17.類は友を呼ぶ??
「そう言えばさ。おねぇさん。今更だけど、こんなとこで何してんの?」
本当に今更ながらの質問をされて、沙由流は苦笑した。
お互いに自己紹介をして、男の子が佐治祐輔という名であることを知った。高校二年生。沙由流がよく知る浬と一緒の学年だ。
携帯のメモリーの中に増えた新しい名前。沙由流のアドレスの中には、浬を通じて知り合ったバスケ部やクラスメイト関係の高校生達のものが既にあった。ひょんなことから増えてきた若人の知り合い。それは、沙由流自身が想像していたよりも、自分の日常に入り込んできていて、少し困惑する。
「連れを待ってるの。知り合いに案内してもらってたんだけどね。お手洗いに行ってくるって言ってたから」
「それにしても遅くない?」
確かに。別に心配をする程のことではないのだが、他人から告げられるとヒヤリとする。
自分が考えていたことを指摘されて、沙由流は誤魔化すように微笑んだ。
「そうね。まぁ、仕方がないわ。あの子にはあの子なりの付き合いがあるだろうし。途中で誰かに捕まったのかも」
それは十分に考えられることだった。
「それってちょっと酷くない? おねぇさんみたいな人、俺なら絶対放っておかないけど」
昨今の若者は本当に言葉が巧みだ。それだけ女性に慣れているという事なのだろうか。さりげない気遣いを回されて、沙由流はその優しさに感謝の意を込めて微笑み返した。
「ありがと。キミは優しいのね。でも、退屈はしてないわよ。キミの御蔭で」
「そう? それならいいけど。俺もおねぇさんと話するの楽しいし」
「嬉しいことをいうじゃない」
「ホントだよ」
少し照れくさくなったのか、お互いに目を見交わしてクスクスと笑い合う。そんな些細なことに心が温まってゆくのが分かった。
「あー! さゆるさんだぁー!」
甲高い声と共に突然大きな塊に正面から追突されて、沙由流はよろめきそうになる体を片方の足を後ろ出すことで辛うじて堪えた。
衝撃にぐらりと体が揺れる。大きな黒い塊は、やがて見覚えのある頭部に変わっていった。さらさらの細い黒い髪の間に見え隠れしているやや左に寄った旋毛。背中に回された骨ばった細い腕の感触。体全体で必死にしがみついてくる高い体温。こんなことをするのは、一人しか思いつかない。
「涼くん、久しぶりね」
ギュッとまだまだ細い体に回した腕に力を込めると、胸に埋められていた幼い顔が少しだけ上がった。
「うん」
嬉しそうににっこりと微笑まれて、沙由流の中にある溺愛計測メーターの針が音を立てて振れる。
何なの。この可愛らしい生き物は。大きな吊りがちの目をくりくりとさせて、全身で喜びを表現する子犬のようだ。
いきなり飛びついたりしたら危ないでしょう。
そんな注意のお小言も、この子の顔を見た途端、吹き飛んでしまいそうになる。
ここで負けたらいけない。ぐっと堪えるように心を鬼にして、ぐいぐいと頭を押し付けてくる小さな背中を宥めるようにポンポンと叩いた。何のスイッチが入ったのかは分からないが、ひとまず、興奮を抑えなくては。
「涼くん。いい? いきなりは吃驚するから、やめようね。怪我しちゃうかもしれないでしょう?」
穏やかに諭すように耳元で囁けば、
「うん。ごめんなさい。でも、サユルさんに会うの久し振りだから、嬉しくて」
「私も涼くんに会えて嬉しいわ」
何の衒いもなく直球で繰りだされる言葉に沙由流はノックアウト寸前だった。
「サユルさん、心臓、ドクドクいってる」
それは先程の衝撃の名残だ。
「そうよ。驚いちゃったからね」
その子はそれを聞くと悪戯っ子のように顔を胸元に埋めた。激しくなった心音を確かめているのかもしれない。ぐいぐいとしがみついたままの子をあやしながら、沙由流はざっと周囲を見渡した。近くにこの子の兄弟がいるはずなのだ。きっと突然走りだしたこの子を探しているに違いない。
「涼くん、流くんは? お兄ちゃんと一緒だったんじゃないの?」
その問いにその子はアッと顔を上げ後ろを振り返った。その視線の先に、自分もよく知るこの子の兄の顔が見えて、沙由流は合図を送るように小さく手を振った。
「こら、涼。いきなり走り出す奴があるか。迷子になるだろ」
随分と探し回ったのか、駆けてきた兄は額に薄らと汗を浮かべていた。
「こんにちは。流くん。お久しぶりね」
労わるように声を掛ければ、弟がいきなり駆けだした原因が分かったようで、兄は呆れたように苦笑を滲ませた。
「沙由流さん。すいません、このバカが」
申し訳なさそうに頭を下げる兄に優しく微笑んだ。
「いいのよ。別に。それより、涼くん、お兄ちゃん、随分心配したみたいよ。こういう時はどうするんだっけ?」
「…ごめんなさい…」
おずおずと顔を上げた小さな弟は、それでもしっかりと謝罪の言葉を口にした。それを聞いた兄は、仕方がないなとばかりに、半ば呆れながらも、愛しそうに目を細めて弟を見下ろした。
「…ったく、迷子になっても知らないからな」
叱る口調は素っ気なくとも、そこに棘は含まれていない。年の離れた兄弟というのも微笑ましいものだ。そんなことを思いながらほのぼのしていると、
「おーい、流、見つかったか?」
「ああ、わりぃ。手間掛けた」
向こうから一緒に弟を探していたのか、兄の友人達が合流してきた。
その中に、沙由流は先程、ダーツの場所で一緒になった顔を見つけた。
「あら」
向こうも沙由流に気が付いたらしく、目が合うとにっこりとほほ笑んだ。
「また、お会いしましたね。先程はどうも。お蔭で助かりましたよ」
紳士的で丁寧な物腰に沙由流は体がむず痒くなるのを堪えるように苦笑した。
「いいえ。こちらこそ。いきなり巻き込んでしまって、ごめんなさいね。迷惑じゃなかったかしら?」
「迷惑だなんてとんでもない。こっちとしては何遍お礼を言っても足りないくらいですよ」
「あれ、委員長? おねぇさんと知り合い?」
突然の闖入者に呆気に取られていた佐治祐輔だったが、次に現れた知り合いを目にして、漸く意識をこちらに戻したようだった。不思議そうに声を上げる。
それで沙由流の傍に立つ後輩に、川端も気が付いたようだった。
「お、祐輔か。お前もこんなとこで何してるんだ?」
「何って、俺は、このおねぇさんと話してたんだけど」
佐治は隣に立つ沙由流を手にしていた飴で指示した。
「皆、知り合いだったのね」
そのやり取りに、沙由流は改めてこの場に集う高校生たちを見渡した。
その面々は知っている顔は勿論のこと、知らない顔にも、どこか既視感があった。
何だろう。何かが引っ掛かっている。もう少しで辿りつきそうであるのに、靄が掛かった感じだ。その正体を確かめようと、じっと少し上にある顔を眺め渡した。
傍にいる佐治祐輔は、今しがた知り合ったばかりの少年。その隣の、北宮流は、浬がお世話になっているバスケ部の主将で、弟の涼共々沙由流がそれなりに交流のある人物だ。その隣にいるのは、先程、一緒にダーツをした生徒。優等生っぽい感じの見かけだが、漏れ聞こえてきた浬と交わす会話から、その中身は随分とギャップがありそうに思えた。彼は佐治に委員長と呼ばれていた。そこから想像するに熱血派の実行委員長の肩書が思い浮かぶ。その隣に立つのは、シンプルなスクウェアフレームの眼鏡をかけた生徒だ。隙無く着こなされた制服から、一見、真面目で堅物そうに見えるが、実際は、すこし違うのかもしれない。
―――ああ、そうか。
そこで漸く、沙由流は感じていた違和感のような引っ掛かりの正体に思い当たった。少し離れた所にある掲示板をもう一度、振り返る。
それに気が付いた佐治が声を掛けた。
「おねぇさん、どうかした?」
怪訝そうな顔をしたその子に、納得のいったようなすっきりした顔をして沙由流は、目くばせをした。
「キミたち、contestantなのね」
それを聞いた生徒達は、一瞬、顔を見交わせた。
「言われてみれば……そうだな」
スクウェアフレームのエントリーナンバー1番の生徒が、実に微妙な顔をして見せたかと思うと小さく苦笑いを返した。
「何か、微妙?」
「……たしかに」
「これって……類友?」
「お前たちと一緒にされるのは御免だな」
其々、個性豊かな面々が他愛ない軽口を叩きあう。
「そういえばさ、アイツは? 沙由流さん、放っておいて何やってんだ?」
北宮流が、足りないメンバーの顔を探して、辺りを見回した。ある筈のものが無いというのは妙な違和感を感じさせるのかもしれない。
尤もな問いに、沙由流はもう何度目かになる苦笑を滲ませた。
「ああ、さっきお手洗いに行くって言ってね。じきに戻ってくると思うわよ」
「腹でも壊したか?」
「そう言う風には見えなかったけど………。誰かに捕まってるのかも知れないわね。さっきみたいに」
似たような光景を思い出して、川端の方を見ると、思い当たる節があったのか誤魔化すような笑いを浮かべた。
事情を悟った北宮は川端を一瞥した。
その隣の佐治は、先ほどから、沙由流を待たせている人物が誰なのかを不思議に思っていた。
其々が思うことは一つ。この人の連れは何処に行ったのかということ。
「あ、来た」
待ち人が漸く現れたのか、沙由流は合図を送るように手をひらりと拱いた。
「うげ……」
そこに集まる集団を目の当たりにするなり、渡良瀬浬は呻き声を上げた。
「これは、これは……、皆さん、お揃いで」
浬の隣に当然のように並んでいた市川英は、同じ状況を目にして、実に愉快そうに目を細めた。
「浬、遅かったわね」
待ちくたびれた訳ではなかったのだが、一応、苦情を口にしてみる。
「ごめん、サユルさん。途中コイツに捕まっちまって」
焦ったように口にして隣にいる友人を差し示す浬に、沙由流は可笑しさを堪えるように微笑んだ。
「別に、怒ってはいないわよ。こっちとしても思いの外、有意義な時間を過ごせたからね」
綺麗に微笑みながら目くばせをする。含みのある言葉にぎょっとしたのは浬の方だった。
「ええと、どうしたわけ?」
「何が?」
沙由流を囲む面々を見渡して、浬は話を振ったのだが、沙由流にはその意味が通じなかったようだ。
「お前、言葉が足りなさ過ぎ。それじゃ、沙由流さんだって分かんねぇよ」
英は呆れたように浬を見て、言葉を注ぎ足した。
「こいつが知りたいのは、沙由流さんがこの人たちと楽しそうにしてるから、いつ知り合いになったのかってこと、だろ?」
「ああ、そういうことね」
漸く事情が呑み込めた沙由流は、ことの顛末を簡単に語った。つまり、浬がお手洗いに行っていた間に、色々なことがあったということだ。
それを聞いた浬は、苦い物を噛み潰したような複雑な顔をした。
沙由流がここに来るということは、必然的に自分の知り合いと顔を合わせることになるのだろうことは一応、予想していた。前回、バスケの練習試合を見に来て以来、バスケ部員の多くは沙由流のファンになっていた。それが、単なる年上の大人の女性に対する漠然とした憧憬であるうちはまだいい。それが具体的な形となって現われてくることを浬は非常に恐れていた。
沙由流の柔らかくて優しい空気は、人を惹きつける。そして、それは何故か少々厄介とも思われている一癖も二癖もある奴等に限って特に有効だったのだ。
これ以上のライバルはいらない。子供染みた独占欲をどうすることも出来ない。
そして、ふと視線を下げて、あるものに気がつく。
ここにも厄介なもの、その一がいた。
「おい、涼、お前、いつまでそこにひっついてんだよ」
沙由流にしがみついたままの少年を見て、浬はあからさまに嫌そうな顔をした。
まだまだ年端のゆかぬ小学生だからと言って甘く見てはいけない。可愛らしい顔の下に見え隠れするのは紛れもない策士の顔だ。それがまだ、男の目をしていないだけ、ましなのだろうが、性質が悪いに違いはない。
「いいじゃん。沙由流さんに会うの久しぶりなんだから。オレは、まだ補給途中なの」
どこかで聞いたことのある言い回しに沙由流は心底、可笑しそうに、しがみつく少年と浬の顔を見比べた。
浬と涼は顔を合わせる度に、良く口喧嘩をしていた。高校生と小学生の間だから、所詮大したものにはならないのだが、何かにつけて張り合うのは、傍から見ていても妙だった。
まぁ、仲が良いほど喧嘩をするとも言うし、それは彼らなりのコミュニケーションの取り方なのだろうと、沙由流は敢えて口を挟まなかった。年は違えども同じ子供だ。
「キミたち、案外気が合うんじゃないの?」
「「んなわけあるか!」」
思わずハモってしまった言葉に、口にした本人たちは、バツが悪そうにそっぽを向く。
それを見ていた周囲の人間は、腹を抱えて笑ったのだった。