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07

 「おお!咲いた!」

 ひと月ほど滞在し、手芸にもぼちぼち飽きが来た頃のある朝、弟子の感嘆する声が響いた。





 冷たく清涼な泉の水面に、幻のような青い花が開いていた。

 それまで蕾だけが葉のまにまに顔を出していたが、全てが一斉に開花したようだった。



 イルニアは騎士と弟子に暫く黙っているように言い、泉のほとりで不思議な歌を口ずさみ出した。



 どこの言葉ともしれないそれは、古代語に似ているようにも思えたが、騎士の知識をもってしても一つも理解が出来なかった。



 旋律も耳慣れず、半音を上がったり下がったりしながら移り変わるそれにいつしか頭の中がぼんやりとし、軽い眩暈を覚えるまでになった。



 イルニアは歌いながら一枚の布を広げた。



 そ、っとそよ風とも言えない程の僅かな空気の揺らぎが通り過ぎ。

 水面を渡ったと同時にきらめく青の花たちは掬い取られるように布の上へ移動していた。



 イルニアは歌を止めず、布の端をふわりと折って花を包み込み、愛用の鞄の中から取り出した陶器の箱の中へそっと納めて蓋をした。



 もう一度泉へ向かって立ち、青睡蓮と泉を称え、言祝ぐように歌は紡がれ。



 最後の一息で、水面は微かな青い光を帯び、うっすらと氷を浮かばせた。




 「もう、良いよ」


 イルニアが振り返ると、弟子は隣へかけてきた。

 そして泉を見て目を瞠った。

 「凍ってます……?」


 ここへ来て一ヶ月、泉は凍る様子を見せなかった。

 周囲の雪や氷の正体が魔力であると聞いてからは、そういうものかと思っていたが。

 「花を貰う代わりに魔力を渡した」

 「え……」

 うっすらと張った氷はぱりぱりと音を立てて溶け始めている。

 そして、氷の隙間からは新たな蕾が顔を出し、ゆっくりと綻びはじめた。

 「青睡蓮の開花は膨大な魔力を必要とする。恐らくこの泉の水が凍らないのは青睡蓮が絶え間なく魔力を吸収しているからではないかと推測している」

 見る間に氷は姿を消して行った。

 「花を全て採ってしまうと、一時的に魔力が溢れるのではないかと思ったが、予測の通り凍りだした」

 凍結の魔法が瞬間的に過剰になって水面がうっすらと凍ったのではないかとイルニアは言った。

 「按配を間違うと泉が凍ったままになったり、逆に周囲の雪や氷を取り込んで泉が広がったりするかもしれない。魔力を与えるというより、開花を促した」

 イルニアが魔法で植物に成長を促すことが出来る事は知っていた。

 裏庭の畑でたまにそれを行って、季節外れの野菜や果実を収穫する事があるからだ。

 滅多にはないが、薬草をそうやって収穫する事もある。

 土魔法の応用だと師匠は言うが、同じようにやってみようとして、出来たためしはない。

 弟子は次々に新たな花を開き始めた硝子か水晶細工のような青睡蓮に目を移す。

 これは土魔法なのか?

 泉の底を覗き込むが、澄んだ水の底もまた氷にしか見えない。

 この魔法植物は土ではなく氷に根を生やしているのではないか。

 であれば、一体、何の魔法なのか……

 弟子には想像がつかない。


 「あの聞いたことのない歌は、何だったんです?」

 「あれは魔力を声に乗せただけで、歌に大した意味は無い」

 「え……」

 弟子は驚いたように師匠を見上げた。

 「一枚布のように魔力を均一に薄く広く伸ばして水面に滑らせて花だけを採取した。その為の歌だ」

 「てっきり、何か魔法的意味のある歌かと思ってました……」

 「あの微妙に上がり下がりし、少しずつ変化しながら繰り返される旋律は、魔力を編む効果があるのではないかと言われてはいるが、実現できた研究者はいない。私はイメージが作りやすかったから歌っただけだ」

 「……そうですか」

 弟子は溜息をつくように言ってもう一度水面を見た。

 ひょこりひょこりと蕾が現れ、きらめきながら開花する。満開だ。もしやこの状況も研究者にとっては得難い観察機会なのではないか。


 弟子の灰色の瞳が、水面に銀色に映って見える。

 そして微かに首をかしげたようだった。


 「では、別段先ほどの様な方法でなくとも採取は出来るという事なんだな?」

 問うてきたのは騎士。

 イルニアと一緒に来なければ、採取など出来なかったではないかと言う所だった。

 「素早く一輪切って、保存を付与した容器へ入れてしまえばいいだけだ」

 それを聞いて騎士は大きく溜息をついた。

 「つまり一輪で充分だったのだな?」

 「君たちの依頼の為にはね」

 イルニアは唇の端を上げた。

 「こんなところまで付き合わされたんだ。実験くらいはさせてもらってもいいだろう?」

 何のメリットもないのだから、と言うが騎士は眉を寄せた。

 「陛下が報酬を約束したはずだ」

 「王侯貴族が与えられる物の中に私の欲しい物があるとでも言うのかい?」

 鼻で笑って肩をすくめて見せる魔女が腹立たしい。

 「契約紋を刻んだだろう」

 「そりゃ、今後こういう事のないような契約を結んでもらう為だよ。反故にされそうだったからね」

 信用もされていないのだ。騎士は歯噛みする。

 「なぜそこまで我々を疎むのか」

 薬の依頼も道中も、お互い踏み込ませない距離でありながらも、敵意を向けられることなどなかったはずだ。面倒そうにしてはいたが。

 「平民から見ると、貴族と言うのは恐ろしいだけの存在なんだよ。貴族が黒と言うなら、白い物も黒。理由もなく突然殺されても文句も言えない」

 「そこまで理不尽を言う貴族など今時はいない筈だ」

 「そうかい?ならついこの前まで北の辺境伯領全体を覆っていた絶望感は何だったんだろうね。辺境都市では、領主代理が気まぐれに討伐に来る度に若い娘を外に出さないようにしていたよ。それでも被害をこうむった娘はいる。人妻でもお構いなしだった。娼婦だから安心なんて事もなかった。むしろ娼婦が何人も犠牲になった。女だけじゃない。気に入らない人間は平気で切り殺したっけ。道の端にいるだけで邪魔だって切り捨てられた幼い子もいたよ」

 騎士は黙るしかない。

 だが辺境伯家の嫡男が異常だったのだ。

 平民だけでは飽き足らず、王太子からの通達を盾に、王太子の元婚約者、公爵家の令嬢まで嬲り殺したのだから。

 「殺された令嬢は上級貴族だったから問題になった。これが平民のみだったら、奴の処遇はどうなっただろうね」

 恐らく辺境伯は同じように息子を廃嫡にするだろう。そして幽閉なりなんなりするだろう。

 だが、その先に下されたと聞く罰はどうなっただろう。

 一部にしか明かされていない、あっさりと死を与えられるよりも過酷なそれ。

 騎士も詳細までは知らされていない。

 だが、魔女はそれを知っているのだろうか。


 「君も被害を受けたのか……?」


 魔女は無表情に騎士を見返し肩をすくめたが答えなかった。





 翌日、テントを畳んで三人は山を下りた。

 行きと同じ日数を野営をしつつ麓に戻った。

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