6.現在進行形の交錯
主人公(女性)視点です。
独特な高揚感と人いきれを遠くに眺めて、何だかひどく懐かしい気持ちになった。
学校というものを目の前にして抱かずにはいられない感慨みたいなものだ。
無意識のうちに時間軸を遡り、様々な映像がフラッシュバックする。
いかにも学生たちが作ったという手作り感の溢れる装飾。戸板に滲むペンキオイルさえ、とても微笑ましくて、場所は違えども、ここにはあの頃と同じ空気が漂っている。郷愁を誘う匂いに、ほんの少しの切なさみたいなものを染み込ませながら、十数年ぶりになる錯覚に気持ちを進んで委ねてみるのも悪くはないかもしれない。
ああ、今、私の目は複眼になっている。一点が多重に、時間を超えて、目が回りそうだ。
ゲートを潜り、受付のテントで、事前に貰っていた入場券を見せると、案内のパンフレット渡された。 腕時計の時刻を確認する。約束の時間には、まだ間があった。集合時間十五分前行動はいつものことにしても、若干、早い出足だ。こんなところにも浮足立っている証拠が落ちている。
時間的にはあの子はまだシフトが入っている。接客だなんて慣れないことに顔を引き攣らせているのではないだろうか。
困惑を目の端に浮かべた、ぎこちない手つきが目に浮かぶ。
着いたら早々に連絡を入れろとは言われていたが、邪魔をしたくはないのが本音だ。
遠慮か。いや、遠慮と言うよりは距離感を未だ測りあぐねている感じ。だが、そんな面倒事さえも今は楽しいのだから不思議だ。
様子見がてら冷やかしにでもいってみようかと悪戯心が擡げてくる。
客層は断然、若い世代の子ばかりだった。文字通りのお祭り騒ぎ。屋台から漏れてくる色々な匂いが混じり合い、売り子たちの掛け声が姦しい。
雑然とした空間は、あのマーケット独特なものだ。違うのは、顔ぶれがまだまだ幼いこと。
様々な衣装に身を包んで繰り広げられるアピール。自分の頃はどうであったろうかと思いだそうとするが、どうにも思考がまとまらない。
通行の邪魔になることを避けて、パンフ片手に端に移動した。目についた、空いているベンチに腰を下ろす。
手にした案内の出来に感心しながら眺めること数分。探している場所の目星がついて腰を上げることにした。
途中、客引きの子達を笑って誤魔化すことで軽くあしらって(これぞまさに無言の日本人的社交辞令だ)、様々な制服に身を包んだ艶やかで賑やかな本流に紛れ込む。
客観的に見れば、自分が少し浮いた存在で、場違いな感が否めないが、周囲はお祭り気分、身を任せてしまえば、案外気にならなくなるものだと思うことにした。
招待状の送り主は、二年三組所属。
「で、キミのところは何をやるの?」
何気なく、話の流れから口にした質問にあの子は一瞬、肩を震わせた。ギクリといったところだろうか。
余り深くは聞いてくれるなという信号をキャッチして、曖昧に濁すように小さく微笑んでみた。
すると、敢えて突っ込むことなく流したお陰か、ぎこちなく狼狽から立ち直りながら、あの子はちらりとこちらを横目で窺った。
「あぁ、なんつぅか。イマドキの喫茶店、みたいなやつ?」
「何で疑問形なの?」
可笑しくて笑った。無論、小さくだ。
喫茶店。レトロな響き。若しくは、カフェ。単語の選択に動揺の余波が出ていることには気がついてはいないのだろう。
「ま、来てみれば分かるからさ。楽しみにしておいてよ」
分が悪くなったのか、少しぶっきら棒に、強引に線引きをした。
事前に口にするのは躊躇われたのか。はたまた単に言いたくなかっただけなのか。隠し事をしているらしいことは分かる。その時に見逃してあげたのは、大人としての優しさだろうか。
となれば、やはりここは期待通りに確かめてみなくてはならないだろう。約束の時間にはまだ間があるし。ここはこっそり偵察に行って驚かせてあげようと自分の思いつきに一人、ほくそ笑んだ。
中に入り、地図を片手に校舎を歩くこと数分。ここは土足が基本のようで、ますます高校というよりは大学のような作りに妙な感慨を覚えた。個人的にはスリッパに履き替えなくて済むのは有難いが。
当該の会場は、普段の教室とは違う場所に設営されているようだった。頭上の端にブランクのプレートを幾つか通り越すと、視界の先に長い列が出来ているのに気が付いた。並んでいるのは何故か女の子ばかりだ。様々な制服や私服に身を包んだ高校生達はお喋りに余念がないようで、中を頻りに気にしながらも、鳥の囀りのような賑やかさが辺りを賑わしている。それに外の喧騒が加わる。
外観がよく見える所で立ち止まってみた。
「”Café Khristarij” 」
案内図と見比べてみる。どうやら、ここがそうらしい。
手造り感たっぷりの看板を入り口に掲げて、その下はカーテンで仕切りがされているので中を覗くことはできない。
廊下側についている窓は皆曇りガラスで、開放感を増すために開いている窓はあるが、そのいづれもレースのカーテンが掛かっていて、御簾越しの世界のようだった。
ただ、音を遮るものは無いため、室内の様子は外にまで伝わって来ていた。
注文を取る声、オーダーを入れる声、厨房の喧騒。客達の話声。幾多もの音声が多重に重なり合い、複雑な相乗効果を生み出している。
かなり繁盛しているようだ。企画者は笑いが止まらないことだろう。何が客を惹きつけているのかが気になるところだ。
さてと、どうするか。この長蛇の列に加わるのはどうも気が引けた。
若い女の子達のお目当ては何なのか。美味しいお菓子、それとも中に秘密があるのか。
非常に好奇心をそそられるところだが、タイムリミットは十五分。列に並べばその間に時間を消費してしまいそうだ。
そう言えば、と差し入れに持ってきた進物の袋の存在を思い出した。
忙しいことを見越して、休憩の合間に摘まめるようにと一口サイズの菓子の入ったものを悩んだ末に購入したのだった。あの子の好物でもある。
後ろのドアからこっそりとあの子を呼んでもらって、それで渡すことにしようか。序に中の様子を覗いてみるのも悪くはないかもしれない。
一人悶々としていると、タイミングよく後ろのドアが開き、中から生徒らしき人物が出てきた。その子は、こちらと目が合うなりあっと驚いた顔をした。
「サユルさん!」
嬉しそうに近寄ってくるその生徒にあの子の友人の顔がダブって見えた。名前は…確か、市川英君。一時、かなり迷惑を掛けたらしいことを後で知った。
「お久しぶりね。市川君」
労わるように微笑めば、少し大人びた笑顔が返ってくる。こざっぱりとした感じに繊細さを持ちあわす、気持ちのいい子だ。
白いシャツに黒の細みのネクタイ。黒いカフェエプロンに同色のスラックス。すっかりカフェのギャルソンといった風貌だ。忙しくとも充実しているのだろう。瞳は楽しさに輝いている。
「凄い大盛況ね」
後方に並ぶ行列を目で示せば、
「そりゃもう、おかげさまで」
市川君は爽やかに歯を見せて笑うと調子よく親指を掲げた。
市川君の登場に列に並んだ女の子達から華やいだざわめきが伝わって来た。
彼は中々に人気があるらしい。こちらに向けられる視線が痛いほどだ。これが可視光線であるならば、彼の体は針の筵に貫かれ身動きの取れない状態だろう。
「サユルさん。寄って行ってよ。浬、中にいるし」
お祭り気分で盛り上がっているのだろう。記憶の中にある彼のデータよりも随分とテンションが高い。
「シフトってギャルソンの仕事だったのね」
「あれ、聞いてなかった?」
「カフェみたいなことをするとは聞いたけど、詳しくはね」
不思議そうな声に苦笑を返す。
「中々似合っているじゃない。それが衣装?」
制服とは違う、様になった雰囲気を褒めると素直に嬉しそうな顔をした。大人びていても、笑えばどこか幼さの残る表情がこの年頃の子にはある。
「こんなとこで立ち話もなんだし、折角だから、中に入ってって」
さぁさぁと背中を押されそうになって、少し躊躇した。
「あ、いいの、いいの。外で待つ約束だったし。ちょっと早めに着いたから覗いてみようと思っただけで。あの子、まだシフトでしょ。仕事の邪魔したら悪いもの」
ちらりと後方を流し見る。
「それに……ほら、他のお客さんはずっと並んでるじゃない。いきなり割り込んだら申し訳ないから。気にしないで。あ、それから、これ、少しだけど皆で食べて。休憩時にでもね」
いざ入るとなると気後れが先立ってしまった。そそくさと用事を済ませようと手にしていた紙袋を掲げた。
「俺らに差し入れ? うわぁ、ありがと。さすがサユルさんだ。それなら余計に寄って行ってよ。でないと、浬に殺されるし……」
効果としては逆のようだった。
「え、でも急に吃驚するでしょ」
「大丈夫、大丈夫。もう、なーに、遠慮してんの。サユルさんは別口。うちら大歓迎だから。ほーい、一名様御来店」
逃げる間もなく背中をぐいぐいと押されて、気が付いた時には裏口の暖簾を潜らされていた。
恐る恐る、それでも持ち前の好奇心も手伝って中に入れば、思いの外に落ち着いたシックな内装が目に飛び込んできた。色調はアイボリーに近い白。そこにアクセントのように黒が使われている。
促されるままに窓際の空いていた席に着いた。テーブルの上にはガーベラが一輪差してあった。バラだとやり過ぎな感じがするが、この選択はいい具合に力が抜けている。
それだけで、この場所に注がれている労力が半端ではないと分かる。そう、かなりの気合いの入りようだ。これは前評判でも話題になっただろう。廊下で長蛇の列を作っている人達に心の中で申し訳なく思った。
店内を見渡せば、きびきびとした動作で動き回る俄かギャルソン達。凛とした佇まい。低い声に丁寧で優雅な所作。皆、揃いの服装で中々に雰囲気が出ている。
客として来店している女の子達は、皆うっとりとした表情を浮かべて、彼らを目で追っていた。
実に本能に忠実な色だ。真っ直ぐで強い眼差し。目は口ほどにものをいうというやつだ。そして、自分には有り得なかったもの。
今も昔も自分にはああいう目は出来なかった。多分感情の欠落に似たようなものかもしれない。見ているこちらまでもがむず痒くなるような、そんな一生懸命さが溢れている。
成程、中で働く子達はこの日の為にか、外見にかなり気を使っているお洒落な雰囲気だ。
それに給仕に出ているのは何故か男の子たちばかりだった。学校は共学だと聞いていたが、男子クラスだったのか。いや、それとも、そういうコンセプトにしたということか。
ただ、想像するよりも明らかなのは、ここに長蛇の列を作らせているのは、特別美味しい物があるというわけでは無く、中でギャルソンをしている男の子達だろうということ。
つまり女の子達の目当ては人。
ふいに文化祭時は外部からも大勢の人がやってくるから出会いのチャンスだなんて言われていたのを思い出した。
公立の女子高だった所為か、そういう話は割とよく話題に上ったりもしたが、実際はそれほどでもなかった。所詮、興味一割、内輪で楽しむのが九割といった感じだったのをよく覚えている。ここは少しそれとはちがうのかもしれない。
中々に興味深い人間観察は、こちらにやって来たギャルソンの登場で中断となった。
「いらっしゃいませ」
イレギュラーな客に少し緊張しているのか、テーブルに置かれたお冷に添えられた指が震えていた。
「どうもありがとう」
目線を合わせて、安心させるように穏やかに微笑むとその子は少しはにかむように微笑み返してくれた。警戒心は、少しは解けただろうか。
「ご注文は何になさいますか?」
使い慣れていないだろう丁寧な言葉遣いにぎこちなさが残るが、それすらも微笑ましい。
テーブルに添えられたメニューに目を走らせて、素早く注文の品を決めた。
「カフェ・オレをお願いできる?」
相手の目を見て、ゆっくりと聞き取りやすいように口にして微笑む。そうすれば大体のコミュニケーションは上手くいく。経験が弾き出した法則だ。
その子は丁寧に腰を折ってバックヤードへ消えた。
さて、あの子はどのタイミングで気がつくだろうか。
室内を行き来するギャルソン達に自分の知った顔はまだない。あの子が驚いた時の何とも言えない表情を思い出して、自然と口元は弧を描いていた。