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その夜、わたしは病院前のコンビニで先生を待っていた。田邉くんからのお誘いは結局、未読のままにしてしまった。罪悪感がないと言えば嘘になるし、一緒に行きたかった気持ちもあるけれど、どんな顔をして会えばいいのかが分からなかったのだ。
しばらく待っていると、私服姿の先生がわたしの前に現れた。白いTシャツに、水色のシャツを羽織り、白のズボンを履いている姿は、普段白衣姿しか見ないわたしにとってとても珍しいものに思えた。
「待った? ごめんね。じゃあ、行こっか。お腹空いてる?」
「うん。ちょっとだけ」
「じゃあ、たこ焼きでも食べよっか?」
そんな風に話しながら、病院から十分ほど歩いたところにある、公民館と神社が隣接した祭り会場へと向かう。
そこはかつて、わたしが住んでいた辺りで、毎年この時期にそこそこ大きなお祭りが行われる。神社の参道から道路、公民館までにズラリと屋台が並んでいた。
「誘ったの俺だから、お金は全部出すよ」
「えっ!? それは……流石に悪いですよ。ていうか先生、俺とか言うんですね」
「え? あぁ、まあプライベートだからね」
流石に悪い、と断りながらも先生の強引な押しに勝てず、結局何から何までご馳走になってしまった。
最初こそ、楽しめるだろうかと心配していたけれど、それは杞憂に終わりそうで密かに安心する。わたしのことをよく知っている先生の前では、なにも取り繕うことなく、そしてなにを心配する必要もなく楽しく過ごすことが出来た。
「疲れた?」
「うーん、ちょっと」
先生の問いにそう答えると「じゃあ休もうか」そう言われて、休憩できる場所を二人で探す。
「なんか人、増えてきましたね」
「この後花火あがるからだと思うよ」
「あっ……そっか」
来た時よりも随分と増えた人の波に、わたしは呑まれそうになる。必死に着いて行こうとするわたしの手を、先生の手が握った。
「ちょっとの間、我慢してて?」
はぐれないように繋がれた先生の手のひらはわたしよりもずっと大きく、そして熱を帯びていた。
いつもは穏やかで優しい先生が力強く手を引っぱって歩く。わたしは先生の横顔を見ながら、ドキドキしていた。
少し開けた広場に出た時──先生のものじゃない声が、わたしの名前を呼んだ。
「西野!」
「……えっ、た、田邉くん……?」
声の主を確認すると同時に、わたしは先生の手を振り解く。それに対して先生は何も言わず、「友達?」とだけ声を発した。
「あ、高校の……クラスメイトで」
「そっか……ここからは、二人で回ってきたら?」
「えっ、で、でも……」
「先生はいいから。クラスの子と思い出作った方がいいでしょう?」
そう言った先生は、有無を言わさずわたしを置いて行ってしまった。その場に残されたわたしと田邉くんは、少しの沈黙のあとに目を合わせる。
「今の、彼氏?」
「えっ……違うよ? 病院の、先生……」
「……それなら、良かった……」
田邉くんはそう小さく呟いてから言った。
「もうすぐ花火始まるじゃん。俺、穴場知ってるから一緒に行かない?」
「……う、うん」
田邉くんからの花火のお誘い。嬉しくも少し気まずい。相手もそう思っているのか、穴場スポットであるという、少し離れたところにある神社に行くまでの道中は、ずっと無言だった。
礼もせずに神社の敷居を跨ぎ、突き当たりにある本堂の側に置かれたベンチに並んで腰掛ける。
「西野、なんかあった?」
「ううん、なんでも……」
「ないわけ、ないだろ」
怒っているのか、それともまた別の感情か──いつもより語気荒めに言った田邉くんの声に驚いて、思わず肩が跳ねる。
「田邉くん、あのね……っ」
「西野。俺、西野のこと、好きだよ」
「え……」
わたしの言葉を遮るようにして告げられた言葉。突然の告白に、わたしは思わず否定の言葉を返した。
「そ……んなわけ……わたしと付き合ったって、なんにもなんないのに……」
「なんで?」
「だ、だって……わたしは、夏しか生きられないんだよ? いない時間の方が、ずっと、多いし、それに……」
「だから、人と距離取ってるんだ?」
田邉くんから言われたその一言に、わたしは思わず言い返す。
「田邉くんには、わかんないよ! わたしだって、みんなとおんなじようになりたいのに、こんな……っ、身体のせいで……っ」
「西野、俺のこと信じられないの?」
「えっ……?」
「過去に何があったかなんて知らないけど、今、目の前にいる俺の言葉、信じられないの?」
「そんなこと……」
そんなこと、考えたことなんてなかった。わたしはみんなと生きられなくて、誰かと仲良くなることなんて出来なくて、だから、人と関わることなんて無駄だと思い込んで──。
「西野、俺のこと、嫌い?」
「ばかっ、そんな聞き方ずるい……」
「じゃあ、好き?」
「うん。好きだよ」
わたしがそう言うと、田邉くんの手のひらがわたしの左頬に伸びて、一瞬目が合ってからそのまま優しく口づけをされた。その瞬間、大きな音を立てて打ち上がった花火。わたし達はその突然の音に驚いて口を離し、そしてまた目が合って笑い合った。
「田邉くん。も、もう一回……」
「じゃあ、奏多って呼んで?」
「奏多くん……?」
「奏、案外欲張りなんだね」
わたしは、失ったものを求めるように何度も彼の唇を求めて、奏多くんはそれに何度も応えてくれた。
交わる唇と、絡み合う指先。暑い季節がこのまま終わらなければいい──わたしはそう、強く願っていた。




