7話
――鏡の奥の“目”が消えてから。
演劇室には、観測された直後の静寂がまだ沈んでいた。
蛍光灯の唸る音だけが天井で揺れ、部屋の空気がどこか“薄い”。
「確認するのは――昨日、美和が録音してた場所だ」
恭介は割れた鏡を靴先で軽く蹴りながら言った。
はじかれた欠片が、ぴしりと床で跳ねる。
「黒が触った痕は、あそこが一番濃い。……さっさと片付けようぜ」
(……なんだ? 恭介とかいうやつ、やけにテンション上がってきてるみたいだが……)
廉は訝しげに恭介を一瞥したのち、肩から下げたレコーダーに触れ、息を整える。
――震える指先。
こもったのは恐怖ではなく、“次を探りたい熱”だった。
「確かめたいのは“どこへ繋がってるか”、ですね」
「繋がってる……?」
紗希が拾った単語に、廉は短く頷いた。
「黒が勝手に動いたんじゃなくて、“あれ”が使ってた通り道っすよ。
さっきの帯域の戻し方……あれ、《送り返し》だ」
(送り返し……)
紗希の背中を這ったあの声が蘇る。
――みてるよ。
「送り返すって……なんのために?」
「知られたがってるんすよ。向こうの“観測者”は」
廉の説明は静かで、しかし鋭さがあった。
もう推理の領域に入っている。
「黒を細工して、鏡の奥を二重にして、音を抜いて……
“見せ方にこだわる悪趣味”。犯人の癖、出すぎ」
「趣味でやってんのか。……まあ言われてみりゃそうだ」
恭介が鼻で笑った。
その声は、完全に“ケンカ売られたと思ってる音”だ。
「じゃなきゃあんな回りくどいマネしねぇよな。脅すにしろ殴るにしろ、一発で済ませるのが普通だ」
「アンタの“普通”は当てにならないんすよ……」
「おい廉、誰のせいで助かってると思ってんだ」
「恩着せがましい“先輩”だな。やれやれだぜ」
噛み合わない会話に、紗希は小さく笑った。
恐怖と可笑しさの混じる、妙な温度。
「私は……“意図”で見ます」
「意図?」
「はい。“どうして私たちに見せてるのか”。
さっきの『みてるよ』は……《観測してますよ》って宣言です」
「灯さん、そういうことサラッと言うから怪談好きに噂されるんすよ」
「褒め言葉ですね?」
「褒めてねえっす」
廉は息を吐いて、表情を引き締めた。
「整理入りましょう」
指を顎に当てて考えながら、淡々と語る。
「昨日の鏡で起きたこと。
今日の鏡で“変わったこと”。
そして――《犯人が何をしたいか》」
紗希はコクリと頷いた。
「じゃあ、一つ目」
「昨日は《遅れて笑った》。
でも今日は、奥の像は笑わずに“観測していた”。
同じ像じゃない。“別の何か”が奥にいる」
(別の……)
「二つ目」
「レコーダーの帯域が《昨日抜かれた部分だけ》戻った。
抜くことも戻すこともできる――“蛇口を握ってるやつ”がいる」
「蛇口って言い方やめろよ……想像しちまうだろ」
「実際そういう操作ですから。
三つ目」
廉は三本目を立てる。
「鏡とレコーダーは“発火点として繋げられている”。
犯人は昨日の瞬間を《再演》したがってる」
「再演……?」
「昨日、あそこで何が起きたかを“こっちに思い出させたい”。
向こうの観測者は、灯さんを――」
「おい廉、紗希を犯人扱いするって話か?」
「してないっすよ!? 説明の途中!」
(思い出させたい……私に……?)
紗希の胸が、わずかに熱で脈打つ。
「で、答え合わせの場所は?」
恭介が短く問う。
「――放送室です」
「昨日、美和さんが録った部屋っすね」
恭介はゆっくり肩を回し、首を鳴らす。
「なら行くぞ。
黒が流れたなら喰う。
覗かれたらぶっ飛ばす。
……以上」
「先輩、どっちみち暴れるつもりですね」
「腹減ってんだよ」
その言葉に、廉も紗希も笑った。
緊張をほぐすような、短い笑い。
「行きましょう。放送室」
紗希は鏡を一度だけ振り返る。
割れたガラスには何も映らない。
(ちゃんと……見返しますからね。
あなたが“見せたいもの”も、全部)
静かな決意を胸に、三人は廊下へ歩き出した。




