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9.極彩色ピエロ

続きを少し引いた三人称視点で。


 市川英に続いてバックヤードから出た途端、賑やかな話声が渡良瀬浬の全身を包み込んだ。

 相変わらずの盛況ぶりだ。今年の売り上げは凄いことになるだろうことは想像に難くない。

 (かいり)は、自分に突き刺さる様々な秋波をするりと流して、窓際のテーブル席を見据えた。


 件の客は、こちらに背を向ける形で座っていた。パーカーにデニムのタイトスカート。カジュアルで何処にでもいるような服装。女を武器に甚だしいアピールをしてこないという点では、他の客達よりは随分と落ち着いた格好だ。

 苦手な感じで無いことにひとまず安堵する。

 スカートの前に深いスリットが入っているのか、濃紺の隙間からすらりとした組んだ脚が見えた。肩より上に切りそろえられた黒髪が風にさらりと揺れる。白い細い首筋が露わになっている。その既視感に何故か鼓動が小さく跳ねた。

 まさか。まさか。

 動揺が津波のように一気に押し寄せては引いて行く。

「お待たせいたしました」

 嬉々として先に近づいていた(あきら)が声を掛けた。

 件の客はテーブルの上に広げていた小さなPCをそっと閉じると顔を上げ、身体ごと向き直った。


 その瞬間、時が止まったかのような静けさが、辺りを包み込んだ。

 渡良瀬浬の思考は一時停止した。きっと酷く間抜けな顔を晒しているのではないだろうか。その眼は驚きに見開かれている。

 固まったままの浬を余所に、英は慣れた手つきで浬の持つトレーをひったくると、淹れたてのカフェ・オレを差し出した。

「どうぞ」

「ふふ。ありがとう」

「お砂糖は?」

「大丈夫。ありがとう」

 ただ字面を追うだけならば、一般的なギャルソンと客の会話だ。

 しかし、焦がれて止まなかった穏やかな声が耳に入ってくる。

 浬は機械じかけの人形のように瞬きを繰り返した。

「おーい、浬。戻って来い」

 英が軽く浬の頭を叩いた。小気味よい音がする。


「……サユルさん……」

 漸く口にした言葉は掠れていた。それほど衝撃が大きかったということだろうか。

「どうしたの?」

「どうしたの……って、いつから来てたんだよ?」

 現状を把握したのか、呻くようにして浬は突然頭を抱え、空いている隣に座り込んだ。

 友人の突然の奇行を気にすることなく、その隣に英も腰を下ろした。

「15分くらい前かしら? 予定よりすこし早めに着いちゃったから」

 悪びれることなく、茶っ目っ気を滲ませて、会いたくて仕方のなかった人物が穏やかに微笑んだ。

「連絡してくれればいいのに……」

 テーブルに突っ伏したまま、ブスリと浬が口にする。

「キミはまだシフトの時間だったから、こっそり覗こうと思って。驚いた?」

「そりゃあもう」

 いや、予想をしていなかった自分も間抜けだが、心臓に悪いことは確かだ。

 だが、サユルは悪戯が成功した子供のように心底楽しそうに笑う。それだけで許してしまいそうになるのだから仕方がない。

「ほらほら、拗ねないの。キミだって楽しみにしててって言ったじゃない。お土産にお菓子持って来たのよ。好きだって言ったやつ。市川君に渡してあるから、後で、皆で休憩の時にでも食べてね」

 サユルはぐずる子供をあやすように、いまだ突っ伏したままの浬の頭部へ手を伸ばし、髪を手で櫛梳るように撫でた。

「ね、機嫌直して」

 心地よくて落ち着いた音の響きには甘い色が付いて見える。


 ふとサユルの足もとに目が行った。デニムのスカートには前に深くスリットが入っていて、脚を組み替えた時に肌が露わになる。見えそうで見えないギリギリのライン。一度、気がついたら気になって仕方がないのは、男として仕方がないことだろう。

 無意識にそこへ手が伸びていた。柔らかい感触がナイロンの繊維越しに伝わる。

「こら、浬。何やってるの」

 小声で諭されると同時に自分の手にひんやりとしたものが触れた。

 サユルの手はいつも冷たい。その温度差に前方に延ばされた自分の腕とその手が触れているものが目に入って、吃驚した。

「あ、いや、これは」

 はっと我に返って慌てて体を起こす。

 ここは曲がりなりにも教室で。今は一般客を入れたカフェとして機能しているのだった。周囲の目がある。

「セクハラ禁止」

 英が浬の頭部を叩く。小気味よい音が響いて、浬が痛そうに顔を上げると、隣から噛み殺すような笑い声が漏れた。



「サユルさん、今日はいつもとイメージが違うね」

 ゆっくりとカフェ・オレのカップに口をつけたサユルを見ながら英が言った。

「ふふふ。さすがに高校生に混じるからね。余り浮かないように努力してみた結果?」

 やや自虐的に、恥ずかしそうにサユルはカップを両手に包んだ。

 言われて浬は、漸くサユルの全身に目が行った。

 確かにシャープできりりとした普段の仕事モード時の服装のイメージしかない英には、今日のサユルは別人のように見えるかもしれない。どのような格好をしていても綺麗で癒し系の美人に見えるのは変わりないが、パーカーにデニムスカートといつもより格段に若く見えるサユルに浬は目を瞠った。何というか新たな一面を発見という感じだ。

「いや、すげぇ似合っているよ。マジで」

 カジュアルで着崩していても、大人っぽさと清潔感がある。逆に服装がカジュアルだからこそ、そこに収まりきれない色気みたいなものが滲み出ている。それは浬の本心だ。

「うん。違和感全くなし」

 同世代の男として、すっかりサユルのファンである英も隣で親指を上げる。

「二人とも、お世辞がうまいんだから」

 対するサユルは本気に取っていないのか、くすくすと小さく笑っている。

 一般的に見てもサユルはかなり美人の類に入る。人の好みは千差万別とはいえ、問われれば、十人中八・九人は確実に綺麗だと答えるだろう。だが、当の本人は全くもってそのようなことを思ってはいないのだ。のんびりとした性格の所為か、それとも天然なのか、他人の評価にはかなり無頓着であることをこの二人は承知していた。

「いやさ、お世辞とかじゃなくて、本音だよ」

 いつもこのような話になると議論は平行線を辿る。浬や英達が、いかに真面目な顔をして口にしようともあっさりとかわされてしまうのだ。

「というか、サユルさん、そのスリット…やばい」

 気になるようにチラチラと送られる視線をサユルは軽く笑い飛ばした。

「何言ってるの。この位何ともないでしょう? ほら、今どきの女子高校生はみんなスカート丈がかなり短いじゃない。それに比べたらこの位、ねぇ?」

 世間慣れしているようで、時折見せる浬の初な反応に、サユルは可笑しみを禁じ得なかった。サユルからしてみれば、彼ら同世代のティーンエイジャーの方が余程、普段から堂々と肌を露出した格好をしていると思うのだ。皆、下着が見えそうな程短いスカートをはき、胸元や体のラインが強調されるような服を着る。そう、例えば、ここに来ている女の子達は皆、そんな感じだ。膝丈のスカートに高がスリットが入った位ではそんなに慌てることではないだろうに、と思わずにはいられない。

 周囲をそっと見渡して、何事もないように足を組み替えた。

 英と浬はその動作を自然と目で追っていた。

 ごくりと二人の喉が鳴った。

 足元に注がれる視線を感じて、サユルは穏やかに微笑んだ。

「別に見えてないでしょ?」

「ええ、真に残念ですが」

「右に同じ」

 がっくりとうなだれるギャルソン姿の男子高校生二人を前に余裕の笑みを浮かべる大人の女性。

 その構図はどこかコミカルで、それでいて、妙にしっくりとしていた。


女性の方が一枚上手。

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