11.三次元ベクトル
差し出した手を見るなり、あの人は、『おや』という顔をした。
柄にもないことをしているという自覚はある。
ギャルソンの格好からいつもの制服に着替えて、今は校内案内の真っ最中だ。自分の日常風景にあの人が混じる。たったそれだけで、この場所が少し特別に見えてくるから不思議だ。
「いいから。ほら。サユルさん、人混み苦手だろ?」
手を取りたかったのは自分だ。それを態と誤魔化して。
照れくさくって、ついつい口調がきつくなってしまうのを止められない。
俺の憎まれ口をあの人は小さく笑って流す。全てはお見通し。その目は包み込むような優しさで、『仕方ないわね』と告げていた。
あの人は、するりと隣に並ぶとさり気なく指を絡めて来た。
少し冷たい指先。余りある熱が少しずつ伝導されて行く。これは自分だけのささやかな特権だ。
「相変わらず冷てぇ手」
「万年血行不良だからね」
悪態をつけば、茶化した返事が返ってくる。
「また、肩、凝ってんじゃねぇの?」
この間、冗談で触った時は吃驚するほど硬かった。
「どうかなぁ。自覚はないけど」
「後で見てやるよ」
その提案に、途端に顔を顰めたのが雰囲気で分かった。
「いいわよ。だってキミ、力の加減が分からないんだもの」
「今度は大丈夫だって」
前回はちょっと力を入れ過ぎて、痛がらせてしまったのだ。血流を良くしようと容赦なく揉み解しをしたことを根に持っているようだ。
ゆっくりと廊下を歩きながら、歩幅に気を付ける。社会人であるサユルさんは、女性にしては歩くのが早い方だが、男女の差は歴然だ。
肩口にある髪がさらさらと揺れ、すぐ傍のイヤリングの赤い石が、少し遅れて振り子運動を繰り返す。 鼻先を白檀の香りが掠めた。