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「そうこうしているうちに、どういうわけかハイネン伯爵家から使いが来ました」
本当に、何故と思いました、とヒルダは言う。
母は妊娠を隠して屋敷を出たはず。
ハイネン家に移ってからも、男子が二人いる事を知り、それ以上の子供が必要とは思わなかった。
「後に、執事が母の事を知っていた事も、調べていたことも知りました」
伯爵家では、駒としての娘を欲しがっていたのだと後に知った。
家柄としてはぎりぎりだが、棚上げになってしまった王太子の婚約者の地位もうまくいけば、とさえ。
何しろどの家も、娘を出したがっていなかったからだ。
同時期、他家でも同じように引き取られた女児が何人もいたと聞く。
「教育が受けられることは運が良いと思いましたが、母のように踏みにじられるだろう将来も見えました」
王太子の評判は平民にも知れ渡っていたからだ。
その上、夫人の憎々しげな眼差しを見て、屋敷での自分の扱いも予測がついた。
息子二人の値踏みするような視線についても同様だった。
徐々に、気配を消すことにした。
「誰よりも遠い所の部屋が良い、と執事に願いました」
何度か夫人の折檻も受けたが、用意された家庭教師に一通りの事を教わる間に、夫人はヒルダを忘れた。
「常に気配を消していました。そうすれば、伯爵一家にとって私はいないも同然です。そうするうち、公爵家の令嬢が王太子の婚約者に決まり、私はどうやってあの家を出ようか考えていました。出た後の身の振り方、ですね」
王太子の婚約者からは逃れられたが、思い出されてしまえば、結局他家との縁結びに利用されてしまう。
「そうこうしているうちに、例の事件が起こりました。ハイネン家は男爵家へ降爵となり、領地は削られ、まずは使用人を減らすことになり、その際、何故か家で引き受ける事になった子供の存在に、「面倒を見るような義理も余裕もない」ので追い出すよう指示が下り、私はついでに一緒に出ました」
後はご存じの通りです、と。
「私に出来る身の処し方は「逃げる」事しかありませんでした。他に力もなく、対処の仕方も知りませんでしたし、今でも知りません」
ため息交じりにそう呟く少女の表情は、ひどく疲れて見えた。
もしや、孤児院時代からずっと、心の休まる時間や場所がほとんどなかったのではないか。
「そう……かもしれません。でも、今は研究所の中に部屋を用意して頂いていて、その中では一人でいられますので」
孤児院や屋敷と違って、不意に誰かが思い出して部屋へ乗り込んでくるかもしれない恐怖はないので安心して眠れます、と。
疲れた顔で微笑んだ。
「エイデンの面倒を見る事にしたのは?」
ヒルダはぱちりと瞬きし、そしてまた微笑んだ。
「エンジュ公爵はハイネン家の長男をよく連れ帰ってきてくださった方なのです」
「は……?」
「私は事情をよく知りませんが、長男は王太子殿下の街遊びのお仲間で、無防備に妙な所へ行ってみたり、妙な人間と繋がりを持ったりしていたらしいのです。で、色々困った事も多かったらしいのですが、その半分くらいはエンジュ公爵が未然に引きとめてくださっていたとか」
「そりゃまた……」
エンジュ公爵も遊び人で有名ではあったが、王太子の仲間ではなかった。世代も違っていた。
貴族としての節度はわきまえていて、貴族社会で悪い印象はなかった筈だ。
「そういうわけで、突然連れてこられた子供が家に寄りつかなくなった長男の息子と言われても完全に否定も出来ず、とはいえ、それを受け入れられるはずもなく、それでもエンジュ公爵には積み重なった恩もある上、家格もあちらが遥かに上ですしね、「とりあえず面倒を見る」という形で落ち着いたのだと聞いています」
そして、そういった経緯で引き取った以上、公爵とどういった取り決めをしたにせよ、まずハイネンの家族からは無視、酷くすれば肉体的な虐待を受ける可能性が考えられ、自分が面倒を見るのが一番いいだろうと思ったと。
「案の定、世話を使用人に丸投げして知らん顔でしたしね。着るものなどが必要で、そういった予算については、何故か公爵がある程度まとまった金額を用意してくださっていたようで、そこから月々必要に応じて割り振られるようになっていると聞いた時はほっとしました」
「随分と親切なことだね」
他人のわけありの子供にそこまでするとは。
「ええ。どういった事情だったのでしょうね。そういえば、あのお金についてはどうなっているんでしょう。ハイネン家が自由にできるものでもないはずではありますが」
「調べさせておくよ」
そう言って、大人しく部屋の隅に座って見守っているオルダリアンへ視線を向ける。
「研究所では、この子の魔法適正について調べているんだったかい?」
突然話を向けられてオルダリアンは背筋を伸ばした。
「ええ。ヒルダは発現している水と土だけでなく、他にも適性が出ていますので」
非常に珍しい事なのです、と。
「魔力操作の確認は?」
「詳しくは……」
一通りの事くらいしかやっていない、と言うが、一通りの事をやれば判った事もあるのではないかと魔女は問う。
そして、目の前に、水の塊を浮かべて見せる。
「見ててご覧」
水の塊はするするとひも状に伸び、ぴんと伸びて一本の棒になった。
そこへ、羽ペンを近づけると、水はペン先からゆっくりと渦巻きのように、螺旋にペンを這いあがっていき、頂点に達するとするりと流れ落ちてペン先を包み込み、中空からテーブルの上へ降りてきた。
ペンは水の塊に支えられて立っている。
「君もやってごらん」
ペンをそっと抜き、水の塊を消してから、ヒルダへそれを差し出す。
オルダリアンが息をのむ気配がする。
ヒルダはそっと手を上げ、掌に水の塊を生み出した。
最初はひも状に形を変える事に難儀したようだが、直ぐにコツをつかんだようで、先ほどイルニアがやった通りの事をしてみせた。
「これはまた……」
オルダリアンはかすれた声で感嘆の声を上げた。
「水魔法だけではなく、羽ペンを宙に浮かせるという重力系の魔力操作も同時に行っている。素晴らしい」
誉められたヒルダは手を震わせ、それを隠すようにぎゅっと握りしめて膝の上へ置いた。
「この子は恐らくずっと幼い頃から魔力操作の訓練をしていたようなものだよ。魔力量の多い人間は概して大ざっぱなものだから、それだけでも相当珍しいと私は思うがね」
「いやはや……」
オルダリアンは全く気付かずにいた少女の能力と才能に言葉をなくしてただ頷いている。
「同じことが出来る人間は魔力研究所にもいるとは思いますが、ヒルダの年齢を考えると将来どこまで伸びるのか楽しみですね」
ややあってヒルダににっこりと笑いかけると、ヒルダは少し怖気づいたように身を固くした。
イルニアは大きく息をついた。
「ヒルダ、心配事があるなら言ってごらん」
びくりと肩を震わせる。
「オルダリアン殿には部屋を出てもらうかい?」
「え……」
オルダリアンは驚いたように魔女を見る。
ヒルダは少し、躊躇うような素振りをみせたが、ちらりとオルダリアンを見上げ、微かに首を横に振ってみせた。
「いえ、大丈夫です」
「察するに、君、大人の男性に忌避感があるんじゃないかい?」
ヒルダは目を見開いた。
それが全てを物語っているような物だった。
「母親の教育の賜物か、それ以外にも何かあったのかい?」
「大人に限らず、です」
小さな声でヒルダは言った。
「孤児院で、一番年長の男の子に暴力を振るわれました。まずはそこからでした」
両手をきつく握り合わせた。震えを堪えようとか。
「小突いたり、足を引っかけたり、髪を引っ張られたり、そんな事をしながら、抱きついてこようともするのです。嫌で嫌でたまりませんでした。それと同時に、母親の「踏みつけにされる」という言葉を思い出しました。母と同じ目に遭うのかと思うと恐怖でますます誰の目にも映りたくなくなりました」
その男児に関しては子供特有の好意の裏返しだろうと思われたが、ヒルダのそれまでの環境を思えばとんでもない悪手だった。
ヒルダは大人びた子どもだったので、意味は分かっていたが、それ故にますますその男児を嫌悪した。
「あの子の目に映らなくなってほっとしました。ですが、今度は事務方の男性が……」
思い出したのか身震いして両腕を擦った。
「今度は大人です。体も大きくて逃げ出すのも難しい。孤児院で働く大人が女の子に手を出す事もままあるそうで、女の子の方も特別扱いを望んでそれを受け入れる事が多いそうです。食べ物始め物資は常にギリギリですしね」
視線は宙を彷徨い、少女は俯いた。
「私が穏形に長けているというのなら、そういった人間から毎日逃げ回っていた結果だと思います。伯爵家へ引き取られても、長男は成人間近でそういった事に特別興味を持っているようでした。目つきが孤児院にいたあの子そっくりでした」
ぞっとする、とヒルダは吐き捨てるように言った。
「幼いが故に好意が暴力になるというのなら、それは次男の方に当てはまったかもしれません。とにかく、あの家の息子たちは父親によく似ていました」
「女が傍に寄るのは大丈夫かい?」
イルニアが尋ねるとヒルダは顔を上げた。
「人によりますが、男よりはマシです」
「エイデンは平気だったんだね?」
「二歳でしたし、流石に。虐待されるかもしれないと思えば可哀想にも思いましたし」
それに、少しさびしくなってもいたのです、とヒルダは漸く、目元を緩めた。
「私は、母以外に身内はいませんでしたし、孤児院では保身で精一杯でしたし」
ふ、と息をついた。
「でもあの子が大きくなってしまえば、恐れるようになるかもしれません。いつまでも傍にはいられないと思っていました。エンジュ公爵家にお任せできる事になって、実のところほっとしています」
ヒルダは少し悲しげではあったが、微笑を浮かべた。
「弟のように可愛がっていても、怖いかい?」
「そうなるかもしれない、ということです。自分でも制御できるわけではありませんので」
イルニアはオルダリアンを見やる。
「ということだそうだよ」
オルダリアンは少し困ったような顔をした。
「本来であれば、担当は女性の方がいいのは判っているんですが、今、手すきの女性がいないんです。ただでさえ、うちには女性所員が少ないですし」
「いえ、そこまでしていただくのは申し訳ないですし、必要ないです」
ヒルダは慌てて首を振った。
「こちらの方たちは、魔法以外にはあまり興味がないようで、私の事も魔法以外では適度な距離感で放っておいてくださいますし、居心地はいいんです」
「そうなのかい?今まで通り、僕で大丈夫?」
「はい……」
「とはいえね」
イルニアは割って入る。
「女の子の面倒を見るんだから、そういう事は気を使っておくことだ。知っているのと知らないのとでは違うだろう」
「まあ……そうですね」
オルダリアンは、はたと気が付いたように答えた。
「で、君は」
ヒルダへ目を向ける。
「やっていけそうかい?」
ヒルダは顔を上げた。
「普通に生活する分には、恐怖心は抑えられます」
「咄嗟には、無理ということかい?」
ヒルダは口をつぐむ。
イルニアはにっと笑った。
「無理と言っておおき」
「え……」
意外な事を言われたとばかりにヒルダは目を見開く。
「穏形を自在に操れて、何に対しても恐怖心もなく、利発な娘ともなれば、変な所から変なお呼びがかかるよ。心傷を抱えているくらいで丁度いい」
「変な所……」
言われてヒルダはぐっと息をのんだ。
確かに穏形が自在であれば、あらゆる機関から目をつけられるだろう。そのことに今更ながら気が付いた。
「魔法研究所は魔法馬鹿の集まりだが、所長はそれなりに腹黒くて権力者でもある。ここにいる限りは守ってくれるだろう」
「腹黒いって……」
それは、安心していいのかとヒルダは言いたげだった。オルダリアンは苦笑いしている。
「一度懐に入れた人間が不利益にさらされるような真似はしないということだよ。魔法学校へ行く予定だと聞くが、研究所とは縁を切らずにおおき。可能なんだろう?」
オルダリアンを見る。
「それはもう。こちらからお願いしたいくらいです」
オルダリアンの答えに頷く。
「後で私からも所長に言っておく。君は君が思っている以上に価値のある、そしてやっかいな能力の持ち主だ。よく認識しておいたほうがいい」
「……はい」
価値がある、などと言われたことのなかったヒルダにとって、それは、他所の世界の出来事のようでもあった。
「下手するとアデライル・アウスタインより悲惨な目にあう可能性もある」
だが冷や水をぶっかけられるような言葉にはっと意識を戻す。
「あの娘は破滅願望にのっとられていたようなものだ。むしろ望んだ最後だっただろう。だが、君はそうじゃないだろう?」
じっと濃茶の目に見つめられて、すっとヒルダは冷静になった。
「はい。平穏に生きて、死にたいです」
「なら、用心してお過ごし」
「心に刻みます」
見に来てくださってありがとうございます。
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切りどころが判らず、二回に分けようと思っていたのに一度に上げてしまいました。
だからストックがなくなるんだ……
実は前回の分も切るかどうか迷いました。下手するとずる~っとなっがい一回分だったかもしれません。




