18
北山の泉から汲んできた凍らない魔力水の僅かに残った壺へ水晶の砂を少し入れ、正八面体の小さな虹色の石を一つ埋めて、イルニアは裏庭の森の中に魔法で穴を掘ってそれを底へ置いた。
壺に何らかの付与が施されていたのだろうが、それがどんなものかはユーシャには判らなかった。
が、壺の中から水があふれ、魔法で掘った穴は瞬く間に泉となった。
ユーシャは驚きのあまり見つめていることしかできなかった。
水は泉の縁から溢れる事もなくぴたりと止まり、イルニアはその周辺に魔法で結界を張った。
「先ほどの石は、青睡蓮の球根ですか?」
イルニアは振り返って微笑んだ。
「判ったかい?」
「魔力の質が似ている、いえ、同じでした」
イルニアは頷いた。
「そうだよ。うまく育つといいんだけどね」
「青睡蓮が、普通の森の中で育つでしょうか?」
「育つことは育つと思うよ。ただ、北山の青睡蓮とは、多分違ったものになってしまうだろうけどね」
「そうなんですか?」
ではなぜ植えたのかとユーシャが不思議そうな顔をする。
「花が咲いたら、説明するよ」
イルニアはやはり微笑んだのだった。
***
「キノコを採って来たよ」
「あ、では今晩はシチューにしましょう。材料掘ってきます」
「いいね。兎肉もあったし」
「森で鹿も狩ってきましたよ」
「おや、そうかい。相変わらずいい腕だね」
ユーシャは拾われて衰弱から回復した後、一番に森で獣を狩ってきた。
看病してもらい、置いてもらっている礼だと言って。
武器も何も持っておらず、どうしたのかと尋ねると罠を仕掛けたと言う。
ナイフを渡すと、綺麗に解体までしてみせた。
イルニアはユーシャをてっきりどこかの貴族家のわけありの子供だろうと思っていたのだったが、その時少し考えを改めたのだった。
子供の体格に合わせた弓を調達して渡し、狩りの様子を見ていると、殆ど外すことなく命中させる。
思い切って剣よりは少し短い、鉈と兼ねた鉈剣を渡すと、恐れる事もなく扱ってそれなりの獣を仕留めて見せる。
どういう家の出身なのだろうかと首をひねった。
追及はしなかったが。
聞けば恐らくイルニアには答えるだろうが、話したがっていない事は明らかだったからだ。
「余った分は燻製にして保存しましょう」
「ああ、いいね」
「晩酌のつまみにするのがお好きですもんね」
イルニアは苦笑する。
時折飲酒するようになったのは最近だ。弟子が寝てから部屋で少し飲む事がある。まさか知られているとは思わなかった。
「保存庫の管理をしているのは私ですよ。少量でもなくなれば不審に思って調べるのは当たり前でしょう」
イルニアは笑いながら「悪かった」と言った。
「別にお過ごしになるわけではありませんし、飲酒を咎めたりはしませんよ。燻製肉だってほんの少し持ちだされるだけですし」
「そうかい」
「僕がご相伴できないのがちょっと悔しいですけど」
更に笑うしかない。
「流石にもう何年かはお待ちよ。そうだ、とっておきの香草酒を今から仕込んでおいてあげるよ」
「え、いいんですか」
「ああ。師から受け継いだレシピに私が改良を加えた香草の組み合わせだ。酒も冬林檎から醸造してやろう」
何とこの魔女は醸造も魔法でやってしまうのだ。
倉庫の地下には、毎年少量ずつではあるが酒樽が増えて行っている。
「どうせなら、私も醸造を覚えたいです」
「ううん……。じゃあそろそろ始めるかい?主に魔力制御の訓練になるけれども」
「え、いいんですか!私、成人の歳には自分で仕込んだお酒飲みたいです!」
「こだわるね。いいとも」
苦笑したままイルニアが引き受けると、言質を取ったとでも言いたげにユーシャは満面の笑顔を浮かべて畑へ走っていった。
年齢を正確に言わない子が「成人の歳」と口走った事にはあえて言及しなかった。
今年はきのこが豊作だ、と弟子が毎日森で採ってくる。
きのこだけでなく、鹿や猪もよく現れ、御蔭で燻製肉が増えていく。
「有難い事ではありますけど、少し増えすぎではないかなと思います」
ユーシャは首をかしげる。夏の間に繁殖したのだろうが、例年に比べて餌が豊富だったという話も聞かない。そんな様子もなかった。
「何かに追われて出てきているにしては、今の所強い魔獣なんかの気配はないですけども」
先日氾濫の話をしたばかりだった事を思い出しながらユーシャは不思議がった。
「辺境伯には一応知らせておこうかね」
森へ入る住人も多い事からもう既に異常は報告されているかもしれないが、些細な報告と見過ごされて後で大事になる可能性もある。気になる報告は多い方がいいだろう。
「あ、師匠、それと、最近こんなきのこをたまに見るんですけれども」
ユーシャは更にガラス容器に入れた傘の色が青黒いきのこを出してきた。軸と傘を合わせても小指の先程もない。傘の色は青黒いだけでなく金属的な光沢を帯びていて、不思議な色合いだった。
「最初は用心して手袋して触ってたんですけど、特に害もないようです」
「なんだか見るからに毒でもありそうだね」
イルニアはそれを受け取ってしげしげと眺めた。
「見たことありませんか?」
「初めて見るね。アキルタケに似ているようだから亜種かね。きのこってのは人に知られてない種類が無尽蔵にある上、変異も激しいからねえ」
青黒い傘の裏を覗き込み、ふと眉を寄せる。蓋を開けて軽く臭いを嗅いでみる。
「このきのこ、人は採ったりしていないだろうかね」
「大分奥へ行かないとありませんし、奥へ行く人間はきのこなんて採りませんから」
強力な魔獣が出る地域へ近づくのは領軍か手練れの狩人くらいのものだ。命がけでそんな所へ入る人間が値がつくかどうかすら判らない植物やきのこなどに目を向けるはずがない。
「生える場所は主に倒木の下です。我々のように薬草目当ての人間でないかぎり気にもならないでしょう」
イルニアはちらりと弟子を見下ろした。
「あまり一人で奥へは行かないように言ったはずだよ?」
弟子はしおらしく肩を落としてみせた。
「済みません。冬扇草を採りに行きたかったので」
冬扇草は葉が扇のような形をしていて咳止めに使用する。これから必要になる薬草の一つであるが、薬効が高くなる時期は秋が深まってきてからで、ストックしておくならば、時期を逃すわけにもいかない。先日、辺境伯とも薬の契約を交わしたばかりだ。弟子としては気を利かせたのだろう。
「済まないね。だが次からは一緒に行こう」
「はい。でも私、大抵の事には対処できますよ?」
弟子は結構な魔力量の持ち主だった。そして、最初から魔法の基礎的な知識と基本的な魔力操作は出来ていた。一年イルニアに仕込まれて、そこそこの魔法使いにまでは成長している。
イルニアは溜息をついた。
「君が魔法使いとしても優れているのは判っているが、まだ本格邸に学び始めて一年の上、子供なんだよ?保護者としては心配する権利と責任がある」
保護者、と言われて、ユーシャは面はゆそうな顔をした。
どことなく嬉しそうというか、笑みをかみ殺すような。
それを流して、イルニアは弟子の顔を覗き込んだ。
「もう少し心配させておくれ。いいね?」
「はい」
今度こそ嬉しそうに笑みを浮かべた。
イルニアは最初こそ弟子入りに難色を示したが、受け入れてからはそれはもうユーシャを大事にしていた。
息子というよりは、歳の離れた弟のように扱っていて、そういう距離感が二人には合っていたらしく、思った以上にしっくりとした師弟関係を築いていた。
ユーシャは薬師として、魔法使いとして、知識も技術もイルニアから惜しげもなく与えられて、弟子と言いながら今やすっかり一人前と言っても良い程になっていた。驚異的な学習能力にイルニアは内心驚いていたが、それでもまだ子供である。独り立ちさせるには幼すぎ、どこか危なっかしい様子でもあり、手放せず、また本人もまだ弟子でいたがっている。
そういう事情を何故か知っている様子の国王やエンジュ小公爵が、ユーシャを欲しがっている。
優秀な事は間違いなく、また現時点でもまずは魔導士としての将来性が間違いない上、本人は隠しているつもりがあるのかないのか、恐らくはある種の狡猾さも併せ持っている。アデライル事件によって人材不足に陥っている界隈からは喉から手が出る程欲しい人材なのだろう。
子供だからと断っているが、そのうち身動きできないようにされて取り込まれるのではないかとイルニアは内心恐れている。いずれ対策は必要だろう。
ちなみにイルニアも特異な人材として目をつけられている。
が、今の所北の辺境伯家との繋がりが強いと思われている為、他の勢力は一歩引いて様子見している。
付け入られるようなイルニアでもないが、先の事件で王家へ恩を売った形になり、その後国王や王太后とも渋々繋がりを保持し続けている事も期せずしてそれらを遠ざける効果を発揮する結果になっている。
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涼しくなって却ってアノ虫が出るということもあるのですよね、きっと。
一年ぶりくらいにアレを見て固まりました。
年に一回だけ見るのですよ。不思議なことに。
古い家なので仕方ない部分もあるのですが、ぎょっとして精神を削られます。一人暮らしなので対応も自分でやらなきゃいかんのでなおさらです。
今回は台所の流しだったので、排水口のカバーを外して流し込みました。ああ、気持ち悪かった。




