02_彼女(達)の事情
「マルテッ! 危ない!」
そう叫びながら、ロイが弓を構えた私の前に立ちふさがる。
ライナーさんが、私が対応がしやすいように調節して前線を抜かせた魔物が、思惑通りに私に向かって一直線に向かってくる。
これなら、魔物が私に届く前に処理出来る。そう思った矢先の出来事だ。
「ロイ! 危ないからどいて!」
あぁ、まただ。またそうやってロイは私の、私達の邪魔をする。
「僕なら大丈夫だから!」
そうやって自分の都合の良いようにしか物事を解釈しないのもいつも通り。
「そうじゃ無くて、私の射線に立たないで!」
貴方がそこに居るから、私は矢を放てないんだよ。
そうして、噛み合わない会話をしているうちに、ロイが魔物に体当たりされて転がる。
射線上に邪魔が居なくなった事を確認し、弓に番えていた矢を放つ。
―― タンッ ――
乾いた音を立てて、魔物の側頭部に矢が突き刺さる。
その一撃で魔物を仕留める。
私の職業は【弓術士】、この程度の芸当は出来て当り前だ。
「ロイッ! 無茶しないで下がって!」
きっと彼は、私が心配して言っているとでも思っているのだろう。
言い換えれば、『余計な事をしないで』なのだが、彼には通じない。
彼は、物事を自分の都合の良いようにしか解釈しない。
例え『余計な事をするな』と言っても、彼の頭の中では『遠慮してる』とか『自分に罪悪感を持たせない為に、わざときつく言っている』等に変換されてしまうのだ。
ここは、町の近くにある迷宮、通称『帝竜の墓所』と呼ばれる迷宮の第五層、通称『腐敗の回廊』。
昨日までは四層で各自の動きや連携を確認していたけれど、今日から難易度を一つ上げて調整しようと、階層に来たところだ。
ライナーさんとユリアナさんは既に二十八層まで攻略しているけれど、新入りの私の為に、迷宮の知識を実地で教えてくれているのだ。
前もって教えられていた通り、五層への階段までの道のりを、最短距離、最小限の戦闘で駆け抜る。
階段御手前で小休止をして、予定通りユリアナさんが松明から光源魔法に切り替える。
初めて足を踏み入れた五層は、その名の通り、何かが腐ったようなにおいが充満していて、あちこちに何かが湧き出しているような水溜りがあって、ユリアナさんが松明を消した理由を窺わせていた。
目的地に向かって歩いている途中、足を踏み入れた広場で魔物と遭遇、いつも通りに通路まで引き込んで戦闘を開始、今に至る。
前衛として戦線を支えるのが【双剣士】のライナーさん。
その名の通り、二本の剣を操って戦う前衛職だ。盾は持たず、両手の剣を攻撃にも防御にも使う。
防御は盾士に及ばず、純粋な攻撃力は剣士や斧士に及ばず、『器用貧乏ってやつだよ』と本人は謙遜していたが、それでも一人で前線を支え続ける実力は、本人の研鑽と努力に裏打ちされている。
綺麗とは言えないかもしれないが、常に戦局を見渡し、自分に魔物を引き付けるように立ち位置を調整し、私でも処理が可能と判断すればわざと前線を抜かせる。
その背中は、後衛として控える私やユリアナさんに安心感を与えてくれる。
§
「ちっ!」
ライナーの舌打ちが聞こえる。
魔物の爪を躱し損ねたのか、腕に一筋の傷。その他にも細かい傷を負っている。
でも、まだ回復魔法を使う程じゃない。今はまだ、支援魔法に集中して大丈夫。
以前、ライナーが自分を称して『器用貧乏』と言っていたけれど、それは私も同じだ。
私の職業、【支援士】の使う回復魔法は、あまり効率が良くない。
回復魔法専門の【治癒士】が使う様に細かく魔力を調整できる訳でも無ければ、同じ魔力を消費しても、【治癒士】の回復力には及ばない。
そして、【支援士】がパーティーで担う役割はそれなりに多い。私達の様に、少人数パーティーなら猶更だ。
ライナーやマルテちゃんのの強化、魔物の弱体、場合によっては回復も攻撃魔法も使う。
だからこそ、魔力の枯渇は死活問題であり、それの管理には常に気を配る。
今のライナー程度の怪我であれば、動きに支障が出る程でも無いし、回復する体力よりも消費する魔力の方が多くなってしまう。
ライナーもマルテちゃんもそれが解っている。
だと言うのに……。
「ロイッ! 下がりなさい!」
§
「ライナーさん! ポーションです!」
魔物との戦いに集中している俺の耳に、雑音が割り込んでくる。
コイツは何度言ったら解るんだ。
「邪魔すんじゃねぇっ!」
思わず語気も荒くなる。
両手の剣を使って戦う【双剣士】にとって、戦闘中にポーションを使う為に片手を塞ぐという行為がどれだけの愚行かコイツはまだ理解して居ないのか。
「何度も言ってるだろうが? 【荷物持ち】が戦闘中に前に出てくんな! 後ろで大人しくしてろ!」
おまけに、間合いも方向も無視してただ近付いてくるモンだから、コイツを斬ってしまわない様に剣の軌道を変えなきゃなんねぇ。
「でもっ! その傷を治さないと!!」
この程度の傷なら治すまでもねぇ、ユリアナもそう判断してるから支援魔法の方に集中してるんだろうが。
「うるせぇって言ってんだよ!」
魔物に集中しなきゃなんねぇ戦闘中に、ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ。
そう思っていると、不意に左腕が濡れる感覚があり、掌の水気で剣を取り落してしまいそうになる。
「くそが!」
思わず毒づきながら剣を握り直す。
ロイが勝手にポーションをぶっかけやがったのだろう。本当にコイツは余計な事しかしない。
§
「ロイ! 早く戻りなさい!」
ユリアナさんの大きな声に、漸く後ろに下がろうとしたロイが、ライナーさんが抜かせた魔物に体当たりされて転がる。
邪魔が無くなったところで、矢を放ち魔物を仕留める。
「あっ……」
ロイが勝手にパーティーの資産であるポーションを飲んでいるのが見えた。
通常、【荷物持ち】に戦闘をさせるパーティーは居ない。当然だ、【荷物持ち】と戦闘職では役割が違うのだから。
やむを得ず【荷物持ち】が傷を負ってしまう事はある。その時に使用するポーションや薬品は、当然【荷物持ち】を雇ったパーティーが負担する。
だからこそ、戦闘中は前に出るなと繰り返し言っているにも拘らず、ロイは勝手に出しゃばっては傷を負い、勝手にポーションを使う。
そもそも私達のパーティーは、常時【荷物持ち】を雇うような規模のパーティーではない。長期の遠征や、前もって大物を狙う時など、事前に荷物が多くなる事が予想されている時だけ雇えば十分なのだ。
私の幼馴染という事で、必要でも無いのにロイを雇い、そのロイの勝手な行動で二人に迷惑をかけている。
その事実が、私に暗澹たる思いを抱かせる。
§
「ライナーさん! そいつの弱点は『火』です!」
ロイが解り切った事を叫んでいる。
今居る『帝竜の墓所』の五層は、昨日今日に攻略が開始された場所ではない。長い間調査、攻略され、それこそ出てくる魔物の情報から階層の造りまで、あらゆる情報が出揃っていると言っても良い。
だからこそロイが言っているような事は態々言われなくても解っているし、同時になぜ火を使ってはいけないのかも解っているのだ。
そんな事を考えていた矢先に、ロイが背負っていた鞄から松明を取り出すのが見えた。
まさかと思っているうちに松明に火が着いてしまう。
「何をしているの!」
慌ててそれを杖で叩き落とした時は、ロイはそれを事も有ろうかライナーの方へ投げようとしている所だった。
「早く消しなさい!」
私がそう言った時、既にマルテちゃんは自分の飲み水の入った革袋を松明に向かって引っ繰り返していた。
「何をするんです!?」
そう言って手を抑えながら、ロイが私を睨む。
この子は本当に自分が何をしたのか理解して居ないのか。
私は何事も起きなかった安堵と、ロイへの呆れで言葉を続ける気力を失ってしまう。
それでなくても今は戦闘中だ。ロイに構っている暇など無い。
「貴方こそ自分が何をしたのか解っているの? 余計な事をして邪魔をしないで!」
それだけ言うと、私はライナーへ視線を戻す。
「ロイ……お願いだから余計な事しないで……」
そう言うマルテちゃんの声が聞こえる。声の調子からして、自分の為にパーティーに同行しているロイが仕出かした事に胸を痛めているのだろう。
本当にマルテちゃんは良い子だ。人の言う事をちゃんと聞いて、理解して、自分がやるべき事をちゃんと判断して行動できる。
きっとこの子は良い冒険者になる。
戦闘中だという事はわかっているけれど、思わずそんな事を考えていた。
§
「よし、さっさと核石を集めちまうぞ」
双剣を納め、腰袋から取り出したポーションを飲み干してから全員に声をかける。
「こんなもんか。ロイ、全部鞄の中に入れておけ」
拾い終わった核石をロイに渡す。
「わかりました」
四層までの分を含めても、大した量は取れていないが、目的地に着くまでに恐らくもう何回か位は戦闘があるだろう。
その分も加味すれば、まぁ元は取れるだろうってとこだな。
「これで、今日も美味しいご飯が食べられますね」
戦闘中にロイがやらかした事を知っているからか、マルテが気まずさを払拭するかのように明るい声を出す。
少し無理をしているように見えるが、それを労わる様にユリアナが頭を撫でている。
ホント、なんでマルテみたいな良い娘がロイみたいなのと一緒に居るのかね。
「よし、あと少し奥まで行って、もう一稼ぎするか」
今日の目的地は、五層の『転送軸』。これにマルテが触れておけば、次は迷宮の入り口から一緒に五層まで飛べる。
どういう仕組みかは判明していないが、それは迷宮の五層毎に存在する光の柱で、一度触れた者を、触れた事のある階層まで転送してくれるのだ。誰が呼び始めたかは知らないが、いつしかそれは、『転送軸』と呼ばれるようになっていた。
正直な話、原理の解らない物を使うのは本意では無いのだが、今のところ何かしらの弊害があったと言う話も聞かないし、非常に便利なので利用している。
だと言うのに……。
「あの……そろそろ戻りませんか?」
また頓珍漢な事を言い出す奴がいる。
「あぁ? 何言ってんだお前」
思わず語気も荒くなる。
「えっと、マルテもユリアナさんも疲れてるみたいですし……」
「えっ?」
「わ、私は別に……」
二人の慌てた様な声が聞こえる。
そりゃそうだろう。なんでコイツの妄言のダシにされにゃいかんのだ。
「鞄ももういっぱいです。あと……ポーションがもうありません」
「はぁ?」
我ながら間の抜けた声が出てしまった。
「ポーションがもう無いってどういうことだ!? お前がポーションを買って来ると言ったから持たせた金は、それなりの量が買えるだけの額だった筈だぞ!」
俺が昨日行きつけの道具屋で確認した限りでは、ポーションの値段に大きな変動は無かったはずだ。
思わずロイの胸ぐらを掴んでしまう。
「それに、鞄がいっぱいってのもどういうことだ? 核石の量は昨日より少ない位だろうが!」
今日は昨日までと違い、四層までの戦闘は最低限にして来た。さっきの戦闘の分を入れても、昨日の核石よりは少ない筈だ。
「きょ、今日から五層に行くっていうから色々調べて……役に立つと思った物を色々持って来たんです。それに、渡されたお金で買えるだけのポーションは買ってきました! 本当です!」
なんで金を払って【荷物持ち】を雇ってるのに、【荷物持ち】が居ない時より持てる量が減るんだよ、それに……。
「荷物持ちが余計な物を持ち込むんじゃねぇって毎回言ってんだろうが! それにお前……」
ロイの目を正面から見据えて問う。
「まさか、またあの女の店で仕入れて来たんじゃねぇだろうな」
俺の問いに、ロイが目を逸らす。コイツは……。
「ちっ」
あの女狐が……。
ロイを掴んでいた手を離し、ユリアナとマルテに声をかける。
「仕方ねぇ、今日は引き上げるぞ」
転送軸までの距離を考えると、あと何回かは戦闘が有ると考えるのが妥当だ。
俺とユリアナだけならなんとか出来るだろうが、この層に不慣れなマルテの事を考えると、無理はさせたくない。
そう判断し、引き上げの指示を出す。
追いついてきたマルテが小さな声で『ごめんなさい』と俺達に謝っているのが不憫だった。
§
「今日の稼ぎはこんなもんだな」
そう言ってライナーさんが今日の分の報酬をテーブルに広げる。
「ロイ。お前への支払金だ」
そう言って、広げた銀貨の中から五枚を抜き出し、ロイの前へと置く。
ロイの様な『最低ランク』の荷物持ちへの報酬としては、少なくないどころか、寧ろ少し色を付けているくらいの額だ。
「あ、あの!」
だと言うのに、
「僕の分……少なくないですか?!」
不満を隠そうともしない彼の声に、溜息が漏れる。
「ロイ……あのね」
何度繰り返したかわからない事をまた言い聞かせなければならない事に気を重くしつつ声をかけるが、その先はライナーさんに遮られた。
「少ないってのはどういう了見だ。人聞きが悪い事言うなよ」
ライナーさんの言う通りだ。さっきも思ったけれど、銀貨五枚は決して少ない額ではない。
「で、でも……僕だって同じパーティーの仲間なのに……」
あぁ、やっぱりロイは理解して居ない。何度も繰り返し説明してるのに、自分に都合の悪い事はその耳に入らないのだろう。
「ロイ、お前は俺達パーティーの何だ?」
溜息を吐いたライナーさんがロイを見据える。
「そ、それは……」
ロイが言い淀むが、ライナーさんは逃がさない。
「お前は、俺達パーティーの、何なんだ?」
その圧力に、漸くロイが声を出す。
「荷物持ち……です」
そう、ロイは私達のパーティーメンバーではない。何度も繰り返し言い聞かせているのに、ロイはそれを理解していない。
「だよな。荷物持ちには、荷物持ちが受け取るべき額ってのがあるよな」
そうライナーさんに言われて、ロイは黙って銀貨を仕舞い、酒場から出て行く。
それを見送ってから、私達は今回の報酬を分け合う。
今回の報酬は銀貨五十枚。ロイに渡した五枚を除けば四十五枚となり、そこからパーティーの資金として十五枚を差し引く。ポーションや私の使う矢などの消耗品は、ここから賄われる。
最終的に残った三十枚を三人で分けて、一人銀貨十枚が今回の報酬となる。
消耗品やロイへの報酬を考えると、出ているのは儲けでは無く準備に使ったお金の方では無いだろうか。
三人で食事をしながら、明日の打ち合わせなどをしていると、埒も無い事を考えてしまう。
私がいなければ、二人はもっと下層で稼ぐ事が出来るだろうし、ロイが居なければ無駄にお金を払う事も無い。
二人は『冒険者を始めたばかりは、誰だってそんなもんだ』『頑張って一人前になって、沢山稼げるようになったら奢ってもらおうかしら』などと言ってくれるが、余計に気を遣わせてしまっているようで、かえって恐縮してしまう。
そんな心の悪循環を感じながらパンを齧っていると、ライナーさんが思い出したかのように声をあげた。
「そういやマルテ、今日の討伐数でポイントが規定に達したらしい。今日からマルテは『並級』冒険者だ」
「ふぇっ?」
一瞬何を言われたか理解出来ずに変な声が出てしまう。
「あら、随分と早かったわね。それなら今夜はお祝いしなくちゃ!」
「そうだな、これでマルテも一人前の冒険者として認められたって事だ。マルテの門出を祝おうじゃねーか」
胸の前で手を合わせて笑顔で祝ってくれるユリアナさんと、悪戯が成功したとでもいう様に片目を瞑って見せるライナーさん。
自分が一人前の冒険者と認められたのだと言う実感が沸いたのは、夕食の時間になったら宿屋のユリアナさんの部屋に来るように言われて解散してから、ギルドのカウンターでタグを交換してもらって、自分の部屋に戻ってタグをまじまじと眺めてからの事だった。
§
マルテへの昇級祝いを買って、良い気分で宿へと歩いていたが、その道すがら、不愉快な女狐の姿を見かける。
「おい」
そう言って肩を掴んで呼び止めると、女狐がこちらを振り向いた。
「あら、高名な『上級』冒険者のライナーさんじゃない。何か御用かしら?」
こっちの用件など解っているだろうに、何食わぬ顔しやがって、この女狐が。
「言わなくてもわかってんだろ? 何度も言わせるな。若い連中騙して阿漕な商売しやがって」
精々睨み付けてやるが、この性悪がこの程度の事で怯む訳も無い。
「あら、騙すだなんて人聞きの悪い。変な言掛りは止めて貰えないかしら?」
しれっと言葉を返してくるが、軽く髪をかき上げるその仕草が様になってるのが余計に腹立たしい。コイツは、見た目と口は美味いからな。ロイみてーな連中がころっと騙されちまう訳だ。
「だったら、あのポーションは何なんだ。ただのポーションに上級ポーションの値札を付けて、そっから割引してますなんて看板掲げておいて騙す気が無いとは恐れ入るな」
俺が言及したところで、余裕の表情は変わらない。
「私は、あれが上級ポーションだなんて言った事は一度も無いわよ? 貴方の言った通り、元値を上級ポーションと同じ位にしているだけ。自分の店で仕入れたものを幾らで売ろうとそれは私の勝手でしょう? 高いと思うなら買わなければ良いだけだもの」
余裕綽々といった体で言葉を続ける。
「まぁ、確かに少し高いとは私も思うわよ? だから実際には値引きして売っているじゃない。それに、『うちのポーションは良いポーション』だなんて、どこの店でもやっている売り口上ではなくて? 『うちのパンは美味しいパンだ』『うちで売ってる服は素敵な服だ』なんて言っている店全てに文句を言うつもりかしら?」
女狐はクスクスと笑いながら、悪びれた様子も無く言葉を紡ぐ。
確かにこいつの言う通りだ。法を犯している訳でもない以上、『嘘は言っていない』『騙すつもりは無かった』そう言われてしまえば、こっちは何も言えなくなってしまう。
不愉快ではあるが、こいつに口で勝つのは不可能だ。精々自分達で気を付けるようにするしかないのだが……。
「アンタの言い分はわかったがな、こっちは毟られ続けて気分悪ぃんだわ。中には我慢の限界に来てる血の気の多い連中だって居る。精々気を付けるこったな」
そう言い捨てて背を向ける。
口喧嘩に負けて捨て台詞とは何とも情けない……。
あぁは言ったが、ロイ辺りなんぞは、またぞろあの女狐の口車に乗せられてほいほい毟られに行くに違いない。
「ちっ」
マルテの祝いに水を差されたような不快感に、俺は小さく舌打ちをするのだった。
§
「テレジアさん!」
なんだか聞き覚えのある声に足を止める。
えっと、この子は……あぁ、私の店でやたらとポーションを買って行く子だったわね。
「あら、ロイ君じゃない」
そう言って笑いかけて上げると、あからさまに表情がだらしなくなる。
「ライナーさんがいつもすいません……」
取り繕う様に、ことさら申し訳なさそうな顔をして言って来るが、その視線が私の胸に向いている事は解っている。
「あら、ロイ君が謝る事なんて無いじゃない」
そう言ってあげると、
「でも、僕と同じパーティーの人が迷惑をかけましたから……」
予想した通りの答えが返ってくる。
解りやすい子だ。彼を悪者にする事で、自分の点数を上げようとする。無自覚に。
実は、その彼こそが自分の為を思っていてくれると理解した時、この子はどんな顔をするだろうか。まぁ、理解する時など来そうにないが。
頭を撫でてあげながら、耳当たりの良い言葉をかけてあげる。
他人に何を言われても、自分の信じた事に真っ直ぐ。
純粋と言えば聞こえは良いが、言い方を変えれば他人の言う事を聞かず、自分の信じたい事しか信じない、どうしようもないお馬鹿さんだ。
だから、この子が聞きたがっていそうな言葉をかけてあげるだけで簡単に騙される。
まぁ、そんな人間が居るかららこそ、私の店は儲けさせてもらっているのだけれど。
軽く手を振って私の店への帰路に着く。
「ただ、まぁ……」
彼の言っていた事は、少々憂慮すべき事案かも知れない。
幸い、この町でもそれなりに稼がせてもらったし、そろそろ良い時期かもしれない。
「次はどこに行こうかしら」
そう呟きながら、私は次の町の事を考え始めるのだった。
§
カウンターに置かれた書類を片付けて小さく息を吐く。もう少しで定時です。
お腹も空きましたし、今日は何を食べましょうか。
そんな事を考えていたら、見知った顔が入ってくるのが見えました。
「あら、ロイさんじゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」
終業間際の来客であれば歓迎されざる存在ではありますが、ギルドの受付嬢として鍛えられた営業スマイルは、その程度で揺るぎはしません。
「ロレーナさん、こんばんは。今日は遅番ですか?」
真っすぐ私に向かってくる彼と、手に持っている紙の束に嫌な予感を抱きつつ、営業スマイルで応じる。
「ええ。と言っても、もう直ぐあがりの時間ですけど。ロイさんこそこんな時間にどうしました?」
もう営業時間終了間際だと、若干の牽制を込めて。まぁ、無駄でしょうけど。
「あの、本日分の報告書です」
「あっ……」
嫌な予感的中です。流石に少しだけ声をあげてしまいました。
「有難う御座います。いつもご苦労様です」
鉄壁の営業スマイルを崩す事なくそれを受け取る。
「いえ、その……報告書の提出は冒険者の義務ですから」
私にそれを渡した事で、何某かやり遂げた様な顔をしている少年。こっちはそのせいで迷惑してるんですけどね。
「毎日報告書を提出してくれるのは有難いのですが、無理はしなくても良いのですよ? 必要であればライナーさんから提出して頂くようにして貰えれば……。それに、ロイさんも毎日疲れているのに報告書を書くのは大変でしょう?」
遠回しに、報告書の提出は不要だと伝えてみます。
実際の所、迷宮や依頼についての報告は冒険者の義務となっていますが、それはあくまで新しい情報についての話です。
既に三十層を超えて攻略されている迷宮で、その四層、五層程度に目新しい情報が有るとは思えませんし、なにかしらの変化があったのであれば、他の冒険者の方、特にライナーさんとユリアナさんのお二人がそれを見逃す訳はありません。
通常六人程度で挑む迷宮に、たった二人で挑み続けて今尚現役で活躍されている理由は、なにも戦闘能力の話だけでは無いのです。ですから、あの二人が報告の必要は無いと判断したのなら、それは本当に必要が無いのでしょう。
あのお二人は、それだけの信用を、実績によって勝ち取っているのです。
「大丈夫です。僕は僕がやるべき事をやっているだけですから。それに、ライナーさんはこういう事には無頓着ですし、パーティーメンバーの僕がサポートしないと!」
そんな私の考えは、この無邪気な少年には伝わらないようですが。
そろそろ営業スマイルも限界かも知れません。ちょっとだけ溜息が出てしまいます。
「わかりました……。あ、そういえば幼馴染のマルテさんでしたっけ、今日の申告で『並級』に昇給しましたよ」
「えっ?」
私の言葉になにやらショックを受けているようです。
「冒険者を始めて三ヶ月で『並級』ですからね、ギルドとしては将来有望と見ていますよ」
元々の素養も有ったのでしょうが、あのお二人に師事しているといっても良いでしょうし。
尤も、お二人からしたらマルテさんは弟子と言うより妹と言った感じの様ですが。
「そうだ、ロイさん。先日のお話、考えて頂けました?」
ふと思い出した事を聞いてみる。
職業が【荷物持ち】の彼は、冒険者に向いていませんが、【荷物持ち】としてなら活躍できる場はいくらでもあります。
冒険者の真似事をして日銭を稼ぐよりも、待遇も安全も保障されている職場は幾らでも有るのです。
冒険者とは華々しく見えるかもしれませんが、とても過酷な職業です。適性の無い人が無理したところで本人にも周囲の人にも良い事は有りません。
荷物を持つべき【荷物持ち】自身が、実はお荷物でした。なんて洒落にもなっていないんですが……。
「ごめんなさい、ロレーナさん。僕はやっぱり冒険者を続けます」
申し訳なさそうに頭を下げられます。どうやら説得はまた失敗したようです。
「そう……ですか」
ギルドの建物を出て行く彼を見送った後、盛大な溜息を吐いてから、渡された報告書に目を通します。
「報告書と言うより、相変わらず子供の日記みたいな内容ですね」
とは言え、受け取ってしまったからには内容を確認しない訳にはいきません。受付係の辛い所です。
「今日も残業ですねぇ……」
少し遠くなった夕食に思いを馳せ、私はまた、溜息を吐くのでした。
§
少し緊張しながら、二人の泊っている部屋の扉をノックする。
私の昇級のお祝いをしてくれるという事だったけど、私には私の為にお祝いをされた経験が無い。いつもロイと一緒くただったから。
だから、私のお祝いと言われても、今一つ実感がわかない。
「おっ、来たな」
扉を開けたライナーさんが、私に笑いかけながら部屋の中を指し示す。
見ると、部屋の中のテーブルには所狭しと料理が並べられ、ユリアナさんが笑顔で私を手招いていた。
二人の様子にちょっとむず痒い気持ちになり、照れ笑いを浮かべながら部屋へと入る。
ライナーさんにちょっと大袈裟にエスコートされてユリアナさんの隣に座ると、ライナーさんは対面へと腰を下ろした。
「よっし、面子が揃ったところで始めるとするか!」
ライナーさんがそう言うと、ユリアナさんが私の前に置かれたグラスに、私の大好きな甘い果実水を注いでくれる。
「マルテちゃんにお酒はまだ早いから、今日はこれで我慢してね」
そう言って片目を瞑って見せるユリアナさん。
「何はともあれ、まずは乾杯と行こうか」
ユリアナさんと自分のグラスにお酒を注いだライナーさんとユリアナさんがグラスを持ち上げる。
ちょっと慌てながら、私もそれに倣う。
「マルテ、『並級』への昇級おめでとう。冒険者として一人前と認められて、これから大変な事も有るだろうが頑張ってくれ。それじゃぁ、乾杯!」
「かんぱーい!」
「あ、有難う御座います」
果実水を一口含むと、口の中に爽やかな甘さが広がる。美味しくって、ついついコクコクと飲んでしまい、気付けばグラスは空になっていた。
「あ……」
ちょっとだけ残念。
ロイと一緒に居る時は、ロイが買ってきた酸味の強い果実水しか飲んでいない。ロイは好きらしいが、私はあの酸味が苦手だ。問答無用で渡されるし、捨てるのも勿体ないから、仕方なくちびちびと飲まざるを得ないのだが。
そう思っていると、ユリアナさんが空になったグラスに果実水を注いでくれた。
「沢山用意したから、遠慮しないで飲んでね。今日はマルテちゃんのお祝いなんだから、遠慮しなくて良いのよ」
少しだけびっくりしてユリアナさんを見ていると、
「飲んでばっかでも仕方ないだろ、食い物も用意したんだ、こっちもジャンジャン食ってくれ」
そう言ってライナーさんがテーブルの上の食べ物を取り分けてくれた。
見れば、小皿に取り分けられた料理も、テーブルに並んでいる料理も、私の好きな料理の中でもちょっとだけ値が張る物ばかりだ。
「有難う御座います。い、頂きます」
お礼を言ってから、取り分けられた料理を口に運ぶ。
「美味しい……」
たまにしか食べられないからか、この空気のお陰なのか、その味は前に食べた時よりも美味しく感じられた。
「そいつは良かった。まだまだ有るからな。じゃんじゃん食って、じゃんじゃん飲んでくれ。何しろ今日はマルテのお祝いだ。あ、嫌いな物が有ったら残して良いからな。無理して食べなくて良いぞ」
言いながらライナーさんも料理を次々と自分の口へ運ぶ。ユリアナさんはグラスのお酒を少しずつ口に含み、ゆっくりと食事を楽しんでいる様だった。
少しの時間が過ぎ、今日までの冒険の話に花が咲き、料理と飲み物が有る程度姿を消した頃、ライナーさんがベッドの陰からなにやら大きな包みを持ち出してきた。
「こいつが今日のお祝いの大本命って訳だ。俺とユリアナからのプレゼントだ。受け取ってくれ」
手渡された包みは長細く、見た目より軽く感じた。
ユリアナさんを見ると、微笑みながら頷いてくれたので、恐る恐る、その包みを開いてみる。
「これは……」
中から出て来たのは一張りの弓。手に取ってみれば、洗練された造形、手に馴染む感覚が教えてくれる。今私が使っている弓より、数ランク上の業物だ。
「えっと……」
どう反応して良いのかわからずに、弓を握りしめたまま二人の顔に視線を彷徨わせる。
「言ったでしょう? これはマルテちゃんへの『プレゼント』よ」
ユリアナさんが優しく微笑みながら言う。
「一人前の冒険者になったからには、一人前の装備を使わねーとな」
ライナーさんが親指を立てながら、片目を瞑って見せる。
「あり……ありがとう……ございます」
私の為の、私へのプレゼント。
そう認識した時、なんだか感極まってしまって、涙が溢れ出てきてしまった。
「ど、どうした? 何か嫌な事しちまったか?」
突然の事に慌てるライナーさんと、そんなライナーさんを宥めつつ、私の背中を優しく擦ってくれるユリアナさん。
ややあって、少しだけ落ち着きを取り戻した私は、今までの事をぽつりぽつりと二人に話した。
故郷の村の事。
自分の母親と、ロイの母親が仲の良かった事。
いつでもロイと一緒に居る事を強制され、同じ年頃の友達など作る事が出来なかった事。
誕生日などのお祝いは、ロイに合わせて一緒に祝われていた事。
そのプレゼントも、『ロイとお揃い』だったり、『ロイと一緒に使える物』だったりで、私自身へのプレゼントなど無かったという事。
初めて自分だけを祝って貰えて、初めて自分だけののプレゼントを貰えて凄く嬉しい事。
そして、私が居るせいで、ロイが二人に迷惑をかけてしまっている事。
村ではどれだけ訴えても無視されて、ついには口にするのを諦めてしまっていた事を、少しずつだけど、二人に伝えた。
二人は、その間ずっと私の言葉に耳を傾けてくれていた。
「すまなかったなぁ」
「そうね、私達がもっとちゃんと見ているべきだったわね」
そう言って、ライナーさんは私に頭を下げ、ユリアナさんは私を優しく抱き留めてくれた。
「そんな事ないです。あの時私達を助けてくれて、そのうえパーティーに加えてくれて、今もこうして私の為に祝ってくれて、感謝しかないです。本当です」
嘘でも誤魔化しでも無い。本当に、本当に嬉しかったのだ。
§
最後に少しだけ微妙な空気にしてしまった事を申し訳なく思いながら、宴は終わり、自分の部屋に戻る。
手の中にあるのは、さっき贈られた真新しい弓。
それを眺めながら、私は二人と初めて会った時の事を思い出す。
あれは、故郷の村からこの町に来たばかりの頃、冒険者になると言って村を出た私に、当然の様な顔をしてついてきたロイは、気付いたら私とパーティーを組んでいると申請を出していて、勝手にゴブリン討伐の依頼を受けていた。
討伐系の依頼を受けるにはまだ早いと思っていたが、一度受けた依頼を破棄するには違約金が必要で、冒険者になって間もない私にはそんなお金は何処にもなくて。
せめて情報を集めて準備をしてからと言う私を、ロイは急き立てる様にゴブリンの目撃された森へと連れて行った。
依頼書の通りにゴブリンと遭遇したが、その数は目撃情報よりも多かった。
それでも私の【弓術士】としての実力が有れば遅れを取る事は無かったはずなのだ。
ロイが余計な事をしなければ。
私に向かってくるゴブリンに矢を放とうとする度に、ロイが射線上に現れては邪魔をする。
そんな事を繰り返して矢を無駄にしているうちに、私達は追い詰められ、私はこのまま殺されるか、ゴブリンの慰み者にされるのかと恐怖していた。
そんな時に現れたのがライナーさんとユリアナさんだった。
二人は私に群がろうとしてたゴブリンを事も無く殲滅すると、私達を町まで送ってくれた。
後で聞いた話だが、ギルドの受付嬢のロレーナさんが、依頼を受けたロイに不安を感じて、二人を派遣してくれたのだそうだ。
そうして町に戻った後、私は二人を探し出してパーティーに入れて欲しいと頼み込んだのだ。
ゴブリン討伐の時に見せた二人の連携に魅せられていたというのもあったし、ロイと二人ではこの先同じような事を繰り返すに違いないと言う確信めいた予感もあった。
そして、上手くいけばロイと離れられるのではないかという打算も有った。
二人にパーティー加入を認められた後、私はロイに、ロイとのパーティーから脱退し、二人のパーティーに加入したことを告げた。
すると、有ろう事かロイは二人に、自分もパーティーに入れるようにと言い出したのだ。
流石に【荷物持ち】をパーティーに入れると言うのは二人共渋ったが、ロイが私の幼馴染であると食い下がった為に、『荷物持ちとして雇うのなら』という事で同行を認めていたのだ。
「でも……」
握りしめた弓を見る。私を見て、私を理解してくれて、私の昇級を喜んで、お祝いまでしてくれた二人の顔を思い出す。
「このままじゃ駄目だよね」
そう呟き、私は一つの決心をするのだった。
§
「ロイ、俺達はもうお前を雇わない」
その声が響いたのは、いつも集合場所にしている、ギルドの隣の酒場。
入って来たロイを見て、私が何言う前に、ライナーさんがそう宣言していた。
「ど、どういう事ですか?」
「どうもこうも、今言ったとおりだ。元々俺達のパーティーは、常時荷物持ちを雇う程余裕がある訳じゃない。マルテの幼馴染だからと融通を利かせていたが、それもそろそろ限界だ」
グラスの水を煽ったライナーさんが言葉を続ける。
「荷物持ちには荷物持ちにふさわしい仕事がある。冒険者の真似事なんてやめて、これからは真っ当に仕事をするんだな」
ライナーさんの言っている事は至極真っ当な話なのだが、ロイには納得できないらしい。
「そんな……確かに僕は荷物持ちで、戦闘では頼りにならないかもしれませんが、それ以外のところでは皆の、パーティーの仲間として役に立てる様に頑張って来たじゃないですか!」
尚も言い募るロイを見ながら、私は昨晩の決心を形にする。
「ロイ!」
いつになく強い調子の声に、ロイは驚いたように私を見た。
その目を真っ直ぐに見返して言葉を伝える。
「ロイ、いい加減解って」
「マル……テ?」
何を言われているのか理解して居ない風にロイは戸惑っているが、構わずに告げる。
「ライナーさんも言ったでしょう? 荷物持ちには荷物持ちに相応しい仕事があるって。もう冒険者の真似事をするのは止めて、自分に相応しい場所で働こうよ」
そして、
「私の幼馴染だからとライナーさんにもユリアナさんにも甘えて来たけど、これ以上迷惑はかけられないの」
結局ライナーさんにのっかる形で、二人の名前を借りての言葉になってしまったけど、それでも言い切れた。
それを察してくれたのか、ユリアナさんが優しく背中を撫でてくれていた。
「そう言う訳だ。突然の話になっちまったが、これは俺達パーティーの総意だ。少ないかもしれないが、こいつは餞別代りに取っといてくれ」
そう言ってライナーさんがロイの前に置いたのは、恐らく当座の生活に必要なお金の入った袋。
そうして腰を上げたライナーさんに続き、私とユリアナさんも腰を上げる。
ライナーさんに肩を叩かれて項垂れているのが、私がロイを見た最後の姿。
その横を通り過ぎ、振り返る事無くギルドの建物を出た途端、体の力が抜けてしまい、ユリアナさんに寄りかかってしまう。
ユリアナさんはそんな私を、何も言わずにただ抱きしめてくれたのだった。
§
あれから数年の時が過ぎた。
後で聞いた話だが、ロイは『エルフの国を探す』と言って町を出て行ったらしい。
私は今もライナーさんとユリアナさんの二人とパーティーを組んでいる。
二人は『破級』冒険者へと昇級し、私も『上級』となり、最前線とは言わないけれど、それなりに活躍していると思う。
何度か弓を持ち替えたけれど、あの時貰った弓は今もパーティーハウスの私の部屋に飾ってある。
エルフの国を見つけた【荷物持ち】の話は、今になっても聞いたことは無い。
『無能と呼ばれて追放された人が、実際無能でした』というお話を書きたかったのに、
何時の間にやら『ストーカーとその被害者』のようなお話になっていた件。
どうしてこうなった……Orz=3
タイトル含めて完全に出オチで、話の広げようがないのでこれにて終了。
あとは『例の奴』くっつけて完結マークつきます。
お話を書くのは本当に難しい。