16
秋も深まる頃、北の辺境伯領はいち早く冬支度を始めていた。
露店市ももうすぐ今年の終了を迎える。
寒さが他領より厳しい為、朝市は冬の間は開催されない。
魔女の露店もいつもの品ぞろえに加え、のど飴やうがい薬、身体を暖める香草茶等が並んでいた。
乾燥する季節に入りつつあるので、ハンドクリームやリップクリームは多く出しても飛ぶように売れていく。
魔女は店番をしながら手慰みに肩掛けショールを編んでいる。
お馴染みの青い毛糸ではなく、この辺りでよく飼育されている北陵羊のそのままの色、クリーム色の毛糸だった。
ふと目の前に人が立ち、手を止めると、大柄な男が覗きこんできた。
「この辺ののど飴とうがい薬と香草茶を貰おうか」
数を聞いて紙袋へ入れ、代金を受け取って男へ商品を渡す。
「あと、これを」
男は懐から半身のコインとメモを出した。
魔女はメモを読み、何も言わずに返事のメモとコインを渡した。
「リップクリームとハンドクリームも入れておいたよ。サービスだ」
男はおや、と目を見開いた。
「唇が荒れているよ。その分だと手も荒れているだろう」
男の手は黒い手袋で覆われている為見えない。
「相変わらず激務のようだが、栄養はきちんと摂っておかなければ体を壊すぞ」
珍しい魔女のぶっきらぼうな優しさに、男の荒れた唇が緩んだ。
「出来れば我が主へも心遣いを頼む。私よりもずっとお疲れだ」
「ああ……、ご本人がおいでかい」
「その予定だ」
男は紙袋を抱えて帰って行った。
その後ろ姿を見送って、魔女は溜息をついた。
「ありゃ領軍の騎士様じゃないかい」
入れ替わりにやってきた、ふかし芋の屋台のおかみが珍しく声をかけてきた。
「ああ、そのようだね」
「一体何をお求めになったんだい」
興味深げに覗き込んでくる。
「季節柄かのど飴やうがい薬や、あと体を暖める香草茶だね」
「へえ」
おかみは言われた商品をまじまじと見る。
「わたしも貰って行こうかね。息子が風邪気味でさ」
「構わないが、これらは未病の段階で役立つ物だからね。ちょっと調子が悪い位なら効かない事もないけど、本格的になる前に医者にかかった方が良いよ」
「わかっちゃいるけど、医者なんて簡単にかかれるものでもないじゃないさ」
「そりゃそうだが」
魔女は溜息をついた。
「まあ、暖かくして、栄養のある物を食べさせておやり。治りが遅いようなら医者は無理でも薬師に相談おし」
北の辺境伯領では、冬の間薬師に補助が出て、領民は幾分かは安く薬が手に入る。
騎士と同じ物を紙袋へ入れて、代金と引き換えにおかみへ渡す。ひとつハンドクリームをサービスで入れてやった。
「うがい薬や香草茶はあんたもお使い。息子の風邪をもらわないようにね」
「ありがとうよ」
おかみは嬉しそうに去って行った。
いつもはハンドクリームを求めて来るのだったが、それを買うまでの予算は無かったのだろう。
***
果たして、扉を叩いたのは大柄な体に領軍の黒い制服と裏の紅いマントを羽織った壮年の男。
北の辺境伯、セラウノス・ジネフェル。
一年半程前、森の魔女から解毒の薬を得て、死の淵から生還した男である。
「いらっしゃいませ」
弟子ユーシャがにこやかに迎え入れ、カウンター前のテーブルへ案内し、茶と茶菓子を出した。
「久しぶりだな。元気だったか」
いかつい男は厳しい顔つきであるにも関わらず、少年に気さくに話しかけた。
「はい、元気にしております。辺境伯様は、この頃体調の方はいかがでしょう?前辺境伯様も順調でいらっしゃいますか?」
毒から回復して一年半。どちらも状態はひどかったが、調子を取り戻すのに時間がかかったのは前辺境伯だった。
「私はもう問題ない。父ももう動き回っているよ。安静にしてばかりでは体がなまると言って、周囲が大人しくさせるのに苦労している」
「……それは、ようございました」
少し返事をするまでに間があったのは、なんと言っていいか迷ったせいだったのだろう。
弟子が顔を上げる。
丁度よいタイミングで、奥から店主が出てきた。
「久しぶりだな、イルニア殿」
男が声をかける。
「もう問題はなさそうだね。少々寝不足気味といった所か?」
男の顔をじっと見てイルニアが答える。
「よく判るな。ま、忙しくてな」
「領を飛び回っているのは聞いているよ。まるっきり毒の影響が消えたというわけでもあるまいに、身体は大事におしよ」
魔獣の毒は呪いのように身体を腐食させていた。見た目は綺麗に回復しているが、内臓や筋肉等に影響がまだ残っている可能性は充分にある。
「気温が下がって空気が乾燥する季節になる。風邪などひかないように気を付けるんだよ」
「ああ、その風邪についてなのだが」
口うるさい母親の様な事を言い出すイルニアに掌を向けて、用件を切り出す。
「去年、都合してもらった薬の件なのだが、今年も構わないか?」
「レシピは無料で公開している。誰がどれだけ作っても構わないよ」
毎年、北の領地を席巻する感冒の猛威は、貧しい者、体力のない者の命を根こそぎ奪っていく。
だが去年は、イルニアが無料で公開した薬のレシピとイルニア自身が大量に辺境都市におろした薬で、多くの命が救われた。
「いや、それも有難いのだが、君の作った薬も欲しいのだ」
「……去年程の量は無理だよ。今年はみんなに作ってもらうつもりで薬草のストックもそれほどは無い」
「ああ、まあ……」
言いにくそうに辺境伯は一瞬口ごもったが、顔を上げた。
「薬草は例年の流行を考えてある程度辺境伯家でストックさせている。その、それとは別に、君の薬は効き目が格段に違うと評判でな」
「そりゃ私の考案だから。もうみんな慣れた頃だろう。あまり心配する必要もないと思うがね」
その言葉に、ふう、と辺境伯は息を吐いた。
「正直に言えば、やはり、ある程度の数君の薬が欲しいんだよ」
「具体的な数は?」
「せめて去年の半分程度」
イルニアは大きく溜息をついた。
「冬までに、なるべくたくさん作っておくよ。ま、そのつもりだったしね。だが、領の薬師も信用しておやりよ」
「勿論信用はしている。薬師院と組合とも連携を取って、それなりの数を用意するよう依頼もしている」
「じゃあ、大丈夫じゃないかね。私の薬もそんなには必要なかろうよ」
「念の為だ。頼む」
辺境伯は、一年半前から心配性になった。
と、側近たちに言われている。
色々な事がありすぎて、用心深くなるのは致し方ない事のようにも思われた。
具体的な数量の提供を、用意されていた契約書で交し、両者で署名する。
辺境伯はほっとしたように息を吐いた。
「ぼちぼち感冒の罹患者が現れている」
「外出から帰ったら必ず綺麗に手を洗う事やうがいをする事なんかを啓蒙してほしいと薬師院へも申し入れておいたが、なかなか難しいようだね」
「ああ。特に都市部はな。エデルスワンは大きな川が流れていて、水路を引いているので水には困らないが」
エデルスワンは、計画的に作られた都市であるため、上下水が整っている。
だがそうでない都市は、手洗いごときでそうそう水を無駄に使う事もできないのだろう。
「咳止めや鎮痛剤なんかのその他の薬も例年通り用意しておくのを忘れないでおおき。流行る病気は一種類とは限らないからね」
「ああ。勿論」
「混ざると判別がつかなくなるからね」
「ああ」
辺境伯は頷き、大きく息をついた。
そしてテーブルの上のカップを持ち上げて、中身を一口飲んだ。
「おや、これは」
そして中身を覗き込む。
「甘いな。砂糖でも入れたのか……?」
「キイロカンジュという香草が入っています。黄色い花にだけ甘味があるんですよ」
たまたま茶を入れなおそうと出てきたユーシャが答えた。
「へえ。甘ったるいわけでもなく、すっと喉を通るな」
「冷めていたでしょう?入れなおしますよ?」
「いや、これで充分だ」
思いのほか美味しく感じたらしく、辺境伯はカップの中身を飲み干し、結局もう一杯ユーシャが入れたそれをおかわりした。
それを見て、ユーシャは棚から売り物の同じ茶葉の箱を出して紙袋へ入れた。
「お試しにどうぞお持ちください」
美味しく感じたのなら、効いているのですよとにっこり笑って差し出され、遠慮しようとした辺境伯は言葉を止めて受け取った。
ユーシャが調合したのだと聞いて断れなかったのだ。
またタイトルは後からつけます。
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