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「相変わらず人の好い方ですね」
辺境伯が帰って、テーブルの上を片付けながらユーシャが言った。
イルニアは笑った。
「音に聞く鬼将軍をお人好しと言うのは君くらいだよ」
「お仕事で厳しいのはなんとなくわかります」
辺境伯領軍は常に魔獣と戦っている。うっかり気を抜くと即座に命に係わる現場では厳しくならざるを得ない。
「良いお父さんに見えるんですけれどもね……」
ユーシャの呟きにイルニアは答えない。
辺境伯が己の息子を本心でどう思っているのかは誰にもわからない。
息子は回復した父の命令で拘束される際、大暴れしたと聞いた。
自慢の太刀を振り回し、拘束しようとした兵士に怪我を負わせ、結局まだ本調子ではなかった辺境伯が直接取り押さえたそうだ。
そう、それまで床についていて、体力も落ち切っている父親に、数秒でねじ伏せられたという。
息子は悔しげに父親へ呪詛を吐き散らしたが、父親はうるさげに丸めたハンカチを口へ突っ込んだと聞く。
そのままその場で衣服を取り去って丸裸にし、手足を縛りつけたまま牢へ運び込んだとか。
武器を色々仕込むのを趣味にしていた息子を知っていた為とは表向きの理由。
実際は、大広間で公爵令嬢の衣服をはいで辱めた事を知った辺境伯の怒りの制裁だったのではと言われている。
「良いお父さんだと思うよ。息子の当たりが悪かっただけだ」
「……嫡男だった方以外にお子さんはいらっしゃらないのですよね?」
「嫁が嫌がったらしいからね」
後継について懸念があるのは国王だけではない。
むしろ国王は若いだけまだ楽観視されている。
辺境伯は、先だっての毒の件も含めて、いつどうなるか判らない存在でもあるので、もっと切実だ。
実は密かに、もし王太子から送り付けられた公爵令嬢と嫡男がうまくいくようであれば、むしろ喜ばしい事だとさえ言われていたのだ。
うまくいくどころか、おもちゃが来た、程度の認識しかしなかったのだったが。
「ま、前辺境伯閣下もお元気だからね。二人が同時に倒れるなどということは本来であれば考えられないと思われていたのだ」
どちらかが辺境伯家を率いていれば安泰と思われている。
大氾濫は本当に運が悪かったのだ。
魔物の氾濫量が常軌を逸していた。二人ともが現場へ出ざるを得なかったのだ。
「そんなに酷い量だったのですか?」
「森全体が変だったね」
薬屋は森の中にあるとはいえ、”空間を切り取って””次元がずれた”場所に隔離されているようなものだと魔女は言う。
その為、魔物の氾濫が起きても影響を受ける事はない。
だが、先だってのそれは、その隔離された空間さえ魔力が揺れ、魔物の発する殺意と興奮の振動が伝わってくるような異常さだったという。
「原因は判っているのですか?」
「調査中とは聞くが、いまだ不明のままだ」
「ではあまり安心できませんね」
「とはいえ、氾濫は数年に一度、大氾濫は数十年に一度と言われている。暫くは大丈夫だというのが専門家の見立てだ」
「異常だったのに……?」
ユーシャの言葉に魔女は苦笑する。
「氾濫には前兆がある。常よりも魔物が増える、もっと奥地にいるはずの獰猛な魔物が浅瀬へ出てくる、異常に強力な個体が出現する等々。今のところ前兆は無いということだ」
それでもユーシャは考え込むような顔をする。
「納得できないかい?」
「いえ。ただ、みんなよく平気だなあと思っただけです」
エデルスワンは本当に、魔の森ぎりぎりに作られた都市なのだ。
北は強固な外壁と門に守られてはいるが、それでも先日の大氾濫では大型獣が更に巨大化し、何頭も押し寄せて門が壊され、前線を街中へ食い込ませてしまったらしい。
「その分清潔で豊かで暮らしやすい都市なんだよ」
ユーシャは小首をかしげた。
「初代の辺境伯が、こんなところだからこそ、住みやすい街を作ったのだそうだ」
そうしなければ、人が住みたがらないだろうからと、一から計画して作った。
前述したように外れを流れる大きな川から水路を引き、上下水道を完備し、街壁の中はきちんと区画割りされ、建物の規格も決められている。
道は広く、石畳で舗装されており、王都のような貧民街と言われる場所も表向きは無い。
森の恵みがある為、薬草など採取すれば、子供でも駄賃程度の収入は得られるからだ。
「浮浪児やスリなんかも他の都市に比べれば少ないんだよ。辺境伯が直接孤児院を運営しているからね」
神殿などに任せず、エデルスワンでは幾つかある孤児院は全て辺境伯家直属の組織となっている。
何の彼のと言っても、魔物の被害で親を失くす子供、魔物討伐で親を失くす子供が多いからだ。特に兵士の子供で身寄りがなくなってしまった子は率先して引き取られる。読み書き計算程度の教育は必ず施され、独り立ちさせる事を保障している。
「考えられているんですねえ……」
感心したようにユーシャは頷いた。
「魔物素材の取引も活発だから税収も高いしね。ただ、税率は他の都市より低いんだよ。危険だから、という理由で」
「へえ……。辺境伯家って代々そういう感じで続いてきたんですね。なのにどうしてあんな……」
また嫡男の話に戻ってしまう。
一時、住みやすい筈のエデルスワンから人口がどんどん流出したのだ。
「ままならないものだよ」
魔女の言葉に、ユーシャは言葉を返さず、物思いに沈んでしまったのだった。
森の木々は一斉に色づいていた。
イルニアは小屋の裏手に出て、畑の横を通り抜けた。
時間差で植えている二十日大根や、頃合いの人参や芋を横目に見ながら。
薬草畑の前に立つと立ち止まり、ざっと見まわしてそれぞれの生育具合を確認する。
ふっと息を吐き、指先を動かすと魔力が動き、薬草の上をそよ風のように撫でて行った。
手前の畑として開けた部分だけでなく、奥の木立ちの方へまで。
薬草が一斉にざわめき、収穫後の畑から新たな芽がぴょこぴょこと顔を出し始めた。
それを確認した後、畑の向こう側の木立ちの中へと入っていく。
木立の中の薬草の植生もイルニアが整えたものだ。
魔法によって切り取られた空間は小屋と裏の畑だけでなく、木立ちもそれなりに含めた結構な広大さだった。
育てやすく常用する薬草等はわざわざ森へ採取へ行く必要がないように。
木立の中の様子を見回りながら、やがてぽっかりと開けた空間へ辿り着く。
中央には小さな泉があり、清らかな水を湛え、陽光を眩く反射している。
イルニアは泉へゆっくりと歩み寄った。
泉の中には白い陶器の壺が沈められていた。
イルニアは再び指先を動かした。
水面が揺らめき、青い燐光が波紋に沿って発生した。
そしてその指先を伸ばすと、泉に張られていたらしき結界が同じように青い燐光を帯びた。
気にせず、泉の傍にしゃがみ込み、壺の中を覗くと、壺の底には水晶の砂が入っており、その中から、小さな青い芽がほんのわずか顔を出していた。
イルニアはそれを確認すると、もう一度魔力を動かして水面を揺らし、立ち上がって泉を離れた。
木立ちの中にはきのこが採れる場所もある。
夕飯の材料にしようと、弟子と二人分程度採取して持ってきた籠に入れ、畑へ戻ると、弟子が裏庭へ出て来ていた。
「あ、お帰りなさい。泉の様子はどうでしたか?」
「泉として定着はしたよ。あれの芽も出かかっている」
「わあ、それは良かったですね」
「まあね」
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ちょっとだけ涼しくなりましたかね。
夜はだいぶ楽になりました。
ただ温度差で風邪引きそうですけど……
皆さまご自愛くださいませ。




