23.東風 吹かば
初めて、家にお邪魔する。若干のぎこちなさが、その頃の二人の距離をよく表しています。
待ち合わせの時間、五分前。ぐるりと見渡した改札の中に、優しい若草色を見つけた。
思わず自分の首元に目をやった。色合いは少し異なるが、似たような萌黄色のグラデーションが私の首を一重している。
そよぐ風は、まだまだ冷たい。それでも春を待つ心は、今も昔も変わらない。
どこか所在ななさげに柱に寄りかかっているその人物へそっと足音を忍ばせて近づいてみた。時間が気になるのか時折、腕時計を眺めている。
ストレートのジーンズに黒のスタンドカラーのブルゾン。首に掛けられた柔らかい若草色がアクセントになってシャープな印象を和らげている。
改めて見るとなんというか存在感がある、人目を引く子だと思った。
ほら、改札を通る年頃の女の子達がチラチラと気にしている。それを見て、少しの罪悪感みたいなものが擡げて来た。
休日の昼間。遊びたい盛りの年頃だ。本来なら、彼女とデートっていう予定だってあっただろう。その時間を奪う形になってしまってよかったのだろうか。いくらお互い同意の上で取り付けた約束であったとはいえ、本当に大丈夫だったのだろうかと気になってくる。どこかで間違えていやしないか。距離の計測を。社交辞令と本心との線引きは……何処にあった。ついつい気安く、提案をしてしまったのは自分の方だ。その時、あの子はどんな顔をしていただろうか。そんな取り留めのないことが頭をよぎり、少し動揺する。
まぁ、間違えてしまったら、振り出しに戻ればいい。変更はいつだって利くのだから。
そう考えなおして一歩踏み出すと、揺らぐ空気が向こうまで伝わったのか、その子が顔を上げた。
微かな、柔らかい微笑み。春を告げる木の枝の先端に小さく萌えた若葉のような瑞々しさが、徴となって口の端に浮かんでいる。それを目にするなり、心の内の霞みは徐々に晴れていった。
瑞祥―――杞憂に終わることをその色に託してみることにしようか。
「なんだかお揃いみたいだね」
私の首に巻かれているものを見るなり、その子は面映ゆそうに口にした。その仕草に私は自然と口元を綻ばせる。
「ふふ、そうね。でも、キミの方が素敵な色かしら。柔らかくて、自然な感じ。天然染料を使ったものかしらね。よく似合ってるわよ」
正直な感想はこの位の年頃の子には直球過ぎただろうか。思ったままを口にすると、照れが勝るのか、その子は視線を少し横にずらした。顔色や表情の方に殆ど変化は見られないので、傍目には分かりにくいだろうが。
「ふーん。俺としてはそっちの方が綺麗だと思うけど」
彷徨った視線が再び戻ってくる。
「そう?」
「うん。単色のやつは見ても、グラデーションになってるのってなかなか見ないし」
「そうね」
確かに。このマフラーは偶々デパートで見つけて、一目ぼれだった。余り数を置いていないらしく、店頭に出ているのは寒色系と暖色系の数点で、緑の色合いはこの一点のみだった。
「それに、あったかそうだし」
「ふふふ。あったかいわよ」
私は自分の言葉を肯定するように、首に巻いたマフラーを外した。圧縮を掛けた厚地のカシミアは柔らかく、温かい空気を包み込む。手にしたそれを、隣を歩くその子の首にふわりと掛けてみた。
「ほら、ね」
「じゃ、交換」
立ち止ったその子は、するりと首に回していた自分の若草色を引き抜いた。
剥き出しになったその首元に、私は自分の萌黄色を一重に巻きつけてみる。こちらも中々に似合っている。その組み合わせに一人満足げに頷いていると、今度は若草色が、私の剥き出しになった首元を優しく包み込んだ。
ほんの些細な色の変化で、随分と印象は変わるようだ。
ほんのりと温かい他人の温もりが、擽ったい。
柚に近いシトラスの香りが鼻先を掠めて、その発見に一人、心が騒いだ。