に補給為うる兵站が整った騎士団や兵団には通用しない。

 結局、今の戦場の主役が、魔導であることに代わりがない。


 世界の破滅の最前線でありながら、ここは最早、世界を守る勇者達の砦ではない。

 他にどうしようもなく行き場のなくなった食い詰め者、上に疎まれた軍人、政治的な立ち回りに失敗した将校、そういった連中だけで構成され、王都から遠く離れているが故に兵站もろくに整ってはいない。


 最初はそうではなかった。

 だが100年という周期は、そのたびに人々から脅威を忘却せしめ、彼らはその兵力を、数十年後の世界の危機に延々と常駐させるよりも、隣接国との折衝にこそ割くべきだと思うようになる。

 そして約束の刻限が迫ってきて、慌てて準備を整えるのだが。


 ――それが現状だ。


 兵力を整え、派遣するより先に、状況が動いてしまった。


 全く嫌になる。

 自分も周囲の人間の例に漏れず、周囲から弾かれる格好で最外壁砦に配属された身だが、それがよもや、全軍(残存兵力というべきか)を指揮して立ち向かうことになるとは。


 戦死したディール少将は、爵位を持つ者としては極めて珍しいことに、自ら志願してこの最外壁砦に赴任してきた将軍だった。善良であり、公明正大、明朗快活で、非の打ち所のない男であった。それだけだったが。将としてはあまりにも善良に過ぎ、公明に過ぎ、快活に過ぎた。結局のところ彼も、来るべくしてここに来た人間だということだ。

 それでも爵位を持つ人間が上に立つことで――予算削減の煽りを受けて、分け前が減ることは避けられなかったものの――、物資の補給が滞ることだけは避けられた。お世辞にも交渉ごとに長けているわけではなかったが、その地位と名前がそのまま補給線を保つ基盤なっていた事実は相違ない。その意味では大変に有為な上司ではあった。既に部下と共に炭になって、死体の判別もつかないが。とりあえず、恐慌のあまり支離滅裂な指示を飛ばされることだけはなくなったわけだ。


 鼻を鳴らして、ディルムッドはそれきり、上司のことを忘れた。

 今は残りの1頭を仕留めることに集中すべき時だ。


 応援に駆けつけた竜騎と空戦魔導師、総計8名は、森の端に配置させた。

 下手に彼らに飛び回られて刺激して、上空に出られれば、自分たちの出番はなくなり、数の足りない空戦力は邪神竜に蹴散らされて、あれが人里に向かうことになる。


 無限とも思える食欲を持つ人類の天敵は、1頭だけでも街ひとつを滅ぼし、喰い尽くすくらいはわけもない。


 成る程、今まさに無辜の人々の命がこの手にかかっているのだ。


 苦笑がさらに深まる。

 と同時に、自分の手がわずかに震えているのに気づいて、部下に悟られる前に強く握り込む。


 先行していた部隊から伝令が小走りにやってくる。

 念信は、魔力の少ない人間でも短距離ならば使用できる、数少ない魔術の一つだが、邪神竜は魔力を察知する能力を持つ。よって、現在ディルムッドは、全隊に念信の使用を禁止していた。


「対象、斥候からの報告通り、まだ場所を移っていません」

「よく動かなかったものだ。鹿でも残っていたのか?」

「いえ、どうやら栗鼠か何かの巣をほじくり返しているようで」

「飢えているな」


 うめく。

 飢餓状態の竜はそれだけ感覚が鋭敏になり、いくら外套の効果があっても、集団で近づけば感づかれる可能性は高かった。


 だがそれでも、可能な限り近づかねばならない。報告を終えて去って行く伝令の腰にある弩が、既に装填状態にあるのを見て吐息する。ずっと装填していると弦が伸びるため良くないのだが、間近できりきり巻き上げていたのでは間違いなく気づかれる。

 鏃に塗られた竜毒は、その名の通り竜族を殺しうるほどの強力なものだ。人間の皮膚にわずかに擦過しただけでも、二度と意識は戻らない。だがその毒も、邪神竜相手には効かない例がたびたび報告される。個体ごとに性質が均等ではないのだ。人間のそれよりも遥かに多様であり、同種族であることが信じられないと学者が零しているのを本で読み知った。


 そしてディルムッドは、信じてもいない自身の幸運に任せて部下を指揮するつもりは毛頭なかった。


 ともあれ、これは好機だ。

 索敵陣形を敷いての進軍も視野に入れていたが、手間が省けた。


「急ぐぞ。あれが地べたを這いずってる間に僕達の仕事を果たさねば」



 ほどなくして到着した、部下の報告通りの位置には確かに“それ”がいた。


 全長は天竜グレート・ドラゴン・フヴェルミゲルよりも小さい。15メルといったところか。

 地面に降り立った時はやや姿勢が低く、4メルほど。


重飛龍ウルローキ級か)


 内心で一人ごちる。

 だが幸いにして、早生個体だ。まだ本来の活性時期より、少なく見積もって2年の猶予がある。早く孵化しすぎたのだ。

 その証拠に、まだ硬さをあまり感じさせない黒くぬめる光沢の、細かな鱗がある。

 そして、それに包まれた長いくび

 瞳の位置が分からぬ紅い眼。

 止め処なく唾液を垂らすあぎとからは、土に穢れた牙が垣間見える。

 手はなく、代わりに森の中では窮屈にさえ見える巨大な翼が生えており、その折れた翼爪が見える。

 強靱な後脚が、苛立つように地面を掻き毟る。

 長い尾が別の生き物のように地を這い、削っている。


 地面に頸を突っ込んでは土を喰らい、咀嚼。

 肉などなくとも構わず、再び地面を喰う。


 邪神竜は何もかもを喰らう。

 土も、樹も、鉄も、獣も、竜も、人も。

 平然と全てを喰らい、呑み尽くす。

 この世界全ての天敵。


 知らず、凝視していたことに気づくと同時、ディルムッドは部下達の萎縮に気づく。

 早生個体とはいえ、人間よりも遥かに巨大な敵の存在に、怯えている。


 数年前にも早生個体が活性したが、今のものより小さく脆弱で、砦の機能と空戦力がたまたま早く手配出来たため、たいした被害にはならなかったらしい。

 もっとも、それでも相当な被害が出たため、砦の人員は既に大半が当時から入れ替わっている。邪神竜を見ること自体が初めてという連中も多い。


 本能から来る怖れが、兵士達を縛っている。


 それに気づいたディルムッドは一つ吐息。

 腰に下げた手斧トマホークを抜き取ると、それを手に提げて一歩踏み出した。

 指揮官が前に出たことで、固まっていた兵達が思い出したように武器を構えるのが見えた。

 その動きが、邪神竜を、視界に入らぬよう半円に取り囲んでいた部隊にも伝わり、程なくして戦闘準備は整った。

 誰も音は立てなかった。


 そのことにひとまず震える息を吐くと、その臆病さに自嘲がこみ上げてきた。

 指揮官たる者がなんたる体たらくか。だがそれを部下に悟られてはならない。


 ディルムッドは予め取り決めていた通り、手を挙げた。

 陸戦魔導師たちが、杖を真っ直ぐ、邪神竜に向ける。

 周囲の兵達もそれに倣う。


 ――頼むから、指示から外れたことはしてくれるなよ。


 内心でそっと願ってから。


 ディルムッドは手を振り下ろした。


 無言詠唱ダムキャストから放たれた魔導の光が、次々と黒竜の背中に突き刺さった。


 完全に不意を突かれた竜が奇声を上げ、周囲を見渡す。

 その一瞬の隙を見逃さず、ディルムッドは叫んだ。


「弩、ェッ!」


 間髪入れず、兵達が構えていた連弩の引き金を絞り、長く弦に拘束されていた毒矢が次々と竜の背中に突き立つ。

 苦悶のようにも見える仕草で、竜が尾を振る。こちらの間合いには遥か及ばないが、丸太が空を切るかのようなその音に、全身から冷や汗が吹き出す。

 圧されまいと金切り声を挙げる。


「翼だ、右の翼を狙えッ。――杖兵シューター、撃ェッ!」


 指示しているディルムッドの手には弩はない。一瞬でも指示が遅れれば作戦が失敗するため、敢えて携行しなかった。その代わりに手斧を強く握り締める。

 続いて構えた杖兵(魔導師ではなく、魔導杖を扱う一般兵を指す)が、残り少ない魔導弾チャージ・シェルに自分の魔力を注ぎ込み、撃ち放つ。

 魔導弾がそれに反応して、予め封じられていた攻撃術式を解き放つ。


 術式といっても、細かなものではない。単なる魔力の奔流だ。そのため細かな照準は手で合わせねばならないし、炎やいかづちに変化させることも、一般兵には出来ない。

 だがそれだけに単純な威力の塊が、やや狙いが荒いながらも竜の翼に突き刺さる。


 ここでようやく混乱から醒めた邪神竜は、自分が囲まれていることに気づいたらしい。感情など読めるはずもないながらも、牙を剥き出しにして咆哮するその様子を見れば、怒りを買ったのは一目瞭然。

 身の毛もよだつその叫びに、何人かが武器を取り落とすのが見えた。ディルムッドはこれを許容する。想定していた。


「魔導師、第二撃、撃ェ!」


 その叫びに対抗できるはずもないが、訓練を積んだ陸戦魔導師が、言われたことをそのまま実行してくれることを信じてディルムッドは更に声を張り上げる。


 魔術は基本的に連射が利かない。術式をどれだけ早く組み直しても、ある程度のタイムラグを挟むため、その穴を埋めるために弓兵、杖兵、魔導師を組み合わせて運用するのが、現代の定石であった。もしくは予め『連射』の魔術を組み上げておくという手もあるが、威力が分散されるため、結局今回のような戦闘では、単発で高威力の魔術が有効だった。


 再びの魔力撃。

 だが思ったほどの効果がない。


「魔力耐性個体……」


 畜生めが。歯噛みをする。だが忌々しいことにこれも想定内だ。


「総員、抜刀ォ――突撃ッ!」


 ここで初めて、ディルムッドは己に動くことを許す。手斧を構え、部下が自分についてくると信じて走り出す。

 この指揮官自らの突撃に、元から彼の部下であった斥候班――そう、自分は斥候班の班長であって、大隊を指揮する立場ではないはずなのだ。全く何たることか!――は、遅れることなく追随した。彼はいつであっても、まず先陣を切って行動する指揮官であることを承知していたからだ。そしてその動きが他の兵士にも勇気を与え、最外壁砦の残存兵力は、手に手に斧を構えて突撃を開始した。


 わずかな距離があっという間に埋まっていく。


 戦意の高揚というより、恐怖と昂奮が相俟って、口元が引きつるのを自覚した。


 が。


「――ヒッ」


 彼の戦歴が、というより、先に観察していた時に危険だと感じていたためだろう。竜がこちらを振り向いた瞬間、脳裏に弾けた警鐘に従い、彼は咄嗟に、斧を抱くようにして姿勢を低くした。


「尻尾が来るぞッ!」


 警告には大半の兵士が従い、そして従わなかった兵士のほとんどは、尾が届く範囲にいない幸運を持っていた。

 しかし、そうでない数人が、太く強靱な尾に弾かれた。

 否、弾かれたなどという生易しいものではない。

 体重など存在しない紙屑のように、軽々と跳んだ。


 そのうちの一人が不運にも樹の幹に叩き付けられ、腰からおかしなふうに曲がって絶命するのを視界の端に捉える。或いは彼は幸運だったかもしれない。驚き、痛みを感じる暇もなく死ねただろうから。

 冗談のようなその光景にも、今はそれ以上を考える余裕はなく、熱に浮かされたように、落ちていた速度を取り戻し、全員が鬨の声を挙げて吶喊した。


 この巨大な獲物に、実際に攻撃役として取り付けるのは、武器の間合いを考慮すれば10~20名がせいぜい。余ったものは、一人が弾かれた時に合間に入れるように準備。

 中距離における最大の脅威である尻尾にも数人がかりで取り付き、体重で以て押さえる。斧で切り落とそうとする者もいた。

 残りは“仕込み”のため、陸戦魔導師と共に尻尾の届かない範囲で待機。


 若い兵士の数名が、斧を馬鹿正直に振り下ろして、見事に弾かれてひっくり返った。


「鱗を逆撫でするように斬れッ」


 叫んで自身も斧を振るう。

 見本を見せるように、下から掬い上げるような一撃。黒鋼の刃が鱗の間に突き刺さり、僅かに肉に食い込む感触をディルムッドに伝える。青黒い血がしぶいた。


 最適とも言える打撃だったが、全力で打ち込んでもこの程度が関の山だ。邪神竜にしてみれば、下草で脚を切った程度だろう。もとより、竜の躯に人間が傷をつけるのには、こんな原始的な武器では無理だ。やるならもっと身も蓋もない力が必要になる。


 つまるところ、こうして何度殴りつけても斃せないことは、最初からディルムッドにも分かっており――

 倒せないことを承知で殴りかかっているのにも、理由があった。


 焦れた黒竜が一声吼え、躯を勢いよく回した。ディルムッドは踏まれないことだけに気をつけ、余計に竜の躯に密着するように駆けて、死角とも言える横腹から離れない。尻尾に捕まっている兵が悲鳴を上げながら引きずられるが、それでも手を離さない。今度は長い頸を折り曲げ、躯に纏わり付く人間に牙を剥いた。拙い位置取りをしていた一人が、上半身を噛み砕かれた。あまりにもあっさりと喰い切られたその惨状に、隣にいた男が悲鳴を上げる。別の兵士が飛び出し、その鼻っ面に斧の平で一撃を見舞ったが、小揺るぎもしない。幸いだったのは、口の中の獲物が残っていたため、追撃がなかったということだ。


 と。


 部下より念信が届く。戦端が開かれたならば使用してよいと事前に通達してあるため、各部隊に情報が共有されている。


 頃合いだ。


 そう判断し、


「総員散開――捕縛術式レーテ、放てッ」


 指示と共に、全員が一旦離れる。ただ、尻尾だけは危険であるため、押さえ込みの要員が残っていた。良い根性だとディルムッドは評価する。一番手柄と言ってもよかった。

 邪魔者がいなくなったと知った竜が、翼を広げようとする。空に逃れるつもりだ。逃げるというより、鬱陶しさからの解放を求めての行為だろう。だがそれより早く、ディルムッドは頭上に展開されていく光を見遣る。それは直ちに格子を形作り、竜の真上から覆い被さった。


 魔力耐性個体とはいえ、それは物理力となった魔力を中和しているわけではない。要するに拳で殴られることに少し強いというだけのことで、手で抑え込まれたならば、それを振り解くのはまた別の話になる。

 当然、地面に縫い付けられた竜が激しく暴れ出す。その口からちろちろと光るものを見て取り、ディルムッドは次の指示を飛ばす。


「翼を落とせ!」


 魔術に抑えられた竜の姿勢は、先ほどよりも低い。即ち、より高い部位を狙うことが可能になる。


 航空魔術と、竜との交流。これらの中で進められてきた研究によって、航空力学というものは解明されてきた。つまるところ、魔導師は風と疑似軽量化を併用して飛ぶが、竜は翼によって空を飛ぶということ。そして、そのための翼は、薄い方が望ましいということだ。

 翼は、飛竜の躯で最も脆い部位となる。そして幾許かでも傷を与えることが出来れば、今の航空戦力でも“やりよう”が出てくる。重飛龍級であれば尚のことだ。


 とはいえ、暴れる15メルの巨体に取り付き、よじ登るのは容易なことではない。何人もの兵士が必死に取り付いているが、その動きに翻弄されて投げ出される。運悪く踏み潰される者も出た。


 事ここに至って、翼を傷つけられないでは話にならない。ディルムッドは再び手斧を構えて、自らもまた吶喊を敢行する。

 暴れている中で、まだしも登りやすそうな場所に見当を付けて、斧をピック代わりに登攀を開始する。小柄な体躯が、この時ばかりは幸いし、他の者より早く背中に到達する。全体重を掛けることは出来ないが、全力で斧を、右の翼に振り下ろす。先ほどより明らかに柔く、確かな手応え。どれほど入ったかを確認するいとまもない。何しろ未だに竜は暴れており、自分はそれに激しく揺さぶられながら、眼球が飛び出しそうになっている。


 何度も、何度も、斧を振り下ろす。血が自分の顔に吹き上がってくるのが分かった。口の中に侵入してきたその味は、苦くもなく甘くもない。ただ不味く、揺れも手伝ってディルムッドは吐き気を催した。それでも手は止めない。もはや自身の狂乱に任せて武器を振るっているだけだ。


『術式、限界です!』


 陸戦魔導師からの念信が来たが、それを理解するだけの余裕もなかった。ひたすら斧を打ち続け――


 次の瞬間、不意に揺れが消えた。


 視界から鱗と血が消える。ばかりか、自分の体重まで消え去るような錯覚。

 世界がひっくり返り、自分が投げ出されたのだ、と感じて、しかし咄嗟にディルムッドが出来たのは、斧を手放すことだけだった。これをせず、落下と同時に自分に刃を突き刺して死んだ馬鹿を何人も知っている。

 あとはどうしようもなく、受け身の取りようもない頭から落下する。視界の中で、術式から解かれた邪神竜が、その禍々しい翼を大きく振り、後脚の力を使って強引に飛び上がるのが見えた。

 手を伸ばすが、無論届かない。畜生め、と思った時には、全身に衝撃が走り、しかしそれが地面の固さではないと悟って、初めて正気に戻る。

 荒い息を吐きながら、自分を受け止めた数人の部下達を見上げる。一瞬の自失。だが、口は勝手に動いていた。一瞬だけ嘔吐き、そして、


「航空隊は離陸しているな?」

「はい、中尉」

「伝えろ、翼に傷はつけたと。それから地上の各隊にも! あれを二度と森に降ろすな」


 地面に降ろされ、改めて見れば、相当な数の死体があたりに散らばっていた。原型を留めているものは少ない。その惨状を見るほどに、奇妙なほど気持ちが落ち着いていく自分を、嫌悪と共にディルムッドは自覚する。


「畜生め」


 口元がまた歪む。元から作りの悪い顔が、そうすると更なる凶相となることを知ってはいたが、止められない。


「あとは航空隊の出番だ。もどかしいな、忌々しい限りだ。全く嫌になる」



 戦闘が開始されたとの報告を受けた段階で、ミリアムは部下達に離陸の指示を出した。


 制御盤を操作し、飛行制御フライト・システム術式を準備。


 周囲に風の繭が生まれる。

 この繭は伸ばした球体で、かつ魔導師の前方から螺旋状に旋回しつつ後方に抜ける仕組みをしている。飛行制御術式の黎明期には、翼状や回転する仮想固体を展開したりしていたが、結局術者が風圧に耐えきれないことと、前進して揚力を生み出すために莫大な魔力エネルギーを必要としたことから、廃れていった。

 現在では体重を擬似的に軽くする術式が開発されたため、それと組み合わせることで飛行する。もっとも、自分はマナフロアと違い、風の眷属ではないため、どちらの術式も自分で組まなければならないのだが。


 飛行を開始してしまえば、後は揚力を稼いで飛ぶことが出来るのだが、最初の離陸だけは、そうはいかない。自重と重力という、非常に厄介な問題がある。


 ミリアムは飛翔杖フライト・ブルームの後部の空間に、龍木の欠片が入っていることを再度確認。問題ないようだ。

 飛行制御術式の出力を上げる。取り巻く風が強さを増し、自分たちの外套マントと草木を叩くような勢いになっていく。

 飛行制御術式が安定したのを確認してから、疑似質量ウェイト術式を起動。これは静止の質量を十分の一まで誤魔化す術式で、慣性質量はそのままであるため、一度地面を蹴ってしまうと体が浮いてしまう。足に集中力の何割かを振り分けて注意する。


 部下達が次々と、準備が完了したことを報せる。


 それを見届けた竜騎ドラグーン隊隊長、ベルガーもまた、部下と己の竜に離陸準備を命ずる。一緒に飛び立たないのは、風が干渉し合って事故が起きるのを防ぐためだ。順次の離陸となる。


 飛翔杖後部に莫大な魔力流エーテルが蓄積されていく。ミリアム自身の魔力を流し込み、龍木で増幅ブースト、杖を媒介として発しているものだ。これが広い平野ならば、滑走路を利用して十分な速度を得て離陸するのだが、何の準備もない地面から飛び立つには、この強力な魔力流による瞬発的な加速が必須となる。


 飛翔杖に上半身を押しつけるようにし、ハンドルをしっかり握る。

 部下と頷きを交わし、ミリアムは念信と肉声、両方で宣言。


「空戦魔導師隊、離陸テイク・オフ


 地面を蹴る。同時、杖後部の魔力流を開放。


 途端、途轍もない加速が彼女を襲う。一度開放した魔力流はすぐには止められない。加速するに任せて、飛行制御術式の制御に集中。ここでしくじれば地面を血だるまになるまで転がることになる。離着陸が一番難しいのだ。


 ぐぐ、と棹を持ち上げ、進行方向を上方修正。


 ――空が、見えた。


 全ての重力から解き放たれるように。


 魔女達は、天空に舞い上がった。




 戦いの空へ。

すいません。陸戦だけで相当な分量になったので、空戦は次になります。

何をやっとるのか自分 OTL


というか、書いてるうちに止まらなくなっちゃうんですよね。

とりあえず、自分に出来るだけのこと、面白いと自分が思うことは全部試してみたいので、このまま行きます。

次回はホントに空戦です。

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