12
エルダ王太后とイルニアは今でこそ親しげではあるが、知り合ったのはほんの一年前の事である。
王宮での血族判定の少し前、体調を崩しがちになり、医師は心労だろうと診断した。その頃の状況を鑑みればさもありなんと思われた。
そこへ密かに、毒から回復した北の辺境伯が面会を求め、イルニアを紹介されたのだ。
曰く、解毒薬が届いても手遅れと言われていた自分の毒を抜き、回復しても手足の麻痺は残るだろうと言われていた後遺症まで取り去ってくれた薬師だと。
死んでしまった神経や毒で爛れた皮膚まで治してしまう以上、その薬はただの薬ではなく魔法薬だ。
辺境伯の状態の悪さを聞いていたエルダとしては、跡形もなく毒の傷が癒えている様を見て驚くばかりだったが、是非にと言われて診察を受け、処方された薬を口にして更に驚いた。
ずっと続いていた体調の悪さが改善されたのだ。
イルニアの診察によれば、内臓が弱っていたのだと。
なんということもなく告げられたそれに、エルダは重篤な病の影を感じ取った。
似た初期症状で祖母を亡くしてもいる。急激に悪化した。
どうやってかそれを知って、辺境伯とイルニアは薬を届けに来てくれたのだ。
あの頃のエルダには病に倒れているような時間はなかった。
また、もし亡くなりでもした場合、どうにか押しとどめていた力の均衡が崩れて、貴族社会だけでなく国が乱れることになったかもしれない。
新王に選定した王甥の三男が同じ人物を連れてくるとは思わなかったが。
***
それからまた、森の薬屋には平穏な日常が戻ってきた。
辺境都市エデルスワンの朝市に、のんびりと魔女は露店を出す。
数週姿を見せなかった間に作り溜めでもしたのか、小物が沢山並んだ。
珍しい青い毛糸の帽子や手袋もあり、多少高めの値段がつけられてはいても見つけた娘達は喜んで買っていった。
最初にこの青い毛糸を見た者達は、鮮やかな青の染め方をこぞって知りたがった。
目端の利く商人に声をかけられもした。
魔女は別段隠さず、「暗糖」の種から染料は作ると教えた。
魔の森の奥で採れる、甘い果実。
それだけで大量に採取する事は不可能と判断され、こうやってたまに小物で商われる他ないのだと、皆納得して去っていった。
「おお、こりゃ最後の一つかな」
行商の商人らしき男が覗きこんできた。
青い毛糸の小物は一つを残すばかりとなっていた。
「こりゃ、なんだ?付け襟?」
ぐるりと首を巻いてボタンで留める形状のそれに男は首をかしげる。
「襟巻だよ。普通の物だと解けたり端を何かに引っ張られたりすると締まったりするだろう?案外この形が便利なんだよ」
「へえ」
男は矯めつ眇めつひっくり返して眺め、「一つ貰っていくよと」購入を決めた。
「ちなみにボタンも手作りだからね」
「へえ」
男は更にじっくりと眺めた。
ボタンは素人では加工が難しいだろう硬い種の材木を削って磨いてニスをかけてと丁寧な手仕事に見て取れた。
「もう少し寒くなったら使ってみるよ」
「是非そうしとくれ」
男は良い買い物をしたとにこにこしながら立ち去って行った。
入れ替わりに数人の娘達が連れだってやってきて、リップクリームやハンドクリームを中心とした小物が売れた。
客足はゆっくりになった。
「青い毛糸の小物があると聞いたんだけど」
少年の声が聞こえて、魔女は顔を上げた。
そして、顔を確認すると大きく溜息をついた。
「ちょっと前に売り切れたよ」
「え、それは残念だな。予約って出来る?」
「作っているのは私じゃないから受けられないよ」
「じゃあ伝言だけでも。ボタンで留める襟巻が欲しいんだ」
「次の出店を待つんだね。運が良ければあるだろう」
青の毛糸はもう少し在庫があるが、弟子はそれで大物を作ると意気込んでいた。次は恐らく来春だろう。
そう言ってやる。
「そうか、残念だな……」
「お付きや護衛はどうしたんだい」
声を潜めて聞いてやる。同時に魔法障壁を薄く張ったのを感じ取ったのか、少年は目を見開いて笑んだ。
「目立たないようにしているけど後ろの方にいるよ」
魔女はフードの奥から視線を一瞬だけ少年の背後へやった。
「最初は撒いてこようと思ったんだけど、以前ユプシロン卿にそれを完璧にやるのは悪手だって言われたから」
とんでもない事を言う。
つまり、完璧に撒こうと思えば出来るということなのだ。
そして騎士が助言したというのなら、それは本人の思い上がりでもない。
「で、私に何の用だい」
少年はにっこりと笑った。
「二人きりで話がしたいんだけど」
「君、それが可能と思っているのかい?」
「あなたのお店へ招待してほしい」
差し出された掌の上に乗っているのはコインの半身。
溜息をつく魔女へ少年は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんね。私も他に方法を知らなくて」
「じゃあ、君をこっそり追って護衛する人たちにきちんと説明しておいで」
仕方なくという仕草で、魔女はもう半身のコインを渡した。一枚メモ書きをつけて。
少年は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。じゃあ、後でね」
そう言って、手を振って駆け去っていた。
どこから見ても少し身なりのいい街の少年、といった風情だった。
「薬屋だねえ……」
一人で小屋の扉を叩いた少年は、迎え入れられるなりきょろきょろと室内を見回してそう言った。
「薬屋ですよ?」
迎え入れたのは同じような年頃の銀髪の少年だった。
二人は初対面ではなく、訪問者の方の少年が微笑みかけた。
「この間ぶりだね。私はリィンハルト・ディオスフィロス・エンジュだよ」
「イルニアの弟子ユーシャです」
「君とは歳が近いから、あの時も話をしてみたかったんだ」
少年は十歳だが、ユーシャの方は恐らくそれくらいだろう、と思われているだけだ。ユーシャは多くを語らず、イルニアも尋ねなかった。
自分は山の中で倒れている所を発見されたが、それ以前の記憶が曖昧なので、年齢もよくは判らないのだ、と説明していた。
そう少年に言うと、少年は小首をかしげた。
貴族的な金髪がさらりと揺れた。
「でもあの時集まっていた四人よりは近いのは間違いないよね?」
亡くなったエンジュ公爵の落し胤として集まった子たちは、皆十歳未満だった。
若い頃から女性関係が派手だったと言われている割には、嫡男の歳を超える子供の申し出がなく、それがルドーを不思議がらせてもいた。
「それはまあ。でも私は平民ですから、貴族のあなたを楽しませるような話題はありませんよ」
「そうかなあ。薬の事とか興味があるんだけど」
「それは師匠にお尋ねください」
「ん~。編み物の事とか」
ユーシャは微かに目を見開いた。
「貴族の女性ならともかく、男性が?」
「うん。教えてほしいなあ」
ユーシャは戸惑う。
人懐こい笑顔で教えてほしいと言われても、ここへ通えるわけでなし、用事は師に会う事だろうし、そんな時間もあるはずがない。
「ちょいと習って帰ろうってか。貴族の御坊ちゃまが」
薬草棚の奥から魔女が出てきた。
「ああ、イルニア殿。来たよ」
「見りゃ判る。さっさと用事を済ませよう」
カウンターの手前にある小さなテーブルに向かい合って座った。
ユーシャは二人に香草茶と小皿に入れたクッキーを出すと、さっと薬草棚の向こうへと消えていった。
「で、何の話だい」
「うん。あのね、ヒルダの事」
前置きなしで本題へ入った。
あの後もう一度神殿で魔力判定を行い、イルニアが見た通り魔力量、適性ともに申し分なく、また適性については複数発現が珍しい為、現在魔力研究所に滞在して研究員たちと交流し、魔法学の基礎を教わっているらしい。
「何か問題が?」
「いや、何一つ問題は無いんだけど、それがかえって不思議というか」
「おや、そうかい?」
「うん。だって、あの後、叔父が人をやってハイネンの家からエイデンと一緒にヒルダを離籍させようとしたんだけど、ハイネン男爵夫妻はヒルダの事を覚えていなかったんだ」
イルニアは眉をひそめた。
「庶子の子を引き取って籍に入れる手続きはちゃんと行われているし、残っている伯爵家からの使用人にも確認したら、彼らにはちゃんと記憶があった。使用人達が言うには、引き取られて最初のうちは夫人の当たりが強く、子供達も同様だったらしい。とはいえきちんと家庭教師はつけたそうだ。容姿の良い子だったから利用価値があると思われていたんだろう。使用人たちもそう思っていた。で、部屋は家族の部屋からは遠く、使用人棟からも遠く、要するに「できるだけ、人の、特にハイネン家の人間の目に入らない」所だったらしいんだ」
ヒルダの為に最初に用意された家庭教師にも確認を取ったが、最初は生傷をこしらえていて、夫人からの折檻があるのだろうかと思っていたそうだ。あまり続くようならどこかへ相談しようと思っていたが、早いうちにそれはなくなったと。ヒルダにそれとなく尋ねてみると「目に入らないようにしていれば大丈夫」と言われたとのこと。
「つまり、穏形系の能力があると?」
「そうじゃないかなと思うんだけど、どう思う?」
「記憶までなくさせる力は穏形系ではないと思うが」
「うん、まあ、やっぱりそうか……」
リィンハルトは椅子の背もたれにぐっと背を押し付けて天井を見上げた。
「ちなみに夫妻のエイデンに対する記憶はあって、それもなんとなくうすらいではいたそうだよ。使用人達に確認すると、何しろ三歳になるやならずやの幼児だ。世話をしろと当主から丸投げされた使用人達がまずは世話係のメイドを決めようとした所で、ヒルダが自分が面倒を見ると申し出たそうだ。本来であれば、少なくとも一応はハイネン家の令嬢であるヒルダにそんなことはさせられないと思うものだが、何故かあの時はすっと納得してしまったそうだよ」
そうして、ヒルダが常にエイデンについて面倒を見ていたと。
その頃にはヒルダの家庭教師も来なくなっていて、時間があるのだろうなと使用人たちは思っていたそうだ。
時折、主家の人間は決して来ない使用人棟の裏庭を連れだって散歩していたり、絵本を読み聞かせするのを見かけたりもしていたそうだ。
「エイデンの事は憶えていた夫妻にヒルダの事を告げると、それでなんとなく思い出したようだ。時々エイデンと一緒にいる黒髪の少女を目に入れていたが、それが「誰」であるかにまで意識が行っていなかったらしい。「興味がなかったからだ」と夫妻は言っている」
「夫妻の中では不自然な事とはとらえられていないんだね?」
「うん」
「つまり、ヒルダは虐待を避けるために無意識にハイネン一家に対して穏形を発動させていた。エイデンにもその危険性を感じてごく自然に同じく穏形を発動させた、ということか」
「うん。でも記憶から消すのは違うんでしょう?」
「目に入らなくなったから、うっかり忘れたのかもしれないよ?」
「ええ……、そんな馬鹿な……」
リィンハルトは唸った。
「いや、でもまあ、ヒルダが引き取られてから五年は経っていたようだから、その間全く見かけなかったら、そうなる?」
いささか信じがたくはあるが、確認するように呟いてみる。
「ま、その間に魅了少女の問題なんかもあったわけだし、それどころではなかったのかもしれないよ」
アデライルに侍る貴族の一人がハイネン家の長男だった。
元々は街へ遊びに降りる王太子の遊び仲間だったと聞いている。王太子と同じく素行が悪く、割合初期の頃からアデライルに骨抜きにされていた。恐らく王太子を誑し込む実験台にされたのではと言われている。
最初は王太子の御伴でもあるし、大目に見ていた遊びが見過ごしには出来ない程ひどくなり、婚約者をないがしろにし、他家からは眉を顰められるようになり、どうにか遊びをやめさせようと説得したが親の言うことなど聞きもしない。親も王族が仲間にいるため、手を出しあぐねている間に、ますます他家からの評判は落ち、息子は妙な場所で借金までするようになった。
後に問題が表沙汰になった際、ハイネン家が取り潰しにならずに済んだのは、そこで息子を勘当し、絶縁したからだ。
当主としては凡庸だったハイネン伯爵の決断に驚く貴族家も多かったと聞く。
「その決断も今となっては、本当に当主の意志だったのかどうか……」
「あ、やっぱりそう思う?」
リィンハルトは身を起こす。
「おかしいよね?以前の話を聞くと、特に奥方の長男に対する思い入れはとても強かったらしいのに、今現在、長男の事を問われても反応が薄かったんだって」
男爵家へ降爵する羽目になった事を口惜しがってはいるが、長男に対する恨み言もあまり言わないらしい。
イルニアは考え込むように黙り込んだ。
「こっちもおかしい話だけど、ヒルダは「ハイネン家が困窮したから自分を追い出した」って我が家で言ったんだよ。記憶にない筈の娘を」
つまり、都合よく記憶を蘇らせたりもしていると。
「でもヒルダに確認したら「追い出されたのはエイデンで、自分はそれについて出た。あの時はそう言うしかなかった」ってさ」
確信をつかせない、うまい言い逃れだ。
「で、どうしたいんだい?」
「うん。いや、どうしたらいいと思う?」
イルニアは顔をしかめた。
「魔法研究所か、国王陛下にお言い。一介の薬師に判断が付くもんか」
「ええ……」
少年は不満そうに声を上げる。
「多分どっちに相談したって、ぐるぐる意見交換するばかりで時間がかかった挙句、「有識者の意見も必要」とか言って結局イルニア殿の所に相談が来ちゃうと思うよ?実際国王陛下はそう思って、僕にコインの半身を投げてよこしたんだろうし」
要するに、国王には相談済みという事か。
「陛下は即断即決の人だよね」
少年は全て織り込み済みの笑顔を向けてくる。
イルニアは頭痛を堪える。
「「人に丸投げ」というんだよ」
あ、なるほど、と少年は手を打った。その顔つきに、余計な知恵をつけさせたのかもしれないと思う。
将来の少年の直属の部下たちの苦労を予見する。
「それじゃもう一回ヒルダに会おうかね」
溜息をつきつつ言うと少年は頷いた。
「ありがたい。よろしく頼むよ」
イルニアは胡乱な眼差しを少年に向ける。
「で、次は、ルドー殿じゃなく、君が出張ってきた理由を聞こうか?」
見に来てくださってありがとうございます。
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先日台風が近くを通った際、細かく雨が降る中、空が真っ赤な夕焼けに染まるという珍しい光景に加え、虹が二重にかかるというミラクルまで発動しまして。
「何かいいことあるかなあ」とメールしてきた妹に「いや~、逢魔が刻の虹なら去年も見たけど、なんもなかったよ~」と無神経をかましてしまい、メールが途絶えました。
いや、だって、本当になんもなかったんですよ。
悪い事もなかったわけですが。




