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13.数学的ロマンチズム

少々下世話なお話です。


「こっち」

 人混みを避けるようにさり気なく誘導されて、繋いでいた手はいつの間にか背中側に回っていた。

「ありがと」

 人間の脳には本来、障害物を避ける無意識のセンサーが働いているはずなのだが、人の多い所を歩くのはどうも苦手だ。必ず一度はぶつかりそうになる。視野が狭いのか、距離を測る感覚が鈍いのか、いまいち、よくわからない。

 そのまま腰へ落ち着くかと思われた手は、何かを探るように、そして確かめるように、背中を上下左右に彷徨った。

「あ、のさ……」

「なに?」

 躊躇いがちに口ごもりながらも浬の大きな骨ばった手は、尚も背中を行き来している。

 浬は、チラリと周囲に視線を走らせてから、内緒話をするように耳元に顔を近づけると、小さく囁いた。

「上、付けてる?」

「何を?」

 分からないという顔をして見上げれば、浬の視線はそのまま宙をさまよった後、またこちらに戻って来た。

「……だから、…下着」

「一応?」

「何で疑問形?」

「キミが想像してるようなのは……してない、かな」

 同じようにそう小さく囁くと、浬は一瞬、目を見開いた。

 ぎょっとしたように視線がそのまま、若干下へ下がる。探るような目線がパーカーの内側に注がれているのが分かった。

「ちょっと、浬、見過ぎ」

 あからさまな視線に苦笑を返す。周囲に変に思われたら困るだろうに。

「あ、ごめん、つぅか、大丈夫な訳? すっげぇ気になるんだけど」

「大丈夫ははず」

 自分でも確かめるように上に掛かるパーカーをずらしてみた。出かけに姿見でチェックした時は、違和感はなかったのだ。

「ね? ほら」

「あ…」

 こんな人気のある往来で何をやっているんだと思わないでもない。

 海外に行くと偶に上半身は下着なしで闊歩する女性を見かけるが、あれはやはり見慣れないこちら側としては同じ女性でも随分と気まずいものだ。向こうの人は骨格からして体つきが違うし、なんというかヴォリュームがある。

 自分はお世辞にも胸のある方ではない。あからさまでないからと思って半ば実験する気持ちで、少し前に知り合いからお土産でもらった物を付けてみたのだ。まさか、気が付かれるとは思わなかったから、少し気恥ずかしい。

「え、何がどうなってる訳。知りたい」

 浬は興味深々に食いついてきた。ただでさえこのぐらいの年頃の子は、想像が逞しいと聞いている。この子も冷静を装っている割には、男として、その例外に漏れないのだろう。心なしか、目が好奇心に怪しく輝いている。


 妙な展開になってきたと思いながらも渋々と口を開いた。

「niplessって分かる?」

 思いきって聞いてみると、浬は、首を横に振った。

 まぁ、知らないのは無理もないか。

 こんな所で、自分から口にするのは少々躊躇われたので、無言のアプローチを試みる。

 前方へ手を伸ばすとするりとボタンの留められていないブレザーの合わせから掌を滑らせた。ワイシャツの上から、目的地を探し当てる。

 突然のことに浬は硬直した。

「英語でここをなんて言う?」

 指先でくるりと円を描いてから素早く手を放した。

「えぇと……nipple……だっけ?」

 浬は、目を泳がせて、いつになく動揺しているようだ。声が僅かに上ずる。

 そんな所も可愛いと思ってしまうのだから自分でも重症だ。もう末期かもしれない。

「正解」

「それがlessってこと?」

 気分はいたいけな青少年を誑かす教師。こんな所で自分の意外な一面を発見したりもするから吃驚だ。


 (……ねぇ、浬。キミが考えている程、私は、清純でもお淑やかでもないのよ?)


「聞いたことない? アメリカとかで、そういう専用のテーピングっていうのかな、シールとかシリコンみたいなものが売られているの」

「ああ、そう言えば、ある」

「この間、友達からお土産だってそれを貰ってね。試しに使ってみたの」

 なぞ解きをすれば、すぐ傍で喉がごくりと鳴った。クールに見えても、内側は様々な感情が湧き立っている証拠だ。彼の妄想をけしかけるようなことをしている自分は悪い大人だろうか。

 

 腰の辺りに置かれていた手が、パーカーの中から、躊躇いがちにそろそろと上昇を続けた。

 何処まで確かめるつもりなのだろうか。

 指先が辺縁に近づき、輪郭をなぞるように滑ってゆく。やがて親指が小高い丘に辿りついた。そして、頂上を丹念に調べて行く。

「くすぐったい」

 科学調査のような慎重な手つきに自然と笑いが込み上げてくる。

 スリルと羞恥の狭間に意識が揺れる。それでもやはり小心者で常識派の私の理性は、すぐに限界を感じて探索中止の合図を送ったのだった。


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