表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

4話

 救急車のサイレンが遠ざかってから、まだ十分ほどしか経っていなかった。


 雨の痕跡はもうなく、朱色の夕日だけが廊下の窓に細長い影を落としている。

 さっきまでの喧騒が嘘のように、校舎はひどく静かだった。


 焦げた匂いと鉄の味。

 床に残る黒い焦げ跡だけが、“黒”がいた証として湿り気を残している。


 美和は保健室へ運ばれた。

 紗希は壁にもたれ、噛みしめるように沈黙する。

 恭介は拳を握り、夕日の片目だけを細めた。


「……さっきの、あれ」

 紗希は喉を鳴らし、言葉を選ぶ。

「“黒”って、言ってましたよね。……何なんですか、あれ」


「さあな。喰えば静かになる。以上だ。」


 そのとき――


「おいおい。“黒”なんて単語、どこで知ったんだ? 軽く口にすんじゃねぇよ」


 廊下の角から相馬廉が現れた。


「レンさん……どうして?」

「顧問に呼ばれた。“怪談研究のネタがある”ってな。

 来てみたらこの有様だ。人生って案外忙しい。」


 恭介が睨む。

 廉は視線を受け流し、焦げ跡にしゃがみ込む。


「……まだ動いてる。」


 焦げの奥で、黒い線が“筋肉のように”ぐにりと蠢いた。


 廉は小瓶を指先で弾き、白い粉を静かに撒いた。

 粉は薄く広がり、黒の揺れが――ほんのわずかに弱まった。


 反応は三者三様だった。


 紗希は、粉の散らばり方と黒の薄れ方を、無意識に見比べていた。

 恭介は鼻を鳴らし、ぼそりと呟く。


「……食えねぇ粉、撒くな。」


 廉は肩をすくめる。


「気にすんな。ただの“区切り”だ。

 俺の流儀ってだけだよ。」


 三人の温度差が、奇妙に廊下に馴染んだ。


「やっぱりだ。ブラックベイン。」


「ブラック……?」

 紗希が眉を寄せる。


「黒の流れ。恐怖の沈殿した場所にだけできる“地脈”。

 人の積み重ねた恐怖の“跡”が、黒い線になる。

 感じる人間もいれば――視えちまうやつもいる。」


 言いながら、廉は紗希を指さした。


「灯の嬢ちゃん。

 断言はしねぇけど……黒が寄ってくる人間ってのは確かにいる。」


 紗希は息をのむ。


「……なんでわかるんですか」

「匂いだ。渦眼のやつには分かる。」


 廉は肩越しに恭介を見る。

 真っ黒に見えるほどに影の落ち込んだ顔。

 恭介の瞳の奥で、青白い渦が微かに震えた。


「俺も渦眼持ちだが……お前みてぇにギラついてはいねぇよ、先輩。」


「先輩じゃねぇ。」


 ――カツリ。


 排水溝の奥。

 暗闇で、複数の“目”が揺れた。


 紗希の喉が固くなる。


 黒い線が絡み合い、枝のように伸び、

 “ひとつの塊”へと収束する。


 廉は影を踏み、斧の影――〈蜃〉を具現させた。


「来るぞ。」


「斧……?」

 紗希が呟く。


「〈蜃〉。俺のフィアー。

 “幻”と、黒が残した“嘘の記録”だけを斬れる。

実体は影だが――切れるときは切れる。」


 黒が溢れた。


 ――ジ……ジジジ……


 電線が焼けるようなノイズ。

 壁を走る黒い線は、生き物の跳躍そのもの。


「下がれ、灯の嬢ちゃん!」


 廉が叫ぶ――が、その前に恭介が動いた。


「……腹、減ってんだよ。」


 声音は獣じみた渇き。


 恭介の視界では、黒は一本の線へと収束し、

 “核”へ誘導する道筋のように揺れていた。


 恭介が黒の塊へ飛び込み、噛み千切る。

 濡れた煤を裂くような、湿った線維の砕ける音。

 金属粉のような味が舌に貼りつき、

 黒い熱が喉を焼きながら胃の底へ落ちていく。


 “目”が悲鳴めいて収縮した。


「……食ってんのかよ。それ、“情報”だぜ?」

 廉は呆れ半分、震え半分。


 廉の耳には、黒のノイズが

 “吐息”のような音として揺らいでいた。


「うるせぇ……うまいんだよ」


 紗希の口元がわずかに揺れた。

 廉が震え、恭介が飢え、

 自分だけが微笑んでいることに気づかないまま。


(ああ……恭介先輩って、やっぱり。こういう人なんですね……)


 黒が天井へ逃げる。

 廉が斧を振る。


「“目”を潰せ! 核だ!」

「言われなくてもだッ!」


 恭介は跳び、黒を掴み、噛み潰す。

 ノイズが弾け、線が排水溝へ逃げ戻る。


 恭介は腕を突っ込み――喰い尽くした。









 ――その瞬間。


 視界に白いノイズが走る。

 紙の壁が一枚揺れ、

 向こう側で“誰か”が手を伸ばしたような感覚。


 次の瞬間、遠い声が遮断した。


 ――『そこには触れるな』


 恭介は奥歯を噛み、記憶が滑り落ちるのを待つ。


 廉が駆け寄る。


「……お前、一人で全部喰ったのか?」

「喰うしかねぇだろ。腹ァ減ってんだよ。」


 廉は裂けた腕を見て顔をしかめる。

 裂け方は**“噛み跡”に見えなくもない**。


「腕、裂けてんぞ……」

「ケッ。あとで絆創膏でも貼っときゃいいだろ」


 その雑さに、廉は言葉を失った。


 廊下の奥から、

 生徒たちの小さな囁きだけが届く。


「今の……噛んでたよな?」

「吸ってたよな……?」


 紗希は黒の残り香、逃げた方向、目の配置――

 恐怖の“構造”を、書くように整理していた。


(……書ける。今の恐怖、全部、形にできる……)


 廉が排水溝を覗く。


「……おかしい。ここ、本来は黒が流れ込む場所じゃねぇ。

 “誘導”されてる。黒を集めてる“誰か”がいる。」


 恭介と紗希は顔を見合わせる。

 しかし、それが誰だ、というような具体的な名前は浮かばない。


「まあ、決めつけは危ねぇ。

 黒は“思い込み”に乗って増える。」


 三人は焦げ跡を離れ、夕暮れの廊下を歩き出す。






 ――教室の窓の影に、ひとり佇む男がいた。


 白衣の袖。志藤。


 焦げ跡を見つめ、唇を引き結ぶ。


「……面倒な案件を拾っちまった。

 専門外なんだがな……」


 その声色は冷静だが、

 袖口の内側では指先が微かに震えていた。


 メモ帳を開き、淡々と記録を書く。


 窓の鍵を静かに閉めながら、小さく呟いた。


「仕事ばっか増える……ほんと、運が悪い。」


 夕日の影が伸び、

 校舎の奥では黒の地脈が静かに脈動を始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ