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ミカンとブンタとマル

作者: 志村菫

ミカンとその家族と友達ワンコのお話です。

 夏の日差しがきつい火曜日の夕方。

いつもの花道公園のベンチで、夏枝かあさんが溜息を付きながら文香さんと智美さんと話しているわ。


夏枝かあさんのリードには柴犬の私、ミカンが繋がれていて、文香ママのリードには、フレンチブルドッグのブンタが繋がれていて、智美さんのリードには、ジャックラッセルテリアとビーグルのミックス犬のマルが繋がれているの。


 いつもこの公園で、夏枝かあさんが文香さんと夏枝さんとお話している時、私もブンタとマルと話すの。もちろん、人間には私たちの会話は聞こえないわ。犬は心の中で話すものなのよ。


「ミカン先輩、今日は夏枝さん疲れているみたいだね」

「そうなのよ、マル。今ね、渉さんが帰ってきててね、ちょっと……」

「ん? 次男の人? 芸人さんやってるんだっけ」

「売れない芸人ね」

「おい、ブンタ! そんな風に言うもんじゃないよ!」

「でも本当だろ? お笑いのコンクール、いつも予選落ちなんでしょ」


 渉さんは大学を卒業して就職したんだけど、三年で退職したらしいの。

 ずっと夢だったお笑い芸人の夢を捨てきれなかったみたいでね。その頃は学生時代の仲間数人と劇場でコントをやったりしていたらしいけど、すぐに解散して。

 そんな時、バイト先で出会った月子さんとコンビを組んで、今は小さな事務所に所属しているの。

 あっ、ちなみに私は月子さんの実家で生まれたの。だから、たまに渉さんは私をお母さんのところへ連れて行ってくれたりするのよ。まぁ、そんな話はいいとして……。


 で、なかなか芽が出ない渉さんと月子さんだったけど、それでも挫けずに頑張ってたのよ。でも、いきなり帰ってきて茶の間で私を抱っこして、「よしよしよし……」とか言いながら話し始めたの。

 「暫くここに居ていいかな……」って。


「えっ? それじゃあシェアハウスに住めなくなったの?」

「うん……もうあの家は壊しちゃってマンションにするんだって。シェアしてた奴らは、実家や友達の家に散らばってさぁ……」

「シェアハウスっていっても、お友達の実家に居候させてもらってただけでしょ?」

「い、居候って……ちゃんと家賃払ってたし……」

「そうそう、お友達って同じ事務所の子だったっけ?」

「元ね。アイツはもうとっくに辞めてるし……」

「それじゃあ……」

「まぁ……そういう事だから、暫くの間ここに居させてよ」

「渉、暫くって……」


 その時、心配するお母さんの言葉を遮ってお父さんがバシッと言ったの。


「ズルズルしてないで、そろそろちゃんとしろ!」


 最近の渉さんは、同じ目標を持った人たちとお笑いライブを中心に、相変わらずバラエティ番組のオーディションやコンクールの予選を受けては落ちて……の繰り返しで、最近はアルバイトの方が忙しいみたいで……。


「どんどん年を取るぞ。……いつまでも無駄な時間を過ごすな」

「父さん……無駄な時間って……」

「そりゃあ、父さんもお前にこんな事を言いたくないよ……でもなぁ……」

「分かってるよ……」


 渉さんはそろそろ三十半ばを過ぎようとしているの……。

 私がこの家に来た頃は家を出ていたし、たまに帰って来た時はね、テレビを観ながら私にずっと語り掛けるの。お父さんとお母さんが眠った夜に、ちょっとお酒を飲みながらね……。


「なぁミカン……あのコンビよりさぁ……オレらの方が面白いって思わないか? 確かに勢いはあるけど、前のライブではオレらの方がウケてたんだよ……アイツら最近テレビに出てさぁ、アイドルに「ファンです」とか言われて調子に乗って……ちょっとイラッとするんだよなぁ……」


 本心なのかどうなのか分からないけど、お父さんやお母さん、きっと友達にも言っていない事を話してくれるのよ。私はね、渉さんとはたまにしか会わないから、ウトウトしながら話を聞くの。


「情けないなぁ……人の悪口ばっか言ってるからダメなんだよ!」

「うん、僕もブンタの言う通りだと思う!」


 まぁ、確かにそうかもしれないけど、渉さんに悪気はないの。だから最後は……


「まっ! オレには華も才能も運もないだけだけどね……」


 そう言って笑うの……泣くときもあるの……ものすごく寂しそうにね……


「うわっ! それはそれでキツイね。ミカン先輩はそういう時ってどんなリアクションするの? 僕は杏ちゃんが泣いてるとぺロペロしてあげるんだ」

「うーん……別に何もしないわよ。でも、渉さんは私をギュッて抱きしめてそのまま寝ちゃうから……私も横でそのまま一緒に寝るんだけどね……」

「ああ……やっぱり情けない奴だなぁ………」


 でもね、今回の渉さんは家に戻って来てから、お酒も飲まないし直ぐに寝ちゃうし……まぁ、規則正しい生活を送っていたのよ。

それはどうしてかっていうとね……。


「えっ! 芸人さんを辞めるんですか? 私、一度お笑いライブ行きましたけど、面白かったですよ」

「ありがとうね……智美さん」

「あっ、私はユーチューブで観ましたよ。あの居酒屋さんのコント、良かったですよ! 話し方とか動きとか、本当に居酒屋の店員さんみたいで! 渉さん、面白いだけじゃなくて、演技力もありますよね」

「あの子はアルバイトで何年も居酒屋さんに勤めてるからね……」

「それでも、やっぱりコントも演技力がないと面白くならないでしょ……」

「いいのよ、文香さん……気を遣わないで……」


 お母さんは、いつかこんな日が来るって思っていたんだって……。

 厳しい世界で生き残るのは、なかなか難しいし、お母さんは渉さんのネタを見て笑った事がないのよ。

 それでね、渉さんは久しぶりに私を抱いて話し始めたの。ちょっとお酒を飲みながらね……。


「なぁミカン、聞いてくれよ……あいつがコンビを解消したいなんて言うからさぁ……」


 その日の渉さんは、泣いたり怒ったりしないで、ただ……私を抱きしめたの……強くね。



 相方の月子さんがコンビを解消したいって言い出したのは、本当に突然だったの。

 理由は、結婚したいからだって。相手は学生時代、お笑い同好会でコンビを組んでた元相方の男性で……。

 もうすぐ漫才コンクールの予選が始まるからネタ合わせをしようと思っていた矢先にね、そんな事を言い出すもんだから……。


「は? 今なんて?」

「だからね、前に話したわよね? 元相方とは、恋愛感情が芽生えたからコンビを解消して別れたって。でね、最近ばったり再会して、何か運命を感じたっていうか、付き合ってた彼女と別れて今は一人だって聞いたから……ねぇ、それって運命だと思わない?」

「運命かどうかは知らねぇけどさぁ、別に辞める事ないだろ? 前から結婚しても続けるって言ってたじゃん」

「うーん、でも今は……寿退社? そう、寿解散したい気分だし……」

「は? OLか! 昭和のOLか!」

「それに、ゆくゆくは彼の故郷へ嫁ぐならここへはいられないのよ」

「故郷ってどこだよ」

「ハワイ」

「マジか!」

「だって彼ハーフだもん」

「マジか!」

「で、今はこっちの〇亀製麵で働いてるんだけど、近いうちハワイの〇亀製麺に異動になるんだって」

「えっ! あんの? 〇亀ってハワイに?」

「みたいだね」

「そんで、お前もハワイで一緒に働くのかよ」

「えー! 英語話せないしな……でも住んじゃえば何とかなるかな……どう思う?」

「は? 知らねぇよ!」


 いつもネタ作りをするファミレスでコーヒーを何杯も飲みながら、そんな話がだらだらと続いて……。

 渉さんは月子さんを説得しようと思ったけど無理で……でも、よくよく聞いてみたらね……。


「えっ? 付き合ってない? その相方さんバカなの?」

「ブンタ! そんな風に言うもんじゃないよ!」

「でもね、私もちょっと変だと思ったのよ……だって、付き合ってもいないのに勝手に結婚するとか一人で決めて渉さんを困らせてるみたい」

「それじゃ、もう面倒くさいから他の人とコンビを組めばいいんじゃないの?」

「マル、そんな簡単じゃないのよ。仲間数人でコントをやって活動してた頃は、なんかしっくりこなかったらしいわ。でも、そんな時に月子さんと出会って……それこそ運命を感じたって……」


 今日も私たちがお話をしている時、ベンチでお母さんと智美さんと文香さんも、渉さんと月子さんの話をしていたの。


「私、前から思っていたんですけど、渉さんは月子さんへ恋愛感情は……」

「そうなんですよ、文香さん! 私もそれは気になってたんですよ。でも、今どきの男女コンビに夫婦漫才師っていないですもんね……」

「まぁ、確かに……」

「ああ実はね、私もその事に関しては聞いた事があるのよ。でも、兄妹とか親戚とか? 血が繋がった親族みたいなもんだと思っているから、恋愛感情なんてないって」

「じゃあ、逆に月子さんはどうなんでしょうか? 元相方とは恋愛感情が芽生えたから別れるって事になったんですよね? ひょっとして、今回も……」

「智美さん、鋭いわね。そうそう、ハワイへ嫁ぐって嘘だったりして……」

「もういっその事、結婚して夫婦漫才師になっちゃうっていうのも悪くないですよね」


 それでね、その夜……。

 夏枝かあさんは、文香さんと智美さんと話した事を渉さんに何気なく、笑い話程度に話したら、渉さんは急に真剣な顔をしたの。


「やっぱり、女性目線ならそう感じるんだ……鋭いな」

「じゃあ……まさか、月子さん」

「ひょっとして、オレに気があるのかもって思う時が……コンビを組み始めた頃、恋愛感情を少しでも持ち始めたら即解散するって話してたしな……」

「渉の気持ちはどうなの?」

「は? オレ? 前にも言ったろ? 妹や親戚の子って感じで……」


 でも渉さんは、その時考えたの。

 今、彼女も好きな人もいない。昔からそれほど色恋には興味がなく、別に一生独身でも平気だとすら思っていたの。


「しかし……夫婦漫才師ねぇ……まさか……ププッ、笑える」



 月子さんとは、バイト先の居酒屋さんで知り合ったんだって。

 テキパキしている訳でも声が大きい訳でもないし、手際も良くない。はっきり言って居酒屋さんで働くには合ってはいない月子さんをいつもフォローしていたのが渉さんで……。

 ある日お店が暇な時に、どうして他でバイトしないのか何気なく聞いたら……。


「ネットの占いで、家から東の方角にあるイニシャルがWの店で働くと運気が爆上がりするっていうんですよ……」

「は? でもここの居酒屋の名前って「うさぎや」じゃん! うさぎってUじゃ……」

「えっ! うさぎ……って、Wじゃ……」

「ウサギはUSAGIだと思うけど……」

「うわっ! ああ、何か変だと思った……あれ? そっか……UとWって雰囲気が似てるから……」

「は? 雰囲気って……」

「そっか……何か変だと思ったわぁ………はははっ! ………ま、いっか」


 思いっきり笑った後、その時の「ま、いっか」の顔が本当にバカっぽかったらしくって……。

 最初は呆れてたけどよくよく観察してみたら、メニューの聞き間違いやオーダーミスでお客さんに叱られてる時の表情や態度を見ていて、小声でツッコミを入れている自分に気付いて……その時、この人と漫才やコントをやると面白いかもって思い始めたんだって。


 だからね、バイトの帰り道に好きな子に告白するみたいに……柄にもなくすっごく緊張して言ったらしいの。


「えっと…………小暮月子さん、ちょっと聞いてほしいんだ……えっと……オ、オレ……小暮さんにツッコみたいんだ!」

「はっ?」

「いや、そうじゃなくて……小暮さんとコ、コンビを組みたくて……」

「コンビ?」

「そう……オレの相方になってくれませんか?」


 でも渉さんのラブコールを、月子さんはきょとんとした顔のまますぐに断ったらしいの。


「学生時代、お笑い同好会には所属していましたけど、もうやる気はないんですよ……それに、今はバイトだけど就職しなくちゃいけませんから……」


 いつもぼんやりしてるけど、結構しっかりしてるんだなぁって思っていたら……。


「だから私そろそろ、うさぎやを辞めるんです。やっぱり向いてないみたいだし……あ、他の店でバイトしようと思ってるんで、よかったらお客さんとして来て下さい」

「他の店って?」

「イニシャルがWのお店、あったんですよ! ズバリ、Wっていうお店です!」

「W……まだ探してたんだ……」

「もうね、三丁目あたりの細長いビルの、地下の辺りにあったんですよ! 時給がめっちゃいいんですよ」

「そこってどんな店?」

「まぁ……スナックとキャバクラとメイドカフェを足して三で割ったような? とか店長さんが言ってましたけど……」


 黙って話を聞いていたら、何かどう考えても如何わしいお店っぽかったから……。


「そこってヤバくない?」

「大丈夫です。私、スナックもキャバクラもメイドカフェでも働いた事があるんです。すぐに辞めましたけど……ま、就職先が決まるまでなんで!」


 やる気満々だった月子さんだったけど、一週間もしないうちにその店は摘発されて……。月子さんは危ないところで警察に連れて行かれるところだったらしいわ。

 それで、バイト帰りの渉さんのとこへやって来て、嬉しそうにこう言ったそうなの。


「私、やっと分かったんです!」

「ああ……自分の浅はかさが?」

「まぁ……そうですけど……はははっ!」

「ぷっ! お前のその顔、笑えるわ」


 笑うと目が漫画みたいに可愛く三日月になって、あんまり口を開けないでニッコリ笑う。

 でも、その笑顔は見ようによってはちょっと不気味で……。


「あっ! そんな事よりも……西島さんって下の名前、渉っていうんですよね?」

「そうだけど……それが?」

「はい、Wは渉のWだったんです! あの占い、よく読んでみたらイニシャルがWの店じゃなくて、Wの人と出会うと……って書いてあって……だから、きっと西島さんと一緒なら運気爆上がりなんですよ、私!」

「へ、へぇ……そうなんだ……」

「だから……私にツッコんで下さい!」

「えっ?」

「西島さんとコンビを組ませて下さい! よろしくお願いします!」

「えっ! ……あ、ありがとう……こっちこそ、よろしくお願いします」


 その時の話は、夜中にお酒を飲みながら、私によく話してくれるの……。

 で、その日はね、三日月がすっごく綺麗? というか怪しく輝いて、月子さんの笑った目の三日月にちなんで……コンビ名は……


『三日月の夜』


 自分の夢が動き出したような、特別な夜だったんだって……。



 いつもの様にベンチに腰かけて、夏枝かあさんが文香さんと智美さんと楽しそうにお話をしているわ。


「子供の頃の夢かぁ……。恥ずかしいですけど……モーニング娘。に入る事、でした!」

「智美さん、結構ミーハーだったんだぁ……」

「そうね。ちょっと意外だったわ」

「もう友達と盛り上がってましたよ! みんなでオーディションを受けようって……まぁ、どこかで本気ではなかったんでしょうね……ノリみたいな?」

「ああ……クラスでそんな事を言ってるグループいたかも……」

「文香さんはずっと美容師さんになりたかったんですよね?」

「でもね……一瞬セーラームーンになりたいって……」

「わぁ、今、うちでは杏が魔法使いになりたいって、もう本気で!」

「そうよね……若い時はそんな時期ってあるものね……戦隊ヒーローになりたいとか……渉もそんな事ずっと言っていたわ」

「だから、本当になってる人って凄いですよね? モーニング娘。無理ですもん……はははっ! 夏枝さんの子供の頃の夢はなんだったんですか?」

「わ、私? 夢なんて特別なかったわ……」


 いつもの様に、私もマルとブンタとお話をしていたの。今日はラブラドールレトリバーのレインさんも一緒に。


「えっ! レインさんって、きょうのわんこに出た事あるの? いいなぁ……」

「まだ小さい頃だったからね、殆ど覚えてないけどね」

「マルも出たいの?」

「うん、ミカン先輩! 僕もテレビとか出てみたいよぉ」

「ボクは雑誌には載った事あるよ。ママのお店の常連客の人が雑誌のお仕事をしてて……『街の看板犬』のコーナーってやつにね……」


 そうだわ。渉さんが若手お笑い芸人の特集で雑誌に載った事があったっけ……。

 お父さんとお母さんがそれを切り取ってアルバムに貼ってたのを思い出したわ。

 誰よりも応援していた筈だけど……。


 ある日、渉さんは私を連れて月子さんのお家へ行ったの。

 家には月子さんのご両親はいなくて、縁側で私のお母さんと月子さんはゴロンって横になっていたのよ。

 お母さんとは久しぶりに会えたから凄く嬉しかったわ……でも、月子さんは渉さんが声を掛けてもぼんやりとしていて……。


「よしよしよし……久々だな、モモ! おい、月子! 寝てんのか?」


 お母さんを撫でた後、何も答えない月子さんの横に座って、暫く渉さんはこじんまりとした庭を眺めていたわ。

 私はお話をしようと、お母さんの隣に場所を移動したの。


「お母さん! 元気そうね」

「ええ。ミカンも元気にしてた?」


 お母さんは小さい頃の様に私を舐めてくれて……家族と仲よく生活してるの? って……

 いつも会うと、お母さんは私を心配してくれるの。まるで渉さんの事を夏枝かあさんが心配するみたいに……。


「私は元気元気! でも、月子さんは元気がないみたいね」

「ああ……フラれたらしいわよ」

「えっ! あの元相方のハーフの〇亀の?」

「随分と詳しいわね……」


 月子さんはその元相方さんに、結婚を前提の交際を申し込んだらしいんだけど、その人から元相方以外に見れないって言われて……。

 それを知らない渉さんはとんでもない事を月子さんに言いに来たの。


「おい、月子。ちょっと横になりながらでもいいからさぁ、聞いてくれよ……」

「……」

「お前さぁ、ひょっとしてオレの事好きなのか? そうなんだろ? だから結婚するとか嘘なんだろ? 前から相方を男性として見始めたら解散するって言ってたもんな……」

「……」

「でもさ、オレはずっとお前とやっていきたいんだよ……一緒なら絶対にうまくいくって思うから……だから、いっその事……夫婦漫才師としてやっていかないか? 解散とかじゃなくて……」

「……」

「お前を女として見た事ないからさぁ……でも、一緒にいると情が湧くっていうか……コンビとしてずっと過ごすなら、面倒だから夫婦になって……」

「クックックッ……! お、お腹痛い……もう、今まで生きて来た中で一番笑う……はははっ!」


 月子さんは15分くらい笑い続けたの。渉さんはその横顔をじっと見ていて……途中で笑いが伝染したみたいに渉さんも笑い出したの。


「はははっ! 何だよ! オレ、今すげぇ恥ずかしいわ!」

「どうしたらそんな勘違いできるの? 私、面白フェイスNGだし!」 

「は? オレのどこが面白フェイスだよ!」

「あーあ、フラれて元気がなかったけど、今一気に元気になった……はははっ!」

「フラれたのか? それなら……」

「私さぁ……楽しいんだよ。渉さんと一緒にいるのも、一緒にコントや漫才やるの……でも、そろそろ……」


 微妙な空気が流れて……。

 手持ち無沙汰に、月子さんはお母さんを抱きしめて、渉さんは私を撫で続けて……。


「……ふう……時間がもっとゆっくりと流れてくれたらいいのに……私、時間の使い方が下手なのかも……朝起きたら、もうあっという間に夜? って感じだし……」

「どんな感じだよ!」

「……あっ、そうだ! アイツさぁ、私たちのコントをユーチューブで観たんだって! 笑ったって……ツボだったんだって。そんで、ちょっと嫉妬したって……」

「嫉妬って……」

「自分とコンビ組んでる時よりも何倍も面白いって。で、最終的には渉さんに会わせて欲しいとか言いだしてさぁ……」

「そんな事より……お前、本気で結婚考えてたのか?」

「うーん……あの日、自宅から北東の位置で再会した人は運命の人だって……ネットの占いで……」

「マジか! またそれかよ!」

「でも、いろいろ将来の事で悩んでたから、どうかしてたのかな? よく分かんないわ……はははっ!」


 相変わらずバカみたいに笑うから、呆れる渉さんだったけど、月子さんも年頃の女性だし、普通に結婚とか考えていたんだなって……だから、いつまでもこのままじゃいけないとは思っていたの。


 その日の夜、珍しく夏枝かあさんが眠れないみたいで、茶の間のゲージの中で眠っている私に声を掛けて来たの。


「ミカン、今日はモモちゃんと会ってきたんでしょ? よかったね。ああ、私もモモちゃんと久しぶりに会いたかったわ……月子ちゃんとはどうなったのかしら? 何かあの子、深刻な顔してたわよね?」


 きっと、お母さんは気にしてるの。これから渉さんと月子さんがどうなっていくのか……。



 それから、ほんの少し時間が流れて……。

 バイトのお休みの日、渉さんは私を連れて夕方の散歩へ出掛けたの。

 堤防を歩いて河川敷まで下って行って、夕日を眺めながら「ここでちょっと休憩するか?」って、私をベンチに座らせて、渉さんは私をギュッと抱き寄せたの。


「なぁミカン……オレさぁ……何か疲れたわ……よく考えたらさ、月子が解散を切りだしてくれて良かったのかもな……往生際が悪いオレだから、ずっと諦めないで突っ走っちゃって……この先、親に心配をかける人生になるよな……きっと」


 ピンでやるか? 他に相方を探すか? 散々考えた末に……やっぱり時間だけ過ぎて、最近は夜にお酒を飲みながらじゃなくて、こうして散歩の途中で私に話しかけるの。夕日を眺めながら……。


「あの……『三日月の夜』の西島渉さんですか?」


 その時、突然ある男性が声を掛けてきたの。

 渉さんはその男性を見て、ピンときたみたい。その人は月子さんの元相方だって。


「……そうだけど……」


 その男性はどこかハーフっぽかったの。

 月子さんの元相方……渉さんが想像していたハーフは……ウエンツ……JOY……八村……富岡? どれも違っていたの。

 はっきり言って、ちょっと顔が濃い日本人って感じで。第一印象は、真面目そうな好青年だなって……チラッと見た後、渉さんは私の方に視線を向けたの。


「ちょっとお話させて頂いていいですか?」

「月子の元相方、ですか?」

「えっ? 分かりました? そうです! ぼ、僕、タケル・ウイルソンと申します。よろしくお願い致します!」

「はぁ……よろしく……」

「すみません! 急に会いに来て。月子に、僕が西島さんを紹介してほしいって言ったら、勝手に会いに行けって言うもんですから……月子とケンカでもしたんですか?」

「いやいやいや……あなたと結婚したいからって、コンビを解消したいって言われて……」

「ああ、そういえばそんな事言ってたっけ……でも、最後は冗談だって笑ってたから……きっと冗談ですよ! えっ? で、本当にコンビって解消するんですか?」

「……まぁね……月子がそうしたいって言ってるから……」

「あの……僕じゃ……ダメですか? 渉さんの相方……」

「えっ?」

「あの居酒屋のコント、面白かったです! 他にもキャバクラ嬢の面接のコントも好きです! それで……ずっとユーチューブを観てて……最初は嫉妬のような感情が……」

「ああ、月子がそんなような事言ってたけど……」

「でも、すぐにあなたのファンになりました。だから、どうしても会いたくて……」

「そう……ありがとう……でも」

「こんな事、言うつもりじゃなかったんですよ……でも、きっと僕にとって今がチャンスだと思うんですよ! 絶好のタイミングなんですよ! だから!」

「いや……急に言われても……」


 とても礼儀正しくて真面目そうな好青年だと思ったけど、結構グイグイ来るから、渉さんは少し躊躇して……。

 我慢できずに私を抱っこしてその場を立ち去ろうしたんだけど……。


「待って下さい! 僕はあのコントを見てビビビッて……」

「ビビビッ?」

「はい! それに、ボク、タケルですし、タケルとワタルってイイ感じじゃないですか? コンビ名、ワタルタケルにしませんか?」

「ちょっと古くない? ごめん……そんな冗談に付き合ってる場合じゃないんだよ……」

「冗談に聞こえますか? でも、少しでも可能性があるなら、考えてみて下さい!」

「……考えてって言われても……」


「ワンワンワン!(しつこい!)」


 渉さんが困っているので、私が助け船を出したの。

 でもその時、渉さんの背中越しに、遠くから思いっきり走って来る女性の姿が見えたの。

 月子さんだわ……。


「ちょっとタケル! あんた何しに来たのよ?」

「勝手に会いに行けって言ったじゃないか! だから今、西島さんに相方にして欲しいって言ってたとこだよ!」

「はぁ? 私が相方だよ! なに勝手な事を……」

「解散するんだろ? ならいいだろ……」

「まだ解散してないし……」

「んじゃ早く解散すれば? お前結婚したいって言ってたろ? マッチングアプリ登録するって言ってたもんな! 大丈夫だよ、西島さんにはオレが……」

「は? 殴るよ!」

「おいおい月子! 結婚しようとしてた人に向かって殴るって……」

「渉さんは黙ってて下さい! タケルと私の問題なんで!」

「月子、オレとの結婚、冗談じゃ……」

「冗談に決まってんじゃん! そんな事、今はどうでもいいわ!」


 まるで恋人を取り合うみたいに二人は言い争いを始めたの。


「あんたさぁ、ツッコミじゃん! 渉さんもツッコミなんだよ?」

「そんなの知ってるよ! オレは渉さんにツッコまれたいんだよ! お前がゴリゴリのボケだったからオレがツッコミをやってたけど、なんかうまくいかなかっただろ?」

「そうだっけ? タケルが作ったネタがつまんなかったからじゃん!」

「はぁ? ま、まぁ……それもあったかも……だから渉さんのネタで一緒に……」

「あのネタはね、私ありきで作ってるのよ! あんたに出来る訳ないでしょ?」

「はぁ? あのキャバ嬢のネタはお前よりも女装したオレの方がビジュアル的にも……」


「ワンワンワン!(もう、ケンカをやめて!)」


 でも、渉さんは二人が争ってる姿を黙って観察し始めたの。面白い物でも見物するみたいに。

 そしていつの間にか、日も落ちて。空には三日月が輝いていたの。


 それから……。


 今日はお父さんとお母さんが朝から緊張していたの。

 あるお笑いのコンクールに、「三日月の夜」が出演する事になっていて……あ、敗者復活戦のコーナーに登場するらしいの、トリオでね。

 あの日、河川敷での月子さんとタケルさんの言い争いを見ていて、渉さんは三人でコントをやったら? あれこれ想像していたんだって。

 それでネタを作ってやってみたら、月子さんのボケにタケルさんの空気を読めない生真面目さが加わり、渉さんはトリオのコントに面白さを見出し始めて……。


 秋風が吹く頃、ネタ番組やコンクールにどんどん挑戦して、今回の敗者復活戦まで来たというわけ。

 敗者復活戦は、視聴者の投票で1位になったグループが決勝へ進出できるんだけど……。



「ああ……惜しかったですよね」

「惜しくないわよ、だって3位なのよ!」

「1位と2位は人気芸人さんだったし、1位の芸人さんが優勝したから……智美さんの言う通り惜しかったんですよ! 来年は絶対に行けますから」

「そうですよ! 愛と杏もめっちゃ笑ってましたよ!」


 夏枝かあさんが嬉しそうに、智美さんと文香さんと話している時、私もマルとブンタと話しているの。


「ヘタレの割には頑張ったんだね、渉さん!」

「おい、ブンタ! そんなふうに言うもんじゃないよ」

「でもね、月子さんとタケルさんは初めてのステージだった割には緊張しないでやったのに、渉さんは緊張して台詞が飛んだんだって……」

「えーっ! やっぱダメじゃん!」


 セリフが飛んだ瞬間、月子さんが渉さんをフォローしたの。その時、渉さんは泣きそうになったんだって……。でも、空気を読めないタケルさんがちょっと流れを止めちゃって、渉さんはアドリブで誤魔化そうとしてね。そこで何とか笑いを取れたから、まぁ良かったみたいだけど。


 結果は残念だったけど、あれから少しずつお仕事が来るようになったの。深夜のネタ番組とかね……。

 でも、一番すごかったお仕事はね、「日本のペット大集合」っていうゴールデンの番組。

「芸人とペット」のコーナーで渉さんと月子さんとタケルさんが出演する事になって……。

 モモお母さんと私……タケルさんの愛犬、カイくんが全国放送で!

 シュナウザーのカイくんは保護犬だったらしいわ。最近まで人に慣れていなくて、タケルさんも長い時間を掛けて信頼関係を築いたって話していてね……。


 初対面だったけど、カイくんとは早く打ち解ける事ができたの。


「僕はずっと人間が嫌いだったんだよ……だけどね、タケルは今まで会った人間とは違うんだよ」

「そう。よかったわね……私も渉さんと相性がいいの」

「でもさぁ、ちょっとタケルはしつこいんだよ! 夜とかさぁ、ずっと話しかけてくるんだよ! 彼女にフラれた時なんて最悪だった……眠いのにさぁ」

「えっ……やっぱり? 渉さんも割としつこいのよ!」

「それは月子さんもよ! 訳の分からない事、ダラダラと話すのよ!」


 ああ、カイくんをブンタとマルとレインさんと会わせたいわ……きっと仲良くなれると思うから。


 その後、放送を観てくれた智美さんと文香さんが「もう、とっても美人さんに映ってたよ!」「うちのお客さんもね、ミカンちゃんすっごく可愛いかったって!」なんて言うもんだから、ちょっと照れてしまったわ。マルは私のテレビ出演を「いいなぁ……」ってとても羨ましがって……。


 最近、渉さんはネタを書き上げると、一番最初に私に読んで聞かせてくれるようになったの……。

 私には、面白いかどうかは分からないけど……。



 そろそろ寒くなって来た公園で……。

 今日は夏枝かあさんと文香さんと智美さんが、いつものベンチに綺麗に並んで楽しそうに、パチパチパチって拍手をして……。


 この日は、いつも応援してくれている文香さんと智美さんの目の前で、「三日月の夜」の三人がコントを披露することになっていたの。


 ナンバーワンホストの渉さんの事を、月子さんとタケルさんが取り合うというネタで、女装しているタケルさんは月子さんよりもキレイで……。

 ボケまくる月子さんのペースを乱すタケルさん、その二人にツッコミを入れる渉さん。

 智美さんと文香さんは手を叩いて笑っていたけど、どこか夏枝かあさんは心配そうに渉さんを見ていて……いつもそうなの。でもね、今日はちょっと違ったみたい。

 ぷっと吹き出して笑ったの。ああ……良かった。


 これは夏枝かあさんと私の秘密なんだけどね、夏枝かあさんの若い頃の夢は、喜劇女優になる事だったんだって。前にね、そっと教えてくれたの。

 女学校時代に演劇部に入っていて、発表会で主役をやった喜劇がとても受けて、快感だったんだって。でも……それは夢で終わってしまったって。だから渉さんがお笑い芸人の道を目指した時、実はとってもワクワクしていたの。


 劇場の出番の時間が近付いたから、三人が「どうもありがとうございました!」って元気に公園を出て行ったあと……。


「さて、今日は生で観れて最高でした! 劇場にも涼太さんと行きますね!」

「そうそう、私も家族で観にいきたいです!」

「ありがとうね、文香さん、智美さん」


 ブンタとマルに、あの三人のコントがどうだったのか尋ねたら?

「よく分からないけど……ママが笑ってたから……」

「うん! そうだね、楽しそうだったら……僕も楽しくなっちゃったよ」

「ああ……それは良かったわね」


 文香さんがブンタのリードを引いて……。

「予約のお客様が来る時間だわ! そろそろ帰るわよ、ブンタ!」


 智美さんがマルのリードを引いて……。

「マルも帰るわよ。愛と杏が帰ってくる時間だしね」


 それぞれの家に帰って行くわ。

 夏枝かあさんと私は手を振って見送ったの。


「さてっと、買い物してから帰ろうね、ミカン。渉、夕飯は要らないって言ってたけど……」


 渉さんは、すぐに出て行くって言っていたけど、今は「ミカンと暮らしたいからここにいていいだろ?」とか言って……本当かしら?

 まぁ、実家は居心地がいいもんね。


 そうそう、今度カイくんが遊びに来るのよ。

 この町を一緒に散歩して、大好きな友達を紹介しなくちゃ……。

 きっと楽しい一日になるわ……。 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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