綻び
カインが牢獄に閉じ込められて、もうすぐ3日が経とうとしていた。
彼の端正な顔にはくまができ、煌びやかな金髪からは光沢がなくなり、絹のような肌は荒れ無精髭が生えていた。
どうしてこうなった。
カインは夜も眠らず、ずっとそればかりを考えていた。
俺は家族を養うため、親友に敵対してまで国に忠誠を誓った。
その結果がこれか。
ふざけている。もうどうとでもなれ。
こんな王国など、早急に滅んでしまえ。
「カイン様」
牢獄の扉が開かれ、お粥を持った兵士が入ってきた。
兜で顔はほとんど見えないが、若々しい声からするとカインと同じか、少し若いかくらいの出立ちであろう。
この兵士には3日世話になっているが、罪人とは思えないほどに会話に良くしているので、懲罰を受けないか心配なところである。
「ご飯の時間です」
「いらない。俺はもう今日で死ぬ。飯など食べている気分ではない」
絶望に蝕まれたカインの言葉に対し、門番は腰を下ろして彼と向き合った。
「実は私、カイン様と生まれが同郷でして」
「……バルカンの生まれか?」
「はい。カイン様は私、いや我が故郷の若者全員の憧れです。ソル殿下にも負けない将軍として、数多くの戦績を立てている英雄です」
「よせよ。俺はソルなんかとは比べ物にならない、ただの女たらしさ」
卑屈になるカインの前で、門番はいきなり自分の着ている鎧をいきなり脱ぎ始めた。
「何してるんだよ。俺にそんな趣味はないぞ」
「カイン様。私の鎧を着て、脱獄してください。幸い、この兜は顔をほとんど隠しているため、そう簡単にバレることはないでしょう」
「そんなことしたらお前が」
「カイン様。あなたはこんなところで死んで良い人間ではありません。歴史に名を残すほどのお方だと私は思っております。さあ、時間がないので早く支度を」
そう言って、門番はカインの足首を縛っている縄を剣で両断した。
「さあ早く」
「馬鹿野郎が。俺は優しくなんかねえから、このままお前の言う通り脱獄しちまうぞ。それでいいのかよ」
「お構いなく。この命、カイン様のために捧げられるなら本望です」
「そういうのいらないんだよ。考え直せって」
「どちらにせよ、あなた様の足の縄を切った時点で死罪は確定でしょう。私の命を無駄にしないでください」
カインは強く歯を食いしばり、悔しさのあまり床を拳で叩きつけた。
「お前、名前は何て言うんだ」
「ニッキと申します」
「ニッキ。この恩は死んでも忘れない」
カインは鎧を装着すると、お粥を腹に入れて兜をつける。
そして、牢屋から出ると最後に深くニッキに一礼をした。
「カインが脱獄した!?」
サームがそれを耳にしたのは、カインが脱獄してから数時間後のことだった。
バルクは表情を曇らせながら、兵士に詳細を尋ねる。
「警備はどうなっていたのですか?」
「それが……。門番の1人がカインと手引きしておりまして」
「あの野郎! 家族を保護してやる約束はなしだ! バルク! すぐ兄上に連絡しろ! あいつの家族を処刑させてやれ!」
怒り狂うサームに対し、バルクは冷静に問題に対処しようとする。
「脱獄した以上、カイン殿の中で家族は守るべき存在ではなくなったのでしょう。それよりも脱獄したことで兵士の指揮が更に下がることの方が問題です」
「だったらどうしろって言うんだよ! この状況からどうやって立て直すんだ」
「脱獄を手引きした門番。それを斬首して、カイン殿の首として晒し首にするのです」
「そいつとカインが似てるって言うのかよ」
「それは知りませんが、顔の皮膚を剥がして晒せば判別はつきません。裏切り者に対する処罰と言えば、皆納得するでしょう」
「……よく思いつくなそんなこと。まあいい。その方法で対処するしかないな。早速実行に移せ」
サームはそう告げると、深いため息をついた。
その後、ニッキは即座に斬首され、首を砦内の訓練場に晒された。
「なあ、カイン殿の首ってあれか? 何か布で覆われてるけど」
「俺もよく見てないけど、顔の皮膚を剥がされてるらしいぜ。裏切り者に対する罰ってことでな」
「うわあ。見せしめのためかも知らないけど、サーム様もひでぇことするなあ」
「しっ。そんなこと言ったらお前も同じ目に合うぞ」
「そうだな」
そして、首は2日晒された後、砦の外へと投げ捨てられた。
その後、何者かによって埋葬されたという。
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カインが捕らえられ、後に脱獄したことを耳にしたソルは、ほっと一息をついた。
「そうか。カインは生きているのか。良かった」
「良くなどなりませぬ。殿下」
セムリットが言うと、ソルはむっとした表情で彼を見つめた。
「なぜそのようなことを申すのだ」
「カインがもし噂を流したのが殿下だと知ったらどうなさいますか?」
「……恨むだろうな」
「そうでしょう。カインは敵に回したら間違いなく恐ろしい男です」
「殿下! セムリット殿」
突如アネモネが2人の間に割って入るように言った。
「カイン殿が殿下に面会を願っております」
「何! カインが」
ソルは数秒考えた後、首を縦に振った。
セムリットはそれを見て、アネモネに耳打ちした。
「2人きりで話させてやれ」
「承知致しました。カイン殿をお呼び致します」
アネモネはその場から去り、しばらくすると、カインを引き連れてやって来た。
「殿下。私とアネモネは下がります」
「ああ。分かった」
2人きりになると、ソルは親友との再会を喜んだ。
「カイン! 生きていると知った時は嬉しかったぞ!
でも家族を人質に取られていると聞いていたが……」
「家族は捨てた。俺がどう頑張っても、どうせシュタインの手の中にあるんだ。だったら最初からないものだと思っていた方がいい」
「……」
見た目だけではなく、家族に対する思いまで変わってしまった親友の姿に、ソルは言葉を出すことができなかった。
カインは小さくため息をつくと、ソルの目を射抜いて言った。
「俺が来たのはそんなことを言いに来た訳じゃない」
「だったら何のために」
「分からないのかよ」
カインは涙を流しながら、拳を血が出るほど握りしめた。
「お前があんなことをしなければ、こんなことにはならなかった! ニッキが俺の身代わりになって死ぬことなんてなかった! ソル! お前があんな、あんな作戦取らなければ!」
「カイン。敵に回ったのはお前の方だろう」
「ああ! 身勝手な言い分だと思ってるよ! でも仕方がないだろう! 家族がいたんだ! 家族を人質に取られていたし、それ以前に俺はセロー様に恩があった! 騎士として、国を裏切って反逆者につくなんてできるはずないんだよ!」
「……言いたいことはそれだけか」
ソルは呟くと、無表情で泣きじゃくるカインを見つめた。
「お前はまるで子供だな。敵に回ったのは自分の意思だというのに、自分に対してひどいことをしたとわざわざ来て詰ってくる。そんな女々しい奴だとは思わなかったぞ」
「何だよ。女々しいのはお前もだろ! どうせ国王陛下に逆らったのだってセムリットに言われたからだろ! 戦は馬鹿みたいに強い癖に、セムリットがいなきゃ何も決められませーん。敵を女子供までなりふり構わず殺す癖に、ごめん本当は殺したくないんだって泣き言言ってるじゃないかよ!」
「この無礼者が!」
突如、カインの視界がぐらっと空を向いた。
自分がセムリットに殴り飛ばされてたのに気がついたのは、数秒経ってからであった。
「殿下! お怪我はございませんか!」
駆け寄ってくるアネモネに、ソルは力無く笑いながら言った。
「大丈夫。私は大丈夫だ」
「大丈夫な訳ないでしょう! 大丈夫だったら、何で殿下は泣いているんですか!」
「え?」
気がつくとソルの目からは、大粒の涙が流れていた。
アネモネはハンカチでそれを拭い、地面に仰向けで倒れているカインに敵意を向けて睨みつける。
「アネモネ。そんな怖い顔するなよ……。ほら、俺とソルは仲こそ良けれど意見が合わない時だってあるし、喧嘩だってするさ。お前だって分かっているだろう?」
「カイン。貴様は何も分かっていないのだな」
セムリットはカインの胸倉を思い切り掴み、そのまま放り投げた。
「2度と殿下の前に姿を見せるな。愚か者が。アネモネ、こいつを陣の外に摘み出せ」
「承知しました」
アネモネはカインの手首を掴むと、そのまま陣の外まで引っ張って行った。