最上位魔術とその代償
「アキナ様!!!!!!!」
「アキナ!!!!!!!!」
ティアとミナの叫びが、石造りの階層全体に叩きつけられる。
硬質な壁に反射した声は何度も跳ね返り、やがて悲鳴としての輪郭を失い、ただの振動になって消えた。
だが、戦場は感情に配慮しない。
泣き叫ぼうと、立ち尽くそうと、世界は止まらない。
剣を納める猶予など、最初から存在しなかった。
倒れ伏したアキナの周囲には、なおも敵意が残滓のように蠢いている。
血と魔力が混じった空気は重く、呼吸をするだけで肺の奥が痛む。
誰かが一歩踏み出せば、再び殺し合いが始まる――
その緊張を、たった一言で断ち切ったのは魔王だった。
「――興覚めだ」
低く、乾いた声。
怒気も殺意も含まれていない。
それでも、その一言は音ではなく、意思そのものとして空間を切り裂いた。
「これ以上の戦いに意味はない」
命令ではない。
説得でもない。
世界に対する“決定”だった。
檻の中で狂乱していた黒檻魔獣が、ぎしりと音を立てて動きを止める。
三公もまた、何かに縫い止められたかのように武器を下ろした。
そこに逆らおうとする者はいない。
「それに――」
魔王は一度だけ、倒れ伏すアキナへ視線を向ける。
その目に映るのは、勇者でも敵でもなく、ただの一人の人間だった。
「俺様の過去まで抱えると言いやがった。面白い女だ」
口元に浮かぶのは、乾いた笑み。
だがそこには、確かに愉悦と、わずかな懐旧が混じっていた。
「仲間になってやる。起きたら、そう伝えろ」
1通の手紙が床に落ちる。
拾われる未来を、疑っていない落ち方だった。
振り返ることもなく、3人と1匹の姿は宙に溶けるように消えた。
残されたのは、勝利と呼ぶにはあまりに重い静寂だけだった。
「アキナ様! 起きてください! アキナ様!!」
ティアは駆け寄り、膝をつき、叫びながらその身体を揺らす。
返事はない。
冷たい床に横たわる体温だけが、確かに生を示していた。
「姉さん、やめろ!」
オーディンが歯噛みしながら叫ぶ。
「習っただろ! 深淵中和の影響で昏睡してるだけだ!」
「うるさい! 触らないで!」
ティアは振り払うように叫ぶ。
「アキナ様……お願い……置いて行かないで……」
声は次第に掠れ、やがて震えに変わる。
視線は焦点を失い、現実を捉えていなかった。
「……姉さん」
オーディンは声を落として言う。
「目の前で倒れてるのはアキナだ。アイラじゃない。大丈夫」
その名に、ティアの呼吸が止まる。
17歳の、あの日。
笑っていた妹の顔。
次の瞬間、永遠に失われた温度。
オーディンは何も言わず、ティアの肩を抱いて端へ連れて行った。
抵抗はなかった。ただ、震えだけが残る。
「……前に話してた、アイラって子のこと?」
ミナの問いに、空気が重く沈む。
「俺から話す」
オーディンが短く息を吸った。
「10年前、王都で陥落事故があったろ。女の子が1人、死んだ」
全員が同じ事件を思い出して言葉を失う。
それくらい大きな事故だった。
「その時に死んだのが、俺の双子の姉――アイラだ。姉さんは一緒にいた自分のせいだって、今でも背負ってる」
アキナとアイラ。
向こう見ずで、誰かのために無茶をするところ。
笑った顔が、あまりにもよく似ていた。
だからこそ――重ねてしまった。
オーディンは震えるティアを背負い、第7階層を目指す。
ルーカスも無言でアキナを担ぎ上げた。
その重さが、現実として腕に残る。
魔王の魔法が消えた階段は、本来なら容易に降りられるはずだった。
それでも、昇る時より遥かに重く感じられる。
誰も軽口を叩かなかった。
スカーレットと合流し、状況が整理される。
「深淵中和……本当に使うとは思いませんでしたわ」
一瞬の逡巡の後、彼女は続けた。
「以前、アキナさんはこう仰っていました。自分の命を懸けて、皆が救われるなら本望だと」
「なんで……そんな大事なこと……!」
ティントの声が震える。
「責めても意味はない」
ダークが静かに制した。
「後悔じゃなく、これからを考えよう」
魔王の手紙を受け取り、各階層との調整完了が確認される。
帰還方法も決まった。
オーディンとルーカスがまた昏睡した2人を背負い、ジェラス・ハウンドに跨る。
速度は落とされ、慎重に進む。
その分、帰路は長くなった。
王都に辿り着いたのは、アキナが倒れてから7日後。
戦争は、確かに終わっていた。
だが――
勇者、いや、英雄アキナだけは、まだ目を覚まさない。




