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「せっかくだしさ、今から通しでやって、夜打ち上げ行かない?」
新しい台本の劇もほぼ完成し、後は細かいところを調整しながら本番を待つだけという状態になっていた。完成度も士気も高い中、その提案に反対する人はいなかった。
「あっ、じゃあさ、せっかくだから幼馴染の役、奏がやってよ!」
「ええっ? そんな……無理だよ」
「大丈夫! セリフないし、生歌聴きたいもん」
当日、幼馴染である女神の生まれ変わりの女の子の役をやるのは美香に決まっていた。セリフはなく、歌は音源で流すことになっている。
「いつの間にか奏多が録音してきててさー……」
「そうそう! 「学校だとノイズが入るから俺んちで録ってきた」ってね〜。西野ちゃん、変なことされてない?」
困ったように笑う美香の背中に飛び込んで来たのは、クラスメイトの一人、藤沢さん。
ちなみに、わたしと奏多くんのことはクラスメイト全員に知られていた。美香曰く「前より距離感近いし名前で呼びあってたらそれは分かるよ」とのことだった。
「さ、されてないよ……」
「で、奏、どーする?」
「えっと……じゃあ、せっかくだからやってみようかな……」
「やった! じゃああたしの衣装貸すね。サイズ大丈夫かな」
──こうして始まった、ほとんど本番のような劇。カメラも回っているらしく、わたしは舞台袖からステージを見ながら緊張していた。
一番最初の出番は、小屋で座り込んでいたわたしを、勇者が見つけてくれるシーン。そこからは流れるように話が進み、最後の見せ場である、魔王との戦いまではすぐだった。そして、覚悟を決めた女神の生まれ変わりが、魔王城に響き渡る音色で歌う場面。
上手く歌えるだろうか──そんな風に心配していたわたしを安心させるように、カメラに映らない位置で笑いかけてくれた奏多くん。わたしはそれに応えるように小さく頷いて、息を吸い、口を開いた。
これが、みんなとの文化祭の思い出になる。だから、わたしの全力で──……。
***
「奏! すっごい良かったよ!」
「わあっ、美香。急に飛びついてきたら危ないよ」
「確かに、美香より西野ちゃんの方が清楚系だしそもそも役が似合ってたよね」
「もうっ!」
わたし達がそう話していると、他のクラスメイトもその輪に加わって、それぞれ激励の言葉を残してくれた。そしして、それを遮るように響いた声ひとつ。
「夜、サイゼ予約したよ!」
奏多くんのその言葉で盛り上がる教室。外を歩いていた他クラスの生徒が「何事か」と覗き込んでくるのが見えた。
「奏、お疲れ様。やっぱ、奏はすごいよ」
「あっ……奏多くん。ありがとう」
「打ち上げも楽しもーな」
「うん……!」
***
その夜、文化祭の準備を終えたわたし達はクラスのほぼ全員で同じ電車に乗り、打ち上げの場所まで向かっていた。
少し早く着いてしまうらしく、女子でプリクラを撮りに行こうとか、買い物に行こうと盛り上がる中わたしは、静かにその様子を眺めていた。
「奏、疲れちゃった?」
「ううん……こういうの初めてで……プリクラとかも撮ったことないから」
「えー! そうなの? じゃあ、あたしが初めてのプリクラなんだね」
目的の駅で降りて、何個かのグループに分かれて歩く。わたしは美香達に連れられて、ゲームセンターに来ていた。
「奏! 盛りプリの撮り方教えてあげるね! まず、手はこうで、顔の角度はこう! それから……」
「そ、そんな作法があるんだね……!」
「そんでね、撮ったプリは……」
スマホに貼るものだ、と教えてくれた美香の言うとおり背面に貼ったプリクラを見ながら歩く。サイゼは二時間の時間制限が設けられていて、まだ話し足りないと、場所を近所の海に移しているところだ。
そんなわたしの様子を隣で見ていた奏多くんは、耳元で言った。
「ちょっと、二人で外れない?」
「え? ……うん」
お喋りに夢中になっているクラスメイトの輪を抜けて歩き、辿り着いたのは岩場だった。何か話したいことがあるのかと思ったけれどそうではないらしい。彼の口から出るのは、他愛もない世間話ばかりだった。わたしは、話の流れでこんなことを聞いてみた。
「奏多くんって、わたしのどこが好きなの?」
「え?」
「ちょっと、気になってただけ……」
「初めて見た時に、可愛いなって思って……それからずっと」
「ずっと?」
「そう、ずっと。今まで会った女の子の中で一番、好き」
「でもわたし、ずっと覚えてるよ」
「え? 何を?」
きょとん、とした顔はいつもよりも幼くて、小学生の頃のことを思い出す。
「奏多くん、わたしのこと、セミみたいって言ったじゃない」
「えっ!? そんなこと、言ったっけ……」
「覚えてない?」
「うん。ごめん」
奏多くんはわたしの手を取ると岩場のてっぺんまで登って、平らなところに腰を下ろした。わたしもその隣に腰を下ろす。ひんやりとした岩の温度が、制服の布越しに伝わってくる。
「奏、俺やっぱ、奏と色んなことしたいな。また俺と歌わない? リスナーも、奏の歌また聴きたいって」
「夏しかいないけど、いいの?」
「ほら、風物詩みたいで、逆にいいかなって」
「あぁ……夏になるとセミも鳴きだすもんね」
わたしが少し意地悪な声色でそう言うと、奏多くんは「根に持ってるの?」そう言って困ったように笑った。
「ううん。わたしね、奏多くんにセミみたいだって言われてから、セミならどれだけ良かったかなって思ってた……ひと夏だけ生きればいいんだから」
「奏……」
「でも今はね、来年の夏が楽しみなの。全部、奏多くんのお陰だよ」
「俺のお陰じゃないよ……奏が、自分で勇気を出して、新しい世界に飛び込んだからだよ」
「わたしね、ずっとしたいことも、やりたいことも無くて。今もまだ、自分自身がどうなりたいってことはないんだけど……でも、奏多くんの夢を、一緒に叶えたいって思ってる」
「……ん。ありがとう。でも、奏は自分のこと優先していいんだからね」
「……このまま、こうしていたいなぁ……」
わたしは、奏多くんの肩に頭を乗せて、目を閉じる。そしてただ、願っていた。夏が終わっても、彼の隣にいたい。みんなと、もっと一緒にいたいと。
──それはきっと、叶わないけれど。自分の身体のことは、自分がよく分かっている。
それでも、僅かな可能性があるならば、神にだって縋りたい気持ちだった。
奏多くんの身体から伝わる熱と、蒸し暑い夏の夜の空気。それから、行き来を繰り返す波の音。ずっとここにいたいと思うような、心地の良い静寂を引き裂いたのは、奏多くんの携帯の着信音だった。
「あっ、ごめん」
「誰から?」
「クラスのヤツ……花火やるから戻ってこいだって」
「そっか。じゃあ、行こっか」
「奏、来年もまた海来よっか。今度は昼に来て、海水浴しようよ」
「うん。わたし、またかき氷も食べたいな」
「あとお祭りも」
「カラオケもね!」
──来年の約束を、こんなに楽しい気持ちでするのはいつぶりだろう。
行きたいところ、したいことを話すわたし達の姿を見つけたらしいクラスメイトが、少し遠くから手を振って呼ぶのが見えた。
「奏多くん。行こっ」
わたしはもう、土の中でじっと縮こまっている幼虫ではない。自らの羽で、青空を飛んでいける力がある。
長いようで短かった、熱を帯びた高校一年生の夏のことをわたしはきっと、一生忘れない──。
ー完ー




