05
はっと意識が戻ってきた。
騎士は咄嗟に身構えたが、目の前では薬師師弟が和やかに薬草の整理をしているだけで、さほど時間が経っていないのだと気が付いた。
目を向けてイルニアは溜息をついた。
「「覗かれ」たのだね」
これがそうなのか。
過去の出来事を鮮やかに思い起こすのが。
まさに夢を見させられた気分だった。
「見た所、そう悪い思い出でもなかったようだね。良かった事だ」
続く魔女の言葉に、確かに、苦痛な経験を追体験させられるとなればたまったものではないと思う。
和やかな出来事だった自分とは異なり、魔女はそちらの記憶だったのだろうと想像した。
「紙一重というところだったが、婚約者との出会いが中心だったので」
「ああ……。そういえばエシラ侯爵家のご令嬢と婚約なさったのだったか。相性は良さそうだ」
騎士は剣帯の飾りをぎゅっと握った。黒曜石がうっすらと熱を帯びているようにも思える。
「面識があるのか?」
ふ、と魔女は視線をどこかへ彷徨わせた。ほんの一瞬の事だったが。
「血族判定の後、国王に暫く王宮に留まって婚約破棄された令嬢たちの心理ケアを依頼された。遅れて西から戻ってきたエシラ侯爵令嬢も診た」
「ああ、そういえば……」
直ぐに帰ろうとした魔女を国王は王宮へ押しとどめた。魔女特製の香草茶が気に入った為、と説明された。
入眠しやすくなったり、ぐっすり眠れたり、体調が良くなったりと、国王の体質に合ったらしく。
王宮へとどめておきたいがために、令嬢たちの診察も依頼されたのではと噂されたりもしたのだった。
「西の辺境伯殿は穏やかな方で、エシラ侯爵令嬢もだいぶ安心して過ごせていたようだったので、安眠できる香草茶を渡したくらいだったが」
中には酷く傷ついた令嬢もいる。
特に北の辺境伯家へ送られた王太子の元婚約者は、折悪しく辺境伯代理となって暴君のように振る舞っていた辺境伯子息に嬲り殺された。
「罪人故どのように扱っても良い」という王太子の命をまともに受け取っての愚行だった。
辺境伯の側近たちが必死に止めたにもかかわらず。
魔獣の毒に侵されて伏せっていた辺境伯へ手配されていた解毒剤がその騒ぎの中ひっそりと届けられたのは皮肉だった。
回復してすぐ、息子を謹慎させ、急ぎ少女を救い出そうとしたが、間に合わなかったと聞いた。
「北へ送られた令嬢程ひどい目に遭った娘はいなかったし、それぞれに合った薬や香草茶を渡して様子を見てそれでおしまいだったよ」
最初は、皆一様に夜眠れないと訴えていたが、随分と気持ちが落ち着いたと評判だったとか。
「エシラ侯爵令嬢は、自分と王太子の元婚約者が北と西のどちらの辺境伯へ振り向けられるかくじ引きさせられたそうだよ。西を引いて一瞬でも喜んでしまった事は否定できないと気に病んでいた。あの子の事だから騎士殿には話したろうと思うが」
「ああ……。正直すぎる程率直に告白された。「平穏に生きる資格があると思えず、修道院へ入ろうと思っていた」と」
魔女は苦笑した。
「北へ送られた娘の死の責任があの子にあるわけでもないのだがね。幸せに生きる事が供養になるとは考えられないかと言ってやったが、なかなか気持ちを切り替えられないようだったよ」
くじ引きなどさせた王太子が鬼畜なのだ。こうやって後を引くような傷を残す。悪辣と言うほかない。一体誰の発案だったのか。
「どのような亡くなり方をしたのかわざわざ知らせてきた者もいたようだ」
騎士は苦い顔をして言った。
「ああ、それも聞いたよ。悪趣味な奴もいるものだ」
令嬢それぞれには王家からの補償と地位的に釣り合いの取れた婚約者の紹介がされた。
今度はそれを妬む筋の者達も現れた、という所だ。
「王宮内の「掃除」はだいぶ進んだと聞いたが」
現国王はこれを機に元王妃と共謀して前国王や元王太子が作り上げてしまった淀んだ空気の入れ替えを盛大に行っていると聞いている。
隣国の密偵等もあぶりだされ、元王妃とその実家が暗躍しているとも密かに漏れ聞こえてくる。
「単に悪趣味なだけの輩でもなかったという事かね」
うんざりしたようにイルニアは新たな薪を火にくべた。
「まったく、貴族やら王族やら……。こっちを巻き込まないでほしいものだよ」
騎士は返す言葉もなく、剣帯の飾りから手を離した。
騎士は夜中にふと目を覚ました。
氷竜の洞窟内は外より暖かいとはいえ、そのまま寝袋で夜を明かすには流石に気温が低く、それぞれテントを張って中で休んでいた。
例によって見張りは必要なく、「よく眠っておくといい」とイルニアには言われた。
テントの外で人の動く気配がした。
一瞬緊張したが、探るとそれは魔女の弟子の気配と気づいた。
何をしているのか気になって、そろりと起き上がり、入口の合わせ目を細く開いて外を伺う。
ほわほわと蛍の灯りの様な小さな光を浮かべて、少年は竜の頭蓋骨を見上げていた。
ほのかな明かりに金剛石の眼球が小さく虹色を反射している。
少年の色の薄い瞳も、同じく光を映して虹色を弾いていた。
右手がそっと上がり、指先が探るように氷壁を撫でる。
視線は金剛石に合されたまま。
冷たさも感じず、言葉なく語らいあうように、少年はそのままじっとしていた。
騎士は何かの秘密を覗き見たような気持がして、そのまま静かに寝袋へ戻った。
翌日、同じような氷壁を魔女の言った通り三回登って、つるりと平らな雪原に辿り着いた。
北山と言われる一連の山脈のうちの頂の一つであり、凍らず水の溢れだす不思議な泉がある。
氷細工と見まがうような睡蓮の丸い葉が幾つも浮かんでいる。
ほの青い蕾も幾つが見えるが……
「咲いてませんね……」
水面を眺めながらユーシャ少し残念そうに言った。
険しい道のりを登ってきたにも関わらず、疲れた様子は見えない。そのことに少し騎士は驚いていた。
「滅多には咲かないと言っただろう?」
「でも、ほら、師匠がここまで出張ってきたわけですし」
「私が来たからなんだって言うんだ。採取ならしょっちゅう出てるじゃないか」
「いえ、コインの依頼の時って、基本気が進まない様子なのに、今回はちょっと楽しまれているようなので」
「だから?」
「滅多にない事だなあと思って」
「確率的に、という話かい?」
苦笑する。
「今回だって気は進まないよ。国王には言っておいたはずなんだけどね」
「何をです?」
「薬師の仕事ってのは怪我や病の薬を作って売る事だよ。怪我人や病人がどこにいるんだい?」
「……ああ、本分ではないと」
「そういうことだよ」
「今回の血統問題とて、もし血筋と関係ない者が入りこめば人が死ぬ」
騎士が横から口を差し挟む。
「あの家は特殊なんだ。受け継ぐ力があって、それに耐えられない者が当主になるわけにはいかんのだ」
「エンジュ公爵家のそれについては、代々きっちり教育されている筈だろう?突然死した当主とて、だからこそ囲った愛人たちには子がいなかったのではないのか。にも関わらず、外からわらわらと「我こそが公爵の子」なんて申し出があること自体おかしいと言っているのだよ」
「それは、確かにそうだが……」
「恐らく全員前公爵の血など継いでいないのでは?」
「……そうかもしれん。だが、確認せず放置も出来ん」
「それもそちらの都合だね。私が付き合わされる謂れは無い」
「一つ公爵家が潰れる可能性があるのだ」
「うん。だからそれが何だというのだよ。前公爵のうかつな行動は遠回しにそれを望んだとも取れるわけで、なら放っておくがいいと私は思うだけだ」
「そういうわけにもいかん」
「うん。それはそれで国王の都合だね。やはり私が巻き添えを食うのは納得がいかないよ」
「国民としては協力すべきでは」
「私は、森の住人で国民じゃないよ」
騎士は言葉に詰まった。
イルニアが本来何者なのかは、誰も知らない。
言葉に問題がないので、この国か、あるいは周辺国の出身であろうと思われているだけだ。
「国王の命令も聞く義理は無いんだ。本来はね。ただ住んでいる場所がこちらの近くで、辺境領に出入りするから「多少の仕事は承ります」としているだけの話だよ。その「多少」を君たちがどこまでも拡大解釈するから、いつも腹立たしい思いをしているだけの話だ」
イルニアの商売はあくまで「薬屋」か露店の「雑貨屋」であって、「魔法薬」ではない。
そういう届出で受け入れた、とは聞いている。
いつから、とは知らされていない。




