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セミの歌  作者: なずな
5/12

5

 文化祭の準備が始まって一週間が過ぎ、夏休みを目前に控えたとある週末。

 わたしは、いつか田邉くんと約束したカラオケに行くために朝から着替えて身支度をしていた。


「奏、最近よく出かけてるわね」

「え?」

「去年までは学校に行く以外はずっと家にいたのに」

「……だめ?」

「だめじゃないわ、むしろそうやって楽しんでるとお母さんも嬉しい」

「そう? じゃあ、行ってきます」

「そんなに可愛い服を着て……もしかして、彼氏?」

「……違うに決まってるでしょ、じゃあ本当に行ってくるから」


 わたしはお母さんとの会話を適当に切り上げて、玄関で靴を履いて外の世界へと繰り出した。

 カラオケまでは、家から歩いて十五分ほど。待ち合わせ時間には十分間に合うだろうと判断してゆっくりと歩く。

 わたしの知らぬ間に引っ越してきたこの場所は、県内の主要駅の近くの再開発都市。レンガ調の建物が並ぶ綺麗な街並みには、程よく緑もありいい環境──なのだと思う。

 住宅街を歩くわたしの耳に突然聞こえてきた、鳴き声ひとつ。

 夏の風物詩とも言える、セミの声。

 わたしは「セミみたいだね」──その言葉を思い出しながら歩みを進める。

 セミの方がマシかもしれない──そんな風に思ったことも、なくはない。セミならば、夏の間の一週間を一生懸命に生きればいいだけなのだから。

 わたしは、長い人生の中で生きられる短い季節を、じっと過ごさなければいけない。

 わたしは、夏の象徴にも、誰かの友達にもなれやしない。その証拠に、夏に知り合った人の縁は、次の夏までにはすっかり切れている。


「田邉くん!」


 わたしは、ぐるぐる黒い渦を描いて回る思考回路をなんとか切り替えて、待ち合わせ場所であるカラオケ店の前に立っていた田邉くんに声を掛ける。


「西野」


 わたしの名字を短く呼んで出迎えてくれる田邉くん。


「また待たせちゃった……?」

「ううん、俺も今来たところ。じゃあ、暑いし入ろっか」


 田邉くんに促されるまま入店する。フロントは思ったほどうるさくなく、広く明るく開放的だった。

 物珍しそうにキョロキョロするわたしを、田邉くんは嗜めて笑う。


「カラオケ初めて?」

「初めて……じゃないけど、久しぶりだから」


 最後に来たのはいつだろう──わたしは、夏の記憶を遡る。

 中学生の時には行かなかったから、もう三年は前だ。


「西野、先歌う?」

「いっ、いや、いい。田邉くん、先歌って?」


 案内された部屋は、七階の一番奥まった所だった。八階建てのビルが丸ごとカラオケなのだという。それでも、七階の部屋はそれなりに埋まっていた。


「あっ、西野さぁ。良かったら後でデュエットしない?」

「えっ? う、うん……」


 最近の曲はある程度聴いてきたけれど、彼と一緒に歌えそうなものはあるだろうかと一瞬不安がよぎる。

 そんな風にわたしが考えていると、個室に設置されていた画面が切り替わり、曲が始まった。

 ──あ、この曲知ってる。

 田邉くんが歌い出すと同時に、わたしはそう思った。

 それは、いま一番人気があるであろう男性アーティストのデビュー曲。

 ゆったりとした、それでもバラードと呼ぶほどではない、そんなメロディー。

 寂しさを感じる歌詞なのに、田邉くんの歌声は人を引っ張るような力がある──わたしは、過去にふるさとを歌った時のことを思い出しながら彼の歌声に耳を傾けていた。


「……すごい! 田邉くん、やっぱり上手いね」


 曲が終わり、わたしは第一声でそう伝えた。田邉くんは少し驚いた顔をして「ありがとう」と照れ臭そうに笑った。


「西野はなに入れたの?」

「えっと、最近の流行り曲……上手く歌えるか分からないけど」


 わたしは特に意味のない予防線を張って、曲を選んで機械に送信する。

 アップテンポで少し歌うのが難しい曲だけれど、その分独特なリズムはわたしの声を自然に導いてくれる。

 難しいパートを終え、最後まで歌い切ったわたしは田邉くんからの視線を感じてそちらに顔を向けた。


「……な、なに?」

「いや、やっぱ西野の歌声いいなって思って。主張してくるような感じじゃないけど、すごい優しいし、綺麗」

「そ、それは褒めすぎだよ……」


 田邉くんから畳み掛けられるように褒められたわたしは、恥ずかしさを誤魔化すようにドリンクを一口飲んだ。スッキリとした飲み口のジンジャーエールが、しゅわしゅわと口の中で弾けていく。


「それで俺、今日は西野にお願いがあって」

「お願い……?」


 笑顔から一転、真面目な表情を浮かべた田邉くん。なんとなく変わった空気に、わたしは息を呑む。


「西野さ、俺と一緒に歌ってくれない? あの時は断られたけど……」


 あの時──それは、小学生の頃。

 音楽の授業の後で田邉くんから受けた提案を、わたしは確かに断った。


「お、覚えてたの? そのこと」

「うん」


 当たり前のことの様に頷いた田邉くん。

 わたしは心臓がひとつ、高鳴るのを感じた。


「……も、もしいいよって言ったら……わたしはなにをすればいいの?」


 わたしは、夏しか生きられない。

 そんなわたしに、諦めずにアタックしてきたのは彼が初めてだった。

 だから、この話を受けてもいい──わたしはそう思えたのだ。

 田邉くんはカバンの中からスマホを取り出して言った。


「これで、ライブ配信する」

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