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お見合いと一緒ですからね

「————おい、太知。お前何考えてんだよ」

「いや、その……ごめん」

「俺、散々言ったはずだよな? モデルを描くのに最低三カ月はかかるって」

「————うん。だから、ごめんって……」

「じゃあお前、Vチューバーになるの諦めろよ?」

「————それは無理」

 太知の家に行き、そこでお母さんと会った日の翌日。太知は珍しくも朝から学校に来ていた。他クラスの生徒が言っていたが、どうやら太知は初めて朝から学校に来たらしい。その理由は多分、「お母さんに言われたから」とかだろうけど。

 ともかく、太知は朝から学校に来て、そして俺の姿を見つけるなり屋上に呼び出した。それはもう嬉しそうな顔で————。

 そんな太知の姿を見た生徒たちは、顔を青ざめて震え上がっていた。きっとそいつらには、太知の笑顔が「ブチギレ寸前を辛うじて誤魔化している笑顔」に見えたのだろう。

 太知はまだ、学校にいると「人見知り」が発動するようで。相変わらず無口で威圧感をばらまいていた。

 そんな太知の笑顔を見て、呼び出された俺が太知にボコされるとか、クラスメイト達は思っていたに違いない。

 

 だけど今、呼び出された側であるはずの俺が、言葉で太知をぶん殴っている。

「無理、じゃねーんだよ! 一カ月でVチューバーになれなかったら諦めろって言われたよな⁉ ————無理じゃん、諦めるしかないだろ!」

「いや……なんか、どうにかなるだろ―って思ってて……。あと、あの時はその場の雰囲気でつい————」

 一応、太知も悪いと思っているのか、申し訳なさそうに言ってくる。————のだが。

「————どうにもならねーよ! 大馬鹿が!」

 それでも、一カ月でVチューバーになれという、無理難題を簡単に引き受けた太知に嫌気が差して、俺は声を荒げてそう言った。


   ◇


 そんな出来事があった朝から、怒りが収まるくらいの時間が経って昼休みになった。

 そして昼休みになった瞬間、俺はまた太知に呼び出され屋上にいる。……コンビニで買ったおにぎりと共に。

「————授業ってめんどくさいんだなぁ……」

「……あほ。ほとんど寝てただけの奴が、なに言ってんだよ」

 隣で、随分と可愛らしいサイズの弁当を食べながら言う太知に、俺は短く返した。

「めんどくさいから寝てたんだって。何を言ってるかさっぱりわからないし」

「それは違う。つまらない話を起きて聞いてなきゃいけないから「めんどくさい」んだ。寝てたらめんどくさくないだろうが」

「……じゃあ、つまらない」

「それなら……まぁ」

 なんていう中身のない会話をしながらも、俺の頭は「どうすれば一カ月でVチューバーになれるか」を考えていた。

 いや、いくら考えても結論は「無理」から変わらないのだけども。

さらに言えば、たまに吹くそよ風が、太知の弁当から旨そうな匂いと太知自身の甘い香りを運んできて、まともに考えることすら出来ていないが。

「————ていうか、お前はこんな話をするために俺を呼んだのかよ」

 どう考えても、太知が俺と「一緒に昼飯を食べたいから」呼んだとは思えない。昼休みに呼び出された時は、いつものことながら「ついてこい」の一言だけだったし。

 それがふと気になって、俺は太知にそう聞いた。

「————いや、その……そーやが朝、めっちゃ怒ってたから————」

 ただ、それを聞かれた太知は言い辛そうに、何も掴んでない箸を咥えてボソッと呟いた。

「……謝った方がいいと思って」

「別に————今はもう怒ってねーよ」

 それを聞いた俺は、少し意外に思いながらもそう返した。

「……いや、嘘だ。絶対怒ってる」

「なんでだよ。怒ってねーって」

「じゃあなんでお昼食べてないんだよ」

「お前バカか⁉ なんで「飯を食ってない」=「怒ってる」になるんだよ⁉ 普通に腹が減ってないだけだわ!」

 謎過ぎる太知の持論に、俺は思わず立ち上がりながら盛大にツッコんだ。

————だけどそれでも、太知は納得がいっていないらしい。体育座りの膝の上に置いていた弁当を床に置き、空いた膝の上に顎を乗せてむくれている。

「その喋り方だって怒ってる。……昨日はもっと優しかった」

「だから……怒ってねーって。本当に————」

 そんな太知の拗ね方に、不覚にも「可愛い」と思ってしまった。だけどそれを態度に出すことなく、さっきまで自分が座っていた場所に再び座りながら、言葉を続ける。

「怒ってねーけど……困ってんだよ」

 既に起こってしまったことに対して、いつまでも後悔したり改善点を探しても意味がない。やると言ってしまったからにはやるしかないのだ。それを取り消すことは出来ない。

だからこそ、過去起こったことに対しての対処法を考えるより、この先どう行動すれば目標を達成できるかを考えた方がいい。

————ただ、今回はどう考えても達成できそうにない。それで俺は困っているという訳だ。

「————ごめん」

「謝らなくていいって。それで何かが解決するわけじゃないし」

 そう言ったものの、だからといって問題が解決するわけでもない。逆に、その言葉によってお互いが黙り込み、重苦しい沈黙が流れた。

謝っても問題は解決しないが、謝らなくても解決しないという訳か————やかましいわ。


というかそもそも、難問に対する解決策が簡単に出てくるなら、今頃地球温暖化で悩むことなんてないだろ。つまり、俺達が解決策を見つけられないのも自然の摂理。

————と、言いたいところだが、残念ながら「一カ月でVチューバーになる」という問題は大した問題じゃないだろう……。


「……待てよ? モデルを用意するのは待ってもらえばよくね?」

 思わず、俺の頭の中で形になった一つの解決法を口にした。その言葉に、隣の太知も暗かった表情を明るくさせて反応する。

「なぁ、太知————お前のお母さんにさ、「モデルを描くのに必要な期間は待ってください」ってお願いしてみろよ」

「アタシの親にお願いすんの……? ————無理だって。どうせ聞いてくんないから」

 しかし、俺の提案を聞くなり太知はすぐに否定した。だが、ここで「はいそうですか」と折れるわけにはいかない。ぶっちゃけ、これしか解決方法がないのだから。

「いいか、よく聞け? モデルはVチューバーに必須だけど、太知の努力次第でどうにかなるもんじゃないんだ。イラストレーターの空き次第で早くも遅くもなる。しかも最短で「三カ月」だ。こんなん、どう頑張ったって無理だろ?」

「……だな?」

 いまいち俺の言ったことが理解できていなさそうな反応を見せる太知に構わず、俺は自分の考えを話し続ける。

「だから、それをちゃんと言えばお前のお母さんだって理解して、期間を伸ばしてくれるはずだ。お前と違って頭よさそうだし、分かってくれるだろ—————ってことだ」

 ————と、口にしていると本当に行けそうな気がしてきて、途中からノリノリでそう言ったのだが。

「————アタシだってバカじゃない……から」

 太知は一層むくれてそう言った。


   ◇


「ぶふ————ッ‼ あはははは‼」

「いや、笑い事じゃねーだろ……」

 もはや恒例となった俺ん家での集会。そこでさっそく、昨日の出来事を柊木に報告したのだが盛大に笑われた。

「いやぁ、笑うしかないでしょ? 売り言葉に買い言葉で、一カ月でVチューバーになることを約束しちゃうなんて。もう————流石は姉御‼ って感じだよ!」

「そんな事言ってる場合か⁉ 一カ月だぞ⁉ あと一カでVチューバーになるなんて無理だろ!」

「いやー、そうでもないよ? 姉御はもう十分喋れるようになってきてるし、個人Vチューバーとして活動するなら今からでもできる。まー企業の方だと、オーディションの日程が厳しそうだけどね」

「————え? そうなの? 茜」

「はい! あとは本番で姉御がちゃんと喋れれば、何も問題は無いですよー」

 そんな柊木の言葉を聞くと、太知はしたり顔で俺の方を見た。

「だってよ! だから、何とかなるって言ったしゃんかー!」

「………………」

 なんだよ、案外いけそうなのかよ。それは良かったわ。

 ……そう言いたいところなのだが、素直に喜べない。まぁそれはそうだ。

 この際、太知の実力も着実についているからハッキリ言ってしまうが、オーディションを一発合格できるとは思えない。

 個人Vチューバーとしてやっていく分には問題ないだろうが、オーディションを突破するだけの実力は無い……と思う。が、根拠はない。なんとなくだ。

 だが、懸念するべきはもう一つある。というかむしろ、こっちの方が問題だ。

「お前ら……重要なことを忘れてないか————?」

「重要なこと————って? なになに?」

 勿体ぶってそう言ったが、どうやら太知はなんとなく察したらしい。何も言わずにその端正な顔を曇らせた。

「俺が未だに「色」を見れてない。……というか、モデルを準備するには圧倒的に時間が足りない」

「あ…………」

 それを聞いて柊木もやっと思い出したのか、深刻な表情になる。

 元はと言えば、太知や柊木と俺が関わりを持ったのだって「これ」が理由だ。

 俺の描いた絵がいいと、そう太知が言ってくれたから俺は協力している。

「……まぁこの際、俺は別のイラストレータ―に頼むんでも構わないけど。それは太知が嫌だって言うからな」

「うん。もちろん、当たり前じゃん」

「俺的にも、ここまで協力してきたんだし途中で投げ出すつもりはない。————けど、モデルを一から作るには三カ月かかるし……そもそも俺がまだ描ける状況じゃない」

「そうだったね……。だとすると、ちょっとまずいかも————」

 ————あれ? なんか思ったよりマズいのだろうか? これ。

 自分から「危機感を持て」と警鐘を鳴らしておいてあれだが、柊木の焦ったような表情を見てそう思わずにはいられない。

「三千喜君ってさ————、今はイラストレーターじゃないんだよね?」

「まぁ、そういうことになる。……申し訳ないとは思ってるよ」

「あーいや、謝ってほしいんじゃなくて。————企業Vになるとさ、モデルって企業側が決めるんだよね。もちろん本人の希望を尊重してくれるけど、大体企業が選んだイラストレータの中から選ぶことになるから……」

 そこで柊木は一旦区切り、ちらりと俺の方を見てから言いにくそうに続けた。

「イラストレーターじゃないと多分……」

「————候補にすら挙げてもらえないってことか」

「も、もちろん三千喜君の経歴を話せば、ある程度は融通をきかせて貰えるんじゃないかなとはと思うけどね⁉」

「そんな————……」

 今、柊木が言ったことは当てにしない方がいいだろう。イラストレーターというのは信用がかなり大切だ。

求められた時に、求められる以上のクオリティを安定して出せるのが最低限。それが当たり前のイラストレーターにおいて、過去に活動していたとはいえ今、活動していない俺の信用はゼロに等しい。

しかも相手が企業となれば尚更だ。懇意にしているイラストレーターだっているだろうし、クオリティが約束されているその人たちと一度挫折した俺とを比べて俺を選ぶ理由は無い。

つまり、企業Vチューバーになるとしたら、太知がオーディションに合格するまでの間に、俺はイラストレーターとして復活していないといけない。

無論復活するだけじゃなくて、復活後の経歴も必要になってくるが……それを何とかしてくれそうな人の当てはある。

だから問題は、俺がこの一カ月の間に復活できるかどうかだが————。

「厳しいな……」

「ウチもそう思って————。姉御、どうしましょう……⁉」

「え、えーと……どうしたらいい⁉」

 個人Vチューバーとしてやっていくにしても、モデルの用意が出来ない。

 全ては俺が、一カ月以内にモデルを描けるようになる保証がないのが原因。

 ————いや、一つだけ。

 一つだけ、俺が一カ月以内にモデルを用意できる方法はある……が。

「太知……もし、「俺が一部分だけ書いたイラストなら用意できる」って言ったら、お前は満足するか?」

「————え……?」

 多分、太知はその方法を拒否するだろう。

「今の俺は線画しか描けない……だけど、線画だけなら描くことは出来る。だから、俺が線画を描いた後で、他のイラストレーターに色だけお願いするんだ」

「ちょ————ちょい待ちーや⁉ そんなのやってくれる人いるの⁉」

 そんな俺の提案に、太知ではなく柊木が驚きの声を上げた。

「————頼めばやってくれそうな人は……いる。その方法なら、今からやれば一カ月以内にモデルを用意することも出来ると思う」

「…………」

 話しながら太知の顔を見ると、太知は真剣に俺の話を聞いていた。

「そのモデルを使って個人Vチューバーとして活動すれば、一カ月以内にVチューバーになるっていう約束も果たせるけど……」

「どどど、どーします⁉ 姉御……」

「ちょっと……考えさせて欲しい————」

 提案しながら心が痛むその方法に、太知は頭を抱えて悩んでいた。

 なにしろ、この方法で作りあげたモデルは俺の絵じゃない。それを俺の絵が好きだからという理由で、他のイラストレーターを選ばない太知が許せるとは思えない。

「も、もちろんそれは、あくまで一つの方法ってだけだから。その方法を取る必要が必ずしもあるってわけじゃない————」

 悩みこむ太知を見るのが絶えられなくなって、俺はそう言った。しかし、それを言い終わる前に太知は勢いよく顔を上げた。

「————それで……その方法でいこう。線画はそーやが描いてくれるんでしょ……?」

「あ、あぁ————。線画は今の俺でも描けるから————」

「————うん……じゃあそれでいいよ。————そーやが描いてくれるなら、それで」

 そう言って、太知は優しく微笑んだ。


 ————その笑顔が、我慢に我慢を重ねた作り笑いだということくらい……流石に分かる。

 そんなつもりじゃなくても、俺は太知にそう「言わせた」んだ。

「……分か、った。じゃあ、これからは……その方法でやるよ————」

 

 太知の見え見えの我慢に————それを言わせた自分の不甲斐なさ、無力さに。

 ————まるで血を吐くように、喉の激痛に顔を顰めながら……そう言ったんだ。


   ◇


「————もしもし。ご無沙汰してます、三千喜です。……工藤さんの携帯で合ってますか?」

 いつもより早く解散して、一人になった自室で。俺は中学時代にお世話になった、師匠とも呼べる存在のイラストレーターに電話を掛けた。

『おぉ! 創哉くん! 久しぶりだねぇ! 元気にしてたかい?』

「はい、まぁ……。イラストレーターを辞めた後も、工藤さんが面倒を見てくれたおかげで何とか元気にやれてます」

『そうかそうか! それは良かったよ! にしては声に元気がない気がするけどね!』

 敢えてなのか元からそういうものを気にしない性格だからなのか、俺の声が暗いことを指摘はしても深くは聞かず「はっはっは!」と笑っている工藤さん。

 イラストレーター時代に幾度となく助けられたその声が、今はなぜか少しウザったく感じる。

『しっかし、創哉くんから電話をかけてくるなんて久々じゃないか? 高一の夏休みくらいからめっきり連絡してこなくなったのに』

「————すみません。工藤さんには何度もお世話になったのに……」

『いや、いいんだよ! 元気にやってるならそれで!』

 工藤さんはいつもの明るい調子でそう言った。それを聞いて、そろそろ本題に入ろうと俺が覚悟を決めた時————、

『それで、今回電話してきたのは僕に頼みでもあるのかい?』

 さっきまでとは違って数段落ち着いた声のトーンで、そう聞いてきた。

「————ッ。……そうです。今回はお願いがあって電話しました」

『だと思ったよ。……まぁそんな強張らずにお願いしてくれ。なんなら戻ってきてくれても構わないよ? きみの席はまだ取っておいてあるからさ』

「それは…………」

『はは、冗談だよ。待っているというのは事実だけどね。それで、お願いって?』

「————実は、工藤さんに……カラーリングをお願いしたいんです」

 ————と、俺がそのお願いを口にした途端、電話越しの工藤さんの雰囲気が変わったように感じた。

『……カラーリング、ねぇ? いつ頃を期限にするのさ』

「……今、こっちで線画を準備してるんで三日後くらいには線画を送れると思います。それから大体二週間くらいで仕上げて貰えれば————」

『二週間……種類は? 普通のイラストの話じゃないでしょ、それ』

 ……どうやら、すべて見透かされているみたいだ。

「————Vチューバーのモデルです」

『……てことはモーションデザインもか? それはどっか別の所に頼むの?』

「————いや、出来れば工藤さんの所でお願いしたいです」

『————————ふぅん』

 ひとしきり情報のやり取りをして、工藤さんは意味深に呟いた。そして、深いため息がマイク越しに聞こえてくる。

 その後————、

『悪いけど、その依頼は受けないよ』

 やけに冷たく感じる、機械のような冷徹な声でそう言った。

「————そう……ですか。あの、理由を聞いても……?」

『今準備してるって言ってた線画。それ、創哉くんが描いてるやつでしょ』

「え————……」

 まさかそこまで見透かされているとは思わず、驚きの声が出る。

『分からないと思ったかい? こちとら、キミがデビューした時から引退する時まで全部知ってるんだよ? ————分からないわけがない』

「それは…………」

『Vチューバーのモデルを依頼してきて、それを何に使うつもりなのかは知らないけどさ。————モデルを描いてから「色」が見えなくなったキミが、そのモデルの線画を描いてカラーリングを依頼してくるなんて、いったいどういう風の吹き回しだい?』

「————————っ」

 何も、言えない。たしかに、工藤さんからしてみれば訳が分からないだろう。

 Vチューバーのモデルを描いたことでトラウマを負った俺が、そのVチューバーに関わる依頼をしてくるなんて。

『まぁ、ともかく。この依頼に関して僕んところは引き受けないから。そんじゃね』

 その工藤さんの言葉を最後に、電話は一方的に切られた。

 ————薄々分かってはいたんだ。多分引き受けてくれないだろうって。

 

 ……ただ、それでも。太知との約束を果たすためには、俺は工藤さんに縋るしかないんだ。


   ◇


「————いいんですか? 工藤さん。さっきの依頼、三千喜君からのだったんでしょ?」

 電話を切って、椅子の背もたれにだらしなく寄り掛かったところで、社員の一人が僕に向かってそう言った。

「いーんだよ、これで。……僕はどうやら、創哉くんを甘やかしすぎたみたいだからね」

「そんな事言ったって……あの子まだ高校生ですよ? 私たちみたいに成人してるわけじゃないんだし……」

 過保護になるくらいがちょうどいい————おそらくこの社員はそう言いたいんだろう。

 だけど、そういう訳にもいかない。

「いいかい、キミ。僕たちはイラストレーターなんだよ? 自分の才能で飯を食っていく生き物だ。————そんな生き方をする人間に、甘えが許されると思うかい?」

「それは確かにそうですけど……でも————」

「この業界に入った時点で、学生だろうが社会人だろうが関係ない。一人の「絵描き」としてしか見られない。そして、創哉くんはその世界から逃げ出したってわけさ。————つまり、死んだも同然ってこと。分かる?」

「————じゃあなんで、ここを辞めたあとも三千喜君のことを気にかけてるんですか。工藤さんは。言ってることと行動が合ってないですよ」

「なに言っちゃってんの。そら僕が優しいからに決まってるでしょ」

「はぁ……そんな事言って、どーせ期待してるからとかじゃないんですか? あの子の才能に」

 思ったより鋭い社員に、僕は少し驚いた。まさか、自分の想いを言い当てられるとは思いもしなくて。

「————さぁ? どうだろうね」

 口では違う風を装っていても、僕の頭は彼の才能のことでいっぱいだった。

 初めて彼の絵を見た時の、あの衝撃。一生忘れることは無いだろう。


 あまりにも現実離れし過ぎた色使いをしておきながら、一切「ありえない」と思わせない彼の才能。

 あの少年にかかれば、黒い月だろうが紫の木だろうが、全てが現実に存在するものになる。

「————ま、もう少し待ってみても遅くはないさ」

 少なくとも、その才能を自分で殺しているうちは手を貸すつもりはない————。


   ◇


「今日も見えない、か……」

 力なくそう呟き、俺はペンを持ったままのその手から力を抜いてぶら下げた。そしてそのまま、上を向いて倒れ込むように椅子の背もたれへと体を預ける。

 ————目に入ってくる天上の色は白い。

「はぁ…………」

 元から白い壁紙の天井だというのに、白く見えることに嫌気が差しため息をつく。

 そして窓の外に目を向けるが、今日はあいにくの空模様だった。

「すげー雨————……」

 どうやら台風が近づいてきているらしく、窓を撃つ水音が煩く感じる。今はまだ風の強さはそこまででもないが、今夜から明日の明朝にかけて強くなるらしい。

「……今日はもう寝るか————」

 現在時刻はまだ午後の六時を少し回った程度。つまり、寝るには早すぎるのだが、俺はもう寝てしまいたい気分だった。

 とにかくやる気が全く起きない。工藤さんに連絡をした日から三日が経過したのだが、その三日間はずっとこんな調子。

 その三日間は柊木と太知も家に来ていないし、学校でもロクに喋ってない。だから未だに、工藤さんに断られたことを伝えられないでいる。

 そしてさらに、断られてしまった以上自分一人で描き上げるしかないが、全くやる気になれない現状。俺の心はほとんど諦めモードだ。

 色が見えなくても描ける線画ですら、今は描く気が全く起きない。

「さすがに、マズいだろ……」

 口ではそう言うものの、本心ではどうでもよくなっていた。

 このままベットに入って、何もかもをさっぱり忘れて寝てしまいたい。

 色が見えないことも、工藤さんに断られたことも、太知との約束も————。

「太知…………」

 なんとなくその名前を声に出すと、少しはやる気が蘇る。

 だけど、雀の涙ほどのそのやる気は、真っ白のキャンパスを見た瞬間に儚く消えていく。

「あぁぁぁぁぁ…………」

 もう何度目かも分からないその現象に、今度こそ体の力が全て抜け、ベットに潜り込もうとした時————、

 軽快な通知音と共に、スマホのメッセージアプリから通知が画面に表示される、

 そんなスマホを反射的に手に取り、これまた反射的に通知の内容を確認して……。

「————————はい?」

 間の抜けた声を上げ、ベットに向かっていた足を止めた。

「今から家に来るって————この大雨の中……?」

 スマホの画面に無機質に映し出された、太知からのメッセージに。

 窓の外とスマホとを交互に見比べて困惑した。


   ◇


「マジで来たんですか……」

「うん。————タオルありがとう」

 我が家の狭い玄関に、びしょ濡れで立つ太知は私服だった。まぁ、休日なんだから制服の方が変に感じるけども。

 すらっと長く白い足を惜しげも無く見せるショートパンツと、ぬいぐるみを象った刺繡のされたタンクトップの上に黒いパーカー。このパーカーは多分、太知がいつも腰に巻いてるやつだ。

 そんな超ラフな格好の太知は、下着が透けて見えそうなほどびしょ濡れだった。

「……まだそんな、涼しそうな恰好をする時期じゃないだろ」

「そうなんだけどさ、雨凄いから濡れてもいいようにって————へくち!」

 タオルで濡れた髪を拭きながら、やけに可愛いくしゃみをする太知に俺は困惑しかしない。

「俺ん家に来るのは構わないけど……なにもこんな、大雨の中来ることないだろ」

「しょうがないじゃん、家追い出されちゃったんだからさ……へぶっ!」

「……いや、え? それ、マジな話なの?」

「うん、マジ。本当にどうしようかと思った」

 ここに来る前、太知はメッセージアプリで「追い出された」と伝えてきた。

 だが、それがまさか本当にそうだと思うはずも無く、追い返すつもりでいたのに。

「————どーすんだよ」

 本当に、色々とマジでどうしたらいいものか。

 家出してきた太知も、相変わらず見えない色のことも……全て。

「もしかして、アタシが来たの迷惑だった……?」

 しかし、俺が思い悩めば太知は申し訳なさそうに上目遣いで聞いてくる。

 ————迷惑という訳じゃない。会いたいなんて思ってたりした。

 だけど、気まずいのも事実。この三日間で起こった色々なことと、俺の今の現状をどんなふうに伝えたらいい……? 

 帰ってほしいけど、帰ってほしくない気もする。俺の気持ちはメトロ―ノームのように、その二つの感情の間で揺れ動く。

 だいたい、なんで俺ん家なんだよ。柊木の家とかでもよかっただろうに。間がいいのか悪いのか、ジャストタイミングで来やがって……。

「……別に迷惑なんかじゃない。けど、明日の朝には帰れよな」

 そんな俺の気持ちの揺らぎは、家に吹き付ける風の音が強くなったことであっさりと決着した。

 ————台風が上陸したら、電車も流石に止まるよなぁ。というか流石に、こんな天気の中を女子一人で帰らせる訳にもいかないか。

「うん————分かった! ありがとう!」

 どこか言い訳じみた理由で太知を家に上げたのに、太知はにこやかに笑ってお礼を言ってくる。その笑顔がとても眩しい。

「———とりあえずまず……風呂入れよ。そのままだと風邪ひくから————」

 そんな太知に見つめられるのが耐えられなくなって、俺は背中を向けてそう言った。





「着替えここに置いとくぞー。あと、お前の着てた服は洗濯機に入れたからなー」

「うんー、わかったー————」

 女物の服なんて持ってないので、適当に俺の服から着替えを見繕って洗面所の椅子の上に置いたことを伝える。

 ————と、浴室から艶めかしい水音とくぐもった返事が返ってきた。

「あ、そーや————ちょっと待って! これ、シャンプーどっち?」

「……あぁ、台に乗ってるボトルの一番左のヤツ。一番右がボディソープな」

 それを答えて洗面所を後にする……つもりだったのだが、俺の脚は止まったままだった。————別に、太知の裸を見たいとかそういうんじゃない。

 ただ、今の俺には太知に伝えないといけないことが数多くあって、それを言うタイミングを模索してるってだけだ。

 いやでも、太知は今日泊っていくんだし、言うタイミングは今以外にもある……。

 そう思って再び洗面所を離れようとした時、今度は太知の声に呼び止められた。

「————そーや? まだそこにいるー?」

「あぁ、ごめん。今、洗面所から出るから……」

「ま、ちょっと待って! せっかくだから少し話したくてさ!」

 ……なにがせっかくなんだよ。風呂入りながら会話せんでもいいだろ。

 そんな、さっき俺が考えていたことなど棚に上げて頭の中でそれを言う。

 だけど体は、浴室と洗面所を仕切るドアに背中を向けてそこに座っていた。

「————いいよ。俺も伝えないといけないことがあるし」

 そして気づけばそう言っていた。なんともまぁ、我ながらはっきりしない人間だな。

「その伝えないといけないことって————もしかして、あの方法が上手くいかなかったとか……?」

「……そうだよ。頼んでみたけどダメだった。————ごめん。……にしてもよく気付いたな」

「それは、ほら————そーやの元気が無いのに気付いてたし」

「そんなに分かりやすいか————? 元気が無いの」

「うん……結構はっきりわかるよ」

 自分の中では普通に、いつもよりちょっとテンションが低いくらいのつもりだった。だがどうやら、周りからは思ったより深刻そうに見えるらしい。

————太知に心配をかけてしまうくらいには。

「その……アタシが今日来たのは、アタシと母さんの約束のことは気にしなくていいよって、そーやに伝えたかったからなんだ」

「————え……?」

「最近のそーや、学校でも元気が無かったし、それは多分、アタシが無茶なこと言ってるせいだと思ったから……」

 表情こそ見えないが、一言ずつ言葉を選ぶ様に話す太知に、俺の心はまた締め付けられているように痛んだ。太知の純粋な優しさが、今の俺には消毒液みたいに沁みる。

「————アタシのせいでそーやに無理させちゃってるからさ。それを……謝りたくて」

「そんなの……むしろ謝るべきなのは俺の方だろ————」

「え————? いや、そーやは頑張ってる……っ」

「なにも頑張ってねーよ。……なにも」 

 そうだ。何もやってない。

 太知がVチューバーになる為にトーク力を鍛えてる間、俺は何をしてた? ……太知の特訓に協力してるふりをして、イラストを描くことから逃げてただけだ。

 そうやって逃げてるだけのやつが、いざ描きたいと思ったって描ける訳がない。

「ごめん————本当は、太知が俺の絵が好きって言ってくれた時、嘘を付かれてるって心のどこかで思ってたんだ。きっと太知も、心の中では「気持ち悪い」って思ってるんじゃないかって……ずっと疑ってた」

「————そう、なんだ。それはちょっと……悲しいな……」

「でも————違うって気づいたんだよ。あの日……お前が、「私が変わりたいって思ったから」って言った日。太知は本気でVチューバーになりたいと思ってて、本気で俺の絵が好きなんだなって……。それで、俺も変わりたいって思ったんだ」

 だけど結局、何も変わりはしなかった。俺は変われなかった。

 それでも、太知が変わる手伝いだけでもできたらと思ったけど……結局この有り様だ。

「————ごめん、太知。俺は多分、もう絵が描けないんだよ……」

 だから、これ以上俺に関わらない方がいい。これ以上俺に拘っても、太知の時間が無駄になるだけだ。

「……だからもう、俺のことなんて気にしないで企業Vチューバーになった方が————」

「アタシはっ! そーやの絵が好きなの————‼」

 その俺の言葉は、全部言い切る前に声を荒げた太知に遮られた。

「————! だから————ッ! 俺はもう、描けないんだって……」

「そりゃ描ける訳ないでしょ————っ⁉」

 俺の言葉を遮った太知の声より大きい声で言い返した————が、そんな俺の声より大きい声でまた遮られてしまう。

「アタシが好きなそーやの絵は、いつ見ても輝いてた‼ そーやのことを知りもしなかったのに、絵を見ただけで「絵を描くのが好き」なんだって伝わってきた‼ そんな……見てて嬉しくなる絵がそーやの絵なのに……! 今みたいに辛そうな顔して描ける訳ないじゃん‼」

「————————ッ‼」

 その言葉がとても苦しい。自分のことは自分が一番分かっていると思っていた。

 だけど実際の所、俺は何も自分のことを分かってなどいなかった。

 太知に言われるまで、自分の絵がどういう風に見られてるのかすら知らなかったのに。

「————なんだよ……随分、分かったような口きくじゃん」

 それが悔しかったからなのだろう。気づけばそんなことを口走っていた。

「————ちが……そんなつもりじゃ————」

「そんなつもりじゃない? よく言うよ。イラストレーターだった俺に対して、偉そうに分かったこと言ってきてさ。……まともなイラストも描いたことすらない奴が。なにいい気になって言ってんの?」

「そ、そうじゃなくて! ただ、さっきのはアタシの思うそーやの絵って、もっと輝いて見えたっていう……ただそれだけで————!」

「輝いてるわけねぇだろ‼ あんな絵が————‼」

 そうだ……輝いているわけがない。太知の好きだって言ったあの絵は、気持ち悪いものでしかないはずだ。

————だって「そう」言われたのだから。「よく、こんな気色の悪い絵を描けるよね」と。

「…………ごめん」

 だけど、感情に任せて言い放った俺の言葉を聞いた太知は、一言謝るだけだった。

 ……そんな太知の態度で、俺はようやく、自分が言ってはいけないことを言ったのだと気付いた。

「————————もう、いいよ」

 しかし、口から出てしまった嘘偽りのない本音を、今さら取り消す気にもなれなくて。 

 黙って目を瞑ったら、太知が切なさを孕んだ声で静かにそう言った————。


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