表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/20

8話

 階段を降りるごとに、校舎の空気が変わっていく。


 四階――まだ“人の温度”がある。

 部活帰りの足音や、誰かの笑い声の残響が、薄く耳に触れる。


 三階――廊下の影が濃くなり、音がふわりと揺れる。

 二階――耳鳴りのような静寂。

 一階――


(……静かすぎる)


 紗希は立ち止まり、ブレザーの襟をそっと押さえた。

 制服も荷物も普段通りなのに、“空気だけ”が異質に感じられる。


「黒の……匂いじゃねぇな」


 恭介がぼそりと呟く。

 声が低い。“何かに喧嘩を売る直前”の声音だ。


「帯域が、妙に薄いっすね」


 廉がレコーダーを叩きながら、眉を寄せた。


「昨日抜けてた部分の《続き》みたいです。

 自然に静かになったんじゃなく……《通り道だけが残ってる》」


(鏡のとき――“音の形”だけ抜かれた……

 その残響のトンネルが、そのまま伸びてきてる……)


 放送室へ向かう廊下の途中。

 図書室の前だけ、呼吸を止めたような、冷たい空間になっていた。


「ここ、妙に冷えてねぇか」


 恭介が扉横の小窓から覗く。


 薄暗い室内。棚の層が影を何重にも作り、紙の濃い匂いが漂っていた。


「帯域、ここで一回“沈んでる”っすね」


 廉の声が硬い。


「まっすぐ放送室に伸びてるんじゃない。

 《この部屋を経由してから向こうへ抜けてる》」


「中継点……ってことですか」


「そんな感じです。

 ……どうします? 覗くだけ?」


「覗くだけ、で済めばいいけどな」


 恭介は、ためらいもなく扉を押し開けた。

 湿った紙の匂いが鼻を刺し、暗い空気が、ぬるりと流れ出した。


 棚の影が、ゆら…………と揺れた。


 紗希は足元に落ちていた紙切れを拾った。


 古い貸出カード。

 端に、小さく丸いシールの跡が残っている。


(……これ、小さい子向けの分類……?

 でも、この部屋、そんな本少ないはず……)


 何気なく裏を返すと、

 “かすれた小さな字で、名前の一部だけ黒く塗られた跡”があった。


 紗希は黒塗りの部分をそっと指で撫でた。

 かすれた線の“丸み”が、小さな子どもの字のように柔らかい。


(……女の子の名前……?

 黒く塗ったというより……“残せなかった”みたいな途切れ方……)


 胸に微かな違和感が沈む。


(……なんで……ここに)


 紗希の胸の奥で、違和感が微かに震えた。

 だが恭介が前を進み始めたため、その場では深追いしなかった。


 最初に変化したのは、床に落ちていたプリント。


 一枚の紙が――

 ひとりでに、ふわりと持ち上がった。


 隣の紙も、そのまた隣も。


 付箋、しおり、貸出票、ノートの切れ端――

 図書室の“紙”がすべて、何かに吸い寄せられるように動き始めた。


「おいおい……マジかよ」


 恭介が低く唸る。


 紙は折れ、たわみ、背骨の線を作り、



 四肢の形を模し――


 “紙の人影”が立ち上がった。


(……これは“動きを見られた時の残り香”だ)


 誰かがこの図書室で繰り返し歩いた軌跡。

 本を開く癖。

 ページをめくる角度。


 それら“人の残したログ”だけで、人型が組み上がっている。


 顔は無い。

 歩くたびに、バサ、と紙がめくれる音が鳴った。


「……“見られていた動き”を写してますね。

 この紙……視線のログの束です」


 紗希が小さく呟く。


「触れた跡や手癖を、《ログの束》みたいに……」


 紙の人影が――

 紗希の肩の動きを、“一拍遅れて”なぞった。


(鏡のときの“遅れた笑い”と同じ……気持ち悪さ)


 恭介が舌打ちした。



「……借り物のくせに、人間様のフリしてんじゃねぇよ」


 紙人形が腕を振り上げた。



 動きは“人を模しただけ”で妙に雑だが、速い。


 紙の腕が迫る――


 恭介は横へ跳び、拳を握りしめ、

 およそ紙切れに向けるとは思えない勢いで殴りつける。


 ドッ。


 乾いた衝撃。紙人形の胴が折れ、

 破片が雪のように舞った。


 ……だが紙片は、また吸い寄せられるように再構成を始める。



「“観測者の釣り糸”ですね」


 廉が静かに分析する。



「向こうで誰かが見てて……

 こっちの動きを拾って、モデルにしてる」


(黒の奥の“観測者”……

 鏡、レコーダー、そして今は図書室)


「遊んでんじゃねぇよ」


 恭介が殺気をにじませる。



「こっちの動き盗んで、ワンテンポ遅れて真似するとか……

気色悪い真似しやがって」


紙片は通路の奥へ――

“誘導するように”散っていく。


その先には、古い鉄扉。


札にはかすれた字で《旧放送準備室》。


扉の前。

紗希の視線がふと、床に落ちる小さな紙片で止まった。


 細いペンで描かれたような

 “同じ幅で刻まれた小さな等間隔の点”が三つ。



(……これ、誰かが……指で、机を叩いた跡……?)


 以前、志藤先生の癖をふと思い出す。

 話を聞くとき、机をとん、と、一定リズムで叩く仕草。



(……似てる……気がする……)


だが確信にはならない。

紗希はその思考を、胸の奥にそっと押し込んだ。



「……ここ、今は放送室と回線繋がってる部屋ですね」


 廉がノブを調べながら言う。


「扉、昨日……“内側から閉めた”跡があります。

 教師がやったんじゃ、こうはならない」


「つまり」


 紗希は小さく息を吸った。


「向こうに、“いる”」


「逃がすかよ」


 恭介は鉄扉の前に立ち、拳を握る。

 紙片がパラパラと扉の隙間へ吸い込まれていった。

 まるでその向こう側に、誰かの“目”があるかのように。


(……誰の“目”……?

 あの貸出カード……

 あの癖……

 全部、どこかで……)


 胸にひっかかった違和感は、

 まだ言語にならない。


 図書室の空気が、底へ沈むように重くなる。


「開けるぞ」


 鉄の匂いと紙の匂いが混ざり、

 図書室そのものが息を飲んだように感じられた。


(この扉の向こうが……

 “黒が動き始めた中心”)


 真相の入口か。

 あるいは、それ以上に悪いものか。


 恭介が扉を――押し開いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ