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「金はいらなかったんだがね」
対価は組合の口座へ振り込まれていた。
イルニアはそう言いながらも「ま、有難くいただいておくよ」と受け取りを拒否もしなかった。
「そうしてくれ。両親も私も、あの林檎酒の御蔭で体調がいい。母など毎年流行風邪にかかっていたのに、去年は咳一つせずぴんぴんしていた」
「そりゃ母君がきちんと節制していた結果だよ。あれはあくまで酒だから、そんな効果は無いよ」
薬師が作った酒だから、効くような気がしているだけだ、とイルニアは笑ったが、母は以前より健康になり、父と己は魔獣の毒の後遺症が冬の間に劇的に改善された。
定期的にイルニアから薬を処方されてはいたが、あの林檎酒を飲み始めてからは回復速度に弾みがついたように感じている。父も同意見だった。
イルニアは決して認めないが。
ややあって、執事とユーシャが部屋へ入ってきた。
「お約束通りの数を確認いたしました」
今回は、数回に分けた薬の納入の最終日だった。辺境伯家の倉庫へ魔法鞄を持って薬を治めに行ったのはユーシャだ。
執事は主人に確認を告げ、書類を渡した。
辺境伯は頷き、自ら受領証へ署名を入れた。
イルニアはそれを受け取り、鞄の中から薬の袋を取り出した。
「辺境伯殿の冬の間の薬だよ。もうだいぶ良いようだがね」
後遺症の薬だった。
毒で爛れた部分を早急に回復させた為、筋組織などはもう一度鍛え直し調整しなければならなかった。己の身体でありながら思い通りに動かせず辺境伯父子は難儀した。毒は一部骨や内臓も侵食していた為、新しい骨は脆く、内臓の働きは弱々しくなっていた。暫くは酒も禁じられていた事を思い出す。イルニア製林檎酒にしても、「一日一杯」と厳命されていた。
最初の頃から手渡されていた薬草茶の箱も積み上げられた。
紅茶の代わりに飲めとこちらもイルニアに厳命されていた。
「前辺境伯殿は自室かい?」
次は父の診察だと椅子から腰を上げる。
「ああ、一緒に行こう」
案内させるのではなく、辺境伯も一緒に席を立った。
イルニアは何も言わず、辺境伯の後に続いた。
更に後に続くユーシャに向かって半分振り返って辺境伯は笑いかけた。
「父の部屋で休憩を取ってもらう事になるが、済まないね」
「いえ、それほど疲れているわけでもありませんし」
ユーシャの表情は変わらないが、戸惑っているのはなんとなくわかった。ユーシャは弟子である。師の診察補助もまた勉強である。
「後で母も来るが、少しつきあってやってくれ」
思わず師の方を見やったが、師も仕方がないとばかりに苦笑していた。
「問題ないね。お元気です」
「そうだろう?最近は咳も出ず、呼吸も以前と変わらぬようになった」
前辺境伯は齢六十ではあるが、髪の色に若干白い物が混じるようになった程度で若々しかった。
身体も分厚く鍛え上げられ、筋骨隆々。一年半前、魔獣の毒に肺まで侵され呼吸も途絶える寸前だったとは想像もつかない回復具合である。
少し前まではまだ呼吸器官も万全ではなかったはずなのだが、すっかり落ちてしまったはずの筋肉を一体どうやって取り戻したのか。
解毒剤の処方によって命の危機は脱したものの、一年毒に耐えた姿はそれは酷いものだった。
衰弱しきって痩せ衰え、爛れた皮膚は元通りになってはいたが、頭髪は半分なくなっていた上真っ白になっていた。
多くの者が、このまま回復せず亡くなってしまうのではないかと半ば諦めかけてもいた。
だが、辺境伯家の血は強かった。
イルニアはくれぐれも無理をしないよう言い聞かせたが、前辺境伯は食事量をある程度戻した段階で寝台から抜け出し、領軍の訓練に混じりだした。
勿論、自身の調子を見ながらではあったが、体力を取り戻すのもあっという間だった。
呼吸器への影響だけが最後まで残り、時折激しく息が切れたり咳き込んだりして周囲を心配させたが、それももう最近は無いという。
イルニアは呆れながらも薬の袋を出した。
「呼吸器の薬は今までの三分の一に減らして、咳止めも念の為半分は残しておこうかね」
袋の中の薬の数を調整し始めたイルニアに前辺境伯はむ、っと口を歪ませた。
「まだ服用せねばならんか」
「どれだけ損傷を受けていたと思うんだい。生きているのが不思議なくらいだったんだよ。念のために次の診察までは服用しておおき。粘膜も丈夫になって抵抗力も上がるから」
言い聞かせるように前辺境伯の腕を軽く叩き、袋の中から不要な分を取り出した。
「風邪が流行る季節だが、引いてしまうとまた悪くなる可能性もあるしね」
気を付けるんだよと言いながら、こちらでも薬草茶の箱を積み上げた。
「咳止めは咳が出た時にだけ使えば良いよ。うっかり風邪をひいた時に飲むのも構わないから、早めにね」
ささっと執事がテーブル上の薬袋と薬草茶の箱を片付け、茶を入れたカップを置き、テーブル中央には茶菓子を置いた。
辺境伯と前辺境伯の分は薬草茶で、イルニアと弟子には普通の紅茶だ。
辺境伯たちは、薬草茶のカップを取り上げて何も言わず口をつける。
「最近は、この茶でないと物足りなく感じる」
そして前辺境伯はそう言った。
「柑橘類の香りが素晴らしく立つのだよな」
辺境伯も言って頷いた。
柑橘果実の香りが強いように思うが、実はそれは果実ではなく、森奥で採れるオランジュラという薬草の香りだった。
粘膜を潤し、身体を暖め、荒れた呼吸器官に効く事で知られている。が、ほんのりと香る柑橘類の香りをここまで強く立たせるには一工夫必要で、今のところそれが出来るのは辺境伯一家が知る限りイルニアの工房だけだった。
「香りも気持ちを落ち着かせたりする効果があるからね」
「妻も気に入っているよ」
薬草茶とは別に、同じ系統の香りの香草茶を前辺境伯夫人におろしている。お得意様である。
そうしていると、ノックの音がして、前辺境伯夫人もやってきた。
少し白髪の混じり始めた濃い色の髪をきっちりと結い上げ、落ち着いた物腰ではあるが、瞳の輝きが好奇心に溢れる十代のようでもある。
ユーシャを見つけると嬉しそうに微笑んでテーブルへ寄ってきた。
「お久しぶり。元気だったかしら。イルニア、ユーシャ」
席を立とうとする二人を止めて、執事に椅子を引かせて腰を下ろす。
「御蔭様で元気にしているよ」
「こんにちは。マルティネ様」
以前、名前で呼ぶように言われてから、師弟は前辺境伯夫人をそう呼ぶようにしている。
夫人の前にはいつもの香草茶が置かれた。夫人はその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「ああ、いい匂い。いつもありがとうイルニア」
常に切らさないようにおろしているイルニアへ夫人はにこやかに礼を言った。
「どういたしまして。調子はどうだいマルティネ殿」
「あなたに診てもらえるようになってから、体調はずっといいわ」
「それは良かった。引き続き風邪など引かないように気を付けて」
「ええ」
マルティネは前辺境伯と辺境伯がイルニアの解毒薬で持ち直すまで気丈に二人を看病し、かろうじて家内の維持を行っていたが、まずは息子である辺境伯が持ち直し、さんざん領をかき乱した孫を押さえて牢へ押し込めたと同時に床に伏した。
元々持病で体調を崩しがちだった所を気力だけで持ちこたえていた為、安心した途端に限界が訪れたらしい。
イルニアはマルティネの診察もする事になった。
若い頃は領軍に混じって魔獣退治にも赴いた程の女傑だったマルティネは「不甲斐ない」と床で一度だけ泣いた。
夫と息子の看病をしながら、孫の被害を最低限に押さえるよう領政を見ながら、持病さえなければとままならない自身に歯噛みしていたが、イルニアが硬直した事態を変えてくれた事にほっとして漏れ出た一度きりの感情の発露だった。
「あまりにも体調がいいものだから、最近久しぶりに訓練場に顔を出し始めたの」
マルティネは魔法剣士だった。
氷を纏わせた刃の速さ鋭さは領随一と言われていた。
「体を動かすのは悪くないが、無理をしないように」
「ええ。でも、鍛えられる時に鍛えておきたいのよ。いざという時役に立たないなどということのないように」
イルニアの言葉に微笑むマルティネの瞳は深い悔恨に滲んでいた。
現役の時の力があれば、少なくとも鍛え続けていれば、あの孫に後れを取ることもなかったものを。そうやって内心臍をかんでいるマルティネを夫と息子は複雑な思いで見つめた。どうにもならなかった、とは言え、どこか緩んでいたのではないか、と常に当時を振り返って夢に見る程であるのは二人も同様であるのだ。
ふとユーシャへ視線を向け、マルティネは気を取り直したように笑みを向けた。
「少し背が伸びたかしら」
「そう、ですね。最近たまに骨が痛みます」
「成長痛ね。酷いと痛みで眠れなくなったりするけれど、大丈夫?」
「そこまでひどくはありませんし、私の住まいは薬工房ですから」
「そうね」
マルティネは笑みを深める。
「本格的に痛み出すのはもう少し経ってからかしら」
何故か懐かしそうにマルティネは言った。
本人が自己申告した歳からするとずっと小柄だったユーシャだが、ここ最近目に見えて身長が伸び始めていた。
目覚めて朝、イルニアまでも「背が伸びたかい?」と問うた事がある。
領軍の少年たち程めきめきと成長しているわけではないが、そういう年頃なのだろう。
「いつまでもこの体型でも困りますし」
ユーシャは言って隣の師匠を見た。少なくとも師よりは早急に背が高くなりたいと思っているのだった。
間が空いて済みません。
すっかり寒くなりましたね。ついこの前まで汗だくだったのに。
なんだかぼんやりしていまして。どうにもよろしくないですね。反省しきりでございます。
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