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田邉くんとカラオケに行った日の夜。わたしはふと、彼が言ったことを思い出していた。
夜に雑談放送するから──と彼は生放送を締めるときに言っていた。もしかしたら今、放送をしているのではないだろうかという好奇心が湧いて、スマホの検索画面を開く。
昼に見た、動画サイトの名前を思い出してアクセスし、放送中ユーザーのページをスライドしていく。
「あっ……これ、かな?」
わたしは目星を付けて、その動画をタップする。少しの読み込み時間の後に音声が再生されて、コメントも流れ始める。
カメラ機能は使っていないらしく、手書きのイラストが画面いっぱいに表示されていた。
機械を通すと、少し声が変わるんだなあと思いながら、わたしはベッドに寝転がってその放送を聞く。なんだか、人の日記を見ているような気分だった。
「今日の生放送、急だったのに来てくれた人ありがとー」
わたしが見始めたのはちょうど、話の切り替わりだったらしい。
いきなり自分と関連のある話題があがって、びっくりして思わずスマホを落としかけた。
「えーっと、あの女の子は誰? か」
恐らく、流れていたコメントを読み上げた田邉くん。わたしと関連のある話どころかモロにわたしの話になって、ますます緊張してしまう。
「小学生の頃の同級生で──……まあ、聴いてくれた人は分かると思うんだけど、めちゃくちゃ歌が上手いから、今回誘ってみたんだよね」
わたしは息を呑んで話の流れと、コメントを見守る。
「俺の原点……っていうほどでもないんだけど、初めて観た舞台が男女のダブル主人公もので。本編自体もそうなんだけど、その後のショータイムでさ、二人で活躍してるのを見てカッコいいって思ってからずっと、一緒に何かやってくれる人を探してたんだよね。で、えーっと……奏の歌を初めて聴いた時に、ビビッときたっていうか」
奏。彼がわたしの名前を呟いたのを聞いた瞬間に、心が弾むのを感じた。
そして、初めて聞く彼の想いに、わたしはなんだか温かい気持ちになっていた。不思議な高揚感の中、話の続きを聞こうとして──流れてきたコメントに思わず目を疑った。
『付き合ってるの? それとも片想いなの?』
普通そんなこと、聞く? と思いながらも、わたしは放送を見るのを辞めることができなかった。彼がなんと答えるのか──それがやけに、気になったのだ。
一番最初のコメントを皮切りに、関連の質問が増える。最初はスルーしていた彼だったけれども──流石に、そうもいかなくなったのだろう。
最初のコメントから数分後、彼は初めてそれに触れた。
「結論から言うと別に付き合ってないよ。これでいい?」
ハッキリと言い切った彼の口調。それが事実なのだから、正しいはずなのに、心に細い針が刺さったような感覚がする。
──なんだか、田邉くんのことを考えると変だ。わたしはスマホの画面を閉じて、枕に突っ伏した。
「付き合ってるの……か」
わたしは、田邉くんとの恋愛を一瞬想像して──すぐに頭を振ってかき消した。
恥ずかしさもあったけれど、それ以上の理由がある。わたしは、知っている。わたしが恋愛をしてはいけないことを。
中学一年生の頃、わたしは付き合っている人がいた。
その人は、同じ中学校の一つ上先輩だった。知り合ったきっかけは、わたしが登校した翌日に向こうから声を掛けられたこと。
少しやんちゃな風貌で、先生達とも仲の良かった彼は、同世代の男の子達よりも少し大人っぽく見えた。わたしは、そんな彼にすぐに惹かれていって──知り合ってから一週間か二週間で、わたしから告白をして付き合い始めた。
彼と過ごした時間はまだ、良く覚えている。
一緒にショッピングセンターに行ったことも、ゲームセンター巡りをしたことも、遊園地に行ったことも。
共に過ごす時間はドキドキしっぱなしで、手を引かれて歩く道はどこも新鮮だった。それに、わたしの病気のことも理解してくれていて「来年の夏も待ってる」とも言ってくれたし、最後には泣いてくれたように思う。
だからわたしは、その次の夏も一緒にいられるのだと、それが当たり前だと思って彼に会いに行った。
でも、次の夏──一年後に会った彼は、他の女の子を連れていた。こっそりと後をつけたわたしに見せつけるように重なった二人の唇。その時に覚えた、目の前の景色が歪むような、そんな感覚は未だに忘れることができない。
それでもわたしは、馬鹿正直に彼を信じていたから、何かの間違いであってほしいという気持ちだけで二人の前に飛び出した。わたしの姿を見たら先輩は、思い直してくれるんじゃないかという淡い期待を抱いて。
「せ、先輩。あの、わたし……」
「──は? あぁ、お前か」
呆れたようにため息を吐いた先輩と、二人の空間に踏み込んだことを咎める女の子。
その時点で、結果は明白だった。
彼はもう、わたしのところには戻ってこない。
「ごめん、俺には無理だわ」
それが、最後の言葉だった。
その出来事はわたしの心に大きく深い闇を残し、そして、今の目立たない人格を作り上げた決定的なきっかけとなった。
「嫌なこと、思い出しちゃったな……」
わたしは救いを求めるようにスマホを手繰り寄せ、指紋を読み取らせて画面を開く。残念ながら、田邉くんの放送は終わっていた。彼の声を聞けば、この気持ちも晴れるんじゃないだろうかと、そういう気がしたのだけれど。
先輩といた時は、何もかもが新鮮で、訳のわからないまま手を引かれて歩くのが楽しかった。そんな力強いところがわたしは好きだった。
田邉くんといる時──わたしは、どうなのだろう。
彼も、わたしのことを知らないところへ連れて行ってくれる。けれど何故か、彼の側は、ひどく安心感がある。
そして彼が、美香と親しげに話すとき、わたしはあの日──先輩との関係が終わった日の感情を、密かに思い出しているのだということに気が付いた。
わたしは──もう二度としないと誓った恋を、田邉くんに、している。