11
お盆休みが明け、自習、文化祭の準備、部活動のために校舎が開放された学校にわたしは久しぶりに向かっていた。
正直、文化祭に参加できないのはほぼ確定だから行かなくて良いかなとも思ったけれど、昨日の夜に電話で、奏多くんが学校に来るように執拗に言ってきたのだ。
久しぶりの教室に入るのは緊張する。わたしは、心を落ち着かせようと扉の前で深呼吸を何度か繰り返してから、意を決して教室へと足を踏み入れた。
「奏!」
ガラガラ、と音を立てて開いた扉に一番に反応したのは、美香だった。
「久しぶり! 元気だった?」
「うん。ごめんね、心配かけて」
「ううん。昨日連絡くれてたでしょ? 今日会えるんだって楽しみにしてたよ! それに、おめでとう! びっくりしたけど自分のことのように嬉しいよ〜!」
わたしの指に自らの指を絡ませて大袈裟に喜んでみせる美香。
「もう、大袈裟だよ」
「そんなことないよ! 本当に会いたかったし!」
以前のわたしならきっと──その言葉を真っ直ぐに受け止めることが出来なかっただろう。
けれど、今はもう違う。
そう思えるようになったのは──。
「みんな揃った?」
紙の束を持って教室に現れた奏多くん。お盆の間は忙しかったらしく、電話やメッセージでのやり取りはしていたけれど、会うのはあの日から約一週間ぶりになる。
「練習の前に──俺、みんなにお願いがあって」
いつになく真面目な顔をした奏多くんがそう言うと、静まり返る教室。
わたしは──わたし達は、彼の言葉の続きを待つ。
「台本、作り直してきたから見てほしいんだけど……」
騒つく教室。それはそうだ──とわたしは思った。これまで練習してきたものが無駄になるし、台本を本当に変えるなら文化祭まで残り一ヶ月弱でまた覚えなおしたり、小物も作り直さなければいけない。
それは無茶だ、という声が周りからちらほらと聞こえてきていた。
「奏、何か知ってる?」
「ううん。わたしも初めて聞いた……」
奏多くんが台本を配っていくのを見ながら美香と話す。彼女も、何も知らないようだった。
わたしは台本を受け取って、それを読み始める。
ベースは最初と同じ、ファンタジー物。作り直したと言っても、全てを変えたわけではなく、少し追加された部分があるだけのようだ。
不思議な力により魔王の呪いから助かった勇者は生まれ育った街を救うため、妖精探しの旅に出る。七人いると言われる妖精だったけれど、そのうちの一人がどうしても見つからない。聞き込みを繰り返す中で、妖精は七人でなく六人で、もう一人、女神の生まれ変わりがいるということを知る。六人の妖精の力と女神の歌で魔王を封印すること──それが唯一呪いを解く方法。そして、その女神の正体とは勇者の幼馴染の女の子だった。
早速二人で魔王を封印しようとするが、魔王の封印と引き換えに幼馴染は、魔王とともに永遠の眠りにつくということが分かる。それは死も同然──女の子は、その事実に怯え、「やりたくない」と伝える。
それでも、妖精達の説得や勇者からの励ましによって自分の立場を理解し、魔王に挑む。
女神の生まれ変わりである幼馴染の女の子の歌声が魔王城に響く。それは、普段喋ることのない彼女の声を初めて聴いた瞬間だった──。
その後勇者は、吟遊詩人となり、その時の冒険のことを世界中に伝えて回るようになる。幼馴染の勇姿が、風化しないように。そして彼女のことを、百年、千年先の人まで知ってもらえるように。
みんな、同じようなタイミングで読み終わったのだろう。しだいに賑やかになっていく教室。その中でわたしは──この台本が、わたしのために書き換えられたのだと、そう思っていた。
ストーリーもそうだけれど、何より、女神の生まれ変わりの女の子の声を吹き込むのはわたしらしい。そう、台本に書いてあった。
それはきっと、お祭りの日に話したことが影響している。わたしは立ち上がり、奏多くんの隣に立った。普段目立つことのないわたしの行動に、クラスがまた静かになる。
「──聞いてほしい、話があります」
***
「そういえば奏、何かあった?」
──お祭りの日、花火の後。お祭り会場に戻る道中で奏多くんはわたしにそう言った。
「あ……えっと」
「俺、奏が何を考えてるのか知りたいな」
「奏多くん、困っちゃうかも……」
「いいよ。聞かせてよ」
わたしは奏多くんに、これまで抱えてきた想いを全て話した。
来年になれば今の人間関係が全て崩れると思ったこと、毎年そうだからと諦めていたこと。それから、中学生の頃の話。
人に話すのは初めてだったから辿々しい話し方だったかもしれないけれど奏多くんは全て聞いて、受け止めてくれた。
「……そっか、じゃあ俺、無意識に傷付けてたのかな」
「ううん! そんなことないよ。奏多くんはわたしに、色々教えてくれたよ。それに……嬉しかった。わたしのことを覚えていてくれたことも、一緒に歌えたことも」
「奏」
奏多くんはわたしの手を引いて路地裏へと入る。人がすれ違えるかすれ違えないかという程に狭いそのスペースで、彼はわたしを抱きしめると言った。
「夏目終わってほしくないな」
「うん」
「あのさ」
「うん?」
「奏の病気のこと、誰かに話したことある?」
「え? ううん。ないよ……あっ、でも、美香は知ってる」
「……奏が大丈夫なら、クラスのヤツにだけでも話してみない? 俺やっぱり、奏に文化祭の思い出作ってあげたいよ」
「……」
正直、わたしは少し迷っていた。変な目で見られるのではないだろうかという懸念があったから。
けれど──。
「うん……話してみよう、かな」
わたしが変わらなきゃ、一生土の中だ。
***
「わたしは──文化祭にはもしかしたら、出られないかもしれません。それは、わたしの患っている持病のせい、です。田邉くんが今回こうして台本を書き換えてきたのは、わたしの都合なんですけど、えっと……」
大勢に見られている緊張と、突発的なスピーチのせいで言葉に詰まる。
どうしよう──次の言葉が出てこないわたしを助けるように、美香が立ち上がった。
「あたしは賛成! この話、めっちゃいいしさ、小道具とかもそのまま使えるでしょ? 今から頑張れば、なんとかなるよ」
「美香……」
美香のその言葉で、教室の空気が変わる。クラスメイトはわたしを受け入れてくれて、そして、新しい台本にしようという意見で纏まった。
「大変だったね」「いい思い出作っていってよ!」そんな言葉の数々にわたしは、目頭が熱くなるのを感じて涙を堪えるように下を向いた。
「奏、ほら、みんなに混ざりに行くよ」
「うん……っ。ありがとう、奏多くん」
わたしは、新しい劇の準備を始めようとクラスメイトの輪に加わった。
準備を進めること約二週間──夏休み最後の日に、クラスメイトの一人がとある提案をした。




