「乙女ヤンキー」はVTuberになりたい
————硬い床に叩きつけられた背中に、じんわりと痛みを感じながら、俺は太知と共に駅の構内から出た。
「おー、意外と田舎だな……」
「うっせーよ。田舎で悪かったな!」
いつもは一人の、駅から自宅までの道のり。だけど今日は隣に太知がいる。
するとなぜか、見慣れたハズの光景なのに、新鮮味を感じるのはどうしてなのだろう。
「てか、三千喜って一人暮らししてんだな! スゲーじゃん!」
「いやまぁ、爺ちゃんの手助けあってだし……。すごくはないだろ、多分」
「……へー? じゃあ、アタシにもできそうか?」
「それは無理だな。絶対」
「なんでだよ————!」
そんな会話をしながら、最寄りの駅から歩き続けてニ十分程度。
俺の家である古びたアパートと、住宅街が見えてきた。
築四十年くらいのおんぼろアパートの二階、一番隅の角部屋が俺の家。全部で六部屋あるのだが、今現在使われているのは二つだけだ。
三年前、俺が家出をして一人暮らしを始めた時に入居したけど、その時から管理人のおばーさんと俺くらいしか住んでいない。
住宅街の端の方でひっそりと佇むアパートの、そのさらに端が俺の家なのだが……。
「————ここが俺の家だけど……本当にいいんだな?」
鍵を開け、ドアノブに手をかけ回す前に、太知に最後の確認を取る。
言わずもがな、俺も健全な男子高校生。それも二年目だ。
一年間、女子と全くそういうイベントがなかったのに、二年になっていきなり「家に招く」イベントが発生したのだ。「何も起こらない」と言い切ることは出来ない。
「ん? いいぞ? 元はアタシが頼んだんだし」
「いや、そうじゃなくて。————「男の」俺の家だぞ?」
「あー、もしかして家の中が散らかってるとか? ならアタシも片づけ手伝うよ」
————ダーメだ。俺の意図を全く理解していない。そればかりか、「片づけ手伝うよ」なんて言ってきた。ここでどれだけ確認をとっても、俺の言わんとしていることを太知は多分、全く理解しないのだろう。
というか、よく考えなおせよ、俺。相手はあの「太知」だぞ? 今日の放課後、直人がどんな目に遭ったかを思い出せ。理不尽な事故で蹴り飛ばされていたじゃないか。
運動部に所属している直人であれだったんだ。帰宅部をやってる俺が受けたら……きっとモザイクが必要になるだろうな。
というか、クソ雑魚の俺が太知に手を出したって返り討ちにされるだけだ。残機があったとしても、開始三分で三乙。クエスト失敗だ。むしろ逆に、俺の身の方が心配になってくる。
「————ま、そうだよな。……どうぞ」
どうせ何も起こりはしない。自分の欲望にそう結論づけて、俺は太知を部屋に招き入れた。
「お邪魔しまーす!」
「中に誰もいないけどな」
そう言いながら、俺の家に初めて「女子」が入ったのだった。
◇
「……全然汚れてねーじゃん」
「いや、何を期待してんだよお前は」
「てっきり、もっと汚れてゴミ屋敷みたいになってんのかと思ってた」
「いやキミ、そんな家に入りたいと思うのか? キミは」
一kの俺の家、その洋室に入るなり、太知は不満そうに口を尖らせた。まさかとは思うが、本気で片づけを手伝おうとしていたのだろうか。————だとしたら勿体ないことをした気が……いや、そもそもそんな家に他人を上げたくなんかない。
「まぁいいや。さっそく作戦会議始めよーぜ」
しかし、俺の問いに太知は答えることなく、部屋の中央に敷かれたカーペットの上に胡座をかく。そんな太知に俺は、「へいへい」と返事をしながらちゃぶ台を出した。
なぜ、こんなことのなったのだろう————と思いながら。
————あの後、太知はなぜか「俺の家に行きたい」と言い出した。
というのも、太知が俺を説得するために「じっくり話がしたい」と言い出したのが原因だ。
太知は俺に、Vチューバーのイラストをどうしても描かせたい。だけど、自分がVチューバーを目指していることを他人には知られたくないらしい。それは「親にも」だそうで、太知の家は無理だという話になった。
そうして、消極法で選択肢を消していった結果、「俺の家」が選ばれたということになる。
しかし、俺だってそれをそのまま承諾したわけじゃない。そもそも、俺は太知が何を言おうとイラストを描くつもりが無いのだ。つまり、話しても無駄だということ。
その事を太知には言ったが……流石ヤンキーと言うべきか、全く聞く耳を持ってもらえなかった。
そればかりか、断り続ける俺に「お前は変態だって言いふらしてやる!」と、脅してくる始末。言っておくが、俺は「見た」わけでも「見ようとした」わけでもない。巻き込まれただけだ。太知と同じ、被害者と言っても過言じゃないだろう。
————だけど、「見えなくて良かった」と、心の底から思っているかと言われると……違う。正直言って、直人の頭に隠れて見えなかったのはもの凄く残念だった。
なにしろ、普通に高校生として生きている俺達にとって、「美少女の下着姿」というのはお目にかかれるものじゃない。そもそも異性ですら、そうそう拝む機会などないというのに、まさかの「美少女」なのだ。
これはもう、「大秘宝」と呼ぶに相応しいんじゃなかろうか。そう思えてくる。
ただまぁ……実際に拝んだ後に直人が蹴られたのを見ると、「見えなくて良かった」と思わざるを得ないけど。なかなかいい音で蹴られ、蹲っていた直人を思い返すに、相当な強さで蹴られたんだろう。運動部である直人が、痛みで蹲るんだから相当痛かったはずだ。
そんな蹴りを食らってまで拝むか、「大秘宝」を拝まないか、どちらかを選べと言われたら————痛みに弱い俺は、拝まなくて良かったと思う。
————と、そんな感じで邪な気持ちがあるから、太知の「変態だと言いふらす」脅しに俺はビビった。だから俺は今、太知の言うことを聞くしかないという訳なのだが————。
「————だーもうッ! なんで断るんだよ! 絵を描くの好きなんだろ⁉ 描いてくれたっていいじゃんか!」
「太知、そもそもお前は間違ってる。俺は絵を描くのが好き「だった」んだ。今はもう好きじゃないし、何なら描いてすらない」
「そんな細かいことはどーでもいいんだよ! アタシの為に描いてくれって‼」
「嫌でーす! つーかそもそも、描きたくても描けないし?」
「こんの……ッ‼」
煽り半分で俺が断ると、太知は悔しそうにちゃぶ台を叩く。が、俺に直接殴り掛かってくることはしない。
「アタシがこんなに頼んでんのに……ムカつく!」
「お、殴るか? だったら俺は絶対にお前の頼みを断ってやるぜ!」
「殴らねーよ! アタシはお前に描いて欲しいんだ!」
————そう、この太知とかいうヤンキー。変なところで常識的なのである。
俺があえて、ムカつくような態度で断ってるというのに、キレはするけど拳に訴えることはしない。どうやら、太知のことを少々見くびっていたらしい。
「……あのな、太知。Vチューバーのモデルを描いて欲しいだけなら、別に俺に拘る必要ないんだよ。世の中にはイラストレーターさんが溢れてるから」
そんな太知の態度に少し申し訳なさを感じた俺は、ほとんど使っていなかったパソコンを押し入れから取り出してきて、とあるサイトを見せる。
「ほら、こんな感じで……な? お前がどんだけ俺に頼んでも俺は描けないけど、この人たちなら描いてくれるぞ?」
ここまで言えば、流石の太知も諦めるだろう。そう思って、画面を険しい顔で見つめる太知にそう言った。————のだが。
「————嫌だ」
「……はい?」
「この絵じゃ嫌だ! なんか、ここに描いてある絵は全部下手にしか見えない!」
おいおいおいおいおい⁉ 何を言ってんだこいつは⁉
「いやいや、ここに名前が載ってる人たち全員、現役でイラストレーターやってる人たちだからね? 俺よりはるかに上手い人たちに何言っちゃってんの?」
「そもそも、アタシは三千喜の描いた絵がいいんだよ‼」
駄々をこねる子供のように「嫌だ」と言う太知だが、それがただの「感覚」で言ってるものではないように感じた。
なんというか、太知の中で譲れない何かがあるのだろうと思わせてくるというか。
「————そこまで言うなら理由を言ってみろよ。なんでこの人たちじゃなくて、俺がいいのか」
無論、俺だって、このサイトの人たちに引けを取らないぐらいの技術を持ってる。だけど、それはあくまで俺が現役だった頃の話。
絵を描かなくなって……描けなくなって一年が経った今、この人たちに敵うとは思えない。それを「俺の方が良い」というなら、それだけの理由があるのだろう。
————と、俺にそう聞かれた太知は逡巡した後、嬉しそうにスマホを見せてきた。
「これ————! この絵、三千喜が描いた絵だろ?」
そう言われて、突き出すように向けられたスマホの画面に目をやる。
そして目に入ってくる、どこか既視感のある美少女が描かれたイラスト————の線画。
正直言って、この線画だけで「お前が描いた絵だろ」と言われても納得しがたい。なんとなく見覚えはあるけど、だからと言って他の人の絵という可能性もある。いや、むしろ他の人のイラストである可能性の方が高い。
自分の絵をじっくりと見ることはそんなにないけど、他の人の絵は研究するために細かく見る。だからきっと、この絵は俺が過去に研究していた絵なのだろう。
そう思って、「これは俺の絵じゃない」と太知に言おうとした時————。太知がスマホの画面を拡大して、そこに書かれた小さな文字を指しながら言った。
「これ————ここに小さく「そーやー」って書かれてんだけど……三千喜だよな?」
その言葉に俺は、太知のスマホを食い入るように見た。そして、細く色白な太知の指に差された先に、「そーやー」と書かれているのを見つける。
「————そうだな。太知の言う通り、この絵は俺が描いたやつだよ」
決定的な証拠を突きつけられて、俺は自分が描いたと認めるしかなかった。
たしかに俺は、「そーやー」という名前で、イラストレーターとして活動をしていたことがある。
そして、俺の知る限りじゃ「そーやー」なんて名前のイラストレーターは俺しかいない。
「だろ————⁉ いやぁ、実はアタシこの絵がメチャクチャ好きでさ! だから三千喜にお願いしたかったんだよー!」
嬉しそうに顔を綻ばせる太知とは違い、俺は気分が沈んだ。
太知が「好き」と言い、俺に向けて押し付けるように見せてくるこのイラストは、俺にとって嫌いなイラストなのだ。
俺が今まで書いてきた中で、一番と言っていいくらい嫌いなイラスト。出来れば二度と見たくなかった。
当時、人気真っただ中にあったアイドルの、ライブ2Dイベント用に描いたもの。それをその後、イラストとして描き直したやつだ。————奇しくも、俺がイラストレーターとして描いた最後の作品となった。
「————だから、な? 描いてくれって!」
満面の笑みでそう言う太知の顔を見て、俺は心が痛んだ。
俺にとっては嫌いでも、太知にとってはとても好きな絵なのだろう。少なくとも、俺に絵を描かせるための方便には思えない。
もし俺に描かせるためだけの方便なら、こんな「呪われた絵」なんか見せたら逆効果だ。なにより、太知の屈託ない笑顔が「本気で好きなんだ」と言っている。
そんな太知に、俺は絵を描いてあげたいと思った。だけど————。
「ごめん、太知……。やっぱり描けないわ」
「え……な、どうしてだよ————」
太知は俺の言い方で何かを悟ったのか、さっきまでのような聞き方はしてこなかった。そんな態度に更に申し訳なく感じる。
「俺さ……実は「色」が見えてないんだよ」
「色が見えてない……?」
俺の言葉を反芻させた太知は、首を可愛らしく傾げた。どうやら意味が理解できていないらしい。
「————え、じゃあアタシの髪の色は?」
「銀髪だろ。おまけに水色のメッシュカラー入れてる……って違う、そうじゃない」
想定とは違うことを口にした太知に、俺は太知が誤解していることを確信した。まぁ、俺が言ったのは「色が見えてない」だけだから当然なのだけど。
「俺が見えてないのは、イラストの色なんだよ」
俺がそう言うと、太知はショックからか黙り込んだ。
俺が色を見れないのは、正確に言うとイラストだけじゃない。
簡単に言うと、「描かれたもの」は全て白黒の線画でしか見えないんだ。漫画、ゲームの画面、図鑑————などなど、デジタルだろうがアナログだろうが関係なく。
「————どうして……」
「さぁ……なんで見えなくなったのかは俺にも分からない。————でも、そういうわけだから、描いてあげることは出来ないんだ」
続けて「ごめん」と、俺は太知に謝った。それを受けた太知は、「何を言えばいいのか分からない」というような顔で固まった。
————そうして、部屋に重苦しい沈黙が流れる。
その重苦しい沈黙の中で、俺の頭の中は「申し訳ない」でいっぱいだった。
好きなイラストレーターに、絵をかいて欲しいという期待に応えられないことも。
太知の好きな絵を、俺にとっての「嫌いな絵」と、まともに見ようとすらしなかったことも。
色が見えないのだから仕方ないとはいえ、「何とかしてあげたい」と思わずにはいられない。
だけど、俺が太知にできることなんて、イラストを描く以外で何があるのだろうか。
落ち込む太知になんて声を掛けたらいいかもわからず、俺は黙り込んでいた。そのせいで沈黙が続き、その沈黙が首を絞めてきているかのように、息苦しい。
「————あのさ、また見えるようになんのかな。色って」
「……え?」
そんな沈黙を破ったのは、不覚にも太知の言葉だった。
「いや、色が見えるようになったら、また描けるようになるのかなーって思ったんだけど……そんなに簡単な話じゃないかぁ」
「どうだろう……考えたことも無かったけど」
色がまた見えるようになるなんて、考えたことも無かった。このまま一生、見えないままで終わるもんだと思ってた。————だけど。
「もし、見えるようになるんだとしたら……時間はかかるけど描けると思う」
気付けば俺は、太知にそう言っていた。それを聞いた途端、太知の顔に明るさが戻る。
「そっか! じゃあアタシ、色が見えるようになるの待つよ! んで、また描けるようになったら、メチャクチャ可愛いやつを描いてくれ!」
「お、おう……まだ分からんけどな————って、可愛いやつ? カッコいいのじゃなくて?」
可愛いやつ————と指定する太知の希望が少し意外で、思わず聞き返してしまう。
てっきり、太知のようなヤンキーなら、「可愛いキャラ」より「カッコいいキャラ」の方が好きそうだと思っていたのだが。
「いや……実はさ、アタシぬいぐるみがめっちゃ好きで」
「……おう」
少し恥ずかしがりながらそう言う太知に、俺は真顔で返した。
ヤンキーにしてはなかなか、可愛らしい趣味をお持ちでいらっしゃるな、と。
「Vチューバーになって、ぬいぐるみの雑談配信したいなって思ってんだよ」
「……なるほど?」
「————ぬいぐるみの話するのに、Vチューバーがカッコいいとさ……なんか変じゃん?」
「————あぁ」
別に変ではないと思うけどな。見てる視聴者側は特に気にしないと思うぞ。
というか、そんな事より問題は————、
「……なら、モデルを可愛くするんじゃなくて、その喋り方をどうにかした方が良いんじゃね?」
それを指摘すると、太知は「言われたくなかった」と言わんばかりに、顔を真っ赤にして俯いた————。
◇
「えーと……三千喜、紹介するよ。こいつ、アタシの友達の茜」
そんな、友達を紹介すると言った割に暗めのテンションで話す、太知の指す人物に目を向ける。そこには、太知に負けず劣らず見た目の煩い女子が居た。
地毛ではなく、おそらく染めたのだろう茶髪。そして、太知と同様だらしなく着崩した制服。それだけじゃなく、ピアスを両耳に二つずつ付けている。ピアスに関しては、太知ですらしていないのに。
なんとなく太知と同じ雰囲気のする女子————。その事から、初対面の時の俺は、彼女も太知と同じ「ヤンキー」なのだと思ったのだが。
「初めましてー! 茜って言いまーす! 柊木茜!」
「……初めまして」
「ぶ————! くっら! ウケるんですけど! ていうかあれだね。君、三千喜っていうんだ? 珍しいね、そんな変な名前」
「いや……変な名前じゃないだろ……。珍しくはあるけどさ————」
「あーそう? ま、ぶっちゃけどーでもいいんだけど! あ、てかさっきはごめんねー? 姉御がウチ以外と一緒に居るとこ、見たことなかったからさー」
————この柊木とかいう女、やたらとうるさい。こっちが一をしゃべる間に、余裕で百くらい話してくるバケモノだ。おまけに、その話の全てが自己完結している。
間違いなく、柊木は「ヤンキー」ではなく「ギャル」の方なのだろう。なんというかもう、存在自体がやかましくてしょうがない。
「————おい……太知。お前、自分の舎弟の手綱くらいちゃんと握っとけよ……」
「いや————うん……悪い」
そんな柊木に、俺と太知の二人はお通夜並のテンションで頭を抱える。
「えー? ちょっとちょっと、姉御とウチは友達なんですけどー? 勝手に舎弟にしないでくれますかー?」
そんな中ただ一人、柊木だけが、場の空気を無視した明るいテンションで、自分の扱いに愚痴をこぼした。
————それを聞きながら、俺は心の中で盛大に叫ぶ。「どうしてこうなったんだ!」と。
◇
時は遡ること三十分前くらい。俺と太知は、一Kの小さな家で頭を抱えていた。
「————ていうかそもそも、Vチューバーって何をもってVチューバーって言えるんだ?」
「……分からない」
————そんな感じで。お互い「Vチューバー」に対する知識が皆無で、どうすればその世間一般の言う「Vチューバー」になれるのか見当もつかなかったのだ。
「いや、俺はともかく……なんで太知まで分からないんだよ。Vチューバーになりたいなら少しは調べたりとか————」
「だって……動画見てても、なり方なんて分かんねーし……」
ちゃぶ台を挟んで反対側に座る太知は、頬杖をついて退屈そうにしている。とはいえ俺も、この時間がしんどくなっていた。
太知が「ぬいぐるみの話をしたい」と言ってから、既に三十分は経っている。
「もうさ、詳しい人間に聞くしかないだろ。太知の知り合いでVチューバーに詳しいヤツ、誰かいないの?」
————と、たいして期待してないけど、一刻も早くこの退屈な時間を終わらせたい俺は太知にそう言った。そんな言葉に、太知は一瞬体を震わせて反応する。
「————え、居んの? マジで?」
そんな太知の反応に、俺は希望を感じた。……のだけど、太知はなぜか嫌そうな、渋い顔をした。
「居るには……居る。けど————」
「けど————?」
やけに勿体ぶって話す太知に、俺はその「Vチューバーに詳しい知り合い」が変わった人間なのかと察した。太知が会いたくても、会うことが出来ないような人間なのかと。
例えば————何らかの病気で病院生活を送っているとか。
そんな人の所に押しかけて、「Vチューバーのなり方を教えてください」とは、気が引けてとても言えない。
「いやその……アタシがVチューバーになりたいって思ってること、知られたくない」
「……んなこと言ってる場合かよ⁉」
ふざけんな。なんだその「超」自分勝手な理由は。
「お、お前は知らないからそんなことが言えるんだよ‼ 茜がどれだけめんどくさいやつか知ってんのか⁉」
「いや、知らんけど! そいつがどんなにめんどくさくたって呼ぶしかないだろ⁉ 俺ら二人じゃ行き詰まってんだから!」
「嫌だ! 絶対に嫌だ! 揶揄われるに決まってる!」
「Vチューバーになりたいんだったらそれくらい覚悟しとけよ! てか、もういっその事そいつをここに呼べ!」
俺がそう言ったことで、太知は嫌がりながらもその知り合いを俺の家に呼んだんだ。
————そして、それからさらに二十分くらいが経った後。
やることがなくなって、二人でVチューバーの動画を見ている所に、俺の家のチャイムが鳴った。
「……あ、着いたんじゃね?」
それに太知が反応し、俺は玄関へと向かってドアを開けた。
「————はーい」
「……うわ、モサ男だ!」
「————は?」
「あ……てか、姉御はどこに?」
「姉御……?」
玄関を開けて、自分の家を訪れた人物が、事前に太知から聞いていた人物像と概ね一致することを確認したのと同時。
突然発せられた、どう考えても侮辱だろう「モサ男」という言葉と、その直後の「姉御」という聞き慣れない単語で俺の頭はショートした。
そんな俺の後ろから、太知が気まずそうに玄関へと顔を出す。
「アタシはここだよ————茜」
「あ、姉御―! どうしたんですか? ウチをいきなり呼び出すなんて。しかも姉御の家以外の場所なんて!」
「あー、その……ちょっと茜に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと————ですか?」
そうして、太知に茜と呼ばれてる女子高生は俺と太知を見比べて————、
「……なるほど! 任せてください姉御! ウチも男女の営みについて経験は無いですけど、ネットで得た知識ならいくらでも!」
「ち……ちちち違ぇよ!」
何をどう理解したのか、さっぱり分からない程の曲解をした茜に、顔を真っ赤にしながら太知が怒鳴った。
◇
そんなやり取りをした後に自己紹介をしたわけだが、柊木に対する俺の「何かとやかましいヤツ」という印象が変わることはなかった。
現に今も————、太知がVチューバーになりたいということを知って、ケタケタと笑っているし。
「ちょ————可愛すぎですって、姉御! 「Vチューバーになりたいって言ったら笑われるから隠してる」とか!」
「————うるさい、茜」
「しかも、Vチューバーになってぬいぐるみの話がしたい————なんて!」
「……おい。いい加減だまれ」
隣に座った柊木にちょくちょく「待った」をかける太知だが、柊木は気にもせず喋り続ける。そんな柊木の隣で俯き、プルプルと体を小刻みに震わせる太知は、小動物にしか見えない。
「前々から「可愛いとこあるなー」って思ってましたけど……今回はとびきりですね!」
「————うっせぇ! 可愛いとか言うな‼」
「えー? 無理ですよー。だって可愛いですもん」
「こんの————ッ‼」
もはや煽ってるとしか思えない柊木に、太知がキレて掴みかかろうとする。
俺はそんな太知を制止し、話を本題に戻すべく柊木に話しかけた。
「えー……っと、太知の話によれば、実際にVチューバーになった経験があるってことでいいんだよな? その————柊木さんは」
当たり障りないようにそう言った。太知と柊木は友人だけれども、俺と柊木は赤の他人。
だから一応、言葉遣いを選んだのだが、なぜか柊木は不満そうな顔をする。
「————茜」
「……はい?」
「ウチの名前は「茜」だから」
「————だから?」
「名前で呼んで?」
「あー…………」
————出たよ。陽キャ特有の「名前呼び」風習が。
たかが呼び方に、なぜそこまでこだわるのかさっぱり分からん。名前で呼べば、距離が縮まるとでも思っているんだろうか。むしろ逆だというのに。
名前呼びを許可されたところで、むしろ心の距離が離れるというのが普通というものだ。いきなりそんなことを言われても「なんだこいつは」と、警戒態勢にしかならない。
「その————茜さんは」
————のだが。今ここでそれを言ったら、また話があらぬ方向へと進みそうな気がして、俺は仕方なく名前呼びをした。
「いいですか? 姉御。男の子と距離を詰める時はこんな風にするといいですよ!」
「な、なるほど————」
「————あのさ、俺の質問に答えてくんねぇかな」
そんな太知と柊木のやり取りに俺は、名前呼びをしたことを激しく後悔した。
「あー、はいはい。Vチューバーの話ね? ゆーて、ウチもVチューバーになった事はないんだよねー」
柊木は一息でそこまで喋りきると、俺らに質問をさせる間もなく続ける。
「ウチがやったのは、企業Vチューバーのオーディションを受けただけ。ま、一次で落ちたんだけど! やー、思い出すとウケるわー」
一人で勝手に喋り、一人で勝手に思い出し、一人で勝手に笑っている————。光の速さで話が流れていく感じだ。
はなからついて行く気など全く無いけど、まるでついていける気がしない。
「————企業……Vチューバー?」
そんな中、聞き慣れない単語に反応した太知が首を傾げた。
「そう、企業Vチューバー」
太知の疑問を受けて、柊木がそう返す。おかげで、さっきの柊木の話をたいして聞いてなかった俺も、流し聞きながら変に思ったことを思い出した。
企業Vチューバー————とは、なんぞや?
正直言って、Vチューバーという言葉に「企業」という枕詞が付くこと自体、意味が分からない。
言っちゃ悪いが、そういう「企業」や「社会」と対極の位置に存在しているのがVチューバーだとすら思う。それがなぜ、ドッキングしているのか。
「————もしかして、企業Vをご存じでない⁉」
「その通り、ご存じでない。という訳で説明してくれよ」
俺と太知のピンと来てない反応を見て柊木も悟ったのか、大げさな言い方で驚いた。そんな柊木に説明してくれるよう頼む。
「嘘でしょ……? このご時世に企業Vを知らないなんて……普段何して生きてんの⁉ え、てゆーか、三千喜君はVのモデル描いたことあるんだよね⁉ 何で知らないの⁉」
「いや、VチューバーはVチューバーだろ。企業とか言われても知らん」
イラストレーターだった頃、確かにVチューバーのモデルは何個か描いてきた。
だけどそれが「企業」なのかどうかなんて知らない。というかぶっちゃけ、気にしてすらいなかった。Vチューバーのモデルを描いてくれと依頼が入る度に、「またか……」と、少々うんざりしていた気がする。
少なくとも俺は、「依頼が来たからその仕事をこなしていた」という認識しかない。その依頼がどんな相手から来たものかを考えたって、仕事が片付くわけでもないし。
「はあぁぁぁぁぁ……」
ただ、そんな俺の考え方は柊木にとって「ありえない」ことらしく。ちゃぶ台の上に肘をつき、頭を抱えていた。
「————仕方ないかー。企業Vと個人Vの違いについて教えてあげるよ、もぉー。姉御も、ちゃんと聞いといてくださいよ?」
「お、おう! 分かった!」
めんどくせーと思っている俺とは対照的に、太知はやる気満々だと分かる返事をした。
「……じゃ、よろしくー」
渋々承諾した柊木にそう言って、俺は太知のことを任せるべく席を立った。
「————え? ちょちょちょ! どこ行こうとしてんの⁉」
「……三千喜? 怒ったのか?」
そんな俺に、太知は首を傾げ柊木は呼び止める。
「————いやー、太知が聞けば俺は聞かなくてもいいかなって」
そして……俺のその発言に、二人は鳩が豆鉄砲を喰らったように目を丸くした。
「君も聞くんだよッ‼ 姉御が理解できなかったらどうすんのさ!」
「だって、俺がVチューバーになりたいわけじゃないし」
「いいから! そういう屁理屈いいから! 戻って来いやー!」
————と、柊木は立ち上がった俺を再び座らせるべく、俺の腕を引っ張りぶら下がる。
そんな状況にありながら、俺は全く別のことを考えていた。
————そう、柊木は喧しいが普通の女子だったのだ。
俺が少し力を入れれば、簡単に持ち上げられそうなくらい軽い。何なら、「本気で力入れてる?」と聞きたいくらい、腕を引っ張る力も弱い。
やっぱり、太知が頭おかしいだけなのだ。
そんな分かりきった事実を噛みしめ、俺は少し自信を取り戻した。普通な女の子が相手なら、ひ弱な俺でも力で負けることはない、と。
「……しょーがないな。俺も聞けばいいんだろ?」
そんな、なんてことない風を装って再びちゃぶ台の前に座る。————が。
「……三千喜。茜の胸が手に当たって嬉しいのは分かるけど、その気持ち悪い顔はやめろ」
「へ? いやいや、そんなわけないだろ? ラッキースケベでめんどくさいのがどうでもよくなったとか、そんなわけ————」
「…………」
流石「姉御」と言うべきか。腕っぷし以外、頼りがいの無さそうな姉御だが、部下である舎弟のことはちゃんと見ているらしい。
太知は俺に、殺気大さじ一、呆れ小さじ半分、侮蔑少々のジト目を向けてくる。
「————はい。すみません……」
————そんな太知に続き、柊木までもが俺を見下したような目つきになり、そんな視線に耐えられなくなった俺は頭を下げた。




