兄と弟
ジャムール王国、王の寝所にて
突如病に倒れた国王セローは、側女を一人侍らせながら、第一王子であるシュタインと第二王子であるサームを自らの寝所へと呼んでいた。
「……シュタイン。私はもう長くはないかも知れぬ」
「ご冗談を申されますな」
シュタインが言うと、セローは咳き込みながら彼に向けて指差した。
「私が死んだら後継者はシュタイン、お前だ。お前は性格に多少難はあるが、何事もそつなくこなす。それこそ我が国に求められる王の才能である。私に代わりジャムールに安寧をもたらすのだ」
「父上。承知致しました」
シュタインが頭を下げると、セローはサームに視線を移す。
「サーム。お前はシュタインを支えるのだ。兄弟2人、協力して国を発展させろ」
「はっ」
サームが頭を下げると、セローは天井を見上げて呟いた。
「そして、ソルには気をつけろ」
「父上。それはどういう意味でしょうか?」
シュタインが問うと、セローは辛そうに咳をしながら答える。
「あ奴は、心の中に悪魔を飼っておる。兄弟の中で1番優秀なのは確かだが、この国に災いをもたらすのはソルだろう。十分に利用したら、適当に罪をなすり付けて殺してしまうのだ」
父の言葉に対し、サームは思わず食ってかかった。
「私はそうは思いませぬ。あいつは甘い所もありますが、民を導く素質のある奴です」
「サーム、お前は今までソルと過ごしていて何も気づかぬのか」
「それは一体どういうことでしょうか?」
首を傾げるサームに、セローは咳き込みながらも答える。
「あ奴は敵対する者に対して容赦がない。今はまだ良いが、後々人の心を持たぬ悪魔へと変貌するであろう」
「父上。ご安心ください。必ず仰る通りに致します」
シュタインは頭を下げると、右拳を血が出るほど強く握りしめた。
「兄上……」
唖然とするサームに対し、シュタインは彼の方に視線を移し、にこりと笑った。
「サーム。父上の命だぞ」
「は、失礼致しました」
サームが不服そうに言うと、セローは再び咳き込みながら言った。
「用はこれで終わりだ。手間をかけさせたな」
「いえ。サーム。出るぞ」
シュタインはサームを引き連れ、ゆっくりと寝所を後にする。
父の姿が見えなくなると、シュタインは舌打ちをしながら呟いた。
「死に損ないが。私は貴様より優れた王になってみせる。絶対にな」
「兄上。あなたがどんなお方であろうと、私にとって母を同じとする血の繋がった兄弟。父上の言葉通りどんなことがあろうとも、あなたにお仕えします」
「ふん。良い心構えだな。今のうちに媚を売っておくがいい。ん?」
廊下を歩くイシューの視線に、反対側から走るソルとセムリットの姿が映った。
兄二人の姿を見て、ソルは無邪気に手を振りながら声をかける。
「兄上方!」
「ソルか。遠路はるばるご苦労だったね」
先程までの態度が嘘のように、シュタインは朗らかな笑顔で弟を労う言葉をかけた。
「いえ。兄上こそお元気そうで何よりです」
「私はいつでも元気だよ。むしろ元気だけが取り柄だからな」
「それは良かった。兄上は時期国王として、いつまでも元気でいてください」
「失礼。お二人共。兄弟仲が良いのは喜ばしいことですが」
セローは間に割って入るように言うと、シュタインに問うた。
「シュタイン殿。国王様が倒れたとお伺いしましてな。ご様子は如何でしょうか」
「それがな。来てくれたところすまないが、父上は今一人にして欲しいとのことだ。私達も訪れたのだが、すぐに返されてしまってな」
「そうでございましたか。それなら、しばらくお待ちした方がよろしいですね」
「それがいいだろう。それはそうと、君達に伝えなくてはいけないことがあってね」
シュタインはソルとサムリットを交互に見て、告げた。
「先程父上に告げられたのだが、時期国王はこの私となった。ソルもセムリットも、未熟な私を大いに支えてくれると嬉しい」
「兄上! おめでとうございます!」
祝福の拍手を送るソルに対し、セムリットは無表情でサームの方に視線を移した。
「それは、サーム王子も同席されていたということですか?」
「……その通り。私もこの耳で父上の言葉を聞いた」
サームの表情を眺めながら、セムリットはソルの方に視線を移す。
ソルは一転して困惑した様子で、シュタインを見つめて言った。
「兄上の後継者祝いの儀は後ほど行うとして、お願いです。一目だけでも父上のお姿を見せてはくれませぬか? 何故か嫌な予感がするのです」
弟の言葉に対し、シュタインは難しい表情をして答える。
「そうは言ってもな。一人になりたいと言うことは、父上も色々考えることがあるのだろう。明日にまた来てはどうか?」
「でも!」
退く姿勢を見せないソルの肩を、セムリットは力強く掴んで言った。
「ここは一度退きましょう。あまりしつこいと国王陛下の気分を害しますよ」
「……分かった。明日また訪れようか」
ソルは兄二人に会釈をすると、先ほどとは違い小さく手を振った。
「では、ごきげんよう」
「ああ」
ソル達の姿が見えなくなると、サームはシュタインに向かって問いかけた。
「父上はソルに会いたくないとは仰ってなかったはずですが?」
「サーム。父上がソルのことを1番愛しているのは知っているだろう?」
「……ああは仰っていましたが、本当はソルのことは目に入れても痛くないほどの存在のはず。父上も国を思うて故の言葉だったのでしょう」
サームがそう言うと、シュタインは弟の肩に手を置いて告げた。
「サーム。私は性格が悪くてな。ソルを父上の死に目に合わせたくないのだ」
邪悪な笑みを浮かべたシュタインを見て、サームは決死の形相を浮かべて兄の胸倉を掴んだ。
「あなたという人は! 人の心がないのですか!」
「ソルが悲しむことなら、私は何でもするさ」
「ソルだけじゃない! 父上だってソルの姿を一目見たかった! だからわざわざ遠くから呼び寄せたはずだ!」
「それがどうした? 私はソルだけではなく父上も嫌いなのだ」
シュタインは拳をサームの溝落ちに入れ、地上に足をつけた。
激しく悶絶する弟を見下ろして、兄は意地悪い笑みを浮かべた。
「くくく。見ていろサーム。私はこれから羽ばたくのだ。王としてな」
「……せめて、私の前以外でその傲慢な態度はなされますな」
サームが告げると、シュタインは急変して朗らかな笑みを浮かべて言った。
「忠告感謝するよ。大丈夫。私は抜け目がないのでな」
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その夜
セローは軽く咳き込みながら、城のベランダから満月を見つめていた。
「ソルは来なかったか。思いの他戦が長引いているのかも知れんな」
残念そうに呟くと、彼は首にかけている赤色のネックレスをまじまじと見つめる。
ソルが10歳の頃、父の日に送ってくれた物である。セローは肌身離さず付けているネックレスに語りかけるよう、言った。
「ソル。私はお前が一番可愛いのだ。シュタインとサームにはお前を殺すよう言ったが、本当は一番後継ぎにしたいと思っているのだ」
「そうでございましたか。血も涙もない国王様の実態は、息子を溺愛するただの父親だったのですね」
いつの間にか、セローの背後には人の気配があった。
彼が振り返ると、そこには黒い仮面をつけた男が短刀を持って侍っている。
「別に命が惜しいわけではないが、私は持って数週間の命だ。せめて最後にソルの顔を見るまでは死ねないな」
剣を抜くセローに、仮面の男は淡々と言った。
「そんなことはどうでもいいのです。貴方の死を1秒でも早く望んでいる人間がいる。私はその方の意思に従うのみです」
「今のところは2人しか思いつかんな」
「いや、私も含めて3人ですね」
仮面の男はそう言うと、セローに向けて短剣を放った。
セローがそれを剣で弾くと、がら空きになった心臓に向けて一本の針がが放たれる。
それが命中すると、声にもならない声をあげながらセローは絶命した。
男は目的が達成されたことを確認し、微笑みを浮かべた。
「さて、本当は遺体をバラバラにしてやりたいところだが、それだと後々困りますね。ここで退散しましょう」
男はベランダの塀から高く飛び上がると、そのまま夜の闇へと吸い込まれていった。