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3分の壁

作者: あかね

「聖女を召喚した、だと?」


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私はメイベル・ラクシュ。

 ラクシュ侯爵家の次女。

 4歳の時に、一つ年上のフェルナンド皇太子殿下の婚約者となった。


 5歳のフェルナンド殿下は、初顔合わせの時、おずおずと僕の瞳の色なんだと言って、紫色のラナンキュラスを一輪差し出してくれた。

 その時の殿下のはにかんだ笑顔を、今でも鮮明に覚えている。


 その日から私達は、いつも一緒だった。

 私には皇太子妃教育を受けるため王城の一室が与えられ、二人一緒に学び、一緒に遊び、一緒にいたずらをしては一緒に怒られた。

 二匹の子犬みたいにじゃれあいながら大きくなった。


 殿下は神から二物も三物も与えられた神童だった。

 煌めく美貌、強靭な肉体、輝く知性、鬼神もかくやの剣技、膨大な魔力量、貴族にも民にも分け隔てなく溢れんばかりに与える優しさ…。

 誰もが次代の王を褒め称えた。


 でも、思い込みだけは激しかった。

 王城の今は使われていない塔の部屋に幽霊が出ると聞けば夜中に張り込んで風邪を引き、西の森の奥に妖精が住むと聞けば探検に出掛けて迷子になり、東の森の湖の底に眠る七色の石が万病に聞くと聞けば取りに潜ろうとして溺れ掛けた。

 そして子供達が抜け出すのを止められなかった護衛に罰は与えないでと殿下が哀願し、代わりに私達へのお説教が三倍に増やされるところまでがお約束だった。


 ちなみに迷子は二人一緒だが、風邪を引いたのも溺れ掛けたのも付き合わされた私だけである。 

 

 そして転機はある日突然訪れた。

 殿下が13歳、私が12歳。


 思春期を迎え、お互いを異性として意識し始めて、素直になれず何となく余所余所しくなっていた頃だった。

 

 それでもあの日、私達はいつものように、講義の合間の休憩時間に王宮の庭園で二人きりのお茶会をしていた。


 そこへ私の父でありこの国の宰相でもあるラクシュ侯爵が、息せき切ってやって来た。


「聖女を召喚した、だと?」

 父の言葉を繰り返して尋ねたのは殿下だった。


「違います、殿下。聖女の召喚陣の開発、設置に成功したのです。後は聖女様が召喚陣の上を通り掛かるのを待つばかりでございます」

 魔法省長年の悲願の達成に父は興奮気味に捲し立て、反対に殿下は無言で何かを考えていた。


 その日から殿下は変わってしまわれた。

 まるで生き急ぐように勉学や剣の鍛錬や皇帝陛下の政務の手伝いに時間を使い、残った僅かな休憩時間は召喚陣が描かれた地下神殿の聖女の間で過ごされていた。

 いずれ訪れる聖女様に恋焦がれ、並び立つに相応しくなるべく努力なさっている、と殿下が噂されるようになるまで時間は掛からなかった。

 

 必然的に私との時間は減っていった。

 たまのお茶会さえ聖女の間で行われるようになった。

 有り得ない場所でのお茶会は殿下の懇願によるもので、あまりの殿下の執着に大神官も皇帝陛下も根負けして許可を出したと父宰相から聞かされた。

 お茶会の最中すら殿下は、私との会話はうわの空、睨むように召喚陣を見続けていた。


 殿下には会いたい。

 いつだって会いたい。

 でもいざ会って、私以外のものを見つめる殿下を見続けるのも辛かった。


 殿下もお忙しいことですしと理由を付けて、父宰相を通しお茶会自体の休止を進言したこともあったが、それは何故だか殿下から却下され、お茶会は定期的に続けられた。

 お前に辛い立場を強いてすまないと陛下が仰せだという父の言葉に、私は黙って頷いた。


 いつ来るかも、本当に来るかどうかすら分からない聖女を待って、皇太子の婚約者の座を空けておくことなど不可能だ。

 私は婚約者の立場のまま殿下の横顔を見続けた。


 聖女が現れれば、私は修道院送り、若しくは皇妃となった聖女の代わりに政務を担うだけの側室となるのだろう。


 殿下のお側にいたい。

 殿下と聖女の仲睦まじいお姿は見たくない。

 いっそ消えてしまいたいと思い続けて、三年の月日が流れた。


 召喚陣の維持にはお金が掛かる。

 毎日神官達が莫大な量の魔力を注ぎ込み続けなければならない。

 

 三年も待って聖女が召喚されないのであれば、今まで通り神が聖女を気紛れに遣わしてくれるのを待つのと何が違う?

 神の御業を待つのなら費用は掛からない。

 

 召喚陣の存続派と否定派の対立が日に日に強くなっていった。

 

 数百年に一度、ある日突然異世界の少女が聖女の間に現れる。

 彼女達はそれぞれ元いた世界の進んだ技術や優れた思想や文化をこの世界に伝えた。

 彼女達が現れる度に、この世界は大きく発展を遂げた。


 でもそれは本当に突然で、こちらから呼び出すことなど出来なかったのに、今回開発された召喚陣はそれを可能にする筈だった。


 召喚陣の存続に掛かる費用と聖女がもたらす利益を天秤に掛けて議会は紛糾し、ついに皇帝自ら聖女の間を視察することになった。


 皇帝陛下、皇妃陛下、皇太子殿下をはじめとした皇位継承権を持つ方々、宰相を筆頭に高位貴族のお歴々が揃って聖女の間に集まった。

 私も未来の皇太子妃として視察に同行した。

 高位の神官達も魔法省の召喚陣開発部門の研究者達も顔を揃えている。


 まるで皆が揃うのを待っていたかのように、その時いきなり召喚陣が眩い光を放ち、光の中にゆっくりと人影が現れた。


 可愛い少女だった。

 栗色の柔らかそうな髪、焦茶の大きな瞳、唇は赤く艶やかで、私達より若干黄色味の強い肌は健康的に輝いていた。


「動くな!」

 強く言葉を発したのは殿下だった。

 そして殿下は、光の中に浮かび続ける少女に、ゆっくりと歩み寄って行った。


「言葉は通じているか?」

 殿下が問いかけると、少女は真っ直ぐに殿下を見つめて頷いた。


「そうか」

 殿下も一つ頷き返した。


 真っ黒な絶望が私の心を塗り潰す。


 殿下が優しく手を差し伸べ、その手を取った少女が光の中から出て来て、この世界の床に足を着ける。

 少女は微笑み、殿下が幸せいっぱいの顔で少女を抱き締める。


 けれどもこの場にいた全ての人の予想に反して、そんな御伽話のような展開は訪れなかった。


「ならそのまま動かずに聞いてくれ」

 殿下はそう前置きをすると、何を考えたのか、いきなり創世神話から始まるこの国の歴史を語り始めた。


 誰もが唖然としていた。

 光の中の少女もポカンと殿下を見つめている。


 殿下の意図を読めずに誰もが殿下を見つめる中、殿下の歴史講義は淡々と進んだ。

 近隣三国を属国とし王国から皇国へと名前を変えた三百年前のロイド王の偉業のところまで話が進んだとき、皇帝陛下がハッと我に返ったような表情をなさって、殿下達の方に一歩足を踏み出された。


 その時、それまで召喚陣の上で輝いていた白い光は一瞬で消え、光の中にいた少女も幻のように消え失せた。


 沈黙がその場を支配する。


「ィヤッタァー!」

 下級兵士がしそうな雄叫びを上げ、殿下は拳を天高く振り上げた。


 そしてクルッと私の方へ振り返ると、満面の笑みで駆け寄って来て、力いっぱい私を抱きしめた。

 それからまるで幼子にするように、私の脇の下に手を入れ抱き上げ、キャッホーと奇声を上げながらグルグルと回し始めた。


 周りの方々は呆然とその様子を見ていたようだが、私が目を回すより少しだけ早く、陛下が静止の声を掛けてくださった。


「落ち着け、フェルナンド! そしてこの茶番の意味を説明せよ」

 皇帝陛下が厳しいお声で殿下に命じた。


 殿下は静かに私を降ろし、まだふらつく私を片手で支えながら、真面目な顔に戻って返事を返した。


 その前に殿下が一瞬『しまった』という顔をしたのを、私は見逃さなかった。

 何故そんな顔を見せたのか、この時は分からなかったけれども。


「畏れながら、陛下。聖女様にはこの国に来て頂く前に、この国のことをよく知って頂くべきだと思ったのです。それにはまずはこの国の歴史からだと説明を始めさせて頂いたのですが、よもやあのような短い時間で、聖女様が元の世界にお帰りになってしまわれるとは…」


 いけしゃあしゃあと曰う殿下に、この大嘘つきがと誰もが思った。


 陛下は暫くの間、殿下のことを射殺さんばかりに睨んでいたが、諦めたように大きく溜め息を吐いた。


「幾つか尋ねる。正直に答えよ」

 陛下の視線に射抜かれて、殿下はしぶしぶ頷いた。


「何故に聖女は消え失せた?」

 陛下の問いに、やはりしぶしぶ殿下は答える。

「あの召喚陣は、3分以内に出さないと、元の世界に送り返す設計になっておりましたので」


 陛下が厳しい目を魔法省の開発責任者の方へ向けた。

 彼は真っ青な顔をして、声も出せない様子で首を横に振っていた。


「お前はその欠陥を秘匿し、現れた聖女を元の世界へ送り返したということか? 何故だ? 寸暇を惜しんで召喚陣を見に行くほど、聖女が現れるのを待っていたのではないのか?」

 そうだそうだという周りの人達の心の声が聞こえる気がする。


「あの召喚陣の出来からして、遅くても三年以内にはきちんと聖女が現れると思っていました。でもその時に私が側にいなかったら、聖女は光の中から出て来てしまうではないですか」


「ちょっと待て。聖女が如何に大きな恩恵をもたらすか分かっておろう? 何故聖女を送り返そうとする?」

 

 殿下はキッと陛下を睨み付けた。

「だって、父上。聖女が来たりしたら、僕は聖女を好きにならなくちゃいけなくて、可愛いメイベルは嫉妬に狂って聖女を虐めなくちゃいけなくて、そしたら僕は可愛い可愛いメイベルを処刑しなくちゃいけなくなって! そんなのは、絶対の絶対に嫌なんです!!」


 なんだ、それー?!


 完璧な皇太子としての外面をかなぐり捨てて、殿下は吠え続ける。

 一人称も『僕』に変わっているし、『陛下』も『父上』に変わっている。


「待て、待て! その怪しい話はどこから来た?」


「メイベルの読んだ預言書に書かれていたそうです。そんなこと、あっていい筈がない。許せる訳がない!」


 ちょっと待って…。

 確か三年か四年くらい前に流行ってた小説の内容がそんな感じで、私も大いにハマって、殿下とのお茶会で話題に出したような…。


「僕はメイベルが好きなのに! ずっとずっとメイベルだけを愛しているのに!!」


「こんの、大バカー!」

 先程から殿下に支えられたまま殿下の横に立っていた私は、身長差で下から見上げていたその秀麗な顔に、思い切り頭突きを喰らわせた。


「つッ」

 涙目になった殿下が、顎を押さえながら私の方を振り向いた。


 愛の告白込みの突拍子もない殿下の話に、恥ずかしさ三割、怒り七割の私の頭突きは、結構な衝撃を殿下に与えたようだった。


「空想と現実をごっちゃにして、思い込みで突っ走るなと、いつもいつも、いっっつも言っていたでしょう?!」

 私にも侯爵令嬢の仮面は残っていない。


 ボロボロ泣きながら、殿下に詰め寄る。

「殿下は、まだ見たこともない聖女様の方が好きになっちゃったんだって…。私のことなんて、もうちっとも好きじゃないんだって、そう思って…」


「ごめん。本当にごめん」

 そう言って殿下は私を抱きしめた。


「あー、そこのバカップル。親の前で痴話喧嘩を繰り広げるんじゃない」

 心底呆れたような皇帝陛下の声が降って来る。

 バカップルって、皇帝陛下、いったいどこでそんな下世話な言葉を…。


「最後に一つ尋ねる」

 真面目な顔に戻って、陛下が殿下に問い掛けた。


「召喚陣維持に掛かった三年分の費用が水泡に帰した訳だが、それを其方は如何様に考える?」


 殿下も同じく真面目な顔に戻った。


「メイベルさえ側にいてくれるなら、異世界から誘拐して来た聖女がもたらすものより、更に大きな繁栄を必ずお約束致します。そのためにこの三年、死ぬ気で励んでまいりました」


「誘拐とは耳が痛いの。が、その言葉で議会を説得し、最初から召喚陣の維持自体をやめさせようとは思わなんだか?」


 困ったように殿下は視線を落として答えた。

「あの召喚陣は、魔法省の長年に渡る血と汗と涙の結晶です。その成功を万人の前で示す機会を奪ってしまうことに踏ん切りが付きませんでした」


 殿下は顔を上げ、陛下を真っ直ぐ見つめて続けた。

「遅くて三年と申し上げましたが、本当のところ、せいぜい半年くらいと高を括っていました。半年くらいなら、それほど大きな負担にはならないかと思った私が浅はかだったのです。申し訳ありませんでした」

 

 それは陛下に向けるとともに、陛下の背後に立つ関係者一同への謝罪だった。


「聖女を送り返せて嬉しくて、大はしゃぎして、そのせいで全部私の謀だとバレてしまって『しまった』と思いましたが、今はこれで良かったのだと思います。本当にすみませんでした」

 殿下はもう一度深く頭を下げ、それを見つめる陛下の目がほんの少し優しげに細められた。


「あい分かった。聖女の恩恵より多大な繁栄をという先程の言葉、ゆめゆめ忘れることのないように」

「肝に銘じまして」

 答える殿下の顔が、先ほどよりずっと大人びて見えた。


「殿下、私にもお話しくださらなかったのは何故?」

 この際だから私も聞いてみる。


「優しいメイベルは、きっと聖女召喚の中止を自分のせいだと気に病むと思って…」

 方向が明後日の方に向いているけれども、この人は本当に優しい人だ。


 私は殿下の両頬を思いっ切り抓りながら微笑んだ。

「これからは、どんな小さなことでも隠し事は無しでお願いしますね」


「ひゃい」

 心の底から殿下が愛おしかった。


 陛下がコホンと一つ咳払いをして私達の注意を引き付けてから仰った。


「無罪放免ともいくまい。よって、フェルナンド。其方には、召喚陣の改良を命ずる」

「はい」

 殿下が静かに答えた。


 陛下はフッと笑みを溢して続ける。

「誘拐というのは穏やかではないが、かと言って聖女の恩恵も捨てがたい。また必要以上に異世界の情報を得ることは、新たな諍いの種ともなろう。それらの点を鑑みて、改良を施すが良い」

 

 思わぬ難問に、殿下の眉が寄る。

 ただ単に『即座に召喚出来るように』とか『聖女が望めば送り返せるように』とかいう改良なら、きっと殿下にはそう難しくはないのかも知れない。

 でもこちらの世界に争いを起こすほどの過度な情報の流入は避けつつ、更に聖女の意思を無視することもなく、聖女を召喚出来るようにしなければならない…。


「陛下…」

殿下が情け無い声を出した。


「これは罰だからな。成功するまでメイベルとの婚儀は延期だ」


「な?!」


 いきなり真っ青になる殿下と、くつくつ笑い始めた陛下。

 続いて笑い出したのは、殿下のお母上である皇妃陛下。

 私もつられてクスクス笑い出してしまう。

 殿下を除いて笑いの輪が広がっていき、この場の緊張が解けていく。


「頑張ってくださいね、フェル」

 私は数年ぶりにフェルナンド殿下の愛称を呼び、その頬にキスを贈った。


「くっそー! 絶対にやってやるー!!」

 フェルの雄叫びが、またもや聖女の間に響き渡ったのだった。



 真っ白なウエディングドレスに、紫色のラナンキュラスのブーケを持って、私がフェルの元へ嫁ぐ日まで後もう少し…。


最後までお読みくださり有難うございます。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


前作のヒーローが些か情けなかったので、

今回こそカッコいいヒーローをと思ったのですが、

あれれ…?

フェルナンドくん、暴走してくれやがりましたw


今後も振り回されるであろうメイベルちゃんに愛の手を… ということで


ご意見・ご感想・評価など、心よりお待ちしています。


どうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m




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― 新着の感想 ―
[一言] 2作品とも読みました。面白かったです。 次作品を期待してます。
[良い点] 面白かったです! 登場人物がみんな素敵でした。 一途にメイベルちゃんを愛し続けていた殿下、損失は自分の働きでしっかり返す、と言い切る姿が格好良かったです。 メイベルちゃんも、色々と心配し…
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