20
「お帰りなさい」
薬屋へ戻ると、弟子が微笑んで出迎えてくれた。
柔らかい微笑だった。
恐らく店の外では滅多に見せない。
「ああ、ただいま」
イルニアも微笑んだ。
「庭に出てくるよ」
自室へ戻って荷物を置くと、裏庭へ出た。
畑を通り抜けて木立ちへ入り、泉の様子を見る。
澄んだ水は満々と湛えられているが、水晶の砂から出た芽は変化がなかった。
懐から小さな器を出し、水面に浸して汲むと、器の中が薄青く光った。一口含む。
氷を含んだような冷たい水だった。
味わって飲み下す。
冷気がすっと胃の中へ落ちていく。
その感覚を確かめるように暫くじっとしていたが、やがて立ち上がった。
畑まで戻ってくると、弟子が薬草畑の中にいた。
「あ、師匠、泉の様子はどうでした?」
薬草の入った籠を抱えて畑から出てくる。
「順調だったよ。芽の変化はないがね」
「そうですか。夕飯はどうします?」
「ああ、猪肉の煮込みはどうだい。街でパンを買って来たよ」
「じゃあ、香草採ってきます。付け合せに色々ちぎってきますね」
「二十日大根も抜いてきておくれ」
はあい、と答える弟子に微笑んで、軒先につるした玉ねぎを二つ解く。
秋とはいえ、夜はもう寒い。煮物料理ばかり作ってしまう。
だがそれを弟子と二人で囲んで味わうのは毎日の楽しみとなっていた。
弟子は本当に店の中では素直に笑うのだ。
弟子の白い指先が、ガラス容器に触れる。
瞬きする間もなく洗浄されるのを見て、イルニアは頷いた。
「大変結構。本来であれば煮沸消毒する必要があるが、洗浄が使える以上我々はその工程を省くことが出来る。幸いだね」
そう言って、次は容器に盛られた冬林檎に目を移す。
「さて、こちらの林檎も洗浄し、その後、砕いて圧搾するわけだが、イメージは出来ているかい?」
「大丈夫です」
弟子は苦笑した。
それを行う師の姿は見慣れているからだ。
ガラス容器の上へ林檎を持って来ると、軽く両手に魔力を込めてぎゅっと握る。両手も勿論洗浄済みだ。
薄い魔力の膜の中で林檎は粉々に砕かれ、膜はぎゅっと収縮してそこから果汁がしたたり落ちる。
「その調子で、全部搾っておしまい」
用意された林檎は十個程度だったがささっと搾ってしまった。
ガラス容器の中には濁った果汁が溜まっている。
「不純物を取り除いて、透明にする」
言われるまま、弟子はまた魔力を込める。
果汁の水面が揺れて泡立ち、中心からするりとごく細い薄茶色い水の柱が立った。果汁は見る間に透き通った。
弟子は柱を傍らに置いた器の中へ移動させた。
「で、だ。次は果汁の中の糖分から酒精を「分離」するわけだが」
魔女は作業台の上に幾つか並べて置かれた小さな容器の一つを持ち上げて蓋を開けた。
「臭いを嗅いでごらん」
受け取って鼻を近づけ、粘膜を刺激するそれに少し離した。
「酒、ですね?」
「そう。私が作っている酒のなかでも一番酒精が強いものだよ。流石に臭いは判るか。舐めて御覧」
一滴手の甲に取って舌でなめとる。
そして顔をしかめた。
「師匠、こんなものを美味しいとお思いなんですか」
はっは、とイルニアは声を上げて笑った。
「ま、時と場合によるよ」
信じられないと言いたげに師匠を見る。イルニアはますます笑った。
「これに近い物を分離して作りだすわけだが、出来そうかい?」
「やってみます」
弟子はまずガラス容器の中の酒をじっと見つめた。
先ほど操っていた魔力の膜が再び出現し容器の中の酒に浸された。
目を閉じて、それが「何か」を探る弟子を、イルニアは何も言わずに見守っている。
分離や抽出を行う際、それが何であるかを知らなければならない。
イルニアは特殊な鑑定眼を持ってそれを行っている。
しかし、弟子は眼ではなく、掌から出す魔力の膜でもって分析を行うらしく、イルニアとは手段が違う。
黙って見ているしかない。
ふ、と弟子は目を開くと息を吐いた。
ガラス容器を置き、先ほど絞って澄ませた林檎果汁へ向かって手を伸ばし、魔力の膜をその中へ浸して行った。
ややあってぷくぷくと小さな気泡が浮かびだす。
しゅわしゅわと音を立てて全体が発泡を始めた。
程々の所でイルニアは弟子を止めた。
「上出来だ」
微笑んで小さな柄杓で中身を掬って杯に移し、弟子へ差し出す。
飲んでみよという事なのだろうと、ほんの一口含んでみる。
酒だった。
「滋味というか、味わいが物足りないような気がします」
弟子の言葉に笑う。
「酒の味が判るのか、とは聞かないよ。暫く置いて熟成させれば味わいはまろくなる。蒸留すれば糖分が消え、酒精が強くなる」
殺菌した小瓶へ出来上がった林檎酒の一部を注ぎ入れて封をした。
イルニアは緑のラベルを持ってきて、ユーシャの名と日付を書かせて貼らせた。
「倉庫の地下で暫く寝かそう」
「間違えて飲まないでくださいね」
念を押す弟子ににっと笑う。
「君の成人まで置いておくかい?」
何年後とは言わず、からかう。
流石にこの林檎酒は何年も置いておける酒ではない。
ユーシャは唇を尖らせると、容器に残った果汁酒を魔力の膜で包み始めた。
殺菌した容器をもう一つ用意し、魔力の管を渡してゆっくりと元の器を加熱し、新たな器は冷やす。
蒸留については、調薬の際に使用する事もあるため、慣れた手順だった。
じわじわと空の容器に透明な液体がしたたり落ちはじめる。本来であれば時間のかかる工程であるが、ユーシャの複雑な魔力操作で酒は見る間に全て蒸留されてしまった。
ほっと息をついたタイミングで、イルニアがまた柄杓を持ちだして二つ目の器の酒を杯へ掬って差し出した。
弟子は匂いを嗅いで、不思議そうな顔をした。
「酒精も強いですが、匂いもいいです」
ぺろりと舌先で舐める。
「やっぱりなんとなく滋味が足りない……」
「これこそ熟成が必要だね」
出来たのは小瓶一つ程度だったが、イルニアはいつ用意したのか玩具のような小さな樽を差し出してそれに詰めさせた。
「こっちは成人まで置いておけますね」
ユーシャは樽にもラベルを貼りながら言った。
「この分量じゃ、飲む頃には雫になってるんじゃないかね」
アルコール気化とともに年々中身は減っていくものだ。
ユーシャはついに師匠を睨んだ。
「意地の悪い事ばかり言って。間違えたふりして呑まないでくださいよ」
「呑まない呑まない」
笑いながら師匠は手を振った。
実際、自作の酒樽が地下倉庫の隅には積み重なっているのだ。弟子の小さな作品をわざわざ開ける必要もない。
「今日は少量だったが、もうすぐ大量に冬林檎が収穫できる。その時、普通の樽一つ分作るといいよ」
裏の森奥には冬林檎の木が数本植わっている。毎年実りがよく、特殊な空間のせいもあってか虫も殆どつかない。この時期イルニアは醸造に忙しい。
「今年も辺境伯様の所へ何樽かお届けしますか?」
去年、たまたま口にした辺境伯が気に入って、売り物ではないと言うイルニアに無理を言って三樽購入していった。
それを思い出したのか、イルニアは渋面を浮かべた。
「わざわざこちらから知らせてやる必要はないよ」
あくまで自宅用なのだ。
「でも今年も大量に仕込むのでしたら、ちょっとくらいは分けて差し上げてもよろしいのでは。このままでは数年のうちに地下倉庫が丸ごと酒蔵になりますよ」
「大袈裟だよ」
「大袈裟じゃないです。そうおっしゃるなら醸造の分量を加減してください」
「あの冬林檎を無駄に腐らすわけにもいかないじゃないか」
「では、林檎を売る事をお考えになっては」
「裏の森産の物は無加工では出せない」
「でしたら、辺境伯様でなくてもよろしいので、お酒をいずれかへ少しずつお分けになる事を考えて下さい。そのうち絶対に地下倉庫を圧迫しはじめます」
うむ、とイルニアは唇を結んだ。
「考えておくよ」
「お願いしますね」
イルニアは翌日、倉庫の隣に酒蔵を作った。
中は空間拡張でダンスホールほどに広げられ、地下は同様に二階まで掘られていた。
呆れる弟子の前で、にこにこしながら元の地下倉庫から酒樽を全て酒蔵へ移したが、広大過ぎる空間の隅に控えめに置かれた棚の前で「これなら思い切り作ってよさそうだねえ」と満足げに呟いた。
もう好きにしてください、とユーシャは首を振って、放置する事に決めたようだった。
とはいえイルニアは、辺境伯宛てに自家製冬林檎酒三年物の樽を去年と同じ数だけ送り付けた。
辺境伯は大層喜び、去年と同じ値段を支払った。
イルニアとしては「献上」のつもりだったのだが。
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最近はめっきり酒に弱くなりました。
昔はザルだのワクだの言われましたが。
ちうか、病気してから医者に止められ、ますます縁遠くなったのですが、そうなるとたまに飲みたくなったりするのですよね。不思議。
ステロイドの量がだいぶ少なくなった頃、医者にそろそろ飲んでも良いか聞いたら「たまにならOK」との言質が取れまして。
たまに飲むわけですが、もう量がいけません。
ほんの少しで酔いが来る。
食前酒かよ、という分量。
経済的といえば経済的ですが。
なんとなく寂しいような気もする今日この頃です。




