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33.Lost in Wild Turkey3)

ボーリングをする羽目になりました。


「なんていうか、凄ぇ、濃い人たちだったな……」

 叩かれた場所が痛むのか、背中を摩るようにしながら浬が独り言のように呟いた。

 私は、なんとも返しようがなくて、誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべた。

「背中、まだ痛む?」

「ちょっとヒリヒリするかな。でも平気。にしても、あいつ思い切り叩きやがった」

 マスターなら初対面の相手にそんな無体なことはしでかさないと思うのだが。

 何せ、根っからの体育会系だ。妙な血が騒いだのかもしれない。

「手形が付いてたりして」

 背中に付いた大きな掌の跡を想像して、私たちは顔を見交わせた。

「まさかな」

 一瞬だけ真面目な顔して、そして笑いを零した。

「御免なさいね。本当に」

「何で沙由流さんが謝るんだよ」

「行きがかり上? あの人たちは仮にも私の知り合いだし、キミを巻き込んじゃったみたいだからね」

「それを言うなら、巻き込んだっていうか、俺の方が自分から巻き込まれに行ったって感じじゃねぇ?」

 知らずとは言え、突撃した先には、Last Boss がダブルで居たみたいなことだろうか。

「まぁ、結果論としては、そうなるかな」

「でもさ、沙由流さんも大変だな。あんな兄貴が二人もいたんじゃ」

 どこか遠い目をして浬が言った。

「はい?」

「あ、でもさ、二人ともタイプが全然違うよな。正反対って感じだし。底辺はやっぱ、同じ匂いがするけど。それに沙由流さんとも、あんまし似てないよね」

 ん?んんんん? 

 私はそこに潜む違和感に頭上に疑問符を沢山連ねていた。

 それを言った本人からは茶化すような空気は感じられなくて。あるとすれば、未知のものに対する率直な感想だ。

「あ…の…浬クン」

「ん?」

「あの二人に何言われたの?」

「何って?」

「私との関係について」

「?」


「ンフ……フフフフ……ククククック……アハ……アハハハ……」

 きょとんとした素の状態の顔に、私は堪え切れずに声を上げて笑った。

 お腹が捩れそうな程に痙攣しそうだ。

 突然、笑いの発作に巻き込まれた私に隣から驚きの声が上がる。

「ちょっと。沙由流さん? どうしたんだよ。いきなり」

 漸く収まった発作の下、震える喉で空気を吸い込みながら、私は出てくる涙を指先で拭った。

「ごめん、ごめん。あんまり可笑しくて」

 ゆっくりと背を摩る大きな掌をもう大丈夫だと制して、私は直ぐ目の前にあった浬の瞳を覗き込んだ。 引き攣るような笑い跡のある微笑みを浮かべた自分が、黒い双眸に反射している。

「キミ、あの二人に担がれたわね」

「は?」

 浬は案の定、訳が分からないという顔をした。


 何をどう言われたのかは知らないが、あの二人は兄弟などではないし、私とも全く赤の他人だ。血の繋がりなんてこれっぽっちも無い。それくらい、分かりそうなものなのに。

「まったくもう、いい年して。あの人達も大人げないんだから」

「……マジかよ」

 種明かしをすれば、浬は実に苦い顔をした。少し悔しそうに下唇を噛む。

「ほら、浬クン。唇噛まない」

 ぐいと軽く口の端を抓んで引っ張る。ぱっと手を離すと、柔らかい弾力のある薄い皮膚は、すぐに元に戻った。

 代わりに、鋭いきらいのある目がすっとこちらに流れてきた。

 この子は、普段、あまり口数は多くはないが、反対にその目はいつも雄弁だ。

「拗ねない、拗ねない。機嫌直して、ね。お詫びに今日はとことん付き合うわよ?」

 何処となく不満そうな顔に苦笑を滲ませると、こちらの真意を確かめるようにじっと見つめて、

「それなら……許してつかわそう」

 ほんの少しの尊大さを声に滲ませて、棒読みの如く口にする。

「はは。ありがたき幸せ」

 同じように真似をしてみる。と隣から喉を震わす音がした。

 不意に崩れた空気に、こちらもなんだか可笑しくなる。そっと目を見交わして、くすりと小さな笑いを零し合った。




 それにしても高校生に混じってボーリングか。

 一階に併設されたゲームセンターの賑やかでくすんだ圧縮空気の中、私は今更ながら自分の陥った状況に、内心、自嘲気味に苦笑せざるを得なかった。

 果たして会話が噛み合うだろうか。

 職場にも新人は毎年入ってくるが、この季節が来る度に年を追って、自分の若い頃とは隔絶な感がしている。

 これから顔を合わせる子達は、そういう大卒の新人よりももっと下だ。未成年だからと言って子供扱いはできないし。繊細で、とかく頭でっかちになりがちな難しいお年頃だ。本人たちにはそんな気はないのだろうが。

 心配は、色々溢れるように湧き出てくる。

 私は軽く鞄を持つ手に力を入れた。これでも人見知りをする性質なのだ。

 こうなれば普段通り、社会人として初対面の相手に接するみたいにするしかないだろう。当たり障りなく。浬の傍で目立たないようにするしかない。


 それにしても、ボーリングか。

 嫌いではないが好きでもない。決してお世辞にも上手いとは言えない。

 それなりの人数で集まって、老若男女、分け隔てなく出来る手軽なレクリエーションとしはもってこいのものであるから、年に一二回、思い出したようにお世話になるといったところか。


 最後にやったのは、ざっと三か月前か。年に数回足を運べば、上等な方だろう。

 それにしても、明日は絶対に筋肉痛になること必至だ。

 こんな時、普段の運動不足と自分の歳を自覚する羽目になる。滅多に使わない筋肉を使う所為か、翌日はあらぬところが痛くなる。そうすることで、そんなところにも筋肉は付いているのだと妙な関心をする。掌の中とか、肘の内側とか。若い頃はそんなことに気を使う暇はなかった。酷い筋肉痛などにもならなかったし。

 ああ、段々と思考回路が年寄り染みてきた。

「ボーリング、よくやるの?」

「偶に、かな」

 仲間の子たちはすでに会場の方へ着いて受付を済ませているらしく、私と浬は、貸出しのシューズを手に、エレベーターを待った。

 因みに靴下は途中で購入した。今日の服装がジーンズでよかったと思う。

 その昔、職場の忘年会か何かでボーリングをやった時は、スーツのままだった。その時は、ジャケットを脱いで、シャツも腕まくり。タイトスカートが動きづらかったのをよく覚えている。仕事帰りによくやったものだ。今となっては、面白かった記憶しか残ってはいないが。

「私、下手よ」

 気後れが、どうも先立って言の葉に上る。

「んなの気にすることねぇよ。楽しめればいいんだから」

 浬は軽く微笑んで、不意に真顔になった。

「ボーリング、嫌いだった?」

「ううん。好きでも嫌いでもない、かな」

「何それ」

「だって、自分からやりたいとはあまり思わないけど、誘われればそれなりに行くし、行けば行ったで、思いの外、楽しかったりするじゃない。まぁ、個人的な見解だけどね」

「言われてみれば、そんなもん…か」


 エレベーターが該当する階に着いた。

 両開きのドアが開いた途端、ボーリング特有のピンの跳ねる音やとりどりの歓声、シューズが床に擦れる高い摩擦音が洪水のように降ってくる。


 会場は前にも来たことがある場所だった。意外に広い。明るい照明が、ワックスで滑るレーンをテカテカと照らし出している。

 ざっと室内を見渡した。

 休みの所為か、家族連れが多い。勿論、カップルもいれば、友人同士で来ている人達もいる。

 年齢層は本当に幅広かった。プロ顔負けにプロテクターをしてマイボールを手にする人もいた。


 奥の方に一際賑やかな集団があった。後ろの四レーン近くが貸切状態だ。

 ひょっとしなくても、そこなのだろうか。浬は迷うことなく、足を進める。

 私は少し緊張しながら、その後ろを付いて行った。

「遅ぇーよ、渡良瀬」

「あ、来た、来た。もう始めちゃってるからな」

 浬に気が付いた友人達が、声を掛ける。遅れた本人は、それに何食わぬ顔をして頷き返していた。

 当たり前だが、皆若い。漲るようなエネルギーに当てられて、すでに気持ち尻込みをしている。


「あ、この間のおねぇさん」

 集団の中からどこか見覚えのある顔が覗いた。人当たりの柔らかい笑みをその顔に浮かべる。

「市川くん…だったかしら」

 この間、浬と本屋で会った時に一緒にいた子だった。

「そう。覚えててくれたんだ」

「勿論」

「浬の言ってた人っておねぇさんだったんだね」

 嬉しそうに微笑まれて、同じように微笑み返していた。

 反射とは恐ろしいものだ。

 少なくとも自分の知る人物がもう一人いた。ただそれだけで少し心の負担が軽くなったように思えるのだから、現金なものだ。


 あの後、私が下車する途中の駅まで帰路を共にしたのだ。あの時の印象がかなり強く残っていて、彼の名前もその時に頭の片隅に記憶されたのだった。

 浬と違って随分と社交的だが、どこか似た一線を二人は持っている。その当たり障りのない笑顔の裏には、きっと沢山の隠された本音が潜んでいるのだろう。正直に言って、一癖も二癖もありそうな感じだ。

 不意にアラタの顔が浮かぶ。あちらは年を経た古狸、もっと腹黒くって、煮ても焼いてもどうにもならない喰わせ者だが(こんなことを面と向かって言ったら、きっと再び朝日を拝むことなど出来ないだろう)、どちらかと言えば、系統としては似ているかも知れない。


 そんな性懲りもないことを考えていると、浬と市川君、その他のメンバーの間で、話が進んでいたらしい。

「沙由流さんはこっち。俺と一緒のとこ」

「あ、ずりぃ。浬」

 抗議の声を上げる市川君を綺麗に無視して、浬は一番後方のレーンがあるブースで腰を下ろした。靴を履きかえる為に準備をしている。

「でも、隣のレーンだからいいか」

 一人自己完結した市川君は、口元を綻ばせて、その隣に陣取った。


 成程、頭上、隣にある表示モニターには、その名前が載っている。1レーン5人弱。4レーンで、総勢20人強。大所帯だ。これでは会社の時のボーリング大会みたいだ。男女の比は見たところ半分ずつか。

 早いところでは、もうゲームをスタートさせていた。


 私の入ったブースには、浬の他に二人の女の子と男の子が一人いた。部外者の乱入が気になるのか、もの問いたげな視線が時折降ってくる。

 私は当たり障りのない微笑みを浮かべてみた。初対面の時、とかく第一印象は大切だ。敵ではない、怪しいものではないということをさり気無くアピールする。

「ええと、突然ですが、飛び入り参加することになりました、橘です」

「一人、欠けてたから、連れて来た」

 合いの手のように浬が口を挟む。

「ということらしいので。よろしくお願いしますね。邪魔にならないように大人しくしてますので、気にしないで頂けるとありがたいです」

 取り敢えず、怪訝な顔をしている初対面の人達(殆どの子がそうなのだが)に簡単な事情を説明がてら挨拶をした。

「りょうかーい」

「こちらこそヨロシクです」

 目を合わせた子達は皆一様に笑顔を作った。

 一先ずは好意的に迎えられたようで、安堵の息を吐きつつ、私も靴を履きかえる為に腰を下ろした。


 あちこちで歓声が響き渡る。女の子も男の子も大はしゃぎだ。上手くいけば讃え合い、失敗したら励まして。こういう空気は本当に久し振りだった。この時期でしか、醸し出すことのできない屈託のない雰囲気。人生できっと一番、純粋に楽しいと思える時期だろう。それこそ往年の喩の如く、箸が転がっても笑うことのできる年頃で、些細なことにさえ、大爆笑の渦が沸き起こる。この時のパワーは本当に凄いと思う。


 私は、少し懐かしい気持ちで、騒ぐ子供たちを見やりながら、元気一杯の彼らに圧倒されていた。

 手にしたボーリングの球が、ずっしりと手に重たかった。


 自分のボールを持ってきて投球台に置く。11ポンドの濃紺のボールは意のままに扱うには正直、かなり重たい。それでも恐らく、真っ直ぐに投げるには調度いい重さだと自分では思っている。

 前は、もう一つ下の10ポンドで投げていたのだが、最後にボールを放つ時点で浮き上がって上手くいかないことが分かってからは、こちらにしていた。


 私が戻ると、浬がちょうど投げた所だった。綺麗なフォームで浬の手から離れたボールは、滑るようにピンの中心に衝突した。小気味よい甲高い破裂音がして、見事、全てのピンが弾け飛んだ。

 モニター画面には、”Strike!”の文字が浮かび、ギャングに摸したピンが正義の味方の放つ拳銃に倒れる様が再現される。


「キャー、渡良瀬君上手い」

「いきなりストライクかよ」

 方々からそれこそ黄色い歓声が沸いた。隣からも声が掛かる。

 浬はどうやら人気があるようだ。

 当の本人は、それに涼しい顔をしてベンチに下がって来た。


 おやおや。本当は嬉しい筈なのに、何でもない風を装っているのだろうか。

 そう思ったのだが、目があうと、少し得意そうに口の端を持ち上げて、ぐいと親指を上に立てた。

 やはり、こういうところは浬らしい。年相応の反応だ。

 突き出された拳に、おめでとうと微笑んで、同じように拳を前に突き出し、健闘を讃える。

「凄いじゃない」

 素直に褒めれば、

「まだ、始まったばかりだし」

 飄々と口にする。ごく自然で、鼻に掛けるような態度は全くない。

 どこか控えめで一歩引いた立ち位置。全体を俯瞰するような引きだろうか。パノラマ画面を見ているような気分だ。マイペースなところは、変わりがない。謙遜をするが、ボーリングも上手いと見た。伊達に部活でバスケをしていない。というよりも運動神経がいいのか。いづれにしても、次に投げる人にはプレッシャーだ。

 そう思いつつモニターを見上げると、

「次、沙由流さんだよ」

「私?」

 掛けられた声に、青色の背景画面を凝視する。

 スクリーンには、【スズキ】の表示。恐らく、来れなくなった子の名前なのだろう。

 苦笑いをしつつ、立ち上がる。

 が、ついでに軽口を叩くのも忘れない。

「うわぁ、やり辛い。誰かさんのお陰で無駄にハードル上がってるし」

「今日は、なんか調子いいかも?」

「プレッシャー掛ける気?」

 少し悔しくなって、小癪に嘯く腹を小突いてみるが、肘に当たるのは固い筋肉の感触だけで、相手に与えたダメージはゼロに近かった。

 そして、浬は尚も揺さ振りを掛けてきた。

「俺と勝負する?」

「止めとくわ。自分の腕前は良く分かってるから」

 苦笑を滲ませて、入れ替わるように前に立った。

 こうなれば無の境地だ。

 ボールを手に取って、深呼吸を一つ。指先まで神経を尖らせて、真っ直ぐに進むボールの軌跡をイメージする。


 では、いざ出陣。

 すっと手を離れた第一投目は、直線上を真っ直ぐ、綺麗に伸びていった。

 衝突音がして、音を立てて白いピンが倒れてゆく。最後の一本が揺れて戻る。残るかと思われたが、お情けのように静かにひっくり返った。

「あ、うそ、やった!」

 初っ端からストライク。

 投げた本人が一番驚いている。

 嬉しくなって、思わず駆け寄るようにベンチに戻って行くと、

「やるじゃん」

 差し出された掌に、拳を打ち込む。

「勝負する?」

 切り返すように挑む素振りをしてみる。

 先程のお返しだ。

「沙由流さん。ひょっとして上手い?」

 相変わらず表情の乏しい問いに、からりと軽く笑い返す。

「うそうそ。今のは、偶々。マグレだから。ひょっとしたらキミの運を貰ったのかもね」

「じゃぁ、次、俺がヤバイかも?」

 わざとらしい口ぶりが可笑しくて、周りを囲む騒がしさに軽薄な笑いを溶かしていった。


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