30.暖かい日溜まりに埋もれて
主人公なりの心構え。色々と覚悟はしているのです。
「あの子が大人になるまでの緩衝材、かしら?」
そう言って、その人は綺麗に微笑んだ。
その笑みは、余りにも自然で、その言葉の本当の意味を理解するのに、頭が付いていかなかった。
* * * * *
夢を見るには随分と歳を取り過ぎている。理想と現実を純粋に交錯させられる程、自分の意識が世間から離れている訳ではなかった。それに、冷めた見方をするのは昔からのことだ。
緩衝材―――我ながらぴったりなネーミングだと思う。重すぎる存在にはなりたくなかった。
かといって『耐えられないほどの軽さ』という訳でもなく。
緩やかな楔。目に見えない一時的な束縛。
曖昧に揺らいで、それは砂上に立つ楼閣に似て、いつ綻びるとも限らない繋がりの糸。
実に頼りなくも、見かけほど弱くはない蜘蛛の糸だ。
―――なんていうのは都合のいい解釈だろうか。
それでもいいと私は思っている。
あの子が身を置くのは、限りなく閉じられ、温室のように保護された狭い世界だ。
私は本当に偶々、その外郭を軌道で掠めたに過ぎない。その偶然から始まった関係が、思いの外、円滑に滑り、今のような状況を築くに至った。
だが、それはあくまでも結果論で、この繋がりがこれからどうなるのか、いや、どうしたいのか、能動的にも受動的にも、全ては当事者の気持ち次第となる。
それでは、私はどのようにしたかったのか。
私は、その始まりから穏やかな終焉を予想した。
何故だろう。本来ならば、もっと醜い感情に支配され、ドロドロとしたものに飲み込まれて自分を失うことにさえなりそうであるというのに。
現実の世界に、そのような展開は、古今東西、余りにも溢れている。
それでも私は、自分がそういうことになりそうな気がしなかった。もっと言えば、自分の中からそういった負の感情が出てくることが、予想出来なかった。
諦めからスタートしているからか。
期待に満ちた未来を悟りとしての諦観にすり替えてしまったからだろうか。
いや、恐らく。
意図的に緩やかにした時間の流れの中で、自在に姿を変えてゆく気持ちが、より大きな慈しみに包まれたという事なのだろう。歴然として横たわる年齢差が、それをいいように助長してくれた。
今、私があの子に対して抱く愛しさは、肉親に対してのそれに似ている。
この手をすり抜けて行くあの子の未来が、いとも簡単に想像できるのだ。
それは当然のことかもしれない。
その時、あの子の隣に立つのは、決して私ではなく、もっと相応しい誰かだ。
あの子はあの子なりの選択で、自らが進むべき道を決めることだろう。
私の役割は、強靭な見かけをした殻を持ちながらも、その実は、脆くて儚くて、今にも壊れてしまいそうな繊細な心を持つ時代のあの子に、束の間の宿り木を提供することなのだ。
期間限定のシェルター。
そして、代わりに、私はあの子から、ささやかな日常に潜む小さな幸せの欠片を貰う。
そういう気持ちを大前提にして、私はあの子に接している。
だから、やがて訪れる別れの時には、きっと穏やかな気持ちで、微笑みすら浮かべて、手を振れるような気がするのだ。
『さようなら。さようなら。あなたは そんなにパラソルを振る』
思い描くのは、中原中也の詩にある、とある情景だ。
沢山の口にすることの出来なかった【ありがとう】を込めて。
遠く滲んで霞む世界を敢えて感知せずに、私は微笑み続けるだろう。
あの子が振り返らずに行けるように。
あの子の貴重な時間に思い出という名の記憶を刻めたことを感謝して。
共鳴した時間は、同じ記憶にはならないけれども、同じ時間を過ごしたという事実に変わりはない。
私が持つ“幾つもの一年のある期間”とあの子の持つ“あの頃のあの年のあの期間”というのは、比べてみれば、重みも、その後の記憶に残る鮮明さも全く違う。
思い出だけで生きていける―――それは女の特権であり、哀しい性でもあり、そして長い月日を掛けて編み出してきた生命の知恵なのだ。
私の世界は、その法則に則り、再び緩やかに再形成されて行くだろう。
元々、自分の人生設計の中に『結婚』の文字はなかった。
あの子が私の手をすり抜けても、また私の生活は元の軌道に戻るだけだ。プラスが限りなく近いゼロに戻る。それでも、あの子と過ごした楽しい日々の記憶は、ゼロにはならないのだから。
楽しかった過去の一時に縋ろうとは思わない。それは、余りにも醜い自分本位な我儘であるし、第一そういうことは好きではない。それに、そうするだけの無謀さも気力も若さも、私は持ち合わせていなかった。
だから、私は反対に笑って送り出したいのだ。
キラキラした日々をそのまま瞬間的に封じ込めるために。
傷の無い無垢なままの記憶として、私の中に残すために。
楽しかった日々をありがとう。
消化された記憶は想い出となって、都合のいいセピア色のフィルターを通して、限りなくフィクションに近いノンフィクションになる。
私はきっと誇らしげな気さえして、離れてゆくキミの背中を見送ることだろう。
初めて出会った頃よりも少し逞しくなった背中。
影を帯びた横顔。
それを最後に目裏に焼きつけて。
ほんの少しの切なさを微笑みに変換させて。
身を切るような胸の疼きも、とびっきりの激励に代えて。
筋肉で覆われたしなやかな背中を、それこそ、いい音がするくらいに叩いて。
キミが妙な負い目を持たないように。キミに心配を掛けないように。キミが私と共に過ごした日々を後悔しないと思えるように。
―――願わくば、それがキミの今後の糧になるようにと。
その時は、きっと、我が子の成長を見つめる母の気持ちに似た感慨が、私を捉えて止まないのかも知れない。自らの腹を痛めることをせずに、母親の気持ちが疑似体験できるなんて。
それを幸運と思わずしてなんとしよう。
『存在の耐えられない軽さ』-かの有名なチェコの小説家ミラン・クンデラの小説のタイトルです。