19.舞台裏の役者たち
文化祭実行委員の女の子視点。
毎年恒例、うちの文化祭の目玉にもなってるコンテスト。誰が上位に入るかという当然の話題の他に、今年はもう一つの噂がまことしやかに駆け巡っていた。
去年、一年にして上位入賞を果たしつつも、授賞式などに一切顔を出さなかった生徒がいた。その名を渡良瀬浬。問題児。いや、この場合、問題児っていうのともちょっと違うか。とにかく、周囲の乗りとか実行委員の先輩達の顔を立てるなんてことはお構いなし。実に非協力的で我が道を行くタイプの奴で、そいつの御蔭で去年はやけに大騒ぎになった。
その渡良瀬が、今年も最終選出者達の中に残っていた。
苦い思いをした実行委員は、去年にもまして張り切っていて、今年は絶対全員強制参加だなんて息巻いていた。特に今年の実行委員長の川端は、爽やかな見た目を裏切る熱血派の体育会系で、【何が何でもそのアイツを捕まえる】って鼻息を荒くしている。妙な使命感に燃えてるってやつ? なんであんなに熱いんだか。
普通に考えれば可笑しなことなんだけれども、川端はここでは結構人望があって、何故か異を唱える輩はいなかったんだよね。だから、皆、気になっていたことは一つ。今年も渡良瀬は逃げ切れるのかっていうこと。それをネタに賭けに持ち込むのもいた。まぁ、お祭りだから、羽目を外さない限りは何でも有りって感じかな。あたしも、実を言えば、その成行きを気にしていた一人に数えられる。何でだろうね。気になる理由は、多分、いつもとは違う顔が見てみたかったから。
渡良瀬は大抵、無表情で、いつも【不機嫌です】みたいなお面を張り付けている風に見えた。
なまじ顔のパーツが整っているから、にこりともしないとその顔はなんて言うか迫力があるのだ。目が切れ長で鋭い感じ。それが余計に近寄りがたい雰囲気に拍車をかけてるみたいだ。背も高くて、同じ年頃にしては大人び見えて。はっきり言えば、存在感があった。
あたしは学年が違うから、渡良瀬が普段、教室とかでどんな様子なのかは全く知らないけれど、それでも学内で見かけても、笑ってる顔なんてみたことがなかった。いや、渡良瀬も人間だから、可笑しければ笑いもするんだろうけど、冷たい感じのする無表情が当たり前みたいになってるから、あいつが笑ってるところなんて想像がつかなかった。大口開けて笑いこけるなんてもっての外。
だから、今年は見事、渡良瀬が川端に捕まって、その澄ました無表情が崩れるのを見てみたい。そんな好奇心、怖いもの見たさみたいなものがあったのかもしれない。
文化祭当日、あたしは実行委員の端くれとして、コンテストの進行準備再確認のために、控室に入った。ここは、掲示板に張り出されているコンテスト出場者二十人の一時控え室でもある。ちなみに、あたしも今年、何故かその中に残っちゃったんだよね。これまた。だからと言って、仕事はある訳で。
進行表を見ながら最終チェックをしていると、ポケットに入れていた携帯が鳴った。メールだ。送信者は委員長。関係者への一斉メール。何気なくそれを開いて、そこに書かれている文面に驚いた。
『捕獲完了』
電報の暗号みたいな文章。でもその意味することは明らかだった。
あの渡良瀬が捕まった。予想以上に早い展開に好奇心が湧いて出てくる。それを見越したのか、追記として、控室で待つようにとの指示が入っていた。
へぇ。一体どんな手を使ったのやら。力づくというのはちょっと考えられない。川端も体育会系だけど渡良瀬も力があるし、逃げ足が早いのだ。
となると、交渉材料は?
ただ、あたしとしては、渡良瀬がどんな顔をしてここに来るのかが気になった。
一旦、別の用事を済ませて、再び控室に戻ってくると、中は賑やかなことになっていた。女子も男子も殆どのメンバーが揃っていた。さほど狭くはない教室も、急激な人口密度の上昇と乱雑に置かれたパイプ椅子とテーブルで、かなり窮屈な印象をもたらしていた。
その中に例の渡良瀬を発見する。なんか、いつもより空気が柔らかい?
隣にいるのは確か、クラスメイトの市川。割りと愛想のいい奴だが、気軽に踏み込ませない一線をしっかりと持っている。
それから、バスケ部のキャプテンである北宮。彼は、さっぱりとした兄貴肌の爽やか好青年だ。ちょっと天然で表裏のない性格が性別学年を問わず人気を集めている。
そして、二年の佐治に片桐。佐治は、いつもにこにこ笑顔を絶やさないんだけど、何だか掴み所のない、野良猫みたいな奴だ。そう簡単に誰かに懐くということはあり得ない感じ。片桐は、何を考えているんだが分からない。凍てついたビスクドールみたい。感情の起伏が乏しい不思議系な感じか。
そして、少し離れた所に一年の塊。子犬系元気一杯サッカー少年の久喜は、見た目を裏切らない賑やかなムードメーカーだ。物静かで穏やかな優等生タイプの蓮見は、剣道部で、竹刀を握ると人格が変わるんだとか。短い髪を跳ね上げた背の高いのがバスケ部の長沼。黒縁のスクエアフレームの眼鏡をかけていて、ちょっとインテリっぽい見かけだ。ん? バスケ部率高い? ひょっとしなくても。渡良瀬に北宮に長沼。各学年一人は出てる。今、気が付いた。
そのすぐ脇にいるのが残りの三年組。外見爽やか熱血委員長の川端が、書類を手に真剣な顔をして、隣の黒木、委員の清水と言葉を交わしている。
黒木はかなり癖のある奴で、一見優等生っぽく見えるのに、着崩した制服とニヒルに吊り上げた口元が、それを裏切っている。敵に回したくないタイプだ。委員の清水は、そつなく仕事をこなすお堅いタイプ。それぞれ三者三様の奴等なんだけど、川端と三人で密談していると、何か悪だくみをしている感じに見えるのは不思議だ。単体で居る時はそうでもないんだけどね。何だろう、三人で集まってると、胡散臭さが倍増するって言う感じ?
ええと、つまり、一年三人、二年が四人、三年が三人。男子はもう全員集まっている。
そんな中、渡良瀬が頻りに窓の外を気にしていた。なんか、そわそわしている?
あたしは、委員としての仕事をしつつ、手を動かしながらも、神経は別の方へ集中させていた。だって凄く気になるんだもん。
「遅い……」
「飲み物買いに行ってくるって?」
市川が静かに訊いた。
「迷ってるかも?」
ガタリと渡良瀬がその場に立ちあがった。
「いや、それはないんじゃないか?」
北宮の声に、
「どっかで勧誘にあって、捕っているのかもねぇ」
のんびりとした佐治の声が重なる。
「それは、……否定できない」
渡良瀬がポツリと呟くと、市川が首を傾げた。
「でも、そつなくかわしてそうだけど」
「やっぱ。見てくる」
「やめとけよ。行き違いになったらどうする」
宥めるように北宮が渡良瀬の肩を押しとどめた。
「携帯使えば? 俺、掛けようか?」
当然のように言った佐治に、渡良瀬がギョッとしたように声を上げた。
「は? 何で番号、知ってるわけ?」
「え? 普通に、教えてもらったけど。ついでにメアドもね」
にやにやと告げる佐治を渡良瀬はギロリと睨みつけた。
「アハハハ。沙由流さんに他意はないんじゃねぇの?」
「ていうか、何でそういう話になってんだよ」
「えー、成り行き? まぁ、正直に言えば、俺から聞いたんだけど」
こそこそという訳ではないが、囁きのような低い声の重なりが、振動のように伝わってくる。
要するにあいつ等は誰かを待ってるみたいだ。特に渡良瀬にとってはキーになる人っぽい。
そこへ、突然響いたノックの音に、続いて人の声が漏れてきた。
「開けてもらえる?」
その音に渡良瀬が勢いよく反応を示した。凄い速さで扉に駆け寄り、ドアに手を掛けた。
「おかえり。うわ、沙由流さん、マジ、ごめん。重かっただろ」
「ありがと」
「だから俺が一緒に行くっつったのに。あの野郎」
二つのビニール袋を両手に片手に受け取って、扉の所に立つ人物をもう片方の手で促す。
中に入って来たのは女の人だった。
顎までの真っ直ぐな黒い髪がさらりと揺れ、その下から見えるシャンデリア型のピアス、もしくはイアリングに付いた赤い石が差し込む日差しにキラリと反射した。
その瞬間、部屋の空気が変わった気がした。突然、穏やかで優しい風が吹き込んだみたいだ。
あたしは吸い寄せられるようにその人へ視線を向けた。
「「「沙由流さん、おかえりー」」」
「ただいま」
続いて出てきた元気の一杯のにこやかな唱和に、腰を抜かしそうになったのはあたしだけではないと思う。
その人はとても自然に微笑んで、当然のように言葉を返した。
え、何なの、あんた達。あの冷酷無慈悲、無表情、ぶ愛想を体現したような奴等が、にこやかに笑ってる? 何がどうなってるわけ。一体。
そこへ川端が血相を変えて走り寄って来た。なんか無駄に焦ってる。
「すいませんでした。買いだしなんかに行かせてしまって」
恐縮そうに言い募る川端をその人は笑って軽く流した。
「いいのよ。この位、遠慮しないで。どうせ手が空いているんだから、使える者は使って構わないのよ?」
そう言われて、心底ほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます」
Tシャツにパーカー。服装は至ってシンプルカジュアルだ。デニムのタイトスカートから延びる白い足が室内を闊歩する度に、ヒールの付いたスニーカーが床に当たってコツコツと独特な音を立てた。
渡良瀬は、嬉々としてその人の隣についている。
その人は、白いビニール袋の中から、大きなペットボトルを数本取り出し、別の場所にあった紙コップの束を手に、テキパキと準備をし始めた。
「お茶がいい人は?」
その人が笑顔で振り返ると、一団から次々と声が上がった。
「はーい」
「あ、俺ジュースがいい」
「ポカリある?」
言いたい放題。やんちゃな小学生みたいだ。
「オレンジジュースとアク○リ○スならあるけど、ポ○リは無かったわ、御免なさいね」
その人が苦笑しながらも律儀に返してゆくとその隣では、渡良瀬が眦を吊り上げた。
「お前ら贅沢言ってんな。んなの自分で買ってこい」
「怖ぇ~」
そして賑やかな笑いが起こる。
何だろう。この和気藹々とした和やかな雰囲気は。あんた達そういうキャラだったっけ??? これじゃぁ、まるで、大好きな先生の言うことを聞く幼稚園児みたいじゃないの。
あたしは目が点になるような気分でこの妙チクリンな一幕を見ていた。
その大きな要因である女の人に目がいったのも自然なことだろう。カジュアルな格好をしているけれども、随分と年上な感じだ。凄く落ち着いていて、大人。メイクはナチュラル。格好共々洗練されていて嫌味がない。ふんわりとした優しい柔らかな空気を身に纏う。なんて言うの?一言で言えば、癒し系の美人。清楚な感じがするのに、そこに収まりきらない色気みたいなものもあって。不思議な人だ。
断言できるのは、あたしらみたいな高校生ではどうひっくり返っても出せない魅力をその人が持っているってこと。積み重ねた年齢のなせる技かな。
そんなことを考えていると、今度はその人がこちらにやって来た。紙コップとペットボトルを手にして。突然、現れた綺麗なおねぇさんに女の子達は戸惑い気味だ。それでもその人の優しいオーラが感染するのか、いつもは高飛車な感じの女の子も照れたように渡された紙コップを受け取った。
「手伝います」
気が付くと私は自分からそう申し出ていた。
その人は私の言葉に嬉しそうに目を細めて、【ありがとう】と言った。たったそれだけの、当たり前の一言であるのに、それが何故かとてもうれしかった。
それから少し言葉を交わした。あの人はあたし達の戸惑いを感じ取っていて、ここに混ざっている経緯なんかを簡単に説明してくれた。何でもあの中に知り合いがいて、自分はおまけで付いてきたのだなんて言っていた。奴等の態度を見ていれば、おまけなんかじゃないのは一目瞭然だ。控えめな性格が、言葉の端々に現われている。
そして、あたしは決定的な一打を目にすることになる。
二人で話をしていた時だった。向こうから渡良瀬がやって来たのだ。
「何してんの?」
顔は無表情だけど、声から不機嫌そうなのが分かった。
厄介なのが来た。
内心、呻き声を上げるあたしを余所に隣のおねぇさんは、実に楽しそうに笑った。
「女同士。女子高校生と交流を深めてみました?」
茶目っ気たっぷりに見上げて、微笑みかける。
それを見た渡良瀬は、一つ溜息をついて、ぐいとおねぇさんの腕を取るとスタスタと歩きだした。
「ちょっと。浬?」
あたしは目を丸くした。えええ? おねぇさんの知り合いって、もしかしなくとも渡良瀬のことなの? しかも下の名前を呼んでるし。
目を白黒させるあたしに、おねぇさんは振り返って頭を下げた。【ごめんね】って口が動いている。
「沙由流さんはこっち。お客なんだから。大人しく座っててよ」
あああ。そう言うことですか。
そこで、あたしは理解した。唐突に。うん。女の感ってやつ? そして、初めて目にするだだっこみたいな渡良瀬の姿に、可笑しくなって笑った。
渡良瀬は、そのおねぇさんをあろうことか自分の膝の上に横抱きにした。
あたしを始め、みんな信じられないものを見るような顔をしてガン見だ。
そりゃぁ、吃驚するわよ、誰だって。女には興味無いって感じに、寄ってくる女子を剣もホロロにあしらってたっていうあの渡良瀬が、だよ。
でもまぁ、あたし的には、これである意味、納得。だって、渡良瀬はおねぇさんLOVEなのが丸分かり。もう見てるこっちが恥ずかしい位に。要するに他の女は眼中に無いってことなんだろうね。あんな綺麗でしかも癒し系な感じの美人が傍にいたら、そりゃぁ、あたし等みたいな同年代の女子高校生は、視界の中にも入らない訳だわ。
おねぇさんは、恥ずかしいのか、顔を赤らめてなんとか腰に回った拘束を解こうともがくけれど、力の差があってか、それは上手くいかない。やがて抵抗を諦めて、体の力を抜くと渡良瀬に寄りかかるように預けた。
渡良瀬は飄々と顔色を変えず、いや、むしろ満足気な様子で、腰にまわした手に力を入れて、肩に顎を乗せている。誰が見ても桃色万歳な恋人同士の空気だ。別にいかがわしさは微塵も感じないんだけど、なんていうか、役者の舞台裏を偶然覗いてしまったみたいな、見ているこちらがむず痒くなってくるような光景だった。
第5話から続いていた文化祭関連のお話は、ここで終了になります。
次回以降は、時間を遡って、二人の出会い編をお送りします。