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16.Self Portrait

タイトルは「セルフ・ポートレイト」・「自画像」


 お手洗いに行ってくると人混みに姿を消した浬を待つ間、沙由流は講堂前の掲示板の前で、コンテストなるものの事前投票に残っているという”Contestant(大会出場者)”の顔ぶれを眺めていた。

 男子10名、女子10名。その中から最終的な人気投票でそれぞれ三位までを決めて、表彰するらしい。

 A4サイズのぐらいの紙に人物を映したLサイズの写真とプロフィール、所属、学年などがごく簡単に書かれている。写真はどれも中々よくとれているものだった。

 この時の為に撮影をしたのか、被写体は一人だ。それは教室の窓辺であったり、机の前であったり、校舎の前であったり、下駄箱の前であったり、部活動中であったりと実に様々だった。

 驚いたことに、その顔ぶれの中に自分の知った顔がちらほらと見受けられた。

 

 写真の中の彼らの表情は、自分が知っているものとは少し印象を異にした。それが彼らの学内でのデフォルトなのか、それとも偶々そんな一瞬が写真によって切り取られたのか、それはよく分からない。ただ、そこに生じているズレというか、認識の違和感に言い知れない可笑しさが込み上げてきたのは事実だった。


 自分がそれなりによく知ると思う人物の写真へ目を移す。その人物は、両手をポケットに突っ込んで、やや不機嫌そうに横を向いて、窓の外を見ている。

 タイトルを付けるとするならば――【勝手にしやがれ】。往年のフランス映画の有名なそれと重なる。

 年齢の割には、大人びた横顔。それはやはり、彼の一面であるにも関わらず、別の人物を見ているような気分だった。

 他人のフィルターを通した人物像。それは少し新鮮だった。


 周囲には沢山の制服を着た女の子がいた。皆、熱心に掲示板の顔ぶれを見ながら、誰が最終に残るのかと【雨の夜の品定め】さながらの噂話に花を咲かせている。ここに残っているということは、ここではかなりの人気があるのだということを改めて認識し直す。彼女たちの甲高いお喋りに耳を傾けながら、自分の中にあるデータをほんの少し修正したのだった。


 男の子達の顔ぶれを見て、それから隣にある女の子達の方へ足を運んだ。


 最近の子は発育もスタイルもいい。

 それが、制服姿でポーズをとっている彼女たちの第一印象だった。皆、見なりにかなり気を使っている。薄らと化粧をしているようでもあった。マスカラは勿論のこと、ふっくらとした唇には仄かな色が付いている。

 自分の頃と比べて随分変わったものだと妙な感慨を抱かずにはいられない。それだけ時代が進んだという事なのだろう。こういう事実を正面から突きつけられると酷く年を取った気分に陥る。

 自分の高校時代は、スカートもぎりぎり膝丈ぐらいで、ちょうど時代的にはルーズソックスが流行る一、二年前だった。公立の女子高で進学校ということもあったが、先生たちが口を酸っぱくして言っていたのは、髪にパーマをかけてはいけないということとスカート丈を短くするなということだった。時折ある風紀の服装検査のときには注意が飛んでいたものだ。当時の自分は、まだお下げ髪にリボンなんか付けて、化粧っ気も全くなし。本当に一昔前の女学生みたいだった。

 あの頃は楽しかった。今にしてみればそう思う。勉強も大変だったし、中学の頃から引きずるトラウマで人間関係に臆病になっていたのは事実だけれでも、校風からか、どの生徒も自由闊達で、女同士特有のジメジメとした陰湿さは皆無だった。周りは自分と同じ女だけというのも気楽なもので、のびのびと出来た要因だっただろう。その代り、恋なんて無縁だったけれど。

 

 ここは共学の学校だ。自分が経験した雰囲気とはきっと随分違うものなのだろう。

 高校生の男の子がどんな感じであるのか、沙由流には全く想像が付かなかった。だから、この年になって、その未知の世代の子たちと交流をするようになり、正直に言ってしまえば、驚きというか新鮮なことばかりだった。それはいい意味でも、悪い意味でも日常へのスパイスとなっている。


 写真に見る女の子達は、皆、いい顔をしていた。今の子は自分をよりよく見せる術を知っている。【草食系男子】なんて言葉が出てくるきらいの昨今、やはり今の女の子達の方が、見ていても何というかパワーがある。言いかえれば、皆、自分に自信があるのだろう。それは周囲の反応からなのかは分からないが、いづれにせよ、自己評価が高いからなせる技だ。

 全般的に見て【可愛らしい】という言葉が一番当てはまるだろうか。ただ、それは人工的な作り物めいたという注釈が入るだろう。自然な愛らしさというのとは、かなりニュアンスが違う。それに付加されるのは、元気一杯の若さあふれる可愛らしさだ。日本の社会が、一方で、まだまだネオテニーな思考を引きずっている所以である。

 その中で、一枚の写真にふと目が行った。真っ直ぐに伸びた肩までの黒髪に頬杖を突いた横顔。それは少し憂いを含んでいるような大人びた表情。誰かを想っている【女】の顔だった。【切ない片思い】、若しくは【届かない想い】―――そんなタイトルが浮かんでくる。

 それにしてもよく撮れている。沙由流は心の中で、未知の写真家に賞賛を送った。




「おねぇさん、投票した?」

 不意に声を掛けられて顔を上げると、隣にここの制服を着た男の子が立っていた。

 口に丸い大きな飴玉が付いた白いプラスチックの棒を銜えている。

 目があったその子は、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。今どき、男の子には珍しく小さな笑窪が出ている。さらりと茶色の髪が揺れた。

「投票って部外者でも出来るの?」

 男の子の問いの真意を測りかねて、質問を返した。

「出来るよ。ホームページにゲスト用のページも作ってあるから」

 口の中から取りだされた飴は、赤い色をしていた。

「投票ってオンラインなの?」

 如何せん仕組みが分からないので、男の子の返事にある言葉から大体の構造を予想する。

「学校専用のホームページがあって、期間限定でコンテストの投票枠を設けてるんだ。アクセスはパソコンか携帯から。個体識別にしてあるから、一人、一回だけ。セキュリティーもしっかりしてるよ」

 淡々とされた説明に、沙由流はIT時代の恩恵がここまで進んでいるのだと純粋に感心した。

 パソコンもネットも携帯も、ごく当たり前に彼らの日常生活の一部になっている。今や無いと困る必需品だ。自分が学生の時は携帯の「け」の字も無かった。情報社会での発展は目覚ましい。時代は本当に変わったと思う。

「最近は凄いのね」

 そんな感想が思わず漏れていた。

「でも、もうすぐ表彰式か何かがあるんじゃなかった? もう投票締め切ったんじゃないの?」

 ダーツの部屋で聞いた時間は三時半。腕時計で時間を確認してみると、時計の針は三時十五分を指していた。

 その子は少し得意そうに沙由流を見下ろした。

「10分前までOKなんだ。だから後、5分ある」

「キミは実行委員か何か?」

「当たり。よく分かったね」

「詳しくて分かりやすい説明だったからね」

「それで、おねぇさんは投票してみる?」

 そこで、もう一度、質問が振り出しに戻った。それでも、どうして隣の男の子がそんなことを聞いてくるのかは分からないままだった。

 沙由流は、確かめるように掲示板に並ぶ写真群へ目を走らせてから、小さく笑った。

「ううん。私は止めにしておく」

「えー? 何で? 折角なのに」

「だって、私はあの子たちのことをよく知らないもの」

 

 こういうことは同じ学校に通い、同じ目線で物事を見ることができる子達の特権だ。全く知らない子供達のことを、写真に写った第一印象だけで判断するのは、やりたくなかった。外見だけで好き嫌いを決めるのは好ましくない。そういうレッテルを貼られるのは、何より、そこに出ている生徒達に失礼だ。

 未だ怪訝そうな顔をして見せる男の子に思っていることを告げると、その子は目を見開いた後、破顔した。

「おねぇさん。変わってるね。こんなの単なる遊びなのに」

「キミ達にとっては単なる遊びでも、そうじゃない人もいるかもしれないじゃない?」

 こういうものは他人の評価が積み重なったものだ。そこに本人の意見や気持が反映されることは皆無だろう。だから、例えお遊びでも、そこに潜むであろう隠れた気持に無関心でいてはいけないと思うのだ。

「まぁ、企画側に立つ人間としては、何としても盛り上げようって頑張らなくちゃいけないんだろうからね。難しいところかしら?」

 沙由流は隣にいる少年の立場を慮って、そう付け足した。

「おねぇさん。優しいね」

 言外に含むものを正しく理解したのか、少年がふわりと柔らかく笑う。

 それにつられて、沙由流も微笑んだ。

「でもさ、確かに。上位に入っておきながら、去年、表彰式を堂々とすっぽかした奴もいたな。確信犯ってやつ? どこを探しても見つかんなくて。校内放送で散々呼び出しても無しのつぶて。結局、そいつ最後まで逃げ切りやがった。主催者側の実行委員はこう目の端吊り上げてさ、大騒ぎだったよ」

 その時のことを思い出したのか、少年が可笑しそうに笑った。そういうハプニングも思い出となってしまえば笑い話の一部となる。

「一筋縄ではいかない強者もいるってことね」

「そう。でさ、そいつ、今年もあそこに残ってるんだよね」

 その子は、手にしていた赤い飴で掲示板の一角を差した。

 促されるようにして沙由流も自然とそちらへ目をやった。

「そうなの?」

「そう。だから、今年はさ、去年の二の舞は踏まないって、委員長が張り切ってて、凄いのなんの」

 当の委員長の剣幕を思い出したのか、げんなりしたように言った。

 何をそんなに拘るのかは分からなかったが、つまり、プライドの問題なのだろう。【俺の顔に泥を塗るな】的な。世間ではよくあることだ。ちょっとした鬼ごっこだ。逃げる方も追いかける方もその気満々らしい。それはそれで面白いが。

「捕まるのかしらね」

 トムとジェリーみたいな永遠の鬼ごっこの顛末を頭に描いて、沙由流は可笑しそうに口に手を当てた。

「それがさ、どうやら今年は、上手くいったみたいなんだ」

 とっておきの秘密を明かすように悪戯っぽい笑みを浮かべてその子が腰を屈めた。

「そうなの? 委員長の熱意が伝わったのかしら。それとも先手を打たれて捕まったのかしら」

 沙由流がそう言うと、その子は再び飴を舐めながら、少し唸るようにして手を顎に当てた。

「うーん、詳しいことは俺にもさっぱりなんだよね。ただ、そいつを見つける為に目を光らせてなくていいって連絡があっただけでさ。ま、俺としては有難いけどね。余計な仕事をしなくて済んだから。あいつ、ほんと逃げ足だけは早いんだよね」

 その子は晴れやかに目を細めて、空を仰ぎ見るように伸びをした。


 その姿に沙由流は既視感を覚え、思わず大きな声を出していた。

「あ!」

「どうかした? おねぇさん」

 怪訝そうに顔を向けた少年を沙由流はじっと見つめた。

「俺の顔になんか付いてる?」

 そして、ついさっき見たばかりの掲示板の写真を頭の中でスクロールしてゆく。

 その一枚が、見事に目の前の少年に合致した。

「キミもあの中に残ってるのね。ええと、六番の子?」


 夕陽を背中一杯に浴びて、オレンジ色の逆光の中にじっと佇む一人の少年。机の上に体を折り曲げるように腰を掛けて、静かにレンズを見つめていた。

 そこには何の感情も読み取ることは出来ない。敢えて言えば無。絵描きの描く静物画のようなタッチの人物像。繊細な脆さを漂わせる作りものめいた輪郭。滲んだ橙色の淡い光に溶けてしまいそうだと思った。

「Self-portrait?」

 自己内対話を確認するように、ポツリと漏れた呟きに、少年の目が驚きに見開かれた。

「あの写真、ひょっとして全部、キミが撮ったもの?」

 それは沙由流にしてみれば直感というか、閃きに近い感覚だった。

 続いて静かに口にされて、少年は見事に固まった。雷に打たれたような衝撃が体を突き刺した気がした。見ず知らずの相手の口から不意に真実を突きつけられて、戸惑いよりも驚愕に言葉が出なかった。

「え? な…んで…分かったの?」

 少年の声は驚きに掠れていた。

「あ、正解だった?」

 思いがけず肯定された疑問に沙由流は柔らかく笑った。

「なんとなくだけどね。ほんとに私の主観的なものなのだけど。あの六番の写真だけ他のとは違って見えたから」

「違う?」

 少年の目は、まだ見開かれたままだ。

「そう。感覚的なものだから、上手く口で説明できないんだけど」

 苦笑して、沙由流はついと掲示板を指差した。

「例えば、あの写真の五番」

 それは沙由流がよく知る人物の写真だった。

「あれに私的なタイトルを付けるならば―――【勝手にしやがれ】かな」

 そしてまた、反対方向の写真を差す。

「で、今度は十三番の女の子。あれは、題して【届かぬ想い】」

 そう言うと楽しそうに振り返った。

「他の写真にはね。撮影してる人の意図、みたいなものが感じられる気がしたの。レンズを通して、撮影者のフィルターで被写体を眺めている感じかしら。あの中には偶々、私が個人的に知る子が何人かいたから、余計にね。私自身の中にある彼らのイメージとあの写真を撮った人物の中にあるその子達のイメージにズレが出ていて。それが面白いなって純粋に思った。で、六番の写真には、それが掴めなかったから。レンズを見つめる眼差しは真っ直ぐだけど、そこには何も映っていないの。感情を敢えてどこかに削ぎ落してきたみたいに。彼が見ているものはレンズの向こうにあるもので、でも、そのレンズは逆を向いている。上手く言えないんだけど…そんな些細な違和感みたいなものかしらね」

 自分が感じたことを慎重に言葉を選びながら説明し終えると、その子がゆっくりと息を吐きだした。

「凄い。吃驚だ。マジで。心臓が止まるかと思った。おねぇさん、エスパー?」

 最後に出てきた単語に沙由流は噴き出した。

「違うわ。偶々よ」

「ウソ?」

「嘘をついてどうするの」

 可笑しそうに小さく笑う。

「偶々、本当に偶々、波長があったのかもしれないわね。キミの写真と」

「うわぁ、なんか鳥肌立ってきた。感動で」

「大げさね」

「いや、ほんとマジで」

 急に両腕を摩るようにして見せた少年に、沙由流は優しく目を細めた。

 偶然は、日常の中に思わぬ頻度で潜んでいたりするものなのだ。それが偶々、理想的なタイミングでかちあっただけに過ぎない。

「ねぇ、おねぇさん。写真撮らせて。それから、ケー番とメアド、よかったら教えて?」

 突然切り出された提案に沙由流は心底驚いた。

「写真は……別に構わないけど。私の連絡先なんて知ってどうするの?」

「や、なんか、このまま、おねぇさんとさよならってのも酷く勿体ない気がしてさ。だって、こんな風に見ず知らずの人にズバッと事実を指摘されたのって初めてだから。なんて言うの、俺の第六感ってやつ(?)が告げてるんだよね。このまま、おねぇさんと名前も知らない他人で別れるなって。一期一会ってやつ。知らないままだと俺はきっと後悔する。そんな気がするんだ」

 畳みかけるように言い募る眼差しは真剣だった。真っ直ぐで曇りのない目。芸術肌の才能とそこに潜む強い意志が見え隠れしている。

「なんだか、酷く買いかぶられている気がするけど……」

 こちらをじっと見つめる眼差しが期待と不安に揺れていた。その揺らぎの狭間にある感情を見つけてしまうと、何だか嫌だとは言えなくなってしまう。

 こんな時、自分は御人好しだと思ってしまう。この少年のセンサーに一体自分の何が引っ掛かったのだろうかと思わずにはいられないが、感を信じる時も沙由流にはあった。ましてや、こんなに一生懸命になっている少年の頼みを無碍にも出来なかった。言葉を交わしてみて分かるが、悪い子ではない。その芯は、潔い程に真っ直ぐで、強靭だ。

「分かった。いいわよ」

「ホント? やった!」

 そう言って沙由流が鞄の中から携帯を取り出すと、その子は、こちらが恐縮してしまいそうな位、嬉しそうな顔をした。

 再び現れた笑窪が、素直な喜怒哀楽に反応しているようで可愛らしかった。


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